2008.09.17 あなたが思っているほど、人はあなたのことなど気にかけちゃいない (22) カテゴリ:ネット論 自民党の総裁選挙は、いまや年中行事と化したかのようである。これについては、昨年書いた 「政党の党首選でなぜ街頭演説をやるのだろう」 という記事から、福田の名を消し、替わりに別の名前を数人追加すればいいだけのことなので、いまさらどうこう言う気もしない。あほらしくて話にもならない。 ところで、「右」 であれ 「左」 であれ、ネット上で多少とも政治的な問題や、いろいろと議論を呼び起こしそうな問題などを扱えば、他の誰かから批判的に言及されることなどは珍しいことではない。ネットに文章を公開しているのならば、そんなことは当たり前のことである。すくなくとも、それだって自分の書いた文章に対する反応のひとつなのであり、自分の書いたことに何の反応もないよりはましというものだろう。他人の反応などい
1898年7月19日、マルクーゼ(1898〜1979)生まれる。 「あらゆる革命が、勝利を占めたかもしれない歴史的瞬間があったように思える。その瞬間はいつも空しく過ぎ去った。そのダイナミックのなかには、力の未熟や不足などの理由が妥当であるかどうかとは無関係に、自己敗北というひとつの要素がふくまれているようである。この意味では、すべての革命は、同時に、裏切られた革命であった」(マルクーゼ『エロス的文明』) ドイツ生まれのアメリカの哲学者。ベルリン大学とフライブルク大学に学び,フッサールやハイデガーの影響下にヘーゲル哲学を研究。1931年フランクフルト社会研究所に加入、ホルクハイマーやフロムらと協同して、マルクス研究を推進した。特に1932年、マルクスの『経済学・哲学草稿』がはじめてドイツ語で出版されたとき、「若きマルクス」に依拠して、マルクス主義とヒューマニズムの融合という課題に取り組んだ先
厄介な仕事が一区切りついたので、通勤電車での読書を再開。いきなり難しい本を読むと目が回るので、まずは肩慣らしに薄い本にした。 哲学・世紀末における回顧と展望 作者: ハンスヨナス,Hans Jonas,尾形敬次出版社/メーカー: 東信堂発売日: 1996/08メディア: 単行本購入: 2人 クリック: 3回この商品を含むブログ (2件) を見る碩学晩年の講演録。眼目は後半の将来の哲学の展望(フォイエルバッハの『将来の哲学の根本命題』を連想させる)にあるのだろうが、読んでいる人間の根が後ろ向きなものだから、波瀾万丈の人生を送ったヨナスの回想の方が興味深かった。 ハイデガーに師事したユダヤ系知識人のヨナスは、同世代のレーヴィットやアーレントやマルクーゼと同様、かつての恩師に屈折した思いを抱かざるをえない。ナチスに加担したハイデガーへの幻滅をソクラテスと比較して語っている。 他の様々な学問とは違
とかく人を、「敵」か「味方」かという色分けをする人がいます。 自分と意見が異なる人、自分に反論する人は「敵」と認定してしまうようです。 また、自分に反対する人たちは、「敵」集団を作っていると思い込んじゃうようです。 「敵の敵は味方」と考えたり、「敵の友は敵」と決めつけたりもするようです。 これを仮に「敵・味方思考」と呼ぶことにします。 これに囚われてしまった人は、共通の敵を見つけては、「敵」の主張にはなんでも反対、「味方」のはなんでも擁護という集団を作るようです。仮に、この「味方」は常にまともな言説しかせず、「敵」は常におかしな言説しかしない、という奇跡的な条件が成立していれば、その方の言論は一貫性を維持できます。しかし、現実にはそんな条件が成立するはずがありません。 すると、どうなるでしょうか? 仮に、「味方」の誰かがおかしな事を主張し、それがグループ外から批判されたとします。 この「集
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