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2014年03月12日郵政事業の変遷 (1)初めてのポスト 日本で郵便制度が始まった明治4(1871)年に、日本で最初のポストも誕生しました。脚付の台に四角い箱をのせた木製ポストは、書状(手紙)を集める箱であることから「書状集め箱」と呼ばれ、郵便の開業を知らせる「太政官布告」、郵便の利用方法を知らせる「書状を出す人の心得」、あて地別の郵便料金と届くまでの時間を知らせる「各地時間賃銭表」が付けられていました。 書状集め箱は、東京に12カ所、京都に5カ所、大阪に8カ所、そして3都市を結ぶ東海道の宿場62カ所に設置されました。 書状集箱 明治4(1871)年4月20日に新しい郵便が開業し、はじめて郵便ポストが現れました。創業時の郵便ポストは「書状集箱」「集信箱」等と呼ばれていました。書状集箱には東京、京都、大阪の3都市用と東海道宿駅の街道筋用のものとがありました。 都市用 (現存するもの) 東海
明治4(1871)年の日本の近代郵便制度開始とともに、全国各地に郵便役所(現在の郵便局)等が置かれました。当初は、民間から借り上げたり、工部省の営繕局の管轄で建てたりしていましたが、逓信省発足(1885)後は、それらの業務施設のほとんどは内部の営繕職員(技師)たちによって設計され、建てられました。これらは逓信建築(1949年の郵政省発足後は郵政建築)と総称されています。以来120年、逓信省~郵政省で設計に携わった人たちの中からは、近・現代の建築史に名を連ねる建築家が輩出しています。 本展では、逓信~郵政建築の軌跡を概観するとともに、それらの建築家の一人、吉田鉄郎(1894〜1956)の作品にスポットライトを当て、当郵政博物館が所蔵する大阪中央郵便局の原図を中心に、彼の設計や著作に関わる資料を紹介します。また、併せて、吉田の後に逓信建築の伝統を受け継ぎ、戦後の郵政建築へと発展させた建築家の一
2013年12月01日収蔵品 ラジオ体操は、昭和3年に天皇陛下ご即位の大礼を記念して、当時の逓信省簡易保険局が制定し、日本放送協会の協力を得て「国民保健体操」の名称で国民の健康保持増進を目的として実施したのが最初です。 当時の世相は、産業界の不況、労働条件の劣悪さ、人口の都市集中化、その上、国民の健康状態は栄養不良により欧米先進国に比べてかなり低い状態など暗い世相にうちひしがれていました。このような状況下で、ラジオ体操は式典に呼応した記念行事の一環として、明るさを求めていた当時の国民の願いを担って登場しました。 ラジオ体操50年記念切手 昭和53年8月1日発行 ラジオ体操が電波にのるまで 日本にラジオ体操の導入を推進した人物は、逓信省簡易保険局監督課長の猪熊貞治さんと同規格課長の進藤誠一さんです。猪熊さんは、大正12年5月に欧米の簡易保険事業を調査するために出張した時に保険会社が体操をラジ
開館記念特別展として、「―少女たちの憧れ―蕗谷虹児展」を2014年3月1日(土)〜5月25日(日)まで開催します。 蕗谷 虹児(1898〜1979)は、大正から昭和にかけて、少女雑誌の挿絵や表紙絵などで活躍、詩的且つモダンで洗練された美女を描き、当時の少女たちを魅了しました。1920年、21歳の時に、竹久夢二の紹介で『少女画報』にデビュー、瞬く間に人気を博し、出版美術界の花形となりました。1925年に本格的な画業修行のため渡仏、パリでは春秋サロンに連続入選したほかシャンゼリゼの画廊で個展を開催しました。帰国後再び雑誌などで活躍、その人気は絶頂期を迎えます。戦後、絵本の仕事を手掛けたほか、晩年は画集の出版や個展での作品発表など活動を広げ、その上品でモダンな作風は多くのファンを惹きつけました。少女たちが憧れた蕗谷虹児の美の世界をどうぞお楽しみください。 展示作品紹介(一部) 蕗谷虹児プロフィー
ぼくらの昭和切手展 2026年01月31日(土)~2026年03月22日(日) 元号が「大正」から「昭和」と改元され、今年は100周年
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