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今日もこのブログを訪問して下さりありがとうございます! かつて参加した意識探究のワークでは、 嫌というほど耳にしていた言葉だ。 考えるのではなく感じる。 思考ではなく感覚。 そんな話を何度も聞いてきた。 なるほど、 そういうものなのだろう。 知識としては理解していたつもりだった。 だけど、 日常の場面ではあっさり忘れている。 なにか問題が起きれば考える。 不安なことがあれば考える。 人間関係で引っかかることがあれば、 なおさら考える。 どうしてだろう? なにが原因だったのだろう? 相手は何を思っていたのだろう? 自分はどうするべきだろうか? 考える。 ひたすら考える。 まるで考えることそのものが、 答えにつながると信じているみたいに… 先日もそんなことがあった。 信号待ちをしていたとき、 ふと夕焼けが目に入った。 久し振りに見る夕焼けだった。 空が赤く染まっていて、 なんとなく見とれてしま
今日もこのブログを訪問して下さりありがとうございます! 僕は仕事柄、車で移動することが多い。 自分の車だったり、客先の車だったり。 高速道路を走ることも珍しくない。 そうなると、いろんな運転に出くわす。 まぁ、世の中にはいろんな人がいるもので… 無茶な追い越しをする人もいるし、車間距離を詰めてくる人もいる。 そういうのはもう、ある意味で諦めている。 「そういう輩なんだろうな…」と思うしかない。 こちらがムキになったところで、 危険が増すだけで、いいことなどひとつもない。 事故にならないように、距離を取る。 たぶんそれが一番賢明だ。 ただ、どうにも引っかかることがある。 強引な車線変更だ。 別に、車線変更そのものが悪いと言いたいわけではない。 走っていれば、「今入らないと出口に間に合わない」みたいな場面もあるだろう。 こちらだって、似たようなことをしたことがないとは言えない。 だから、多少強
今日もこのブログを訪問して下さりありがとうございます! 完全に思考に乗っ取られていたみたい。 そう、 「乗っ取られていた」のだから、 自分を俯瞰して観るなどできず、 まさしく我を忘れていたのだろう、 いまは、 乗っ取られていたことに気づいているのだから、 ちゃんとハンドリングできているということだね。 そんなこんなで、 なんかヤケクソかつどんよりな数日間を過ごしていたが、 徐々に気力を取り戻せそうな感じ。 ということで、 さてさて、 子どもの頃って、 「好きなものばっかり食べちゃダメ」 って、よく言われた。 栄養の偏りとか、 健康のためとか、 まぁ、そういう理由もあるのだろうけど、 たぶんそれだけじゃなくて、 食育的見地にも鑑みて、 「いろんなものに触れなさい」 みたいな意味も、 含まれていた気がする。 偏食はよくない。 好き嫌いせず食べなさい。 たしかに、 それは一理ある。 でも最近、
今日もこのブログを訪問して下さりありがとうございます! 頑張るの、やめてみたら、なんとなく復活するんじゃないかと思ってみたが、 やっぱり気持ちが萎えて、再起できない。 そんなときに限って、仕事でのアクシデントが続くのだ… あぁ…何もかもうまく行かない。とか、最悪!今日は厄日!とか… そんな言葉ばかりが口をついて出てくる。 そこで今度は自己嫌悪。 負のループに陥ったかも。 みぞおちのあたりの不穏な感じがまた不快で… なんというか、身体の真ん中に、暗いなにかが居座ってる感じ。 別に、世界が終わったわけでもないし、取り返しのつかない失敗をしたわけでもない。 でも、小さい嫌なことが続くと、 急に「全部ダメだ」みたいな気分になってしまう。 たぶん脳って、そういう偏ったまとめ方をするのかも… 本来は関係ない出来事まで、全部ひとつにつなげて、 「ほらやっぱり、今日はダメだ」 みたいな結論にしてしまう。
今日もこのブログを訪問して下さりありがとうございます! 僕らの視界には、 ほんとうはずっと「鼻」が入っているらしい。 いや、 「らしい」というより、実際入っている。 試しに片目を閉じてみると、 うっすら鼻の輪郭があるのがわかる。 でも普段は、 ほとんどその存在を気にしていないし感じない。 脳が、 「これは重要じゃない」 と判断して、消しているから。 つまり、 見えていないのではなくて、 見えているのに、 見えないことにされている。 そして実際に、見えない。 これ、 なんだか人生そのものみたいだなと思った。 たとえば、 毎日ちゃんと布団で眠れること。 蛇口をひねれば水が出ること。 帰る場所があること。 なんとなく会話できる相手がいること。 そういうものは、 たしかに人生の視界に入っている。 入っているのだけど、 脳が「あたりまえのこと」と処理して、 景色から消してしまう。 逆に、 不安とか、
今日もこのブログを訪問して下さりありがとうございます! 今日はもう、 全体的に、けだるい。 身体も、 頭も、 気分も。 なにをするにも、 「あー…」 が先に来る。 しかし、いつもの月末繁忙期、 さっきも、 千葉の野田市まで仕事で行ってきた。 仕事中、 ずっと思っていたのは、 「はやく終わらないかな」 だった。 「はやく家に帰りたい」 そればっかり。 もちろん、 仕事だから、 やることはやる。 またそんな感じでいる今日は、 いつになく、 お役所が混んでいて、 待ち時間がいつもの2倍くらい、 いや3倍くらいかかったかも… 自分の順番がなかなか来ないことにため息ばかり。 心はずっと、 帰る方向を向いていた。 記事を書くことにも、 嫌気がさしている。 言葉が浮かばないわけじゃない。 でも、面倒くせぇ… いっそやめてみるか?このブログ… とか、頭をよぎるくらい、 そこまでやさぐれている。 以前の僕な
今日もこのブログを訪問して下さりありがとうございます! 中学の頃だった。 教師に、 「君の考え方は間違っているよ…」 みたいなことを言われたことがある。 まぁ、 正確になんと言われたのかは覚えてないのだけど。 でも、 「お前は考え方がおかしい」 みたいな空気は何度かあった。 あの頃の学校って、 今みたいに 「個性を大切に」 なんて空気も、 まだそんなになかった気がする。 どちらかというと、 みんな仲良く。 率先して協力。 一致団結。 そういうものが、 素直に “良いこと” とされていた。 だから、 少し斜めから見たり、 輪の熱量に乗り切れなかったりすると、 なんとなく、 「直したほうがいい人」 みたいな扱いになる。 別に、 反抗したいわけじゃないんだ。 ただ、 みんなが感動してる場面で、 一人だけ冷めていて、 うまく入りこめないことはあった。 イベントのあとに、 「みんなで一つになれました
今日もこのブログを訪問して下さりありがとうございます! 先日、Netflixで「碁盤斬り」という映画を観た。 草彅剛演じる主人公は、 寡黙で、穏やかで、礼を重んじる男だった。 でも、 静かなだけではない。 盤の上では、 じわじわと相手を追い込み、 譲らないところは、まったく譲らない。 その感じを見ていたら、 昔のある一言を思い出した。 僕は中学の頃、 授業の一環みたいな課内クラブで、 囲碁クラブに入った。 第一希望でも第二希望でもなく、 クジに外れて入ることになった。 全く興味などなかったのだから、 当然、囲碁の知識なんて何もない。 顧問の教師から、 一通りの基本だけ教わって、 普通より小さな碁盤で、生徒同士が対局する。 ある日、 僕はSと打っていた。 すると、 顧問の教師が後ろで腕を組みながら、じっとその対局を見ていた。 そして終わったあと、 僕にこう言った。 「普段の感じと違って、ずい
今日もこのブログを訪問して下さりありがとうございます! さっき、仕事帰りに買い物に寄ったんだ。よくある複合商業施設、○○○モールみたいなやつ。 目的は、ただ、ドリップコーヒーを買うため。 まぁ、それだけだった。 エントランスから少し入ったところに、簡易的なブースが出ていた。 折りたたみテーブルを置いて、ポロシャツ姿の男性が数人。 その前を通りかかった瞬間、目の前にポケットティッシュを差し出されて、僕は反射的に受け取ってしまった。 あー、受け取っちゃったわ。 たぶん、こういうのって、受け取った瞬間に何かが始まる。 そんな予感は、ちゃんとあった。というより「お約束」って感じか😅 案の定、 「ちょっと待ってください。ここにくじが入ってるんですよ」と言いながら、ティッシュの中から紙片を取り出すスタッフ。 ただその“くじ”が、何度も使い回されてきたのだろう、角が折れていて、若干くたびれている😅
今日もこのブログを訪問して下さりありがとうございます! 我が家の朝は、妻が身支度や化粧をして、出勤していくまでのあいだ、なんとなく雑談する時間になっている。 べつに、なにか大事な話をしているわけじゃない。 テレビがついていて、コーヒー飲んで、「あー眠い」とか、「今日暑そうだね」とか、そんな程度。 今朝も、日テレの情報番組「ZIP」が流れていた。 兵庫の殺人事件だとか、宇都宮の殺人事件だとかを取り上げていて、まぁご丁寧に、刺し傷の詳細みたいなところまで説明している。 朝から、ああいうのを見せられると、気が滅入る。 「もう、こういうニュースばっかり流されると嫌になるね。誰が殺され方の詳細なんて知りたいっていうんだろか…」 なんて言いながら、「チャンネル変えるよ」と、別の局にした。テレ東だったと思う。 すると、普段あまり見慣れないCMが流れていた。 「ブラックストーンは変化を待ちません。変化を起
今日もこのブログを訪問して下さりありがとうございます! 昔、同業者とチームを組み、 共同で仕事をしていた時期があった。 誰かが第一段階を仕上げて、そのあとを僕が引き継ぐような流れ。 しかも、前段階を担当する人は、だいたい同じチームの誰かだったのだけど、完全固定というわけでもなかった。 時には、「これ誰がやったんだろう…」という、知らない人の処理が回ってくることも普通にあった。 ある日、前工程にかなり荒いミスがあった。 そのせいで、僕の作業は完全に空振り。 時間だけが過ぎて、結局ほとんど何も進まなかった。 「あぁ…どこかの誰かさんのせいで、 骨折り損のくたびれもうけ、一日無駄になってしまったな…」 そんな感じで、半分独り言みたいにぼやいた。 僕としては、本当に、“どこの誰だか分からない人”だったから、そう言っただけだった。 別に、ぼかして嫌味を言ったわけでも、暗に誰かを差したわけでもない。
今日もこのブログを訪問して下さりありがとうございます! 今日は、どうしてもテレビをつける気になれなかった。 別に、なにかとくべつ理由があったわけではないのだけど。 いつものようにリモコンを手に取る気分になれず、しばらく静かな部屋にいた。 そのあと、なんとなく、 「Alexa、朝に聴く音楽流して~」 と、言った。 スマートスピーカーから、静かにジャズが流れ始めた。 朝のジャズ。 詳しいことはわからない。曲名も、演奏者も、ほとんど覚えていない。 ただ、ピアノとか、少し遅れて入ってくるベースとか、控えめなドラムの音とか。 今日は、そういうものが、朝の空気。 テレビをつけると、どうしても誰かの声が流れ込んでくる。 「今これが問題です」「次はこちらです」「驚きの結果です」 まぁ、それが悪いという話でもないのだけど… ただ、朝からずっと、誰かの温度で部屋が満たされるあのせわしい感じが、今日はちょっと遠
今日もこのブログを訪問して下さりありがとうございます! 僕は、いまでもスピリチュアルな道を探求している。 昨日、ダグラス・ハーディングの実験の会に参加した。 ダグラス・ハーディング のワークには、これまでZOOMで一度、リアルの会に一度参加していて、今回はリアルでは二回目だった。 やはり、同じ空間で、同じ実験をして、同じ沈黙を共有するというのは、ZOOMとはだいぶ違う。 気づきの深さというか、感覚への入り方が、より直接的になる感じがある。 昨日は、かなり個人的な領域で、ひとつブレイクスルーのようなものがあった。 とはいえ、本人としては、案外あっさりしている。 人生が激変した、みたいな派手な話ではない。 むしろ静かだった。 で。 こういうことを書くと、「結局なにがあったのだ?」と思われそうなのだけど、別にもったいつけているわけではなく… ただ、本当に、うまく言葉にできない。 いや、「言葉にで
今日もこのブログを訪問して下さりありがとうございます! つくづく僕は、 「ちゃんとした人」になりたいのだろうな…と。 そう思った。 なりたい、なんて思っているぐらいだから、 自覚しているのは「ちゃんとしてない人」のはずだ。 きっと、ちゃんとしてないのだ。 だから誰かに、 こと家族などから、 あなたはちゃんとしていない的な言葉を投げかけられたり、 指摘されたりすると、 図星を突かれて、 僕のエゴが騒ぎだす。 でも一方で、 他人に言わせると、 僕くらいちゃんとしてる人はいない、 とも言われる。 本当に不思議だ。 なんだか、 「ちゃんとしている」 って、ずいぶん曖昧な言葉なのだな… とも思った。 たぶん僕は、 “ちゃんとしている人”を、 どこかで「乱れない人」みたいに思っている。 感情に振り回されず、 人に迷惑をかけず、 空気を読み、 筋を通し、 ちゃんと自立していられる人。 でも実際には、 そ
今日もこのブログを訪問して下さりありがとうございます! 最近、情緒が若干不安定で、 どうにも心が晴れない。 正直、くすぶった日々を過ごしている今日この頃… さて。 先日、YouTubeのショート動画で、 「これは画期的!」みたいな触れ込みの商品を見かけた。 ステンレス製の保冷剤。 通常の保冷剤よりも、長時間で保冷をキープ。 レジャーやアウトドアに最適!なんていう、 そんな感じの説明だったと思う。 まぁ、これから暑くなるし、 ひとつあってもいいかもしれないなと思い、Amazonで購入した。 2個入りで、3,000円くらい。 レビューの星も4.4くらいで、 コメント欄も、 「素晴らしい商品でした」 「買ってよかったです」 「もう1セット購入を検討しています」 みたいな声が並んでいた。 で、商品が届いたので、 冷凍庫に入れて、規定時間以上しっかり冷やしてから使ってみた。 そしたら。 なんだよ…
今日もこのブログを訪問して下さりありがとうございます! 先日、僕に対して、 あなたは配慮が欠けているのではないか?…といいうニュアンスで、 せめて今後はこんな観点を持ってみてください、なんて、 指摘だか、アドバイスだかをしてきた相手がいて、 そのことに対してずっと感情がくすぶっている。 歳を重ねると丸くなる、 なんて話を聞くけれど、 僕の場合は、どうもそうとも言えないらしい。 人に何かを指図されたり、 考え方を「それは違う」と諭されるような場面に、昔よりずっと疲れるようになった。 もちろん、 世の中には善意で言ってくれる人もいる。 「こうした方がいいよ」 「そんなふうに考えない方が楽だよ」 「もっと柔軟に」 まぁ、 言っている本人は、 たぶん本当にそう思っているのだろうし、 別にそれが悪いなどとは思っていない。 ただ、 こちらとしては、 その「正しさ」みたいなものを、 頭の上から被せられる
今日もこのブログを訪問して下さりありがとうございます! 人はすぐ、 自分の見えている世界を、 “世界そのもの”みたいに話す。 「普通は」 「いや、それは違う」 「考えすぎ」 「気にしすぎ」 まぁ、 本人は現実としてそう見えているのだろうし、 別に嘘をついているわけでもない。 ただ、 その景色は、 あくまで“その人の窓”から見えているものなのだ。 でも人は、 そこを忘れる。 自分の感じ方が標準になり、 自分の痛くない場所は、 他人も痛くないと思い始める。 僕はあれを怖いと思った。 でも誰かは、 「そんなことで?」と言う。 逆に、 僕にはなんでもないことを、 深く引きずる人もいる。 たぶん、 どちらも本当なのだ。 世界の見え方って、 そんなに画一化されてはいない。 育った空気も違えば、 飲み込んできた言葉も違う。 人に笑われた記憶とか、 無視された感覚とか、 なぜか今も残っている声とか。 そう
今日もこのブログを訪問して下さりありがとうございます! ひと昔前までは、 そこまで気にされなかったものが、 今では随分と厳しく見られるようになった気がする。 コロナ禍を経て、 世の中全体の衛生観念が変わった。 そう感じることがよくある。 最近では、 「指ペロしたお金は受け取りません」 そんな注意書きを見かけるようになった。 まぁ、言いたいことはわかる。 確かに、 他人の唾液がついたものなんて、 気持ちの良いものではない。 いや、気持ち悪い。 僕自身、子供の頃、 お札を数える時に指をぺろっと舐める大人を見て、 「うわぁ…」と思っていた側だった。 でも、歳をとるとわかる。 あれ、意外と切実なのだ。 紙がめくれない。 本当にめくれない。 スーパーの袋も、 紙幣も。 若い頃には気づかなかったけれど、 手の油分というのは、 年齢とともに少しずつ減っていくらしい。 もちろん、 事務用スポンジとか、 指
今日もこのブログを訪問して下さりありがとうございます! 先日、ショッピングセンターで買い物を済ませ、車で帰ろうとした時のこと。 ここの駐車場は、入場時に駐車券を取り、買い物をした店舗で処理をしてもらうと、無料で出られる仕組みになっている。 ただ、今年の4月から変わった。 以前は、買い物をしなくても、60分以内なら無料だった。 でも今は、店舗で買い物をした上で、券の処理をしてもらわないと、無料にはならない。 たぶん、前の車のおばさんは、その変更した事情を知らなかったのだと思う。 精算機に駐車券を入れる… 待つ… でもバーが開かない… すると、精算機をガンガン叩き始めた。 最初は、「あれ? 機械の調子でも悪いのかな」ぐらいに思っていた。 でも違った。 かなり本気で叩いている。 ガン、ガン、と。 いや、そんな昭和のテレビじゃあるまいし😓 と思ったのだけど、もちろん、叩いてもバーは開かない。 そ
今日もこのブログを訪問して下さりありがとうございます! 言葉には力がある。 人を励ましたり、救ったり、遠くにいる誰かの心を少し軽くしたりもする。 でも同時に、思っている以上に長く、人の中へ残ってしまうこともある。 しかもそれは、乱暴な言葉だけの話ではない。 丁寧な言葉。低姿勢な言葉。善意や配慮をまとった言葉。 そういうものほど、こちらも強く拒みづらいぶん、静かに深いところへ入り込んでくる。 たぶん人は、言葉そのものだけを受け取っているわけではない。 その奥にある空気とか、温度とか、「自分はどう見られているのか」みたいなものまで、一緒に受け取っている。 だから時々、正しさや配慮の形をした言葉ほど、人の中に長く残ったりする。 そしてたぶん、そのことは、言葉を投げる側にも、受け取る側にも、気づかないうちに関わっているのだと思う。 =================================
今日もこのブログを訪問して下さりありがとうございます! 逃げられる、 って、いいなぁ! そう思った。 皮肉とかではなく、 素直に、というところで。 嫌なことがあると、 渦中にあろうが相手があろうが、 それをほっぽり出して、 なんの連絡なしにどこかに行ってしまう。 それっきり帰ってこない。 一般的には、といってもいいのだろうか、 この世の中、特に日本においては「逃げる」ということは、 かなりネガティブに捉えられる世界なのだと思う。 責任感がない、 意志薄弱、 卑怯だ、 根気がない、 臆病者、 義理を欠く、 などなど… でも、 最近ちょっと思うのだ。 逃げる人って、 ちゃんと「自分の限界」を見ている人なのかもしれないな、 って。 僕なんかは、 どちらかというと、 ギリギリまで残ってしまう。 「ここで投げたら悪いかな」 とか、 「もう少し頑張れば何とかなるかも」 「迷惑をかけまい…」 「裏切れな
今日もこのブログを訪問して下さりありがとうございます! 歩いていると、 たまに「おっ」と思う人とすれ違うことがある。 今日、コンビニへ向かう途中で見かけた女性もそうだった。 最初に目に入ったのは、 真っ白なタイツ。 その次に目がいったのが、 膝小僧だった。 なんて言えばいいのだろう。 年齢って、 顔より先に、 膝に出ることがある。 その人は、 いわゆるロリータファッションという感じの服装で、日傘を差して歩いていた。 距離が近づくにつれて、 年齢もなんとなく見えてくる。 たぶん40代後半、 あるいは50代だろうか。 正直、 「おぉ、すごいな。」 と思った。 勇気がある。 とも。 世の中って、 年齢に応じた格好とか、 “そろそろ落ち着いた服を” みたいな空気が普通に漂っている。 まぁ、 誰も口には出さないけれど。 でも、 その人は、 そんな空気を横目に、 自分の好きなものを堂々と着て歩いていた
今日もこのブログを訪問して下さりありがとうございます! 「悪」は必要か? と問われたら、 きっと多くの人たちは、 「NO」ということだろう… 悪を殲滅したら、 どんな世界になるのだろうか? って考えたことはあるかな… 安心安全の、 さぞ素晴らしい世界になるだろう。 なんて考えてしまいがちだけど。 本当にそうなるのだろうか。 そして、悪がなくならないのはなぜだろう? と考えたことは? もしかすると悪を必要としている事情もあるのではないか? そんなことを考えてもしまう。 僕が過去に書いた記事、 再掲してみたいと思う。 (以下、過去記事 『世界設定』 2023年5月の記事) いろんなものの存在って、 一体何をもって存在しているのだろうか? って思うことがある。 またまたくだらない僕の頭の中を巡る戯言の文字起こしといったところになる。 一体何が言いたいの? だよね😅 例えば、 「それいけ!アンパ
今日もこのブログを訪問して下さりありがとうございます! 僕のブログは、 基本的にエッセイブログだ。 だから、 自分がどう感じたかとか、 なにに引っかかったかとか、 そういうものを、自分目線で書いている。 当然、 読む人によっては、 「その考え方は違う」と感じることもあるのだと思う。 まぁ、そりゃそうだ。 同じ出来事を見ても、 見え方なんて人それぞれだし。 ただ最近、 「誰かを不快にさせないこと」 みたいな空気が、ずいぶん強くなった気がする。 実は、僕の書いた、ある記事について感想をいただいた。 読む人によっては、 傷つくことになるだろう、 悲しい気持ちになる内容だった、 という感想だった。 正直なところ、 思ってもみなかった指摘だったので、 僕自身、相当心が揺らいだ。 削除すべきかを含め、記事の扱いをどうすべきなのだろうか? というところまで… もちろん、 わざと人を傷つけたいわけじゃない
今日もこのブログを訪問して下さりありがとうございます! 実はずっと以前から、 勤務している建物の、 あるテナントさんの職員の対応に、 ずっと嫌な思いをしていた。 「お疲れ様です。」って、 僕の職場では、基本、関係者に会えばそう挨拶するのが普通。 もちろん挨拶すれば、 一部の人は除いて、 ちゃんと返しの挨拶が返ってくる。 まぁ、それが日常の中の〝普通〟だった。 ただ、件のテナントの女性職員のひとりだけは違った。 僕が挨拶しても、 まるで聞こえていないかのように、 毎回ガン無視。 最初は、 「たまたまかな?」と思っていた。 でも、それが一度や二度じゃなく、 何度も続くと、さすがに気分が悪い。 こっちは感じよく接しているつもりなのに、 露骨に無視される。 あれって、地味に堪えるもので… なので僕は、 いつしかその人に会うのが苦痛になっていた。 昨日の勤務中も、 またその人と鉢合わせしたのだけど、
今日もこのブログを訪問して下さりありがとうございます! 今日はこどもの日。 でも、僕にはあまりそういう感じはない。 というのも、5月5日は、父の祥月命日なのだ。 今さら、故人のことをどうこう言うつもりもないのだけど、 僕の父は、都合が悪くなると、家に帰ってこない人だった。 いずれ向き合わなければいけないことがあると分かっているはずなのに、そこを避けて、 結局あとで、ちゃんと修羅場になる。 そういう人だった😅 そんなことを、なんとなく思いながらふと思う。 都合の悪いことになると、 急に声が小さくなる人がいる。 あるいは、そこだけ早くなる。 あからさまというわけではないのだけど、 ああ、そこはそういう扱いするんだな、 という感じは伝わってくる。 聞こえなくはない。 逆にそこだけ妙に印象に残る。 こういうのを、姑息と言うのかどうかは、 正直よく分からないのだけど、 少なくとも、誠実ではない感じ
今日もこのブログを訪問して下さりありがとうございます! 僕は、「良いところだけを見る」 というのが、しっくりこない。 たしかに、そうできたほうが楽なのかもしれない。 人との関係も、日々の出来事も、丸く収まる感じはある。 でも、どこかで引っかかる。 通販の商品紹介を見ていると、 良いところばかりが、これでもかと並べられている。 見ているうちに、だんだん欲しくなってくる。 そして、届く。 使ってみると、気づく。 「あれ、ここ、ちょっと使いにくいな」とか、 「これ、当然ついていると思っていたけど、ないのか」とか。 昔、豆乳メーカーを買ったことがある。 夜に仕込んでおけば、 朝、できたての豆乳が飲める! というものだった。 それを期待して、タイマーをセットしてみたのだけど、 明け方に鳴り響いた音に、驚いた。 とても、あの時間に動かしていい種類の音ではなかった💦 結局、面倒になって、 使わなくなっ
今日もこのブログを訪問して下さりありがとうございます! いろんな自由がある。 その中でも、ほとんど制限がないものがある。 それが、「内心の自由」じゃないかな。 誰にも見られないし、 誰にも邪魔されない。 だから、何を思ったっていい。 だったら、 遠慮する理由も、あまりない。 壮大な妄想をしてみてもいい。 現実ではまず起こらないようなことを、 頭の中でだけ、いくらでも転がしていい。 都合よく話を進めてもいいし、 自分にとって気持ちのいい展開にしてもいい。 辻褄なんて、合っていなくてもいい。 誰も訂正しないし、 誰も眉をひそめない。 そういう場所がひとつある、というのは、 ありがたいことなのかもしれない。 外では、どうしても制約がつく。 言葉も、振る舞いも、 ある程度は気兼ねする必要がある。 でも内側は、 ちゃんとしていなくても、 まぁ、そのまま転がっていく。 そのほうが、どこか広がりやすい気
今日もこのブログを訪問して下さりありがとうございます! あの事故が起きたのは3月… いま語るには、ちょっとタイムリーではなくなってしまったが。 あの謝罪会見を見ていて、どうにも引っかかるものがあった。 内容より先に、視界に入ってきたもの。 それが服装だった。 ああいう場で、あの格好なのか、と。 正直、そう思ってしまった。 別に、きちんとしたスーツを着ていればそれで誠意が伝わる、なんて単純な話でもない。 形だけ整えて、中身が空っぽ、ということもいくらでもある。 それでもやっぱり、謝罪という場には、ある種の「型」がある。 言葉の選び方だけじゃなくて、立ち方とか、声のトーンとか、そして服装も含めて。 その場には、その場でのふさわしい姿というものがある。 見てくれで「それ」を判断してはいけない、という見方もあるのだろうけど、 やっぱり、見てくれや印象というものは、人の受け取り方に強く影響する。 今
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