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大谷翔平
blog.goo.ne.jp/kato-takanori2015
本日の新元号(中国語では「年号」)「令和」決定のニュースは、中国のSNSでも最大級の関心を集め、多くの若者が実況中継を見守った。発表が当初の予定より遅れたことに、「日本人も遅刻するのか」などとジョークも飛び交った。フィギュアスケート、羽生結弦選手の大ファンという学生からは「『羽生』の年号を期待していたので残念」とメッセージが届いた。発表後にはすぐ、出典にちなんで梅をあしらった画像も出回った。 中国から伝わった元号は645年の「大化」から始まり、今回の新元号は248番目になるという。異なる民族による王朝の交代や革命を経た中国は、しばしば伝統の断絶を経ている。天皇が途切れなく存在し、それとともに伝統文化が形を変えながらも脈々と受け継がれて日本を見て、中国人は自分たちの忘れ去られた文化の原型を感じる。元号もまたその一つである。 てっきり中国の古典から引用されると期待していた中国の学生は、「初の日
上海ディズニーランド開園日の一昨日、都内の国際善隣協会のアジア研究懇話会で講演をしてきた。昨年に続き2回目。年配の参加者が多いが、相変わらず理解が深く、関心も高い。タイトルは「”習近平現象”を読み解く」だった。習近平政権が誕生してわずか3年半余りだが、トラ退治と評される腐敗摘発キャンペーンを始め、過去にない集権的な政治手法で注目を集めている。イデオロギー統制への批判は強いが、中国国内の大衆人気は高まっている。彼の登場による派生した様々な出来事を”習近平現象”と呼び、その時代背景を探ろうというのが趣旨だった。 その中で強調した点の一つが、毛沢東との対比である。 習近平に対する批判の一つに、「独裁体制の毛沢東時代に逆行し、個人崇拝を推進している」という指摘がある。毛沢東語録の頻繁な引用、急速に進む集権化、弁護士や記者の拘束などに象徴される言論・イデオロギー統制を見る限り、ミニ毛沢東のように見え
「昨日、あまりにもひどい内容の映画だったから、ネットで吐糟(槽)しておいた」 こんなことを中国の大学教授たちが話している。「吐糟(槽)」とはここ数年、にわかに広まったネット用語だ。辞書には載っていない。「吐」は文字通り吐くことで、「糟」は日本と同じ酒かすの意味のほか、よくない物事に対して用いる。直訳すれば、「腹にたまったものを吐き出す」ということで、ネットである事件、事柄、人物の言動などあらゆる社会現象に対し、不満や中傷、批判、揶揄、風刺などを書き込むことを言う。子どもから大人、労働者からインテリまでがこぞって使う流行語になっている。 語源は何かと思って調べたら、なんと日本の漫才から始まりバラエティ番組や日常会話にまで使われている「突っ込み」だと知って驚いた。「突っ込み」と「吐糟(tu-zao)」または「吐槽(tu-cao))では、文字面も発音もまったくつながらない。だが、台湾の方言で、「
昨年の11月、広東省・潮汕地区の古い村落に行った時のこと。タイを中心に拠点を置く華僑のふるさとで、各氏族ごとの祖先を祭る祠堂(ツータン)には、親族がタイ国王と一緒に写った写真も飾られていた。毎年、旧暦9月9日の重陽節には、世界各地から親族が帰省し、にぎやかなお祭りとなる。祠堂には、年ごとの重陽節に寄せられた個人からの寄付金リストが張り出されている。 「春節には戻ってこなくても、重陽節は必ずみんなが集まる」 村民はみなそう口をそろえた。かつて新天地を求めて飛び出した華僑の中には、南方で農作業に従事する者もいた。早めの収穫を終え、たくわえを持ってふるさとに集まるという伝統なのかもしれない。最も大きな数字の9は好まれたし、重陽節に不可欠な菊花や菊酒は、魔除けや長寿につながる。一族団らんの機会としては申し分のないお祭りだった。都市部ではすっかりすたれてしまった習慣だ。 菊は潮汕語で【geg】、広東
胡錦濤前総書記の側近だった令計劃・前人民政治協商会議副主席に4日、収賄と国家機密の不法取得、職権乱用の罪で無期判決が言い渡された。令計劃は上訴しない意向を示し刑が事実上確定した。日本の各紙は彼を「団派」(中国共産主義青年団=共青団出身者の派閥)の一員と見立て、習近平総書記が重要人事を決める来年の第19回党大会を前に、団派人脈を牽制したという背景分析をした。 横並びはいつものことだが、その原因は現場の記者が取材をしていないことにある。香港を中心とする海外メディアが流布しているステレオタイプの分析に寄りかかり、当たり障りのない、業界用語でいえば逃げ道を作った、悪く言えば中身の全くない記事を垂れ流している。国家機密が絡むため非公開となったが、国家機密の中身が何なのか、現場記者にしかできない、現場記者だからこそすべき取材の成果が一文字も表れていない。こういうのを東京にいても書ける記事という。新華社
パナマ文書問題についてある雑誌から「中国共産党内部の権力闘争に対する影響」についての分析原稿を求められ、「中国の政界に直接的な影響を与えるとは考えていない」と答えたら、「見送り」の返事が来た。それぞれに編集方針があるので異議はないが、かねてからきちんと自分の見解をまとめておこうと思っていたので整理したい。 問題の発覚後、まず思い浮かんだのは当然のことながら報道の真実性、客観性である。中国やロシアが西側の謀略説を唱えるのに与するつもりはないが、守秘義務をを命とする法律事務所からの漏えいなので、いかにして文書が流出したかは、内容の真実性、客観性を推し量るうえで重要なポイントになる。かなりグレーな領域であることは間違いないので、顧客データの管理はかなり厳格であったことが想像される。少なくとも40年間は守られてきたわけだ。 思い起こすべきは、中国共産党中央政法委員会の前書記、周永康(前党中央政治局
胡耀邦の生誕100周年を記念し、中央テレビ(CCTV)が20日から記録映像計5集を放映した。重要な功績を遺した指導者を回顧することは意義があるし、これまで十分に評価されてこなかった胡耀邦の名誉回復にもつながる。だが、映像の中に看過できないウソ、いやねつ造が含まれていたのは残念だ。残念で仕方ない。 1982年9月1日から11日まで中国共産党第12回全国代表大会が開かれた。文化大革命の後遺症を乗り越え、「中国の特色を持つ社会主義」という新たな概念のもとに改革・開放に向かってスタートを切った記念すべき大会である。引き続き13、14日に開かれた第12期第1回中央委員会全体会議で胡耀邦、葉剣英、小平、趙紫陽、李先念、陳雲を党中央政治局常務委員に選任した。 9月13日の『人民日報』には一面で常務委員6人の名前と写真が名目上の序列順に掲載された。写真は上段に並べられ、上段は胡耀邦、葉剣英、小平、趙紫
上海在住の元調査報道記者、楊海鵬とはもう10年の付き合いになる。国有の公園設計事務所の設計士をしていた彼の妻、梅暁陽が知人から贈られ、手を付けずにいた12万元を収賄とされ、懲役4年の判決を受けたのは2011年10月のことだ。彼女が民間の大手事務所に移籍しようとし、上司の不満を買ったことが災いしたようだった。海鵬自身が政府の暗部を告発する記事を書き続け、それに対する報復とも考えられた。いずれにしても中国にしては少額な収賄事件に政治的意図が隠されているのは明白だ。妻が拘束されてからの5年間、海鵬は不当な捜査を告発し、妻の冤罪を訴え続けた。 当時はど携帯で簡便に情報発信ができるミニブログの「微博」が全盛で、かれはこの道具を最大限に活用し、「微博が中国の民主化を推進する」と評される社会風潮の一翼を担った。一人娘は蟹が大好物で「蟹子ちゃん」の愛称があったため、妻の事件は「蟹ママ事件」と呼ばれ、多くの
安倍首相の諮問を受け、戦後70年談話について検討してきた有識者懇談会が6日、報告書を公表した。メンバー16人が計7回の会合を経て作成した、計38ページに及ぶ力作である。これがそのまま首相談話になるわけではないが、メディアには肯定的な評価があふれているので、あえて異なる視点を提供する。この批判精神こそが、日本が戦後、「痛切な反省」に基づいて自由民主主義を育ててきたとする同報告書の趣旨に合致するからである。 日本が「満州事変以後、大陸への侵略を拡大し、第一次大戦後の民族自決、戦争違法化、民主化、経済的発展主義という流れから逸脱して、世界の大勢を見失い、無謀な戦争でアジアを中心とする諸国に多くの被害を与えた。特に中国では広範な地域で多数の犠牲者を出すことになった」(3~4ページ)と述べ、「侵略の定義は国際的にも定まっていない」とする安倍首相を牽制した。戦後50年の村山談話、戦後60年の小泉談話に
私が退職するきっかけとなった特ダネ原稿は、月刊『文藝春秋』(2015年8月号)で発表の機会を与えられたが、もう1本のボツ原稿がある。昨年11月のアジア太平洋経済協力会議(APEC)北京会議で、「世界最大の発展途上国」を口実に国際責任を回避する姿勢を改め、「大国の責任」を明確に打ち出しことをとらえたものだった。今後中国に求められるのはソフトパワーであり、米国の協力が不可欠になるとする内容だった。歴史の潮目をとらえた的確な素材の選択だと判断した。 だが、中国関連は領土や軍事など脅威を指摘する記事は優先的に掲載されるが、じっくり分析するようなタイプの記事は、「中国に肩入れし過ぎている」などと敬遠される傾向が強い。いったんは組日が決まったものの、突然、中国脅威論を煽るような原稿に差し替えられるなど、不運な運命をたどった。一面的な報道は読者の目を曇らせ、判断を誤らせる。新聞としてあってはならないこと
読売新聞が毎月発行している社内広報誌には、退職者を紹介する「ご苦労さまでした」の欄がある。顔写真入りで経歴が記され、記者職であればひと言も掲載される。私も12字×30行の指定で「思い出話や社員へのメッセージ」と原稿依頼を受けたので出稿した。 表記の細かい修正に関するやり取りをして完成させたが、先日、届いた広報誌には私の原稿がすっぽり抜け落ちていた。掲載不可であれば、その理由をきちんと説明するのが筋である。頼んでおいて、それを無断で一方的に反故にするのは、著しく社会常識に反している。新聞社の事なかれ主義は極みに達している。これでは世界最大発行部数を標榜する大新聞社の名折れである。 以下、私が送った社内報に送ったメッセージである。 中国駐在は10年間に及んだ。この間、常に我が身、日本社会のあり方を考えてきた。中国は一党独裁国家で言論の自由がなく、思想も統制されている、と多くの人は知識として知っ
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