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本日、10月28日は立花ハジメさんの誕生日です。 立花ハジメさんとは、「MR.TECHIE&MISS KIPPLE」(’84年)、「TAIYO・SUN」(’85年)「BEAUTY&HAPPY」(’87年)と、3枚のレコードを一諸に作りました。 今、改めて聴きなおしてみると、長い間「TAIYO・SUN」がハジメさんの代表作だと僕は思っていたのですが、「MR.TECHIE&MISS KIPPLE」の方が、音楽としてずっと良く出来ていると気づきました。上野耕路や矢口博康、近藤達郎ら、当時の仲間たちが参加した曲にいろいろ趣向が凝らしてあって、それに比べると「TAIYO・SUN」は、ハジメさんと飯尾芳史(レコーディング・エンジニア)との3人で作った曲がほとんどなので、少し単調なんですよね。だから通称「テッキー君とキップルちゃん」の方が、今聴くと面白い。こういうことって時間が経たないと、わからないもの
1982年4月5日、坂本龍一&忌野清志郎「い・け・な・いルージュマジック」がチャート1位を獲得~これが真相! FOCUS記事掲載顛末記 1982年4月5日、坂本龍一&忌野清志郎「い・け・な・いルージュマジック」がオリコンのシングルチャート1位を獲得した。 1982年といえば、私が大学を卒業した年である。在学中にアルバイトをしていたCBSソニー(当時)のTさんから「就職するのならば新しくできる会社がいい」と薦められ、できたばかりのロンドンレコードを受け、何度かの面接の後、なんとか合格。4月から入社する予定だった。 社会人になるそれまで、いわゆる卒業旅行として、以前お世話になった、LAで「ハリウッド・ミュージック・ストア」を営んでいるMさんのところへ3か月ほど行く予定を立てていた。そんな矢先、「邦楽第1弾を2月に出すことになったので、1月からアルバイトとして来てほしい」とロンドンレコードから連
本日、3月14日は鈴木さえ子の誕生日。1957年3月14日、東京国立生まれ。61歳になる。鈴木さえ子といえばCINEMA(シネマ)やFILMS(フィルムス)での活動、ソロ・アーティスト、CMやアニメ、映画の音楽制作者としての活躍で有名だろう。桐朋学園大学短期大学部在学中に活動を開始。ガールズ・ロック・バンド、メドゥーサ、女性フュージョン・バンド、ベアトリーチェなどで活躍。東京のロック・シーンでは知る人ぞ知るドラマーで、ベアトリーチェはYAMAHA主催のロック・コンテスト『EastWest』(サザン・オールスターズやシャネルズ、アナーキー、カシオペアなどを輩出したことでも有名)の1979年度のレディース部門の初代グランプリも獲得している。 その後、松尾清憲率いるCINEMA(シネマ)に加入、1980年、シングル「グッバイ ハートブレイク」でメジャー・デビュー。翌81年、ファースト・アルバム『
音楽プロデューサーのフィル・スペクターが本日77歳の誕生日を収監中のカリフォルニア州立刑務所で迎えた。 女優のラナ・クラークソンを射殺し第2級殺人罪で2009年に収監されてから8年が経ったわけだ。 他、フィル・スペクターの基本情報に関しては当サイトのこちらの記事をご参照いただきたい。「大人のMusic Calendar」2016年12月26日コラム:「12月26日は“ウォール・オブ・サウンド”の生みの親、フィル・スペクターの誕生日」 さて、そんなフィル・スペクターだがザ・ビートルズのアルバム『レット・イット・ビー』をプロデュースしたことはあまりにも有名だ。 バンド初期の一発録りに立ち返り、「原点に戻ろう」というコンセプトで製作が開始された本盤は、メンバー同士の不仲によってそれが頓挫した。 お遊び的なリハや、即興演奏、没テイクなど、大量のセッション音源が残されたが、それらを鑑賞に耐えうるアル
今年の8月15日の終戦記念日にNHKでオンエアされたドキュメンタリー番組『戦慄の記録 インパール』をぼくは見逃していたのだが、昨日11月7日の深夜というか、8日の午前1時45分から再放送があったので、それでようやく観ることができた。 太平洋戦争で「陸軍史上最悪の作戦」と言われているインパール作戦の全貌が、貴重な資料、生き残った兵士たち、遺族や関係者の証言、初めての現地取材などで明らかになるのだが、ほんとうにすごい番組だった。勝ち目がまったくなくても絶対に後には引かないし、どれだけ犠牲が出ようとも兵士の命など何とも考えていない。そして大失敗に終わっても責任を取ろうとせず、そこから目を逸らし、ほかに転嫁しようとする。旧日本軍の体質、指導者たちの恐ろしい姿がはっきりと描き出されていた。 そしてこの番組を観ながら、終始ぼくの頭に浮かび上がってきたのが、加川良さんの歌「教訓1」だった。 「御国は俺た
日本のテレビアニメ黎明期から現在に至るまで、絶えることなく続いている一大ジャンルである「ロボットアニメ」。『鉄腕アトム』(1963)が自律型、『鉄人28号』(1963)がリモコン型のロボットであったのに対し、その後のメインストリームとなる「人が乗り込んで操縦する巨大ロボット」という大発明を達成し、それらのスーパーロボットの元祖として今なお君臨する存在…… といえば、テレビアニメ『マジンガーZ』(1972)の主人公ロボット:マジンガーZと言って異論はないだろう。『週刊少年ジャンプ』(集英社)1972年10月2日号で永井豪による漫画連載がスタート。フジテレビ系のテレビアニメは、約2ケ月間を置いて12月3日に放送が始まっている。物語設定上、マジンガーZは、その間にあたる1972年の10月10日に完成したとされている。要するに、本日は「マジンガーZ完成45周年」の日なのである。 「リモコンの所有者
10月9日、67歳の誕生日に仲井戸麗市は「雨あがりの夜空に 2017」と題して日比谷野外音楽堂のステージに立つ。タイトルになっているRCサクセションの代表曲「雨あがりの夜空に」は、いつのまにか「日本の有名なロックンロール」(「上を向いて歩こう」を演奏する際の忌野清志郎のキメ台詞)というべき曲として親しまれ、特にロック・バンドが多数出演するイベントの最後のセッションで演奏されることが多いのはご存知の通り。そして誰よりもこの曲を愛しているのは、チャボこと仲井戸麗市だ。今回のライヴのタイトルにしたことからは、この曲を共に作った盟友・忌野清志郎(以下キヨシロー)への思い、楽曲への愛、二人の歩んだ道程や現在の自分自身のこと、そして彼らに関わってきたたくさんの人たちやファンへの感謝など、様々なことが伝わってくる。 1980年1月21日にシングルとしてリリースされたこの曲は、バンド編成となって再起したR
新春1月5日は、アニメーション映画監督:宮崎駿の誕生日である。東映動画(現:東映アニメーション)にアニメーターとして入社して以来、数々のアニメ制作会社を渡り歩くが、1984年の映画『風の谷のナウシカ』をきっかけとして「スタジオジブリ」を設立。以来、ここを拠点に作品を創り続け、アニメファンのみならず、ファミリー層にも「宮崎アニメ」「ジブリアニメ」として広く認知される名作・人気作を生み出してきた、誰もが知る日本アニメ界の巨匠である。緻密な画面構成と明快なストーリー展開、古き良き「まんが映画」の躍動感を現代に伝える「動き」を大切にしたアニメーションづくりを信条とする宮崎アニメだが、音楽もまた欠かすことのできない要素のひとつだ。今回は、『風の谷のナウシカ』から『風立ちぬ』(2013)に至る宮崎駿長編アニメーション映画10作品すべての音楽を担当した、作曲家:久石譲に関するお話し。 4歳でヴァイオリン
Ryuichi Sakamoto I Year Book 1971-1979のリリース日に添えて 1976年夏、渋谷宮益坂上にあったRVCレコードのスタジオで、山下達郎ファースト・ソロ・アルバムのデモ録りが行われました。スタジオ内には山下達郎、教授(まだアブと呼ばれていたころです)の二人。その日作られたヴォーカルとピアノのデモは、ニューヨーク・サイドのプロデューサー、アレンジャーのチャーリー・カレロのもとに届けられました。レコーディングは8月18日ニューヨーク・メディアサウンドで始り、リズム隊の録音が終了したのが24日。別れ際にチャーリー・カレロが真顔で言ったことは驚きでした。何故あのデモで演奏しているピアニストを連れてこなかったのかと。 僕が教授の存在を知ったのは長門(芳郎)君からでした。長門君は荻窪ロフトのライブ・アーティストの仕込みを担当しており、友部正人のバックでピアノを弾く教授を
本日6月13日はFMの日。Fがアルファベットの6番目、Mが13番目であることからFMの日とのことである。1980年、FM東京「パイオニア サウンド・アプローチ」で山下達郎、竹内まりや、桑田佳祐、世良公則、ダディ竹千代という豪華メンバーによる竹野屋セントラルヒーティングが結成された。今回のコラムは当時者の一人であるダディ竹千代による貴重なものとなります。 竹野屋セントラルヒーティング、竹野屋は竹内まりやの実家の屋号だ。敬称略ということで進めるね〜。 1978年かな僕は竹内まりやとDJをやっていた。多分デビューは同じ年だったと思う。最初はラジオ大阪でやっていたのだが番組改編で終わりとなったが、あまりにも評判よかったので文化放送で続けることになった。 その頃、FMの番組で何か面白い企画はないの〜?ということで考えた末がこの企画だった。 メンバーDr山下達郎 G桑田佳裕 Gダデイ竹千代 B世良公則
1983年5月24日は、YMOのアルバム『浮気なぼくら』の発売日。82年の約1年の休眠期間をはさんで、細野晴臣、坂本龍一、高橋幸宏の3人が再び結集した復帰第1作である。81年の『BGM』『テクノデリック』の実験的2作を経て、その反動で生まれたまさかのポップ作品。デビュー時から海外進出のため英詞を歌っていたYMOが日本語で歌うアルバムを出すとは、よもや思わなかったというのが当時のファンの心境だろう。「君に、胸キュン。」を先行シングルとしてリリース。松本隆が提供した詞は「イタリアの映画でも見てるよう」と歌われる通り、カトリーヌ・スパークあたりのラブコメ映画のイメージ。マストロヤンニ伝統の艶笑コメディのノリで、10代娘に中年男性が振り回される様を戯画化したビデオクリップも作られた。 1年の休眠期間中、3人はとにかく歌謡曲に手を貸した。細野は前年のイモ欽トリオ「ハイスクールララバイ」の続編や松田聖
物理学者的探究心でクラシック音楽の「編曲」に取り組み、グラミー賞受賞ほか世界が賞賛した日本人音楽家、冨田勲…4月22日は冨田勲の誕生日 1932年4月22日は、世界的に知られるシンセサイザー音楽のパイオニア、冨田勲が生まれた日。東京で医師の長男として生まれた冨田は、戦後から作曲家として創作活動を始め、ポピュラー音楽から交響曲まで幅広い分野で知られる、現役最古参の作曲家の一人である。NHKの放送音楽からキャリアを開始し、劇伴を手掛けた大河ドラマは最多の5作に及ぶ。『ジャングル大帝』、『リボンの騎士』など手塚治虫アニメのシンフォニックな主題歌は、我々ロック世代の音楽観の基礎を作った。そしてなにより、『月の光』(74年)で日本人初のグラミー賞ノミネートを果たした「世界のトミタ」として、シンセサイザー音楽というジャンルを開拓した巨人でもある。幼少期の夢は飛行機のメカニックになること。科学知識に長け
1966年8月29日、ザ・ビートルズがサンフランシスコのキャンドルスティック・パークで最後のコンサートを行う 執筆者:藤本国彦
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