タグ

2008年5月13日のブックマーク (3件)

  • 芸術、あるいは「人の感性を批評するな」について(tadashiさんへのお返事) - ohnosakiko’s blog

    ラッセンは何の恥部だったのかのコメント欄で、tadashiさんが不快感を表明されています。いろいろ興味深い問題を孕んでいると思ったのと、レスが長くなりましたので、別エントリを立てます。特別批判の意図はあるのではないことを、最初にお断りしておきます。 最初のtadashiさんの書き込みはこちら。それへの私のレスはこちらの中程です。前後に他の方の関連レスがあります。長いですが、読まれてない方は一通り目を通されることをお勧めします。 「権威の選択したものが正しいという証拠は何も無い」のか 二回目のtadashiさんの書き込みから引用させて頂きます。最初に、私に宛てた部分から。 >芸術的な価値は最終的には「権威」が決めます。もちろん「権威」って一枚岩じゃないですけどね。 権威が決める?権威も結局は人です。しかも世界の人口の一握り。 権威の選択したものが正しいという証拠も何も無いから、個々の感性を信

    芸術、あるいは「人の感性を批評するな」について(tadashiさんへのお返事) - ohnosakiko’s blog
  • 被害者の呪い - 内田樹の研究室

    毎日新聞に三ヶ月に一度「水脈」というコラムを書いている。 いささか旧聞に属するが、そこに聖火リレーのことを書いた。 昨日の夕刊に出たので、もうブログに採録してもよろしいであろう。 こんな話。 オリンピックの聖火リレーをめぐる騒動を眺めていて、いささか気になってきた。何か「厭な感じ」がしたからである。何が厭なのか、それについて少し考えたいと思う。 熱い鉄板に手が触れたときに、私たちは跳びすさる。「手が今熱いものに触れており、このまま放置すると火傷するので、すみやか接点から手を離すことが必要である」というふうに合理的な推論してから行動するわけではない。たいていの場合、私たちはわが身に何が起きたのかを行動の後に知る。 聖火リレーにまつわる「厭な感じ」はそれに似ている。 だから、この論件については、誰の言い分が正しく、誰の言い分が誤っているというような「合理的」なことは申し上げられない。それは「

    PledgeCrew
    PledgeCrew 2008/05/13
    これはイカ氏への回答なのでは?
  • 悲しいことー - 遠方からの手紙(別館)

    耳に心地よい言葉を言う人と、耳に痛い言葉を言う人と、いったいどちらが信頼に値する人なのか。 いい歳をしてそんなことも分からない人がこんなに大勢いるということは、なんというかとても悲しい。 おまけに、そういう人らが嬉々として「政治批判」をやっているのかと思うと、悲しいだけじゃなく恐ろしくなる。 以前に「政治を語るのに資格がいるか」という議論があったが、少なくとも「政治批判」を主題として意識的に語るのなら、「庶民感覚」だとか「普通の市民の目線」だのといった言葉を、ただの無知や不勉強、もたれあいや自己の弱さ、怠慢に対する居直りの口実にすべきではない。

    悲しいことー - 遠方からの手紙(別館)
    PledgeCrew
    PledgeCrew 2008/05/13
    また問題をややこしくする人が来た。