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2009.09.13 「トリックスター」と「文化英雄」 (4) カテゴリ:神話・伝承・民俗 先日ちょこっと言及した大林太良の別の著書 『神話学入門』 に、ドイツの民族学者カール・シュミッツ(政治学者のカール・シュミットと名前は似ているが、まったくの別人。1920年生まれだそうだ)による神話の分類として、次の三つがあげられている。 1 だれが、どのようにして世界を創造したか(宇宙起源論) 2 だれが、どのようにして人類を創造したか(人類起源論) 3 だれが、どのようにして文化を創造したか? この三つの分類について、大林は下のように説明している。 天と地に関する関する神話とか、天体やその他の自然に関する神話は、私の考えではみな宇宙起源論の一部であり、洪水神話その他の大災厄神話も、宇宙起源神話の一部である。 他方では大災厄神話も、人類の起源を物語るかぎりにおいては人類起源神話の一部であり、また原
2008.09.26 風車に突っ込むドン・キホーテまたはお釈迦様の手の上で踊る孫悟空 (4) カテゴリ:ネット論 昨日は最高気温が32度と残暑が厳しかったが、今日の最高気温は26度どまりだった。「三寒四温」 ならぬ 「三暑四涼」 で、行きつ戻りつしながらも、着実に季節は変わっている。いわゆる 「ラセン的進行」 というやつである。 中学の部活で剣道をやっていたころの話だが、試合などでよく使ったのが、わざと面や小手に隙を作って相手を誘い込むという手。そこを狙って相手が打ち込んでくると、その瞬間大きく振りかぶり、後方へ跳びながら、がら空きになった相手の面を思い切り叩くのである。 むろん、こういう手は同じ相手に何度も通用はしない。しかし、対外試合などで初めて当たる相手だったりすると、これが結構決まるのだ。コツは罠と気付かせないように、ちらっちらっとごく自然な感じで隙を見せること。相手は、自分から攻
2007.09.24 不思議の国 「日本」 (6) カテゴリ:雑感 フロイトの 『トーテムとタブー』 を読んでいたら、たまたまフレーザーの 『金枝篇』 の 「タブー」 についての章からの、次のような引用を見つけた。 太古の王国は専制主義であり、したがってその人民は、ただその支配者のためにのみ存在するという概念は、ここでわれわれが見ている君主国にはまったく適用できないのである。それどころか君主国では、支配者は自分の臣下のためにあるにすぎない。 王が自分の地位に基づく義務を果たして、自然の運行を彼の人民の利益のために調整するかぎりにおいて、王の生活は価値をもつにすぎない。王がこの義務を怠ったり放りだしたりすると、彼はそれまでしばしばその対象にされていたのに、その配慮や献身や宗教的尊敬などが、憎悪や軽蔑に変わってしまうのである。 王は惨めにもその地位から追われ、命だけでも助かれば喜んでよいのだ。
表現規制から遠く離れて - 地を這う難破船 では、違いを確認していきましょうにゃー サルとしてのニンゲン 子供は他者であり、他者であるがゆえに育児は公共的である。そのようにtikani_nemuru_Mさんは述べておられたと記憶していますが、私の考えではこうなります。育児は公的領域であるところの社会に帰属する、と。当然、ここには差異がある。その差異が、私とtikani_nemuru_Mさんの社会観の根本的な相違なのでしょう。 にゃるほどちがうものですにゃ。 僕は、諸個人は社会という大きなものに直接に帰属することはできにゃーと思っているのですにゃ。べき論でなく、事実認識としてムツカシイと思っている。 sk-44は「土人」「土人部落」というレトリックを使うけれど、僕ならば人類すべては「サルの一種」「サルの群れ」といいますにゃ。 そもそも、私は阿部謹也の世間論に必ずしも同意しないので、tikan
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