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考察*とⅡ世代に関するaozora21のブックマーク (2)

  • 若年世代オタの、「物分りの良い」体裁について考えてみる - シロクマの屑籠

    http://d.hatena.ne.jp/i04/20071205/p1 1970年代後半生に属する私にとって、リンク先のid:i04さんの文章からは懐かしさを感じずにはいられなかった。私が思春期を過ごしたのは田舎田舎オタクコミュニティだったので、文化圏間・文化圏内の“センス競争”や優越感ゲームを部分的にしか直視していないけれど、それでもなおオタクコミュニティの内側に『俺ら判ってるよな』という雰囲気が充満しているのはよく分かったし、それは何もオタクコミュニティに限ったことではなかったと思う。 じゃあ今の20代前半世代がそういった自意識の束縛から逃れたかというと、当にそうなんだろうか、とも感じた。私はそうじゃないと思う。彼らとて、当は歳相応に中2病だったり、自意識や劣等感と戦っているのではないか、と私は思う。ただし、若年世代のオタ・サブカル者が一見「ものわかりの良い」「優越感ゲーム

    若年世代オタの、「物分りの良い」体裁について考えてみる - シロクマの屑籠
  • 自己啓発モンダイを考える。 - くらやみのスキャナー

    沢尻エリカモンダイ同様やや昔の話題となってしまうが、栗原裕一郎さんによる岡田斗司夫『いつまでもデブと思うなよ』(新潮新書)の書評、及びそれに対するぶくまでの反応が非常に興味深かった。どこがどう興味深かったのかざっくり言うと、「自己啓発」「ライフハック」「GTD」というものに対する世間の評価・反応は賛否真っ二つだなあと。ほいで「自己啓発」というものの位置づけを自分なりに考えてみたのが下の図だがどんなものだろうか。その昔、60年代くらいだと、↓の赤く囲んだエリアに活力があったように思う。哲学・心理学と学生運動や市民運動。哲学も心理学もほとんどの人にとっては難解過ぎたはずだし、デモや投石を行って世界を変えられると思うのは、(当時としても)単純過ぎやしないかという懸念はあったはずだ。ただ、自分というものは複雑で把握し辛く、しかし世界はシンプルな方法で変えられるという認識は、概ね共有されていたのでは

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