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2009年8月8日のブックマーク (8件)

  • 寛容は不寛容を寛容しない - 過ぎ去ろうとしない過去

    http://macska.org/article/225 講演中、かれは「原理主義的無神論者」を批判するクリス・ヘッジズ『I Don’t Believe in Atheists』に言及しながら、「無神論の原理主義なんて誰も怖がりはしないだろう、『もっと理性的に話をしよう』と言うだけなんだから」と嘲笑した。しかし現実に「新しい無神論」の代表的論客の何人かが、機会があるごとに米国のイラク侵攻を熱烈に支持する発言を続けている(ばかりか、イランが核兵器を持つ前に核で先制攻撃をしろとまで言っている人もいる)ことや、西欧におけるイスラム系移民排斥の口実がもはや「キリスト教文明を守るためにイスラム教徒を追い出せ」ではなく「女性や同性愛者の権利、言論の自由など近代リベラリズムの原則を理解しようとしないやつらを追い出せ、入れるな」となっているーーそれは要するに、近代リベラリズムの原則がイスラム系移民ら「市

    寛容は不寛容を寛容しない - 過ぎ去ろうとしない過去
    PledgeCrew
    PledgeCrew 2009/08/08
    理念の自己目的化による反転。民主主義は価値感の共有を前提とするといったのはシュミットだが、そのような共通価値観としての役割(=他者排除)を「寛容」なる理念が果たしているということ
  • 承前「反日上等」 - 2009-08-08 - kom’s log

    近況 仕事のスタイルがすごく変ってしまった。激変である。 ケータイをポケットにいれたまま洗濯してしまった。いままで燃したことと川に投げ捨てたことはあるのだが、かようなるウッカリははじめてなので情けない。デシケータで低圧下にしばらく放置する予定。 水村美苗の「日語が亡びるとき」をついに読んだ。仲俣さんの詳細な批判がほぼあたっているし、日人は全員読めって某売れっ子ブロガーが絶叫していたが、これはやはり間違い。後半に行くにつれ、神がかってきて大変な状態。最後の章などはしかられているような気分で、なんでオレがおこられなきゃいけないんだ、という気分になった。なお、村上春樹批判であると仲俣さんもいっているが、この点を私も強く感じた。 しかしながら「小説」における主人公である東太郎のヨウコとの関係は、自分と母語である日語の関係の隠喩であるという記述。水村美苗の小説の大ファンである私はこの部分に

    承前「反日上等」 - 2009-08-08 - kom’s log
  • 細田幹事長:20分立ち往生 公約説明会で批判噴出 - 毎日jp(毎日新聞)

    党員を前にマニフェストを説明する自民党の細田幹事長=仙台市青葉区のホテルで2009年8月7日午後3時27分、伊藤絵理子撮影 7日、仙台市で開かれた自民党マニフェスト(政権公約)説明会で、県議や党員らから「麻生降ろし」などを巡って混乱した自民党への批判が噴出し、細田博之幹事長が20分にわたって立ち往生する場面があった。 細田氏は民主党のマニフェストについて、「造花のバラだ」といつもの批判を始めた。さらに「自公政権の景気対策の効果が出るのはこれから」と理解を求めたが、質疑応答に移ると、「現場に立てば今回の衆院選の厳しさがわかる」などと厳しい意見が続出。畠山和純県議会議長は「政権は命がけで守るもの。幹事長には情熱が足りないのではないか」と痛烈に批判し、自治体の首長も自民党の混乱ぶりに不満をぶつけた。 出席者からも「(有権者を)説得しても、今度こそだまされないと言われる。申し訳ないと言ってほしい」

    PledgeCrew
    PledgeCrew 2009/08/08
    この程度の人が幹事長でいられることがそもそも不思議。おのれを目立たせるために小物を幹事長に選んだ麻生人事の愚策
  • charis氏の拙著批判への若干のコメント - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)

    charis氏の拙著に対する3回シリーズの批判が終わったようですので、若干のコメントを述べておきたいと思います。 http://d.hatena.ne.jp/charis/20090804 http://d.hatena.ne.jp/charis/20090805 http://d.hatena.ne.jp/charis/20090806 まずはじめに申し上げておきますと、charisさんはいささかわたくしを急進的な改革論者という風に認識されすぎておられるのではないかと感じました。わたくしのモットーは、認識論的にはラディカル(根底的に考えるということ)に、実践論的にはリアリストであれ、というところにありますので、 >長期雇用・年功賃金制という屋台骨を破壊しなければならないほどの積極的な理由を、私は濱口氏の叙述の中には読み取れなかった。 などという急進的な主張をした覚えはないのですが。むしろ

    charis氏の拙著批判への若干のコメント - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)
  • オランダのSTS(塚原)

    PledgeCrew
    PledgeCrew 2009/08/08
    オランダ
  • オランダの日本・日本のオランダ「「極右」政治家、ピム・フォルタイン(Pim Fortuyn)氏のこと」

    それは、5月5日の解放記念日(bevrijdingsdag=オランダの終戦記念日、日の8月15日に当たる)の翌日、月曜日の夕方6時を少しまわった頃のことだった。仕事から戻ってテレビを見ていた夫が言った、「あれっ?! ピム・フォルタインが撃たれたみたいだよ」。午後6時過ぎというと、オランダの家庭はだいたい夕時である。ご多分にもれず夕の仕度をしていた私も、菜箸を持ったままテレビの前に立った。現場の報道関係者の混乱やスタジオの緊迫した雰囲気が、画面上から伝わってくる。第一報のしばらく後に、撃たれた政治家が息を引きとった、という報道が続く。この日のニュースは臨時生中継のまま、深夜まで続いていた。 こうして近代オランダ政治史を揺るがす大事件は起きたのだった、というと大げさに響くかもしれないが、当なのである。今回の事件を機に私も改めて知ったのだが、この国の歴史を辿ってみると、「オランダ建国

  • 「ネオコン左派」に転じる世俗的ヒューマニズムと「新しい無神論者」 - macska dot org

    誌創刊号(四月十日発行)に掲載された「米国を席巻する『新しい無神論者』の非寛容と、ほんの少しの希望」では、米国オレゴン州で活動する「新しい無神論者」たちのグループの活動を紹介しつつ、ドーキンスをはじめとする「新しい無神論者」論客の一部に見られる理性至上主義が他者に対するーー特に移民や少数民族など、文化的・宗教的背景の異なる社会的弱者へのーー不寛容に転じることへの懸念を表明した。かれらは米国の宗教右派による女性や同性愛者の権利への攻撃や、イスラム原理主義をかかげるテロリズム、さらにはヒトラーやスターリンの犯罪までもがすべて「理性の欠如」によって起きているかのように言うが、みずからを「理性的」と規定して「非理性的」な他者を切り捨て殲滅しようともくろむ理性至上主義こそ、むしろ危険なのではないか。 「米国を席巻する〜」ではそのようなことを伝えたかったのだが、どうも単なる「無神論者批判」「ドーキン

    「ネオコン左派」に転じる世俗的ヒューマニズムと「新しい無神論者」 - macska dot org
  • 自由科学の価値について - 地を這う難破船

    ⇒自由科学と真正性の水準 - 地下生活者の手遊び そもそも、スピーチコードとは何かと言うと、人間の考えることの7割は差別的で、それを表出すると殺し合いが発生するから、残りの3割で話しましょう、ということ。結果、PCにおいてタバコの裏書同様の「知識」に基づく自明性に対する不在証明が前提される。 ハーバーマスの公共圏論とは何かと言うと、相互の顔が見えるコーヒーショップで、互いに自分の考えることの10割の手札を相手の顔を見ながら徐々に切っていき、合意形成において私たちが殺し合うことのない「3割」に到達しましょう、ということ。なぜなら、ヨーロッパの歴史において、共同幻想を通じて「相手の顔」を「われわれ」「彼ら」に変換するビアホールの扇動家を退けるため、そう考えるよりほかなかった。 当然、前者はアメリカ的な発想であり、後者はヨーロッパ的な発想です。 しかし、陵辱表現愛好者の誰が性犯罪被害者に対して「

    自由科学の価値について - 地を這う難破船
    PledgeCrew
    PledgeCrew 2009/08/08
    紐とは表現者の責任のことであり、「表現の自由」と両立する。「表現の自由」とはその具体的責任は事後的にしか問わぬということであり、紐がないということではない。結果的に不可視の紐が可視化されるにすぎない