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ブックマーク / nijuusannmiri.hatenablog.com (62)

  • 23mmはてな日記 - 僕が人を殺したかった頃

    「『人を殺してはいけない』を否定しない」とか「人を殺したくない」とか最近いろんなところで書きまくってきたのですが、じゃあ僕が「殺したい」と思ったことが一度も無いかと言えば、そんなことはないです。というか、一度どころで済むような話じゃないですね、きっと。 それは10代の頃の話。「殺したい」と思った理由は、もう思い出したくもないのですが、まぁ、いじめとかそんなこと。「殺したい奴リスト」は実際には書かなかったけれど、頭の中にはあったな、確実に。あの頃は、殺す理由とか動機とか山ほど抱えていたような気がする。 それじゃあ、なんでそのときに僕は「殺さなかった」のか? 「人を殺してはいけないから」? 「命は大切だから」? 「法律で罰せられるから」? 「地獄に落ちるのが怖かったから」? うーん、どれも違うな。漠然とした「怖さ」はあったかもしれない。それは宗教的なもんではないけれど。高いところが怖いとかそん

    23mmはてな日記 - 僕が人を殺したかった頃
    aozora21
    aozora21 2006/06/23
    『殺人をしなかったのは運とタイミング』同感です。
  • 23mmはてな日記-心の叫びに一時の感情というレッテルを貼って排除するという愚行について

    先日、トラックバックをいただいた「弁償するとき目が光る : なぜ、人を殺してはいけないのか→いや、いけなくありません「いけない」というのはまやかしです」という記事のコメント欄で、僕とfromdusktildawnさんとのやり取りがあって、fromdusktildawnさんのコメントに対して、レスポンスを返そうと思ったら、以下のように長文になってしまったので、こちらに書いておくことにします。できれば、あちらの記事・コメント欄を読んだ上で、お読み下さい。 で、僕の以下のコメント↓ Commented by 23mm at 2006-06-21 23:36 x さて、そのうえで、もう一度僕の言いたかったことを整理してみたいと思います。(ひとさまのブログで、くどくどと書いて申し訳ありませんが。) fromdusktildawnさんがおっしゃるように、僕にも僕にとって「人間のクズみたいな腐った人間と

    23mmはてな日記-心の叫びに一時の感情というレッテルを貼って排除するという愚行について
    aozora21
    aozora21 2006/06/22
    『僕が当事者として「個別具体的な現実に直面」したときに、「個別具体的な人間」としてどう思うのかは、それはその時になってみないと分からないよ』