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その昔、アメリカで公民権運動の嵐が吹き荒れる1950年~1960年代。キング牧師やマルコムX、ネヴィル・ブラザーズがThank you ! Miss Rosa と歌っているローザ・パークス等に代表される公民権運動のアイコン達の物語は我々音楽を愛する者達の中でも特に知られている。 それを遡ること遥か昔、リンカーンの奴隷解放宣言が成されたのが1862年。しかしミシシッピー州やルイジアナ州等の一部地域では奴隷解放宣言の対象外とされる等、解放宣言後もまだまだアフロ・アメリカン達の生活環境は凄惨を極め、季節労働者としてミシシッピー川流域からルイジアナ、テキサス等へ渡り歩く者が多く居た。 厳しい労働の後黒人達が集う酒場にはピアノ等が無い店が多く、安物のギターをつま弾いて歌うのが常。そんな黒人達の酒場音楽はブルースと呼ばれるようになった。広大なミシシッピー川河口域の三角洲、所謂デルタ地帯で発祥したと言わ
ライブハウスと一口に称しても様々な形体が在る。 親会社があったりして業務の一環として貸ホール的に運営されているハコ。 カフェやレストランの不定期イベント的にライブを行う店。 そしてオーナーの気合い一発で儲かりもしない業務に人生を懸け、債務と闘いながら看板を上げている小屋。 いずれにしても我々リアル・プレイヤーにとっては聖地である。 子供の頃は「プロに成る!」と言っても具体的な最初の一歩は何処に進めば良いかなんてのは雲を掴むような話しでさっぱりイメージが涌かない。 HPを立ち上げデモを作り…なんて現在では定石的なことも、インターネットもパソコンも存在しなかった35年程前の駆け出しミュージシャンにはそれに代わる物も無く、スクランブル交差点の雑踏の中で世間に挑戦状を叩き付ける情熱のやり場を必死に探すしかなかった。 ある日高校の先輩達のバンドがバーボンハウスに出ると聞きつけ見に行ったとき「俺もあの
いつの時代も街のライブハウスがミュージシャンの登竜門であることは違いは無い。 初めて人前での演奏、初めてのステージ、初めてのスポットライト…。 私も子供の頃、当時大阪キタに在ったバーボンハウスのステージに立つ事が夢だった。大阪市立工芸高校の先輩だったギタリスト古川望氏の参加するバンド羅麗若(ラレイニヤ)を見に行った時に「あのステージに立ちたい!」の衝動が若かった私の音楽への動機の全てになった。 「キタのバーボン、ミナミのデューク」と言われた大阪の2大老舗も歴史を閉じて久しいが…。 16才の高校1年、先輩達に誘われ始めて出演した小さなライブハウス バハマ は多くの有名バンドを育てた伝説の店。楽器はほとんど生音だけの狭くて神聖なステージが私のミュージシャンとしての原点。 — 時は流れ、どこへ行っても一番若造だった私も様々な体験、経験を積んで来た。 立派なP.A.常設の大きなライブハウス、ホール
江川ほーじんを応援してくださる皆さまへ 変わらぬご支援を誠にありがとうございます。 ほーじんの症状に大きな改善は見られませんが、幸いにして体調は落ち着いております。 好きな曲を聴かせると、瞳や手指に良い反応が見られる日もあります。 再生医療についてのニュースを目にするたび 「近い将来、画期的な治療法が確立されるのではないか」 と希望を抱かずにはいられません。 奇跡を願い、日々を過ごしております。 昨年私たちは、大切な人を失いました。 その穏やかな佇まいでいつも場を和ませてくれた、ブルースハープ奏者西村ヒロ氏です。 唯一無二のセンスと確かな技術を、ほーじんは本当に尊敬していました。 BLACK BULLET で共に活動出来たことは生涯の誇りです。 なお本日までに10,256,923 円 もの募金をお預かりし、約798万円を本人の療養及びケアのために使わせていただきましたことをご報告いたします
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