中井久夫さんは「天才は小集団現象だ」と言っていた。 私たちが天才という言葉を聞いたときにイメージする「孤高の天才」というのは、実は稀で、天才の多くには、その天才をささえる家族や友人・仲間、その才能に惚れた人達の小集団が存在していたと。 では、その小集団は何をしていたのか。 赤の女王とお茶を 「努力を支える努力、ということ」 そしてまた、彼の努力は彼一人のものではありません。 私も含めて、周囲の人間がずっと金銭、知識、思考、時には衣食住にいたるまでサポートし続けてきました。だからこそ、彼は彼の領域で努力することが出来、「出会い」の日まで頑張ることが出来たのです。 つまり、そういうことなんだと思う。 そして、その「努力を支える努力」を続けているのは、普通の人だ。 そんなことも分からん奴らが、普通の人の生活空間を焦土化させておいて「イノベーション」だとかぬかしやがる・・・。
私は夏休みの宿題踏み倒しの常習犯だった。だから子どもが宿題を踏み倒す手口は熟知している。子どもの宿題踏み倒しを絶対に許さない方法も知っている。要は教師の執念なのだ。宿題をさぼる癖が付いている子どもは目の前でやらせること。これに限る。目を離すとその瞬間やらなくなる。見ている間しかやらないのだ。夏休みが終わると運動会が始まる。運動会の準備が始まれば、宿題どころではなくなる。子どもはここに目をつけている。居残りででも、運動会の練習を休ませてでも宿題をやらせる、という決意で臨めば、宿題の踏み倒しは避けられる。問題はそこまでして宿題を終わらせる意義があるかどうかだろう。 で、生徒に聞いてみた。一部の学校ではそこまでやらせているようだ。へぇ、厳しいな。 塾では宿題をさぼらせるとその生徒のためにならないし、教室全体が「宿題踏み倒せる」という雰囲気になるので、何が何でも宿題を終わらせるのが鉄則。私はほとん
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