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パリ五輪
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氷室さんは、ゆってみれば、ヒマラヤの高地に咲くという、伝説の青いケシでした。 その神々しい存在は、過酷な冒険をなしとげ帰還したものたちにのみ語られた。 語られていたけど、ほとんど神話とかマボロシと呼ばれ、実在を疑われすらした。 実物を目にすることなど、ムカシはちょっと考えられなかった(その後、花博にアッサリでちゃいましたけど) しかし、ある日突然、それはわれわれの前に現れたのです。 われわれはそこに確かにそれがあることを知ったのです。 地球上でいちばん天空に近い場所に、誰にみられることもなくひっそりと咲いていた、可憐な花! 清楚に青く、しかも、阿片戦争のヒキガネにもなった危険な毒草(独創って変換しちゃうとこでした)でもある、ケシ!(青いケシからもヘロインとかコカインが精製できるのかどうか、どーか実はよーしらんが) そんざいそのものが、二重三重の意味で衝撃。 しかし、その花は、そんな空気の薄
運命の下北沢でパラレル・クリエーション&そこにいくといるSF系のかたがたと出合ったわたし。正直いって、すごーくすごーく仲良くしていただいたとも思わないし、ほんとうの「なかま」と認知してもらえていた自信はない。「近所にすんでる、かわりだね」ぐらいの感じだったんじゃないかな。 SF作家クラブには、もう長いこと所属させていただいてるんですけど(笑)。 でもなんつーか…… 水族館でいうと、大水槽にいるわけでもない、イルカショーの舞台にいるわけでもない、鳥のくせに飛ぶより泳ぐのがうまいやつペンギン、みたいな? ちょっとタトエかわいらしすぎ? しかも、ちゃんとしたペンギン舎で飼われてるペンギンならまだいいが、どっかの変人のひとのお風呂場で飼われてて、実は犬とヘビとウマも同居してるんです、みたいな。なんかわれながらミョーな、どうも安定してないポジションにいるよーな気がしちゃってならないんですねぇ。 別に
がさっと買ってしまったために、まだ花井愛子さんを読んでいて、今は「さて?」という、1993年頃のエッセイ集を読んでいる途中なんですが、これは相当硬派のエッセイで、子どもにも、大人にも媚びない作者の確かな足元が見えてきます。 ところでその中に、いきなり文庫書き下ろしなんか書くのは、偉いセンセイから見れば、「下等な三文モノカキのすること」であって、「そこまで落ちぶれるぐらいなら筆を折る」という人もいらっしゃる、ということを書いていらっしゃいます。 今でも、そういうセンセイ、いらっしゃるんでしょうかね。 さて、ティーンズハートにバランスを崩して紙数を割いているのですが(Webの場合は「バイト数」?)、それには理由があります。 少なくともこの当時、コバルト文庫は秀作揃いという認識が、多くの人にあったと思います。ソノラマ、コバルトは、とにかく別格だったんですね。それに対して、ティーンズハートといえば
「創世記スレ」に励ましのおたより? ありがとうございます。やっぱ、こういうのいただけるとガゼンやる気がでますです。 なのに、草三井ことさか○だいすけはわたしに先日 あと1回か2回で、コラムを一区切りいれることにいたしましょう。 他のスタッフにもそう伝えておきます。 久美様は「いったん休む」と表現なされ、「また再開することもできる」と示唆なさっておられますが……しかしこれ以上はとても申しわけない気分でいっぱいであります。 今まで本当にありがとうございました。 これでコラム『創世記』、完結という運びにいたしましょう。 とメールを送ってきた。これはわたしが「某社のシメキリが近づいてきたから、もう何回か書いたらいったん中断するかもしれない。おカネになるシゴトもやんないとやばいし」とグチったから気をつかってくれたのだと思う。 常にディグニティー(威厳)とフェアネス(公平性)を重んじるわたしはちゃんと
今回は、有史以前? のデキゴトについて、わたくしめの知っているコトガラについて、ちょびっと述べてみたいと思います。もしかして勘違いとか間違って覚えてることとかあったら、教えていただければ訂正します。バカ扱いしてイジメずに、あくまであたたかい目で見守っていただけるとありがたいです。 さて。 ライトノベル、ヤングアダルト、ジュニア小説、少女小説、ジュブナイル、その他その他、「そのへん」を表すにもいろんな名前があり、ジャンル分けがあり、どこにもあてはまらないものがあり、まー、ようするに定義とかちゃんとした研究とか、いまのところ皆無なわけですが、とりあえず、「そのへん」の共通のルーツをさがすとしたら、たぶんここになるでしょう。
早見さま 御無沙汰しております。 Aliaへの掲載、おめでとうございます。サイトの写真を見ました。早見さん、かっこいいです。 かくいう私は、『真タロ8』の『《吊るされた男》、そして……』上下巻が4月末に発行され、5年ぶりに小説の書き下ろしを出すことができました。ちなみに、この本、帯に堂々と「SF」と入れてあります。ヤングアダルトでSFと銘打つのは無理だといい続けた作家さんたちへのちょっとした挑戦でもあります(笑)。 まぁ、無視されるかもしれませんが、ヤングアダルトでSFを名乗ったという事実は残りますから。 さて。 このたびメールしましたのは、「このライトノベルがすごい!」の秋元文庫についての記述を遅ればせながら読ませていただいたことによります。 じつのところ、私はティーンズハートだけでなく、秋元にも縁がありますので、想い出とともにつらつらとしたためてみた次第。すでにお話ししたことも多いかと
MOTHERについてあれだけなんだかんだ書いておいて、小説ドラゴンクエストについて何も書かないわけにもいくまい。スクウェア・エニックス(この二社の統合のウワサをはじめに聞いた時はほんまに仰天したがあっさり実現したな)とは現在まさに仕事が進行中というか継続中であり、ハードカバー→文庫→ノベルスと、三度も形態を変化させながらいまだきっちり増刷のかかっている小説DQ(みだらにドラクエと略してはいけないと、エニックス――執筆当時――の出版部門のえらいひとにさんざん言われた)は、わたしの生活の根幹を長年支えてくれている。まことにありがたい、文句を言うなどもったいない、畏れ多い(ってこの場合正しいんだろうか)存在なのだが……いやー、シゴトですから。 いろいろとたいへんなこともね、そりゃー、ありましたです。 まず、なんといっても、原作が偉大すぎるほど偉大であったということが何よりでっかい壁でありました。
帰結という言葉がある。そもそもの前提に明確な結論が既にふくまれており、その過程は結論へ向かっての道筋であり、用意された結論が常にそこへ帰ってくるのを待っている。 それが小川一水が実践する手法の最たるものであり、その代表作が『第六大陸』である。 『第六大陸』と聞いて、それが何であるかすぐにぴんとくる人もあるだろう。地球には大きく分けて五つの大陸があり、その全てが人間によって発見・開発されてきた。それでは六番目の大陸とは何か? そう――月である。これは月面の物語である。しかも「大陸」という言葉が、その開発を意味している。 この作品の秀逸さ、作者の特異な感性は、このタイトルに既に表れている。これまでライトノベルにしろ一般書籍にしろ、「大陸」と言えば冒険の舞台背景のことを意味していた。それ自体が目的となることなどなかったのである。たいていはその大陸に居住する人間社会の命運が物語の焦点となっていた。
いよいよ暦の転換点にやってまいりました。 偉大なおふたり。 氷室さんと新井さん。 まったくぜんぜん予備知識のないかたは、たとえば以下のようなサイトをご参照ください。 (ネットって便利だな) 氷室冴子さんの紹介 (迷宮の扉より) 新井素子プロフィール (新井素子研究会より) 「なんでだろう? なんで小説には、おにいさんおねえさんの世代の作家がいないんだろう?」 わたしの疑問がくっきりかたちをとるかとらないかの頃に、このふたりがデビューします。 氷室さんが「さようならアルルカン」で小説「ジュニア」の第10回青春小説新人賞に佳作入選したのと、新井さんの「あたしの中の……」が第1回奇想天外新人賞に入選したのは、実にまったく同じ、1977年のできごとでした。(月日まではよー知りませんが) ちなみにこのトシ、あたしは高校三年生です。あくまでジコチューないいかたをさせていただくと、氷室さんは年齢で2
2004/05/16(Sun) 01:29 久美さま、はじめまして。 『創世記』、とてもおもしろく読みました。続きを期待してますです。 読んでいてすごく懐かしくて嬉しくなりました。 70年生まれのわたしに氷室さんを勧めてくれたのは、高校のときの彼女なんですよ。それで一気に読んだんです。古典の参考書にはコバルトで出た『ヤマトタケル』が一番役に立ちました。 久美さまの本は、やはり同じ頃におかみきを読んだんです。めるへんめーかーさんの絵がうれしかったんです。というのも、それに先立って中学生のとき、ハヤカワFTで出たライトソンのウィラン・サーガがわたしのバイブルだったからです(今でも大好き)。 以来、ずっと文筆をこころざして、それでFT好きもこうじて、児童文学のほうに足をつっこんでおります。 んや。長くなりました。 なんか嬉しくなってカキコしてみました。ではでは くみにゃ2004/05/16(Su
イリヤの空、UFOの夏 秋山瑞人 電撃文庫/メディアワークス ISBN 4-8402-1944-3 ノスタルジーをかき立てる作品に共通するのは、時間への抵抗である。否応なく時間が過ぎ去り、やがてある状況が終わってしまうことに唐突に気づき、何とか押しとどめようとする。あるいは過ぎ去ってしまったものに対し、その再現や追憶を求める。 いずれにせよ抵抗自体は必ず失敗に終わる。誰も時間を押しとどめることも巻き戻すことも出来はしない。だがその抵抗自体は無益ではない。そうしなければ得られないものもあるからだ。それが何であるかによって、その作品のノスタルジーの行方が定まる。 『UFOの夏』は、冒頭から時間と真っ向勝負をしている。敗北必至の大勝負である。夏休みの最後の一日、全く宿題には手をつけておらず、言い訳のしようもなく、あと十三時間足らずで二学期が始まり、そうなれば主人公は「八つ裂き間違いなし」である。
イリヤの空、UFOの夏 秋山瑞人 電撃文庫/メディアワークス ISBN 4-8402-1944-3
スタッフの方から、自分の知らないジュニア小説について教えて欲しい、というメールがありました。この方がまた、作家を乗せるのが実にうまくて(こういう人が編集者に欲しいですね)、ほいほいと引き受けてしまったのですが、いざ取りかかってみると、大変な仕事です。ちょうど私はゴールデンウイークが休みなので、その間に書き上げてしまわないと、仕事に差し支えます。 そこで、細かいところはすっ飛ばして、正確な考証が必要なところはいいかげんなままで、私の見た範囲でのジュニア文庫の流れを、ざっと書いてみます。それぞれの文庫については、詳しい方がいらっしゃると思いますので、これをたたき台にして、大いに論議を尽くして、事実関係を明らかにしていただければ幸いです。 さて。 今、「ライトノベル」と呼ばれているジュニア小説の多くは、文庫の形で出ていますが、その始まりは、1973年の秋元文庫と私は考えています。今に到るジュニア
第1回 それは秋元文庫から始まった 第2回 そしてジュニア文庫が生まれる 第3回 ソノラマとコバルト 第4回 ノヴェライズの時代 第5回 ジュニア小説のビッグウェーブ 第6回 花井・倉橋・林葉 ~ティーンズハートの三本柱~ 第7回 ティーンズハートの作家たち(1) 第8回 ティーンズハートの作家たち(2) 第9回 バブル期のジュニア文庫(1) 第10回 バブル期のジュニア文庫(2) 第11回 スニーカー文庫からの流れ (番外編) 皆川ゆかさんからのメール 第12回 80年代後半のコバルト文庫について および蛇足
少女文庫を追ってきたので、時計の針を戻して、少年文庫について見てみましょう。 手元の資料では、1976年に、角川文庫ジュブナイルシリーズが始まった、となっているのですが、ソノラマ文庫の石井進さんの証言のように、その前からジュニア小説の収録があった、というお話もあります。いずれにせよ、角川書店の社長が角川春樹氏になる、1975年前後のことだと思います。 ジュブナイルシリーズは、「時をかける少女」のような日本の作品の他に、レスター・デル・レイやハインラインの海外SFも収録していましたが、いつの間にか、「ジュブナイルシリーズ」の冠が取れて、普通の文庫として、富野由悠季さんの「リーンの翼」や、藤川桂介さんの「宇宙皇子」のようなヒットシリーズが生まれました。 実を言うと、少年ものの文庫については、私はよく知らないのです。少女文庫だけでも、今までに見てきたのでお分かりになるように、膨大な量がありますの
ライトノベル・ファンパーティーの前身である、2004年開催のWeb企画『このライトノベルがすごい!』に掲載されたコンテンツをここに公開致します。
トップページ > 京都対談 京都SFフェスティバル本会第一部 長谷敏司×有川浩 対談 はじめに 対談 第零回「つまりは人物紹介」 対談 第一回「開演」 対談 第二回「読書体験から応募まで」 対談 第三回「各作品について」 対談 第四回「ライトノベルとか萌えとか」 対談 最終回「そして最後に」 無断転載を禁止します〈ラノパ準備会、京フェス実行委員会〉
《複雑なのか単純なのか、人間関係って奥が深い》 『マリア様』のテーマは、上の一文に端的にあらわれている。 人の喜びや期待、寂しさや悲しみといった感情の多くは、人間関係から生じる。自分が何者であるかという自己意識も、他者との関係の中で浮き彫りにされて初めて現実的なものとなる。他者の批判によって自己意識が削がれる場合もあれば、 《自分勝手な想像をしていじけてみたりしたけれど、みんながみんな、祐巳に対して批判的な感情ばかり抱いてはいないらしい》 というように、他者の態度によっては否定的だった自意識も、肯定的なものへと転ずる。 そうした心の変化に明確な段落と道筋をもうけること――それが成長であり教育である。 『マリア様』における人間関係は「姉妹(スール)」という制度を中心に描かれる。修道女(シスター)に代わって学生自身に指導を任せるという制度で、「姉妹宣言」「姉妹の契り」とあるように、誰と姉妹にな
備考: 対談者 長谷 敏司 有川 浩 司会 柏崎 玲央奈 会場で一番笑っていた人 大森 望 抽選でサイン本を当てた人 北野 勇作 (すみません、書き起こし人:白翁もサイン本を頂きました) 設営 京フェス実行委員会 京都大学SF研究会 ※三村美衣 書評家。最近の著作としては、大森望さんとの共著である(大森さんに巻き込まれた、のか?)ライトノベル☆めった切り、がある。 【開演】 (開演の拍手) 柏崎玲央奈(以下、──):おはようございます。遅れてすみません。こちらから有川さんと長谷さんですね。(と示し)はい、よろしくお願いします。お二人は内容がSFであるということでたぶん、こちら京フェスに呼ばれたんじゃないかと思うんですけども、その辺の話とかデビューまでのお話ですとか、ライトノベルとかセカイ系とか萌えとか、そんなところを伺っていきたいと思います。マイクはどうでしたっけ。入ってますか? 有川浩(
● はじめに このコラムでは桜庭一樹さんの作品『赤×ピンク』の内容についての解釈をしてみたいと思います。 桜庭さんの小説に、通過儀礼、つまり成熟の儀式の構造があることはすでに他の方が指摘されていますが(注:参照)、実はそれと同時に、隠れた主題が埋め込まれているのではないか、それを詳しく見てみよう、というのがこのコラムの主旨であります。 なぜ取り上げる作品が『赤×ピンク』なのかといいますと、成熟に隠れた主題が最も前面に出ているのがこの作品であると思われるからです。『赤×ピンク』を分析することで、桜庭作品全体を見るときにも有効な視点が得られるのではないかと僕は思っています。 最初は三時間くらいで書けるかな、と思ったのですが、予想よりもはるかに深い鉱脈だったためにとんでもない長さになってしまいました。かなり蛇行の激しい内容となっていますが、僕の文章構成力のなさを笑ってやってください。なんでしたら
1)はじめに 「ライトノベル・ファンパーティー」で使用している次のデータおよびデータフォーマットを公開いたします。これらの設計・入力・編集はラノパ準備会が行いました。 ご自由にご利用ください。 基本書籍データフォーマット 「私のイチオシ」書籍データ 「私のイチオシ」書籍データフォーマット 「私のイチオシ」書籍データの出力方法 注意事項 データは正確を期していますが、間違いが含まれているかも知れません。自己責任のもとでご利用下さい。このデータを使用して不利益が生じても、ラノパ準備会は責任を負いません。 著者・イラストレーター名ルビデータに間違いがあって修正をお求めの場合は、 data@lanopa.sakura.ne.jpにご連絡下さい。その際、件名は「データ修正依頼」にして頂けると助かります。 一部のデータにはラノパ準備会のアフィリエイトIDが含まれています。アフィリエイトIDを削除または
list(html) c2004_1 c2004_2 c2004_3 c2004_4 c2004 dengeki cobalt mfj_all mfj_pinup_all fmy_all dengeki_all_1 dengeki_all_2 dengeki_all_3 dengeki_all_4 dengeki_all cobalt_all_1 cobalt_all_2 cobalt_all_3 cobalt_all_4 cobalt_all_5 cobalt_all_6 cobalt_all tdu_all hmy_all hns_all ssd_all list(tsv) c2004 dengeki cobalt mfj_all mfj_pinup_all fmy_all dengeki_all(途) cobalt_all(途) tdu_all(未) hmy_all(未) hns_a
0.はじめに 絵、イラスト、グラフィックス。 そうしたものは本来自由に描かれて、自由に見られるべきものです。 ですから、今回私の書いた理屈っぽいコラムは、「こんな見方もあるのか」程度にご覧になって頂ければ幸いです。 理屈は自由になるためのものであって、縛るためのものではありません。 ここに書いた理屈で、貴方の感じる色が広がることがあっても、狭くなってしまうことがありませんように――。 1.「終わりのクロニクル3」の不思議な色彩 まずは、さとやすさんの描いた電撃文庫刊、川上稔さん著「終わりのクロニクル3 上中下巻」の 3冊の表紙イラストを見て下さい。形ではなく色を見て下さい。 これらはとても面白い色使いをしています。3冊とも少女が描かれていますが、その服の色は一体何色でしょうか? ぱっと見ると上巻は水色、中巻は紫、下巻は黄色に見えます。 でも単純にそうと言えるでしょうか? よ〜く見てみましょ
ライトノベルの特徴として、よく会話が多いことが挙げられます。例えば、『ライトノベル☆めった斬り!』の「あなたにもできる! ライトノベル度診断表」でも「会話が多く、情景描写が少ない」という項目があります。しかしながら、ライトノベルと他の一般小説との会話量の統計的比較はまだなされていません。そこで、ライトノベルと一般小説40冊づつの会話率を調べ、比較を行いました。ここではライトノベルを「文庫版のイラストつき小説を主に発行するレーベルの小説」と定義し、講談社ノベルズなどの、境界的な作品は含めませんでした。 ライトノベル40冊は、各種ライトノベル関連本を参考に、一般小説の方は有名なものや評論家うけしているものを適当にセレクトしました。ただし、本は自宅及び近隣の図書館にあるものの中から選びました。「何であの作家が入ってないんだ」とか「この作家ならこれだろう」という批判は多いと思いますが、きっとその本
当企画『ライトノベルサイト案内』は、「ライトノベルファンのためのリンク集」を目的として作成されたリンク集です。プロとして活躍なさっている作家、イラストレータの方々のサイトをはじめとして、出版社・レーベルの公式サイト、ライトノベルのニュースサイトなど、ライトノベルライフを送る上で役立つサイトを登録しています。 当リンク集の使い方はリンク集CGI使い方を御覧ください。 また何か疑問に思ったことがございましたら、まずは仕様・FAQを御覧ください。 ↑]
はじめに 第1回 「コバルト以前!」 第2回 「メディアがこうも違ってくるとねぇ……」 第3回 「生ける伝説・氷室冴子」 第4回 「輝く鬼才・新井素子」 「新井素子の感想文」 番外編 第5回 「えっ、うそ、わたしが?」 第6回 「一ツ橋VS音羽」 第7回 「読者という“強敵”」 「久美沙織通信」保管庫 第8回 「蝶はここにはすめない!」 第9回 「いまはもういないあのひとのこと」 第10回 「SFの洗礼」 「中山星香のメール」 番外編 第11回 「『おかみき』が教えてくれた“愛”に関しての深遠な問題」 第12回 「残酷なフォワードのテーゼ」 第13回 「シタヨミ職人たちに花束を」 第14回 「嗚呼憧れのハードカバー」 妹尾ゆふ子 「ライトノベル」という名称の誕生について 番外編 第15回 「“ライトノベル”ってなんなのさ?」 第16回 「突然の中断と組織とい
結論から言って、誰かがやるべきだった作品である。特に、自分が属するジャンルに不満を持ち、活気がない、売り上げが落ちている、読者のニーズが分からない、やりたいことが分からなくなってきた、などと口にする作家・編集は、こういうことをすべきだった。 パロディ作品の出現は業界成熟の証拠である。幾つもの手法が定型化し、何度となく繰り返され、しかもそれが広範囲のニーズを獲得していなければパロディは成立しない。パロディがあって初めて業界は成熟し、かつ新たな発展への足がかりをつかむことが出来る。 パロディとは読者・書き手・編集の間で成立した共通了解を再確認させる装置である。作品内でパロディされているものがそもそも何なのかを読み解かせることで、そのジャンルがどういった要素で成り立っていたかを現実的な共通了解として認識させるのである。 それは閉じていた場所に穴を空けて、外部にあるものを流し込む役割をも担う。それ
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