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2009年1月26日のブックマーク (5件)

  • Lab.T4Y

    Lab.T4Yのソフトウェアに興味をもってくれてありがとうございます。 何かあればeye.t4y+lab@gmail.comまでご連絡ください。 見たいプラットフォームを選んでください。 Mac Windows Palm iPhone 更新情報 [2023-01-16]年賀状当選確認 for Mac OS X ver.2023.1.16公開 [2023-01-16]年賀状当選確認 for Windows ver.2026.1.16公開 [2022-01-17]年賀状当選確認 for Mac OS X ver.2022.1.17公開 [2022-01-17]年賀状当選確認 for Windows ver.2022.1.17公開 [2021-01-17]年賀状当選確認 for Mac OS X ver.2021.1.17公開 [2021-01-17]年賀状当選確認 for Windows ve

    aozora21
    aozora21 2009/01/26
    「年賀状当選確認」アプリ /ハイクの投稿より→http://h.hatena.ne.jp/you_cats0712/ 
  • 『一人称』へのコメント

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    『一人称』へのコメント
    aozora21
    aozora21 2009/01/26
    西の方の人は相手を指して「自分」と言うなあ。
  • 重要な失敗を犯したときこそリラックスさせてやる。それが周囲ができる唯一の道だといっていい。

    これ簡単。 「自分が悪い」と思うことが失敗の原因なんだよ。 自分を責めるタイプの奴は人も気づかないが常に緊張している。 緊張はその人の能力を6割下げる。注意力も何もかも含めて。 だから「失敗しないようにしようしよう」と思えば思うほど失敗率が高まる。 中学時代スポーツが得意だったような奴は基的緊張しないから、そういうとこけっこううまく立ち回るんだよ。 そういう風にはなれないにしろ、やることはただ一つ。 「いかに緊張しないようにするか」=「いかにリラックスするか」 そのためには人のメンタル面もさることながら、周囲がいかにそいつをリラックスさせてやるかが重要なんだよ。 そいつの持っている能力をいかに引き出すかがみんなのためになるんだ。 だから元増田みたいに責めちゃ 絶 対 ダ メ なんだ。 重要な失敗を犯したときこそリラックスさせてやる。それが周囲ができる唯一の道だといっていい。 「なんで

    重要な失敗を犯したときこそリラックスさせてやる。それが周囲ができる唯一の道だといっていい。
    aozora21
    aozora21 2009/01/26
    ああほんとにね、自分が好む態度が適切だと誰もが信じてる。
  • 我信ずは真である――科学的に - 鰤端末鉄野菜 Brittys Wake

    ただしもし論理学が科学であるならば(そうしてたぶん多くの人はそれに同意するだろう)。 私は神を信じる。天と地の造り主を信じる。主なるイイスス・ハリストスを信じる。聖神を信じる。聖にして一つの公なる使徒の教会を信じる。これらの言葉は真実であると知りなさい、なぜなら私はそう信じているからだ――だから、私が神を信じるという、その詞は真である。 近代論理学と古典論理学を分かつ概念のひとつは命題の階梯だ。クレタ人のパラドックスがパラドックスであったのは、たんに自己言及命題だったからではない――むしろ「XはAである」と「XはAであるとYはいう」の論理的構造の違いを古典的枠組みが把握しきれないところにパラドックスが生じた(カントのアンティノミーじゃないが、パラドックスのなかには命題の性質を無視したところで命題を操作することで生じるものがある)。 繰り返す。「私はAを信じる」、書き直して「Aがあることを私

    我信ずは真である――科学的に - 鰤端末鉄野菜 Brittys Wake
  • 一人称

    私:硬い感じがするが無難。俺:少し傲慢な感じがある。主流。オレ:傲慢さが増加。おれ:じゃっかんアホっぽい。僕:メガネ男子っぽい。ぼく:小学生っぽい。我:中二病。朕,麻呂,某など:寒い。皆さんはどれを使っていますか?リアルでは「俺」を使ってますが文章上で「俺」だと上にも書いたとおりなんとなく傲慢そうなニュアンスがあってイヤなので「僕」を使おうと思うのだけどそうすると今度は現実との乖離が気になってきました。

    aozora21
    aozora21 2009/01/26
    地域性があるのでは?私の住んでる地域で「僕」という男性はいない。上京したとき都内の喫茶店で30代のサラリーマン二人が「僕」と言ってるのがすごく新鮮だった。親戚の“東京の叔父さん(60代)”も「僕」と言う。