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常識に関するaozora21のブックマーク (5)

  • 「常識的に考えて」と言っている人間こそが常識がないという事実

    はてブなどのコメントに「〜だろ、常識的に考えて」と書く人間がいるが そういう人間が常識的な人間に見えることは少ない そういう人間は自分を常識的な人間だと思っているのだろうが それは間違っている、逆だ いまの社会を見ている限り「常識的に考えて」という発言をしている人間のほうが 常識を持っていない状態になっている 「〜だろ、常識的に考えて」という発言をする人間は発言内容が傲慢な場合がほとんどだ 人は常識を味方につけているつもりになっているからこそ 傲慢になっているのだろうが、そのことに人は気付いていない 「お前こそが、常識がない人間だ」と周りの人間が言えればいいのだが 大体の場合、問題を起こすことを恐れてスルーしてしまう そのため、人はますます増長するケースも見受けられる 最近は、常識とは全く関係ない話題にも 「〜だろ、常識的に考えて」と発言する人間すらでてきているので注意が必要だ PS

    「常識的に考えて」と言っている人間こそが常識がないという事実
    aozora21
    aozora21 2010/04/11
    「それ常識なんですか?」→「広く一般的に支持されていることです」「常識的に考えたいです」→「常識ってなんですか」一人の中で矛盾がある。指摘したらたぶん適用させるシーンとコンテクストが違うというのだろう
  • 隣のモンスター - すべての夢のたび。

    AFPBB News : わが子しか見ない「モンスターペアレント」の実情とは すごい。1ページしかないエントリの中にこれでもかという程にモンペの事例が詰め込んである。ぼく含めほとんどの人は、そういう「こんな親がいました」ということにしか興味がないと思うので、ちょっと抜粋してみました。 親の分の朝を用意してほしい 学校でツメを切ってほしい 毎朝子どもを起こしに来てほしい ある母親は朝の7時半に電話してきて、2時間くらいずっとクレームを言っている。ある時は、『うちの子はスピーチ苦手なのになんでみんなの前でさせたの』と言っていた 翌日の天気を調べて傘が必要かどうか知らせてほしい 体操着は学校で洗ってほしい 卒業アルバムにわが子の写真が少ないから作り直せ 子どもが石で校舎の窓ガラスを割ったのは子どもの手の届く所に石を置いておいた学校側の責任だ ほかの子どもとのの取り合いの末、軽いけがを負った子

    隣のモンスター - すべての夢のたび。
    aozora21
    aozora21 2010/03/27
    二通りのケースがあると思うのですよ…。「躾」を丸投げするタイプと、その「躾け」られていない児童やそれにかまける学校から損害を与えられているという被害者意識のある学力重視型との。前者は放任後者は過保護。
  • 常識を理由に怒る人がわかりません - smectic_gの日記

    でも,日ですし. メールの常識が分かりません・・・ - S.Y.’s Blog を読んで思った. 自分も今は会社人間なので冒頭に「○○様」.最後に,宛先のスコープに応じたシグネチャーをつけるという習慣に毒されている.ただ,昔(1990年代前半)はこういうのをつけるのはあまり絶対視されていなくて,むしろ,堅苦しすぎて冗長という印象を与えていたことを覚えている.でも,いつの間にやら市民権というか,つけないのは常識がないみたいなことになってしまってちょっと驚いている. つまり,携帯の普及で宛先を付けない文化が出てきたとか怒るのは勝手だけど,初期のインターネットには,文に宛先を付けるような文化は冗長と言われてあまり好まれていなかった.文の冒頭に宛先を書く習慣は,ヘッダー,何それべれるの的なリテラシーの低い人が,紙の文書の習慣をそのまま持ち込んできたものという印象が強い. ただ,今検索しても

    常識を理由に怒る人がわかりません - smectic_gの日記
    aozora21
    aozora21 2010/03/19
    挨拶文は省略したい方(さすがに相手によって使い分けているけど)なので、返信に署名が必要ならそう明記してくれてればいいのになあ思いました。この場合は受付窓口のように捉えていたのかもしれないと思ったので。
  • 夕暮れの写字室 - FC2 BLOG パスワード認証

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    aozora21
    aozora21 2007/12/10
    『他人は自分とは違ったふうに世界を見ているということが理解できないために、他人もまた自分とまったく同じ世界認識の下で世界を眺め判断しているということを、この種の人はまったく疑わないのだそうです。』
  • リプロな日記 フェミニン・アプローチとフェミニスト・アプローチ

    のざりんさんのサイトに出てた議論を見て,わたしが「議論の前提」だと思うことが,未だにまったく「常識」になってはいないんだよな……ということを痛感させられた。ここに書くようになって2ヵ月半を過ぎたけど,そういえば,ちゃんとわたしの「中絶問題」観を書いたことがなかったような気もする。 そこで簡単に,わたしの問題意識を書いておこう。まず「胎児vs.女性」という枠組みで中絶問題を見ることで,いったい誰の責任が隠蔽されるのかという点に目を向ける必要がある。また,上記の枠組みの中で女性の行為を罪悪視することによって,女性が被害者でもあるという中絶のもうひとつの側面が見えなくなることも問題だ。 わたしが中絶問題をリプロダクティヴ・ヘルスの枠組みのなかで見ているのは,以下の2つの点に目を向けるためである。第一に,リプロダクティヴ・ヘルスは“女性のみ”の問題ではない。男性や社会にも関わる問題でもある。第二に

    リプロな日記 フェミニン・アプローチとフェミニスト・アプローチ
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