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衆院選
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「向いていない」は言い訳か? 田中:近藤さんは、「こういう30歳だったらなってもいい」というモデルはありますか。 近藤:もう一度30歳をやれるなら、建築家や写真家になりたいですね。 田中:どちらにしてもプロフェッショナル系ですね。仕事の話をするときは、大抵の場合、「営業」とか「ウォークマンの営業企画」といった、組織の中における役割の希望と言った議論になるケースが多いと思うのですが。そういう働き方を望んでないのかな? 近藤:まずは、「交換不可能」でありたいと思いまして。「近藤淳也」という人間の一生で、世の中に何をどれくらい残すかが人生の勝負だと考えています。僕じゃなくてもできることをやってしまうと、一生を終えるとき「本当に生きててよかったのかな」と思ってしまいそうで。 田中:わかる気がしますね。価値って何かと考えると「希少性」だと思うんです。空気のほうが人間には必須だけど、数少ないダイヤモン
新宿駅から電車で40分ほどの国立駅。ここからバスに乗り継いで三つ目のバス停で降りると、住宅街の真ん中に「つくし文具店」がある。かつてはどこにでもある「町の文具店」だったが、今では個性的な文具店に様変わりしている。一体どんな文具店なのだろうか。 「つくし文具店」は、文具店のようで文具店ではない。とはいえ、もちろん文具は売っている。しかし町の文具店でありながら、店内に並んだ商品は普通の品ぞろえではない。とても洗練され、スタイリッシュな筆記具から1500万円の建物までが並んでいるのだ。 3坪ほどの売り場には普通の文具店にはない大きな黒板があり、「日直 はぎわらしゅう」と左端に書かれている。 この日直とは店番のことで、取材当日はつくし文具店の店主である萩原修氏の当番日だ。 「建築家やデザイナーとの付き合いが多いので、彼らがデザインしたり、作っているものを扱おうと思いました。文具を売ってはいますが、
デート通.jpやデート支援金など、ユニークなコンテンツや制度などで知られるコントロールプラス。しかしそのバックボーンにはしっかりとした考えがあった。インタビュー後編では起業以前の村田氏の経歴や、コントロールプラスで目指すものを中心に話を聞いた。 村田氏は、コントロールプラスを2005年3月に立ち上げるまでは、株式会社サイバーエージェントにいた。サイバーエージェントでは新規事業の立ち上げに参加することが多く、4年弱の在籍期間で6つほどの事業立ち上げにかかわった。単純計算で年間1事業以上だ。非常に多忙ながら、充実した経験を得た。 「少ない人数でビジネスモデルを作って、売り上げを毎月立てていく。利益が出たら人を増やしていって組織化する、ということを、「これでもか」というほどやりました(笑)」。もちろんこの経験は自身が独立する際に役立っており、社員の仕事環境の整備にも意欲的だ。
デート通.jpなどのコミュニティーサイトを運営するコントロールプラス株式会社。そうしたコンテンツだけではなく、「デート支援金」といった福利厚生制度や、会社とは思えない居心地の良いオフィスもユニークだ。代表取締役社長・村田マリ氏に話を聞いた。 コントロールプラスではウェブページの受託制作、ブランドコンサルティング、メディア事業の三つを柱に事業を展開している。最初の二つは受託事業だが、三番目のメディア事業ではオリジナルコンテンツを制作・運営している。恋愛のコミュニティーサイト「デート通.jp」や、キャリアや転職のQ&Aコミュニティサイト「キャリアコンサルタント.jp」といったクチコミサイトだ。 なかでもデート通.jpは、2005年8月の開始以来、少しずつ広がり、今では月間400万ページビュー程度になった。たしかに400万ページビューは企業が運営するコンテンツとして相対的に多いとは言えないが、広
個性的なブランドが並ぶオンラインショッピングタウン「ZOZOTOWN」を手がける株式会社スタートトゥデイのルーツは、代表取締役の前澤友作氏が始めた輸入CDの通信販売。当時ミュージシャンとして活躍していた前澤氏が、通販を始めた理由は何なのだろうか(聞き手はグリー社長 田中良和)。 個性的なブランドが並ぶオンラインショッピングタウン「ZOZOTOWN」を手がける株式会社スタートトゥデイのルーツは、代表取締役の前澤友作氏が始めた輸入CDの通信販売。当時ミュージシャンとして活躍していた前澤氏が、通販を始めた理由は何なのだろうか(聞き手はグリー社長 田中良和)。 田中:前澤さんの出身はどちらなんですか? 前澤:千葉県の鎌ヶ谷市という田舎です。 田中:その鎌ヶ谷市で過ごした子供時代に、打ち込んだことは何でしたか? 前澤:僕、クワガタ捕り名人だったんです。小学校4年生ぐらいの時に、学校のクラスでクワガ
業務内容だけを見れば、株式会社ニューゲージは「ごく普通のIT会社」だが、「ニューハーフが作った会社」というユニークな顔も持つ。ニューゲージではどんな人たちが働いていて、どういう経緯で作られたのだろうか。社長の如月音流(きさらぎねる)氏に話を聞いた 雑誌みたいな不動産情報 「東京R不動産」は「レトロな味わい」や「倉庫っぽい」といった個性的な物件だけを扱う、ちょっと変わった不動産紹介サイトだ。どんな人たちが運営していて、どうやって物件を集めているのだろうか。株式会社ニューゲージの代表取締役・吉里裕也氏に話を聞いた。 株式会社ニューゲージ
ネット起業家の草分け的存在である尾関氏。インターネットの世界へ飛び込んだのは「楽しそうだったから」と飄々と振り返るが、自らの生き方について真剣に悩み抜いた時代もあったという。インタビュー前編の今回は、学生時代の尾関氏から現在に至るまでの道筋を辿る。(聞き手は弊社社長 田中良和) 尾関 茂雄(おぜき しげお)氏 プロフィール 1974年生まれ。1999年にアクシブドットコム(現・株式会社ECナビ)を創業、2003年同社をサイバーエージェント社に売却。2004年にはZeel創業、ダイニングバー西麻布Birth開店など現在複数の事業を展開し、女優・山口もえと結婚したことでも有名。著書に『金の匙 銀の匙』など。早稲田大学大学院国際経営学修了。 尾関さんのGREEのプロフィールを見る 日本を代表するベンチャー企業の創業期に参加する 田中:「キャリアを積んでいくこと」は、ハードに働くことばかりでもない
自ら「面白法人」と称する株式会社カヤックには、サイコロで給料を決める「サイコロ給」というユニークな制度がある。サイコロ給とは具体的にはどういった制度で、サイコロで給料を決めていて問題は起きないのだろうか。代表取締役の柳澤大輔氏に伺った。 サイコロ給は、今年創業9年目を迎えた同社の創業当時からある制度だ。サイコロを振って給料を決めるといっても、給料の全額を決めるわけではない。基本給の上に、サイコロ給が運命給として付くのだ。計算方法はサイコロの出た目%×基本給。たとえば基本給が20万円でサイコロの目が6ならば、6%×20万円=1万2000円が「運命給」という細目で基本給に追加される。 毎月給料日前に「サイコロタイム」があり、その時間に不在の場合はほかの人に「代振り」を頼める。サイコロはカヤックオリジナルのサイコロだ。しかしサイコロタイムはカヤックにとっては日々の業務の一つなので、「淡々と順番に
多種多様な優秀さを認めること 田中:世の中の若者は、「頑張りたいけど頑張り方が分からない」とか、「何を頑張っていいか分からない」人がほとんどだと思うんです。そういう人に対して、どうしてあげればいいんでしょうか。 南場:自分もそうだったけれど、頭が怠慢なんじゃないですか。悶々としてる時期というか。だけど、一回「やるぞ!」というエネルギーがつくと、迷いなく進んでいけるでしょう。そういうのは陣痛と一緒で、「これが陣痛かなあ」と意識できるときは本当の陣痛じゃない。紛れもない本物がきたときは痛いことしか考えられないじゃないですか……と言っても私、陣痛の経験はないのですが(笑)、まだ本物の波が来ていない状態なのではないかなと思います。 田中:波が来たら、真剣にやり続けるしかないですよね。 南場:そう。だから、目の前のことをひたすら一生懸命やっていたらいいと思う。私、人から飽きっぽく見られますけど、実は
今回はKDDI株式会社 コンテンツ・メディア事業本部長執行役員の高橋誠氏のインタビューをお送りする。高橋氏はかつてのDDI(第二電電株式会社)の母体となった第二電電企画株式会社創立当時から在籍しており、携帯電話の発展を体現してきた人物だ。(聞き手はグリー社長 田中良和) 高橋誠(たかはし・まこと)氏 プロフィール 1961年、滋賀県生まれ。1984年に横浜国立大学工学部卒業後、第二電電株式会社(DDI)入社。2001年KDDI株式会社 au商品企画本部モバイル インターネットビジネス部長就任。2004年より執行役員、コンテンツ・メディア本部長兼メディアビジネス部長、現職に至る。 高橋さんのGREEのプロフィールを見る ベンチャー企業と言われていた京セラへの入社 田中:「すごい人は最初からすごかったんだから、自分とは違うんだ」という幻想があると思うんですよ。だからこの連載では「みんないろんな
オークションサイト「ビッダーズ」を運営するディー・エヌ・エーの南場智子社長。大手コンサルでキャリアを積んだ後起業し、上場を果たした。そんな南場氏にも「仕事が全くわからなかった」時代があったという。仕事への考え方の転機はどこにあったか?(聞き手は弊社社長 田中良和) 南場 智子(なんば ともこ)氏 プロフィール 1962年生まれ。1986年マッキンゼー・アンド・カンパニー・インク・ジャパン入社。ハーバード大学でMBA取得後、マッキンゼーパートナー(役員)就任。1999年株式会社ディー・エヌ・エー設立、代表取締役に就任。現在は内閣規制改革・民間開放推進会議委員も務める。 就職活動はまったくせず 田中:南場さんの経歴で興味深いのは、外資系の大手コンサルティング会社であるマッキンゼー・アンド・カンパニー(以下、マッキンゼー)でパートナー(共同経営者)にまで上り詰められたあと、オークションサイト「ビ
「ブレイブストーリー」などのアニメーション制作を手がける株式会社ゴンゾは株式会社GDHのグループ企業だ。インタビュー前編ではそのGDHの代表取締役社長の石川真一郎氏にGDHの全体像と石川氏自身の学生時代から就職までの経緯を伺った。(聞き手はグリー社長 田中良和) 石川真一郎(いしかわ・しんいちろう)氏 プロフィール 1967年生まれ。東京大学理学系大学院修士過程修了後、91年株式会社ボストンコンサルティング入社。95年、欧州経営大学院MBA取得。99 年株式会社ディジメーション代表取締役に就任後、2000年株式会社ゴンゾ・ディジメーション・ホールディング(GDH)設立。映像産業振興機構(VIPO)理事。 株式会社GDHは何をやっている会社? 田中:ちょっと失礼な聞き方かもしれませんが、株式会社GDHの名前を聞いて、どんなことをしている会社なのかをすぐに思い浮かべられる人は少ないと思います。
旅行に関するクチコミサイトを運営するフォートラベル株式会社の津田全泰社長は、グリー社長の田中と学生時代からの友人で、楽天株式会社で一緒に働いた同僚でもあった。今回の対談はこれまでと趣向を変え、旧友の二人が急成長していた楽天時代を振り返る。(聞き手はグリー社長 田中良和) 津田 全泰(つだ ぜんたい)氏 プロフィール 1976年6月30日、群馬県桐生市生まれ。慶応義塾大学SFC(湘南藤沢キャンパス)卒業後、MDM(現楽天株式会社)に入社し、楽天市場ショッピングモールの営業、開発を経て楽天トラベルの立ち上げに参画。2003年楽天を退社し、旅行のクチコミサイト フォートラベル設立。 津田さんのGREEのプロフィールを見る ゆっくりと芽生えた起業家精神 田中:僕は「これからはインターネットだ」と思って大学に入ったんだけど、周囲はパソコンすらあまり持っていない状況で、「インターネットが好き」と言う
吉松徹郎氏は化粧品専門の口コミ情報サイト「@cosme」を運営する株式会社アイスタイルを起業し、山田メユミ氏と二人三脚で会社を育ててきた。前編ではコンサルティング会社を経て、不思議な巡り合わせから起業へと向かった経緯を吉松氏に伺った。(聞き手はグリー社長 田中良和) 吉松 徹郎(よしまつ てつろう)氏 プロフィール 1972年千葉県生まれ。東京理科大学基礎工学部生物工学科卒業後、アンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア)入社。1999年、アイスタイル設立、2000年に株式会社化。現在、同社代表取締役兼CEO。 吉松さんのGREEのプロフィールを見る 吉松さんから読者に質問が届いています! 生まれて初めて人生と向かい合った就職活動 田中:吉松さんは大学はどちらだったんですか? 吉松:東京理科大学の生物工学科に行きました。でも「GREEキャリア」でほかの方のインタビューを読んでみると「
インタビュー後編では「21世紀を代表する会社を作る」という目標を掲げている藤田氏の経営手法と理念にスポットを当てる。人材採用や事業戦略、グローバルで成功するために必要な課題など多岐に渡って語ってもらったが、その底流には常に強固な信念があった。(聞き手はグリー社長 田中良和) 藤田 晋(ふじた すすむ)氏 プロフィール1973年福井県生まれ。97年3月青山学院大学経営学部卒業後、株式会社インテリジェンス入社。その後、24歳の若さで株式会社サイバーエージェントを設立し代表取締役に就任。インターネット広告で躍進し、2000年3月には史上最年少の26歳で東証マザーズに上場を果たす。著書に『渋谷ではたらく社長の告白』など。 藤田さんのGREEのプロフィールを見る 模倣は成長スピードを助長する 田中:サイバーエージェントは創業以来、猛スピードで成長してこられましたよね。急成長する組織をマネジメントす
「女性」と「働く」をHAPPYに──。女性を中心に無料のカウンセリング、転職キャリア支援、企業サポートなど、女性と企業のいい関係をサポートするトレンダーズ。各種メディアへ引っ張りだこの経沢香保子社長に、自らのキャリアについてを振り返ってもらった。彼女のように、カッコイイ女性になるための秘訣とは?(聞き手は弊社社長田中) 経沢 香保子(つねざわ かほこ)氏 プロフィール 1973年生まれ。リクルート、楽天と経て2000年26歳でトレンダーズ株式会社を創業。マーケティング事業、PR事業、ネイリスト派遣事業などを行う。2001年「女性起業塾」を開講、近著『ミリオネーゼの起業入門』も好評発売中。 経沢さんのGREEのプロフィールを見る 「一番」と「自立」の達成に心血を注いだ学生時代 田中:経沢さんは、僕が考えていたこれまでの女性起業家のイメージとは、少々違いますね。いい意味で肩肘を張っていない感じ
ハウスウェディングで新しい結婚式のスタイルを広めた株式会社テイクアンドギヴ・ニーズの野尻佳孝社長は、高校時代にニューカルチャーを生み出し、明大ラグビー部で日本一を2回経験したという経歴の持ち主だ。彼をここまで育て上げた特別な「環境」とは?(聞き手はグリー社長 田中良和) 野尻 佳孝(のじり よしたか)氏 プロフィール 1972年、東京生まれ。高校時代より渋カジ、アメカジを流行らせるなど商才を発揮し、明治大学入学後はラグビー部で2度の全国制覇を経験。住友海上火災保険(株)を経て、98年にブライダルプロデュース会社(株)テイクアンドギヴ・ニーズを設立。2001年ナスダック・ジャパン(現:ヘラクレス)に上場、2004年には史上最短、最年少(当時)で東証二部に上場。2006年3月には最年少社長としてで東証一部に上場を果たした。主な関連事業にポータルサイト(結婚準備室)、旅行、金融、スパ事業等。著書
「Amebaブログ(アメブロ)」などのネットメディアを展開する他、インターネット専門広告代理店としても事業を展開する株式会社サイバーエージェントの藤田晋社長は、代表的な若手企業家としてメディアに登場してきた。「普通の人」と自らを評する藤田社長の起業の原点を、今回はあえて探る。(聞き手はグリー社長 田中良和) 藤田 晋(ふじた すすむ)氏 プロフィール1973年福井県生まれ。97年3月青山学院大学経営学部卒業後、株式会社インテリジェンス入社。その後、24歳の若さで株式会社サイバーエージェントを設立し代表取締役に就任。インターネット広告で躍進し、2000年3月には史上最年少の26歳で東証マザーズに上場を果たす。著書に『渋谷ではたらく社長の告白』など。 藤田さんのGREEのプロフィールを見る ごくごく平凡な小中高時代 田中:藤田さんは株式会社サイバーエージェントという会社の社長というイメージが
家入氏はひきこもりから抜け出した後、就職・結婚を経て起業をしているが、会社が今のように大きくなるとはまったく予想していなかったという。インタビュー後編では起業の経緯から現在の家入氏流の経営手法、今後の方針を失敗談も交えながら聞いた。(聞き手はグリー社長 田中良和) 家入 一真(いえいり かずま)氏 プロフィール1978年福岡生まれ。美術専門学校を卒業後、ウェブサイトのデザインに興味を持ちデザイン会社やシステム会社で技術的な知識を習得。その後、合資会社マダメ企画を設立し個人向けレンタルサーバー事業を開始。業務拡大に伴いpaperboy&co.を設立し、代表取締役社長に就任する。同社が提供する国内最大級のホスティングサービス「ロリポップ!」や無料ブログサービス「JUGEM」などが、女性や学生を中心に人気を集めている。 最初は一人でのんびりやるつもりで起業 田中:目指していた芸大への入学をあきら
株式会社paperboy&co.の家入一真社長は、ひきこもりから社長になったという異色の経歴を持つ。インタビュー前編では今でも対人恐怖症を引きずっているという家入社長にそのぼくとつとした語り口で、ひきこもり時代から奥さんとの出会いまでを語ってもらった。(聞き手はグリー社長 田中良和) 家入 一真(いえいり かずま)氏 プロフィール1978年福岡生まれ。美術専門学校を卒業後、ウェブサイトのデザインに興味を持ちデザイン会社やシステム会社で技術的な知識を習得。その後、合資会社マダメ企画を設立し個人向けレンタルサーバー事業を開始。業務拡大に伴いpaperboy&co.を設立し、代表取締役社長に就任する。同社が提供する国内最大級のホスティングサービス「ロリポップ!」や無料ブログサービス「JUGEM」などが、女性や学生を中心に人気を集めている。 中2の事件で性格が180度変わった 田中:paperbo
「思考よりも試行」「正解よりも回答」「成功よりも成長」の3原則を掲げながら仕事をする本城氏。正解が無い中でも自分の頭で回答を導くことが大切だと説く。経営者として、教育者として、常に自らの成長にこだわり新たな挑戦を続ける彼が語る、成長のための秘訣とは?(聞き手はグリー社長 田中良和) 本城 愼之介(ほんじょう しんのすけ)氏 プロフィール 1972年、北海道生まれ。慶應義塾大学政策・メディア研究科在学中に楽天株式会社創業者の三木谷浩史氏と出会い、一からプログラミングを学んでインターネットショッピングモール「楽天市場」を立ち上げる。楽天株式会社取締役副社長として開発管理などを担当後、2002年に新しい学校の設立を目指し株式会社音別を設立。2005年4月より横浜市の公募制度を利用し、全国最年少の公立中学校長として東山田中学校校長に就任する。 本城さんのGREEのプロフィールを見る 一瞬、見失っ
現在、横浜市立東山田中学校の校長を努める本城氏はかつてインターネットショッピングモール「楽天市場」を作り上げたという異色の経歴を持つ。インタビュー前編では、普通の大学院生がネットベンチャーの創業に参加し、教育者へ転進するまでの道のりを辿る。(聞き手はグリー社長 田中良和) 本城 愼之介(ほんじょう しんのすけ)氏 プロフィール 1972年、北海道生まれ。慶應義塾大学政策・メディア研究科在学中に楽天株式会社創業者の三木谷浩史氏と出会い、一からプログラミングを学んでインターネットショッピングモール「楽天市場」を立ち上げる。楽天株式会社取締役副社長として開発管理などを担当後、2002年に新しい学校の設立を目指し株式会社音別を設立。2005年4月より横浜市の公募制度を利用し、全国最年少の公立中学校長として東山田中学校校長に就任する。 本城さんのGREEのプロフィールを見る 人生を変えた、楽天創業
ニートのどこがまずいのか分からないと言い切る西村氏。「働く」か「働かない」は選択の問題であり、自由な生き方こそがもっとも自然であるというのが彼の持論だ、インタビュー後半ではそんな彼が考える理想の仕事観やキャリア観に迫る。(聞き手はグリー社長 田中良和) 余裕がない人は、チャンスに気づかない 田中:西村さんが匿名掲示板「2ちゃんねる」を作ったのは、面白そうだからやってみたという感覚でしょうか? 西村:そうです。 田中:それがうまく回っていったということですね。(株)ニワンゴのほかにも、(有)未来検索ブラジルにも携わっていらっしゃる。ひとつの会社や事業に注力するスタイルではありませんね。 西村:ひとつにコミットしてもいいのですが、僕がいなければ回らない組織というのは、組織としてダメだと思うんですよ。だから、なるべく僕がいなくても回る組織作りが好きです。そういう意味では、関わっている会社は大体う
はてなの組織としての魅力には、社長・近藤淳也氏のパーソナリティが色濃く反映されていると言われる。前編では、起業までの軌跡を追った。「やりたいことをやる」を貫き通した学生時代から、起業を決断したターニングポイントはどこにあったか?(聞き手は弊社社長 田中良和) 近藤 淳也(こんどう じゅんや)氏 プロフィール 1975年生まれ。2000年京都大学大学院を中退後、カメラマンを経て、2001年7月「有限会社はてな」を設立。2004年春、株式会社化ならびに東京移転。初の著書『「へんな会社」のつくり方』は、2月13日発売。 近藤さんのGREEのプロフィールを見る 「人生、何でもあり」を実感したアメリカ横断 田中:会社を作るような人は初めから使命感やビジョンのままに生きて来たに違いないという固定観念があると思いますが、多くの場合、そんなことはないと思います。実際、僕自身も学生の頃の「将来的にやりたい
「自由な生き方」が最も自然である 田中:西村さんが考える「同世代でイケてる生き方」とはどんなものでしょう。 西村:本人が楽しいと思っている生き方が一番でしょうね。 田中:問題は、何が楽しいかが分からず、楽しいことがあってもそこに近づいていけないことですよね。 西村:自分が楽しいと感じることを、毎日1時間程度やればいいと思いますけどね。実際、働いている人たちは働く中での楽しみを自分なりに見つけていると思うんです。例えば、「この契約が取れたら嬉しい」とか、同じルーチンの中でも「今日はいつもよりも5分早く終わった」とか。 田中:では世の中の多くの人は、愚痴っぽく悩みを持って生きているというよりは、毎日毎日それなりに楽しみを見つけているのではないかということですよね。 西村:ドラマなどでよく、居酒屋で愚痴をこぼしている場面があったりしますよね。でも僕、実際に愚痴をこぼしているサラリーマンの団体って
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