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2009年10月23日のブックマーク (8件)

  • 清チベット

    [メインページに戻る | 前のページ | 次のページ] 研究者が語る清・チベット関係 ■平野聡著『清帝国とチベット問題』(古屋大学出版会2004/07)は、筆者によると、時代に存在したというチベットと中国との間に存在した民族統合の歴史を、成立から瓦解まで述べたものである。書が発表された際、依頼原稿により二つの書評を出した。現在、清とチベットの関係について、いろいろな言説が錯綜しているため、新たな文を書こうかと思ったが、煩わしいため、この二つの書評を転載して清・チベット関係を歴史資料に基づいて研究する者の見解を述べたい。 最初の書評が『歴史学研究』に掲載されたもので、後の書評が『東洋史研究』に掲載されたものである。清朝史の研究者、杉山清彦氏も『史学雑誌』(115-9, 2006.9)に書の書評をだしているため、そちらも併せて参照されたい。 『歴史学研究』(No.804, pp.57-59

    PledgeCrew
    PledgeCrew 2009/10/23
    一般に、文化的に遅れた民族による征服王朝は、被征服民族に向けたその高い文化受容による継承者としての顔と、独自の文化を保持する者としての内輪の顔と二つの顔を持つ。アレクサンドロスやその後継帝国ですらそう
  • 2009年のピンボール - 地を這う難破船

    ⇒目的は手段を正当化しません - halt. ⇒構造的暴力と個人の責任 - モジモジ君のブログ。みたいな。 ⇒http://d.hatena.ne.jp/sionsuzukaze/20091021/1256095792 コメント欄まで拝見したうえで――先のエントリともうひとつ前のエントリを翻すようではあるが、問題は多面的であり、改めて確認しておくべきかとは思う。トラックバックに対する私なりの大筋での応答としても。 ⇒暴力も責任も地続きなので線引きしましょう - 地下生活者の手遊び 結局のところ「他者危害」を「暴力」と言い換えるのは何のため? という話であり、それは、人権の根底にあり、またtikani_nemuru_Mさんが言われる「公権力の領域」に置かれる、他者危害禁止は「陵辱表現を脅威と感じる」ことを原理的に包括しない、というところに由来する。そのことは「純粋に技術的な」法の問題としてあ

    2009年のピンボール - 地を這う難破船
    PledgeCrew
    PledgeCrew 2009/10/23
    民主主義であれなんであれ政治の場に「掛け値なしの善」を希求するのが愚かであることには同意。あとたしかに「文化」とはしばしば欺瞞のテクニックを磨くことではある/↑在特会も「真剣な思考と実践」ではあるね
  • かめ?:これは、SF小説か? - livedoor Blog(ブログ)

    SF小説だよね? SF小説だといってくれ(泣) 内藤朝雄さんの著書『いじめと現代社会――「暴力と憎悪」から「自由ときずな」へ――』の発売記念キャンペーンブログいじめと現代社会BLOGを覗いて、いきなりひっくり返る。 “熱中高校”って、なんだ “管理教育”とかっていうレベルじゃないよ、東郷高校は。 怖い、怖すぎる・・・ 一人でこの怖さを胸にしまっておけなかった というだけではなく 「もしや、“この時代の価値観じゃ、このぐらいのことあっても仕方なかったでしょ?”なんて言い出す、若いお方が出てくるのでは?」と不安になり 一言。 わしは、内藤さんより2歳年下なわけで ほぼ同じ時期に都立の高校に通っておりました。 が。 体罰なんて、一切ありませんでした。 というか、わしの通っていた高校には “校則”というものがございませんでした。 当然、制服もありませんでした。 軍隊のような集団行動をとらされたこと

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    PledgeCrew 2009/10/23
    この学校、よっぽど恨まれてるらしい。似たようなところ、こっちにもなくはないが/それにしてもたいへん
  • 政治的敗者は政策過程から退出すべきか――山口二郎論説に寄せて - on the ground

    今週の『週刊東洋経済』(2009年10月24日号(第6229号))に、山口二郎のコラム「党派性を出すことで言論者の責任も明確に」が掲載されている。同記事には社会科学と現実とのかかわりについての山口の認識が顕著に現れているので、多少詳しく採り上げたい。 山口は、9月24日付の『朝日新聞』朝刊に掲載されたという小林慶一郎の記事を槍玉に挙げ、小林が「2005年の総選挙で小泉改革を支持した民意は、09年選挙でも持続していると主張し、民主党政権に対して経済的自由を尊重せよと提言」していることを批判する。 小林氏の議論を読むにつけ、日の言論界における最大の党派は「権力党」であることを痛感させられる。たとえばアメリカで新自由主義に基づく小さな政府をあおった学者が、オバマ政権に対しても同じように小さな政府を提言するなどということはありえない。政権交代が起これば、政策をアドバイスする学者も入れ替わるのが当

    政治的敗者は政策過程から退出すべきか――山口二郎論説に寄せて - on the ground
    PledgeCrew
    PledgeCrew 2009/10/23
    政府に密着した場からならそう暴論でもなかろう。野党となった自民党に云々と言ってるのだからあらゆる政策提言の場から退出せよということではない。言論はむろん自由だが党派性や敗北の自覚がなけりゃ批判はされる
  • 「自然」と人倫(メモ) - Living, Loving, Thinking, Again

    承前*1 自然 (一語の辞典) 作者: 伊東俊太郎出版社/メーカー: 三省堂発売日: 1999/01メディア: 単行購入: 2人 クリック: 22回この商品を含むブログ (6件) を見る伊東俊太郎『一語の辞典 自然』から。 南宋の朱子(一一三〇〜一二〇〇)は、「君臣の義は情性の自然に根づき、人の能く為す所に非ざるなり」として、君臣の義のような倫理的規範も、「情性の自然」として「天理の自然」に基づくものだとした。また「和んで楽しいときはがすすみ、哀しみうれえるときには、事が咽を通らない」とも言い、「此の二者は皆天理の自然にして然り、真情として自から忍びざる所ありて、人の強いて為す所に非ず」と言う。ここでは君臣の義のような倫理的な「然の性」と、欲のような肉体や五官の形質に基づく「気質の性」が、「天理の自然」として未分化なまま一体的に捉えられている。のみならず、倫理的・道徳的性として

    「自然」と人倫(メモ) - Living, Loving, Thinking, Again
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    PledgeCrew 2009/10/23
    倫理を人間の本性としての自然の省察から導くことと、ある種の倫理があたかも自然(弱肉強食だの自然淘汰だの)に裏打ちされているかの如くに論じることとは違う。人間の本性に反した倫理は無力であるか暴力となるか
  • 安藤昌益と「自然」(メモ) - Living, Loving, Thinking, Again

    承前*1 自然 (一語の辞典) 作者: 伊東俊太郎出版社/メーカー: 三省堂発売日: 1999/01メディア: 単行購入: 2人 クリック: 22回この商品を含むブログ (6件) を見る 伊東俊太郎『一語の辞典 自然』で安藤昌益の「自然論」に言及されている部分からメモ。 先ず、『自然真営道』「大序」が引用される(p.85)。曰く、 (前略)賓辞ではなく主辞として現われてきている。この「自然」は「互性妙道」とされるが、互性妙道は宇宙の真の活動的実在である活真(これは伝統的五行のなかの土に当てられている)が自り働いて進退し、天地、日月、男女、木・水、火・金などの万物を生み出していく。これらの対立する二項は価値的上下関係をもたず、まったく平等で、相互に他を必要なものとして含み、かつ互いに感応して微妙な調和関係をたもっている。天が上位で地が下位にあるのではなく、ただ動と静という機能の違いであり、

    安藤昌益と「自然」(メモ) - Living, Loving, Thinking, Again
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    PledgeCrew 2009/10/23
    「岩波文庫で『統道真伝』が復刊されたときに、購入はしたのだけれど、10数年間読んでおらず。」左に同じ、ノーマンの新書も積んだまま。近代史関係のなら読んだけど
  • 『『足利事件 冤罪を証明した一冊のこの本』解説 - apesnotmonkeysの日記』へのコメント

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    『『足利事件 冤罪を証明した一冊のこの本』解説 - apesnotmonkeysの日記』へのコメント
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    PledgeCrew 2009/10/23
    id:NaokiTakahashi, あいかわらず頓珍漢な妄想だな。理解力不足による「誤読」に基づいた疑問など無視されても当然。「理」があるならもっと支持者も出たはずではないか。いったいどういう勝手な「物語」を作ってるんだ?
  • かめ?:コメントを承認制にしました! - livedoor Blog(ブログ)

    取り急ぎ、お知らせです。 昨夜、私がグッスリ眠っている頃。 いまどき、「自作自演」しなきゃ、差別の手段がない。と、おっしゃる×第二迷信さんにお聞きしたいことに 馬鹿陽区氏が「gegenga」名でコメントを投稿してきました。 相変わらず、よほど文章に対するセンスが欠如している方以外は、私が書いたものじゃないとわかる、というか ウチのブログを長く見ている人なら「あ、馬鹿陽区だ」とすぐに分かるような文章でしたよ。 見つけてすぐに削除したのですが 馬鹿陽区氏は以前、「珠」と「さくら」と名乗ってきたこともありまして。 ハンドルを騙られた方に迷惑が及びますので、しばらくはコメントを承認制にして 私が「馬鹿陽区フィルター」の役割を果たすことにしました。 コメントはできるだけ迅速に承認するようにしますが 留守にしていたり、仕事がてんぱっていたりして承認が遅れたら、ごめんなさい。 以上、ご了承ください。

    PledgeCrew
    PledgeCrew 2009/10/23
    現実に人が苦しんでいる差別と存在しないに等しい架空の差別とを並べて「同じレベル」と称し(好意的に読めばそれほどナンセンスといいたいのかな)、おまけに「事実」とただの「憶測」との区別もつかない愚かな人