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沖出しの是非・水深50mまで到達できるかが明暗を分ける <5月14日◆焦点 3.11大震災・河北新報> ■津波から船を守るための「沖出し」で明暗を分けた事例。≪明≫=リアス式海岸のため、岸から水深の深い場所までの距離も短かった南三陸町歌津の石浜地区。≪暗≫=水深50メートルの所まで、浜から約32キロはある遠浅の海に面する宮城県山元町の磯浜漁港。「沖出し」の決断には浜の立地条件を把握しておくことが必要だった。 不鮮明で読み辛いが、明暗を分けた事例の記事に関しては、一見して内容が分かりやすく編集してある河北新報社の紙面をまず掲載する。↓ ◇記事のテキスト◇ 「地震が来たら沖に出ろ」。船を守るため、各地の漁師たちの間で言い継がれてきた先人の教えだ。東日本大震災では、 沖に出て津波を乗り切った船がある一方、波にのまれた船もあった。津波から逃れるため漁船を沖に避難させる「沖出し」は、 そもそも危険な
宮古・姉吉地区 石碑の教え守る <4月10日・河北新報> ■海抜約60メートルの地点に建立された石碑の教えを守り続けてきた宮古市重茂の姉吉地区は、津波による建物被害が1軒もなかった。 ■上の紙面画像が読み難い方のために、記事のテキストを以下に掲載します。 「此処より下に家を建てるな」 石碑の教え守る<宮古・姉吉地区> 「此処(ここ)より下に家を建てるな」。先人の警告を刻んだ石碑が立つ宮古市重茂の姉吉地区(11世帯、約40人)。沿岸部の家々が津波で押し流された宮古市で、ここは建物被害が1軒もなかった。海抜約60メートルの地点に建立された石碑の教えを守り続けてきた住民は、あらためて教訓の重さを胸に刻んでいる。 姉吉地区は、明治三陸大津波(1896年)で60人以上が死亡し、生存者は2人だけ。昭和三陸津波(1933年)では100人以上が犠牲になり、生き残ったのは4人。2度とも壊滅的な被害に遭った
証言の目撃地点マップは以下のとおり 東日本大震災により東松島市での死者は1047人、不明者75人(いずれも10月18日現在)という大きな被害となった。東松島市は鳴瀬川の東部が仙台平野と同じく高台といえば遥か離れた三陸自動車道の盛土しかない。一方鳴瀬川の西部は背後に小高い山が連なる野蒜地区だが、こちらもその山すそまで津波が襲いかかり、沿岸全域で壊滅的な惨状となった。 東松島市に関する津波証言記事は3月31日、朝日新聞社が最初に報じた。この記事は、津波被害者の証言というよりは「まさかの津波」にたった一人で造り上げた手作り避難所が多くの人命を救った美談として、佐藤さんと避難者の証言とともに報じられている →map <1>手作り避難所、70人救った 野蒜駅近くの佐藤山 <3月31日 朝日新聞> 手作り避難所、10年かけ岩山に 「津波なんてここまで来るわけがない」。そう言われながら、約10年がかり
海岸から約950mだった常磐山元自動車学校のマップ 大震災前後の常磐自動車学校の画像:Googleストリートビューより →震災前後の画像を比較できるGoogle ストリートビューへのリンク 宮城県山元町の自動車学校の悲劇は3月23日、河北新報社によって初めて報じられた 津波 自動車学校襲う 教習生ら24人死亡 <3月23日 河北新報> 免許取得シーズン◇教習生ら24人死亡 東日本大震災で宮城県山元町坂元の「常磐山元自動車学校」が津波に襲われ、教習生や職員ら24人が死亡、14人が行方不明となっていることが分かった。3月は運転免許取得がピークの時期で、地震が発生した11日は卒業式を済ま せた高校生らで混み合っていたという。 同校には11日午後、学科・技能教習を受ける教習生が40人ほどいたという。地震発生後、教習を打ち切り、マイクロバスや教習者など7台に分分乗して校舎外に避難。そのまま相馬市や
証言の目撃地点マップは以下のとおり 宮城県名取市のサイトで閖上地域の人口を見ると、大震災前の2月末時点で5612人だった。しかし大津波で壊滅した閖上は、かつて活気に満ちた漁港を中心にほとんど更地と化してしまった。名取市の犠牲者数は1027人(不明者は119人:6月10日現在)にも上っており、そのほとんどが閖上地区に集中している。9月末の人口は2410人となり、犠牲者だけでなく多くの住民が閖上から姿を消したことを物語っている。 多くの人が犠牲になった主因は他地域と同様に、まさかここまで津波は来ないとの思い込みによる避難の遅れであるが、ここ閖上にはもう一つの要因、車での避難者が大渋滞に巻き込まれて身動きが取れないまま多数の人命が失われたことが挙げられる。→8月3日の河北新報社証言記事が詳細に報じた。 河北新報社は4月8日、閖上での津波体験記事を「黒い津波の写真画像」とともに掲載した→map <
東日本大震災の大津波の実態を報道記事を通して検証するサイトです ◇更新情報◇◇◇2012年1月28日現在 記憶の部屋について 東日本大震災で被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。 私は宮城県内で東日本大震災を体験しました。しかし、大津波が沿岸一帯を襲っていたこと知ったのは、襲来の1時間余り後、カーラジオの放送でした。映像が無いためなぜか実感が無かったことを覚えています。甚大な被害を映像で確認できたのは、大震災から丸4日後の夜。やっと停電が復旧した喜びの中で見たテレビでした。こんなことになっていたなんて…。 余りにも大きな被害に、今でも信じられない気持ちです。この甚大な被害が地震後の大津波によることはご承知のとおりです。地震だけなら、これだけ多くの人命が失われることはなかった。 仙台市内では、大津波が海岸から4㌔余りも平野を駆け上がりましたので、逃げたつもりの人々さえ波にのみ込まれたの
石巻市釜谷地区の北上川河口から約4㌔の川沿いに位置する大川小学校は、3月11日の東日本大震災で全校児童108人の7割に当たる74人が死亡、行方不明となった。 あの日、あの時、学校と地域で何が起き、人々はどう行動したのか。その報道記事を追ってみた。 一連の報道の中、河北新報社は震災からほぼ半年となる9月8日、大川小学校の惨状を証言をもとに克明に検証しており、これだけの犠牲者を出した要因にも触れている。 下図に小学校のマップとともに、当時の津波浸水予想図(市のハザードマップ)を貼った。河北新報社は、釜谷地区はこれまでに津波が到達した記録がなく、住民は大川小学校がいざという時の避難所と認識していたこと、しかも、山と堤防に遮られていて津波の動向が把握できない環境だったこと等が避難を遅らせた要因として挙げた。これらを勘案すると、宮城県も石巻市も昭和三陸大津波レベルなら大川小学校には津波が来ないことを
宮城県南三陸町の防災対策庁舎から防災無線で町民に避難を呼び掛け続け、津波の犠牲になった町職員遠藤未希さん=当時(24)=の悲劇報道については当サイト:防災対策庁舎の悲劇のページにも掲載したが、2012年1月、遠藤未希さんの「天使の声」が埼玉県の公立高校の教材に載ることが報道されたので、遠藤未希さんに関する記事をこのページにまとめた。 志津川中学校への坂から見た防災対策調庁舎(さらに海側に公立志津川病院)【9月3日撮影】 遠藤未希さん(24)に関する記事は、河北新報社がこれまでに5度報じており、そのうちの4編を以下に紹介する。 住民救った 「高台に避難してください」 <4月12日 河北新報> 防災無線 声の主 姿なく 「大津波警報が発令されました。高台に避難してください」 防災無線の呼び掛けが、多くの命を救った。だが、声の主の行方は震災から1カ月たった今も知れない。 3月11日午後2時
南三陸町の津波による死者数は566名、行方不明者数が310名(12月28日現在)にも上った。 住民の大多数が「地震の後には津波」との意識が高かった地域でありながらこんなにも多くの犠牲者が出てしまった。防災対策庁舎では繰り返し「高台へ非難してください」と防災無線で呼びかけ続けていたが、まさかその3階建て庁舎屋上を2mも上回るとんでもない津波が襲ってくるとは、高台に避難していた人たちさえ目を疑ったことだった。 志津川中学校への坂から見た防災対策調庁舎(さらに海側に公立志津川病院)【9月3日撮影】 南三陸町の防災対策庁舎が赤い鉄骨だけになり町長の安否不明との第一報は、3月13日河北新報朝刊であったが、大震災当日の様子を報じたのは3月16日の朝刊だった 最後ま避難呼び掛け <3月16日 河北新報> 職員二十数人いまだ不明 「われわれ年寄りは生き残り、若い職員が流されてしまった
地震後、高台にあった幼稚園から海岸へ向けて送迎バスが出発した。 そのルートマップである。 下図のルート情報は朝日新聞記事に掲載されている。 石巻市日和幼稚園の送迎バスが津波にのまれた悲劇は、3月27日、河北新報社がまず報じた 幼稚園バスに津波 地震後発車、のまれる <3月27日 河北新報> 焼け焦げ横倒しになったワゴン車に菓子や花が添えられていた。がれきと化した石巻市門脇町。地震後、園児を自宅に帰そうとした幼稚園の送迎バスが津波にのみ込まれ、五人の幼い命が奪われた。「高台にある幼稚園に残っていれば助かったのになぜ…」。遺族はやるせなさを募らせている。 亡くなったのは、同市日和が丘4丁目の私立「日和幼稚園」に通う4~6歳の男児1人、女児4人。 斎藤紘一園長(66)らによると、11日の地震直後、亡くなった5人を含む12人を乗せワゴン車が園を出た。門脇町や南浜町方面に住む7人を門脇小で降ろし
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