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アメリカ大統領選
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自分が恥をかくのは誰だってイヤですが、誰かが恥をかく場面をどう受け止めるのかについては、個人差があるようです。その場を逃げ出したいほど不快で恥ずかしい気持ちになることも、「あらあら、失敗しちゃったね」としか感じないときもあります。 2016年のバラエティ番組で、司会のマツコ・デラックスがこの何ともいえない感覚についての苦手意識を話したことがきっかけで、一時的にネット上の話題として盛り上がりました。番組では、それが10人に1人の割合で経験する「共感性羞恥」と定義していました。
このようにイメージすると、背筋が伸びて、姿勢が良くなるのです。美容効果もありです。 スピリチュアル的には、グラウンディングで地球のパワーを得るのです。地球の中心と尾てい骨を結ぶ直線を通って、地球からのパワーが身体に送られてくることをイメージします。このパワーにより、心が鎮められます。心が鎮まることにより、ストレスが放出されるのです。 尾てい骨と地球の中心の間の線をイメージすることがグラウンディングです。このスキルが上達すると、今度は、この線を上に上に伸ばすようにイメージできるようになります。上には何があるかというと、宇宙やアカシック・レコードがあるのです。地球の中心からパワーをもらえるようになると、つぎは宇宙やアカシック・レコードからパワーを頂こうというのがグラウンディングです。 グラウンディングはできなくても大丈夫です。基本、マインドフルネスには関係ありません。背筋をピンと伸ばすのがキモ
今からもう10年以上前のこと。 現在中学生の長男がまだオムツを穿はいていた頃、奴やつは父親の僕が会社に行っている間に時々「お父ちゃんのマネ」をしていたらしい。そこら辺にある物を手あたり次第しだい両手にぶら提さげて、一旦いったんテコテコと玄関に走って行き、居間のドアを開けながら 「タダイマァ~」 とやっていたのだそうだ。 当時の長男にとって、父親の僕はどうやら「荷物をいっぱい持って帰ってくる人」であったようだ。その頃の僕は確かにカバンやら弁当やら、時にはノートパソコンを持って仕事に行っていたが、他者からそのような存在として規定されたことはもちろん無かった。妻から話を聞いた僕は、一度それを見てみたいと思い、「どれ、お父ちゃんにも見せてみろ」と何度か言ってみたが、息子は僕の前ではやろうとしなかった。それで、「タダイマァ~」を見るのは当時、妻の特権(?)となっていた。 当時の長男が捉とらえていた僕
前回は、幸福は卓越性に即した魂の活動であると結論付けました。 この卓越性は、「姿勢的卓越性」「知性的徳」(ディアノエーティケー・アレテー)と「倫理的卓越性」「倫理的徳」(エーティケー・アレテー)の二通りに区別されました。知性的卓越性は教示により発生し成長するので、経験や歳月を必要とします。 これに対し、倫理的卓越性は習慣(エトス)により生じます。決して、本性的に生じてくるものではありません。 活動による状態 本性的に人には、活動に対する可能性(デュミナス)が与えられていて、その後、活動を現実化します。 倫理的卓越性や徳の場合、もともと可能性が与えられているのではなく、まず活動を行い、この結果として徳を獲得するのです。徳の獲得は技術の獲得に似ています。たとえば建築という技術の場合、あるものを建築することによって、人は大工になります。 さらに、どのような徳であっても、徳が生じることと失われるこ
古代インドでは、アーリア人の侵入によりバラモン教が成立しました。このバラモン教により、バラモン(司祭階級)、クシャトリヤ(戦士・王族階級)、ヴァイシャ(庶民階級)、シュードラ(奴隷階級)という階層社会が形成されました。 ところが紀元前5世紀頃、十六大国が形成され、庶民階級が富を蓄積しギルドに似た組合を作り、都市の経済的実権を握りました。この人達は、バラモン教が面白くないわけです。そこで、バラモン教に対抗する思想運動が発生し始めました。ジャイナ教や仏教です。 仏教は、お釈迦様によりはじめられました。お釈迦様は、「縁起」「四諦」「八正道」「解脱」を説くとこにより、バラモン教の転生輪廻から解脱できると主張しました。その後、上座部仏教と大乗仏教に別れ、大乗仏教から竜樹による中観派がでてきました。 次いで、ヨーガの影響を受けた唯識思想が発生します。さらに、加持祈祷を中心とした密教が発生します。この頃
贖宥符 贖宥しょくゆう符(免罪符めんざいふ)は、日本でいう神社のお守りやおみくじみたいに売られていました。これが政治的に利用されたのです。十字軍の軍事費を賄うため、教会は贖宥符を売り始めたのです。 カトリック教会では、『善いおこない』をした者は、死後、天国に行くことができると言われています。また、悪いことをした者は、地獄に行くのです。 が、少なくとも十字軍に従事した場合、『善きおこない』をしたとみなされ、天国に行けるとされていました。また、贖宥符を買えば、同様に天国に行けたのです。『善きおこない』も悪いこともしなかった微妙な人は、死後、煉獄という天国でも地獄でもない世界に行き、そこで『善きおこない』ができれば、天国に行けるのです。当時、死んだ者の親類が免罪符を買えば、死者は煉獄から天国に行けるとされていたのです。 安いのなら私も欲しいのですが、現在は品切れのようです。当初は安かったのですが
発達障がいで自閉症と診断された星くんには、 言葉の遅れ こだわりの強さ 偏食 日常生活が自立していない 排泄が自立していない 危険がわからない 自傷行為 パニック こんな特性がありました。 【お空の星への散歩道♪24】療育「感覚統合」 365日、毎日24時間は、すべて療育だったんです。家具の配置も工夫して、生活を自立させるために、あらゆる場所に生活のシールを貼りました。洋服の畳み方や着方、クツのはき方や並べ方もすべてイラストに書いて壁にはりました。偏食だったので、「お野菜グラフ」を壁にはり、 食べた野菜にシールを貼っていきました。できてきたら、そのイラストは剥がして、また次に星くんが苦手なことを貼っていったんです。目的は、星くんが将来、困らないためでした。 星くんは、母子通所療育施設や「感覚統合」 の訓練施設にも通いました。「脳」が異常の発達障害。日常生活のあらゆる場面で、関節を曲げたり伸
真田の郷、傍陽そえひの集落は南北を山に挟まれた狭隘きょうあいの地。そこに住む農家の父子おやこが、上田城下の市いちに作物を売りに出掛でかけることになった。息子は上田の城下に出るのは初めてである。父親は息子に作物を背負わせながら言う。「おめえ、上田を見たら、びっくらこくど」 息子「へえ、お城下に何があるんだ、おっ父とう」「まあ、行きゃあ分かるべえ。おらも初めて見た時ゃあ、そりゃあたまげたもんだ」「ふうん。そりゃ楽しみだぁ」 真田の郷の山間やまあいを荷を背負った父子二人が進み、伊勢山いせやまという集落にさしかかる辺りになると突然視界が開ける。上田盆地を一望いちぼうのもとに見渡みわたして息子が歓声かんせいを上げる。「うわあ! すげぇ!」父親が得意気とくいげに鼻をこする。「どうだ、ぼうず。たまげたろうが」「すんげえなあ、おっ父! 世の中ってのぁ、こんなに広いんか」父親は汗を拭ぬぐってからからと笑う。
今回のテーマは、さまざまな精神障害の中でも、一般的な家庭環境や職場環境などでのストレスへの過剰反応が原因で引き起こされる「適応障害(AD)」についてです。ストレスは誰でもが感知しますが、ストレス耐性の低さが症状発現の原因となります。 「適応障害(AD)」は、治療方法が適切であれば、比較的容易に改善・治癒でき完治することも十分に可能な精神障害です。精神障害の中には、治療や治癒の困難な症状が多いのは、原因や症状のメカニズムが解明されていないからです。しかし「適応障害(AD)」においては、症状を呈する原因が“特定のストレッサー”だと明確にされています。 従って、原因の“特定のストレッサー”を明確にして、その“特定ストレッサー”を「排除する」または、「対処法を身に付ける」ならば、改善・治癒することができるのです。長い間放置して他の精神障害を合併してしまう前に、早期に治療することが大切です。 特定の
数年前の事。小学生だった長男がどうしても観みたいと言うので(なぜそんなに観たいのかは謎)、映画「連合艦隊司令長官れんごうかんたいしれいちょうかん 山本五十六やまもといそろく」を二人で観に行った。 山本五十六その人を描えがく作品なので、派手な戦闘シーンなどは無かったが、主演の役所広司やくしょこうじさんの冴さえた演技が光る力作だった。 山本長官の人物像にはとても興味を引かれた。日にち・独どく・伊い三国同盟、対米戦に最も反対した人物が心ならずも開戦の火ぶたを切り、その真珠湾攻撃しんじゅわんこうげき作戦で華々はなばなしい戦果を喧伝けんでんされながら、自身は「失敗」とみなしていたというあたりは非常にドラマチックである。が、僕がそれ以上に興味を引かれたのは、作品に描かれていた当時の日本国内の空気だ。 僕の同世代の人間は、学校やマスコミなどにこのように教えられてきた。すなわち「太平洋戦争は当時の陸海軍が
私は10代の頃から多くの苦しみを経験してきました。 それらの苦しみは表面的な苦しみではなく、人生を根こそぎにするような根源的な苦しみでした。 他人には決して分からない、明かすこともできない苦しみ。 過去も、現在も、未来もすべて奪われるような苦しみ。 社会的な失墜の苦しみ。 生きながら死人のように存在しなければならないような苦しみ。 私に降りかかってきた苦しみは、ほかの人からすれば想像もつかないような、世界で自分一人だけじゃないかと思えるような苦しみでした。 苦しみ―私の物語、あなたの物語 5年、10年、15年・・・ ずっと離れ去ることのない苦しみとそこから生じる悲しみと共に生きてきました。 この苦しみはなぜ起こらなければならないのか。 なぜこの人生に降りかかってこなければならないのか。 どうして・・・なんのため・・・ 苦しみの真っただ中のときには何も気づくことができず、ただ自分に降りかかっ
歴史を知らないぴよたんですが、こんなステキな言葉を知りました。 季布の一諾 諾を宿すること無し ここに覚え書きしておきます。誰も書いてくれないので、いじけたぴよたんのメモ帳と化してる編集後記でした。 編集後記 クラウドファンディングも、ついに最終日となりました。まだ完全燃焼できてない気もしますが、人生もこんな感じで、いつか最終日を向かえるのでしょう。 ちなみに同じクラウドファンディングでも、こんなうんこまみれのクラウドファンディングもあるみたいです。 http://www.bbc.com/japanese/41170538 さて、インド行きの計画が進行しています。 思えば5年前。ベトナムにボランティアで移住する計画が進行していて、飛行機のチケットまで買ったのに、最後はキャンセルするはめになりました。といっても、ぴよたんは沖縄に来たばかりで、誰もベトナム行きを止めてくれる人はいなくて、でも、
心理学者は、次に平等主義的人格の存在を主張しました。この種の人は、あらゆる面で新しい思想に魅かれます。平等主義者は、「人は、宗教や国籍、慣習ではなく、個人的な成果で判断されるべき」と考えます。自分自身が不平等に扱われることを良しとしません。また、他者が不平等に扱われるのを見ることも良しとしません。平等主義者から見ると、独裁的リーダーは、いわゆる「ワンマン・ルール」を示すだけであり、望ましくない者です。話し合いにより決められた民主的リーダーや民主的プロセス、よりたくさんの項目のある規則に好感を持つのです。 ここで、自由放任的リーダーを好む個性について説明しましょう。一般的なことかもしれませんが、自由放任的リーダーを好む者は、次のような性質を持っています。 「一人で仕事をすることを好む」 「自身で問題を解決することができる」 「自分自身に自信を持っている」 「何をすればいいのか知っている」 「
障害者は目下もっか、社会的にはマイノリティであり弱者と位置づけられる。しかしこれを別の視点から見れば、“ふつう”という、健常者にとっては自明の前提であるものを相対化する視点を持ち、他人の“痛み”に対する想像力を豊富に持つ人々ということもできるはずだ。“既存の発想を覆くつがえすアイディア”“他者への想像力”、こうしたものが、今ほど切実せつじつに求められた時代があっただろうか。であれば、こうした人々の存在は大きな社会的資産であろう。この貴重な資源を活用しない手はあるまい。 これはほんの思いつきだが、たとえば企業の“お客様相談窓口”等で、顧客からのクレーム対応を、いわゆる障害者が担当するのはどうだろう。 クレームというのは様々あるが、単なる嫌いやがらせや勘違かんちがいは別としても、顧客が訴うったえるのはほとんどの場合、“不都合”を経験したことそのものではない。“傷つけられた”“裏切うらぎられた”
僕が以前勤めていた会社は、身体障害者の雇用に関して積極的な努力をする企業だった。主としてPCを用いる事務職でそうした人材を採用していたが、障害者に対する雇用の開放やワークシェアリングは、今後はこれまで以上に重要な視点となってくるだろう。そもそも、少子化と高齢化がもはや待ったなしの状況なのだ。一定の能力が無ければ生産活動に参加できない社会ではなく、それぞれの前提や状況に応じた能力を貪欲どんよくに生産力として還元する「全員参加型」の社会を作らなければ、早晩そうばんこの国は立ち行かなくなる。健常者と障害者が同等に社会に参画し、貢献できることが当たり前の社会をつくるのは、もはや“理想”ではない。“喫緊きっきんの課題”なのだ。 近年、主として大企業で、総社員数の一定の割合で障害者を雇用する動きが行政主導でなされ、一定の成果を挙げている。そうした企業の多くは僕が勤めていた会社と同様に、障害者を事務要員
このシリーズでは、いつもは男女間でよくあるふとした悩みを2択に分け、それぞれの選択肢のメリット・デメリットなどについてお伝えしていくのですが、前回まで女性編が続いたので、今回は男性編でお送りします。 選択肢ではなく、普段何気なくする動作にひと工夫して、「モテ仕草」に変える、そんな恋愛術をお伝えします。読み方は変わりませんので、視野を広げるためという目線で読んでくださいね。
3つの方法の関係 3つの方法は、「部下を率いるために運用される」という共通点があります。ある方法は、他の方法の延長にあるのではなく、同じものが異なった割合で含まれているわけでもありません。 リーダーシップの中心 これらのグループの進行を進める考えや行動は異なったものを起源にしています。それぞれの方法は、異なった要素を中核としています。 独裁的方法では、リーダーが中心になっています。考え方や計画は、リーダーに従うためのものです。 民主的方法では、グループはリーダーである中心を向くことで力を発揮します。リーダーは、グループ全体の能力、アイデア、行動から目標達成に必要なものを得ます。 自由放任的方法では、物事に対するリーダーシップとしての様々な中心があります。つまり、グループ員がアイデアや助言を提供し、あたかもリーダーとして機能するのです。 リーダーの活動 独裁的リーダーが民主的リーダーより力が
成功哲学といえばジョセフ・マーフィ理論です。マーフィーの言葉に、「広大無辺な力」というのがあります。美しい言葉ですね。 個人的な潜在意識に落とし込まれた願望は、広大無辺な力によって具現化されるのです。集合的無意識、あるいは宇宙意思に喩たとえる人もいますが、美しいのでここでは広大無辺な力という呼び方を続けます。
翻ひるがえって考えれば、与太郎噺よたろうばなしが古典落語として伝えられているのは、それが成立した当時の人々には共感できるものだったという事だ。もちろんある程度のデフォルメはされているだろうが、江戸を生きた父祖たちにとって、高座こうざで語られる与太郎とそれを取り巻く周囲の人々の文脈は、実際に存在するだけでなく、まさに自分たちが生きているところの世界だったのである。 父祖たちは、「LD」「発達障害はったつしょうがい」「高機能障害こうきのうしょうがい」などを抱えた人物が近くにやってくると、周辺に追いやることも過剰に“人並み”を突きつけることもせず、むしろコミュニティの中心に据すえ、皆でなにくれとなく世話を焼き、しくじりについては大らかなユーモアで包み込んでいたのだ。そうした感覚の共有が下地にあったからこそ、与太郎噺が成立し、それが受け継がれたのに違いない。もし僕が当時の江戸にタイムスリップして「
地球の形について議論するにしても、リーダーの起源を議論するにしても、間違った思想は行動や進捗を妨げ、遅らせてしまいます。リーダーシップについての間違いは、徐々に捨て去らなければいけません。間違った考え方は、私たちの中に今も存在しています。 部下が責任を有する仕事に関与することは間違っています。 説明できない指示を下すことは間違っています。正しい方法は、指示について十分議論した後、他の考えをさがすことです。 部下に自分に従うように頼むことは間違っています。イニシアチブ(主導権)を失ってしまいます。
旅行は、日々の日常を飛び出して、自分の可能性を試すため絶好の機会を与えてくれます。今回の旅はフランスでカヌーに乗ったときの話です。いいところと、よくなかったところも含めて、旅を振り返りながら紹介します。
日本の電車の当たり前 駅に着いたら時刻表を見る。ふと気がついて時計を確認すれば、秒単位の正確さで電車が到着する。いつも私たちを目的の駅へと送り届けてくれるのが、日本の電車の当たり前です。 しかし外国を見てみるとそうではありません。アフリカや中東の国々では、遅れが数時間から数日単位です。ヨーロッパやアメリカなどの先進国ですら、遅れは頻繁ひんぱんにあることです。
人工知能(AI: Artificial Intelligence)という言葉をよく耳にするようになりました。将棋や囲碁の世界でもAIが人間よりも強くなり、小説まで書けるようにもなりました。 東京ビッグサイトではAI・人工知能EXPO が開催され、人間に近い動きで、顔や目の表情も本物そっくりのAIロボットが受付の「女性」になって自然な会話をしていました。 大家さんの家に、八五郎さんがやってきました。 八五郎: 「大家さん、いるかい?」 大家さん: 「おや八五郎さん、どうしたね?」 八五郎: 「どうもこうもないよ。ビックリサイトだ」 大家さん: 「何だね。そのビックリサイトいうのは」 八五郎: 「大家さん、ロボットって知ってるかい?」 大家さん: 「そりゃー知ってるよ。機械で動くやつだろ」 八五郎: 「展示会を見てきたんだよ」 大家さん: 「はは
発達障がい児の星くんは、「得意」と「不得意」の差が大きく開いています。 よく「特性を活かす」と言って、 その得意分野をどんどん伸ばそうとして、 先生は星くんを「算数検定」 など、どんどんチャレンジさせてくれます。 親としては、星くんの経験や自信にもなるから嬉しいけれど、 少し複雑な部分もあるんです。
また、テストでは、リーダーシップが意味することが何かが表わされています。以下の質問は、実際にリーダーとして直面する問題なのです。 あなた自身の点数 テストは、あなた自身に点数をつけます。あなた自身を試す機会になります。あなたの現在のリーダーとしての方法や考えが、どれくらい成功に導くものなのかを測ることができるのです。 できるだけ考えて質問に答えてください。まれに非常に難しい質問もあります。素早く答えてもいいし、よく考えて答えてもよいですが、最も良い判断をしてから答えましょう。試験は様々なパートに分けられています。それぞれのパートでは、異なったリーダーシップを測ります。それぞれのセクションを終えた時、あなた自身に点数をつけてみてください。最後のテストで、あなたは答えを見出せるはずです。 A. あなたは客観性を持っていますか? 問1 「チーフ・アシスタントはあなたを信用していない」とグループの
人は誰しもが1度は「自分は死んだらどうなるんだろう?」ということを考えてみるものです。あなたも考えすぎて、恐怖で眠れなくなった経験があるのでは? 永六輔さんの名言に、「あの世ってとこは、いいとこらしいですよ。だって、行って帰った人は一人もいないんですから」というのがありますが、まさしくその通り。亡くなった方は帰ってきませんね。
リーダーシップについての議論は、とても難しいものです。誰でも、天気や流行のファッションについては、楽な気分で話せます。が、いざリーダーシップの話となると、真剣になるのです。政治の話も、誰もが真剣になりますが、これは政治に関心を示している証拠です。同じように、誰もがリーダーであるから、ありたいから、リーダーシップの話は誰にとっても関心があるのです。リーダー論は、全ての人に密接しているのです。 工場の生産性をあげようとしているマネージャーを考えてみましょう。マネージャーが、人々からの全面協力を得ることは難しいです。だから毎月、努力をしていますが、それでも協力を得られず、金銭を失っているのです。
動機「どのような目的で行動しようとするか」 手段「どのようなやり方で目的を達成しようとするか」 結果「結果としてどうなったか」 例えば、Aさんという人がいて、BさんとCさんのケンカを止めようとしているとします。 動機としてAさんは「ふたりがケンカするのはよくない」と考え、 手段として話し合いによる解決を選び、 結果として二人は仲直りしました。 これは動機、手段、結果の3つとも、誰が見ても正しいものです。このAさんの行動が正しいことは説明がいらないですね。では、この3要素のうち一つが、「間違っている場合」はどうでしょうか? パターン① 動機✕ 手段〇 結果〇 動機のみが間違っている、というパターンがあります。 Aさんはこう考えて、話し合いで二人を仲直りさせることに成功しました。この場合、「Aさんはよこしまな考えで行動した悪い奴だ」という意見と、「結果的に二人を仲直りさせたんだからいいじゃない
どうか立ち止まって・・・耳を澄ませ。 さあ、全身で・・・耳を澄ませ。 体験せよ・・・そして聴け。 ― ブラックウルフ・ジョーンズ 今日は朝からしとしとと雨が降っています。 ここのところずっと暑い日が続き、 我が家の畑の土も乾きすぎて野菜たちも困っていたでしょうから、 この恵みの雨は野菜たちにとっても喜ばしいでしょう。 今、家の室内から雨音に耳を傾けています。 じっと雨音に耳を澄ましながら、こんなことを思います。 「音が聴こえるって、なんて不思議なんだろう」 ザア、ザア。 バチャ、バチャ。 広い空間のなかに響き渡る音。 自然の音。 命の音。 音があるという不思議。 音が聴こえるという不思議。 音を聴く私がいるという不思議。 音と世界と私。 その一つ一つが確かに存在するから、“音を聴く体験”というものがある。 なんて不思議な体験。 なんて不思議な一瞬一瞬。 『アメフリ』 ザアザアと 音たててい
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