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先生:後藤雅洋(音楽評論家) 「クラシックからヒップホップまで、あらゆる音楽を取り込んで進化するのがジャズの特徴です。特に近年のジャズミュージシャンは、楽器を混ぜて個性的なサウンドを作るのが非常にうまい!例えばチューバやハープといったちょっと意外な楽器を使うことで、サウンドの可能性を広げているんです」と語るのは音楽評論家でジャズ喫茶〈いーぐる〉店主の後藤雅洋さん。 「まずは重厚で迫力ある低音を奏でるチューバ。多様なスタイルのジャズが生まれているUKジャズ界で、シーンを牽引するテナーサックス奏者シャバカ・ハッチングスが、この楽器に着目したのですね。彼は、ヒップホップ出身のチューバ奏者テオン・クロスを自身のアルバム制作に誘いました。 実はチューバって、ジャズの原点であるニューオーリンズジャズでも使われていた楽器で。シャバカやテオンはその当時の雰囲気も取り込みながら、自分たちのカルチャーと融合さ
案内人・澤部 渡 サブスクがない時代。テレビで、ライブで、レコード屋で目撃した新しい音楽シーンが生まれ始める瞬間 まず私でいいのか、と(笑)。ゼロ年代は実はリアルタイムの日本のロックをあまり聴いていなかった時期なんです。2000年で12歳ですから、少しずつヒットチャートとも折り合いがつかなくなっていく。そこに上がらないような若者のためのロックともまた、折り合いがつかなくなっていく。そういう10年でした。 ゼロ年代前夜の1999年はナンバーガールがシングル「透明少女」を、椎名林檎さんがファーストアルバム『無罪モラトリアム』をそれぞれリリース。その存在を知ったきっかけは、僕の場合テレビでした。 「透明少女」のMVの聴いたことのない音の連続に衝撃を受けましたね。椎名林檎さんはたまたま見たフジテレビの『Flyer TV』という深夜番組で。当時は小学生だったこともあり、周りで聴いている人はほとんどい
「2000年代のキーワードは停滞だった」 浅野いにお 僕は1980年生まれで、幼少期は80年代の真ん中くらいでしたが、田舎出身なのでバブルの恩恵は全く受けていないんですよ。むしろニュースとかをある程度見るようになったのは、中学生だった1995年頃だから、いろいろ物事が見えるようになったときにはもう不景気で、世の中がカルト的な物に染まっていて、世紀末はどうなるんだという緊張感があったんですよね。 それが2000年を超えて21世紀に変わった瞬間、何か起きそうだったけど何も起きなかったというのが確定したときに、当時の若者は本当に急に放り出されたような状態で、迷子みたいになっちゃったんです。何を軸にして生きていいか分からなくなってしまった。2000年代の僕が編集者の方とかとよく話していた当時のキーワードは「停滞」だったんですよ。 浅野いにお 浅野 でも、それこそトー横キッズの様子とかを見ていると、
「アイデアって必ず枯渇するんです」 浅野 僕はもともとホラーが好きなんですが、ここ数年はメディアでも自然と目につくようになってきた。その中で今活躍されているのが僕よりも1世代、2世代若い人たちなので、話を聞いてみたいなと思っていたところ、先日大森さんにお会いする機会があったんです。 大森 僕が人生でみたコンテンツの中で最も衝撃だったもののひとつに、浅野さんの『おやすみプンプン』で、ある登場人物が自殺するシーンがあります。そして、そのとき得た感覚と衝撃には大きな影響を受けています。 それが本当の意味での不可逆な絶望というものとの出合いでしたし、フィクションを通じてそうした感覚が味わえるところも、素晴らしいと思ったんです。 浅野 僕が普段作っているのは漫画で、漫画は結局絵なので、フィクションの中でもさらに非現実的なものに見えてしまう。だから、リアリティを持たせることに注力しなければいけないんで
“コーヒーを通して世界で見聞を広げよう”創業時の思いは何も変わらない 初めから世界は彼の照準にあった。〈アラビカ〉代表・東海林克範(しょうじかつのり)さんのコーヒー業界参入は、2011年の東日本大震災がきっかけだった。 東京・下町にある印刷資材商社の3代目として世界を駆け巡り、週末は福島のビーチハウスで、子育てをしながらサーフィンを楽しむ日々。ところが、そこに津波が押し寄せてきた。すべてが流され、その年の秋に香港に引っ越す。本社のアジア展開を見据えてのことでもあった。 香港で驚いたのが、おいしいコーヒーがなかったこと。学生時代にスターバックスが瞬く間に全米を席捲するのを目の当たりにし、また、本誌2012年のコーヒー特集を見て「スペシャルティコーヒーの可能性に魅了された」。 印刷業界はネットの発展とともに縮小していくだろう。ならば、何か新規事業を持たなければという矢先でもあった。コーヒーは原
監修:阪本義治(Act coffee planning 代表) それは2004年のこと。ある農園が、コーヒーの世界を変えた。パナマのエスメラルダ農園で採れた豆が同国の品評会に出品され、1位に輝く。レモンやジャスミンを思わせる華やかなフレーバーは、明らかに別物だった。以降、ゲイシャはパナマのほとんどの農園に広まり、バリスタの世界大会も席捲し、競技者の多くが使う事態に。 オークションの落札価格は年々記録を更新。23年の「ベスト・オブ・パナマ」1位、カルメン農園の豆は1kgあたり1万ドル(=約150万円)を超えて世界記録となった。ブームを受けて中南米全域、果てはアフリカにも植樹され、高い値段で取引されている。 ここには2つの意味がある。一つは、ゲイシャという一品種がパナマという一産地に適応したこと。もう一つは、そもそも「品種で味が変わる」という事実にプロ・アマを問わず多くの人が気づいたことだ。
家の中にはちょっとした困り事が山ほどあるが、その中でもっとも困るのは家が狭い事である。というのは床面積の値が小さい事を指すのではない。床面積が一五平米しかない家が狭いのは当たり前だが、たとえ床面積が三〇〇平米あったとしても家というのは狭いものなのである。 と言うと一般的な住居に暮らす人は、「いや、それだけ広かったら広いでしょう」と思うかも知れない。しかしそうでない。なんでかと言うと人間は今の事のみならず、先の事をも考えて行動する癖があるからで、例えば今、十万円を持っていたとする。これが犬や猫ならばその十万円すべてを遣ってA5ランクの黒毛和牛や大間産天然本マグロかなにかを購入して今を愉しむであろう。しかし人間には先の事を考える癖があるので、今、この十万円をすべて遣うのではなく半分の五万円は明日の為にとっておこう。そして残った五万円のうち、一万円は老後のことを考えて貯金しておこう、なんて事を考
語ってもらった人:児玉雨子(作詞家) プリミティブな描写に痺(しび)れる、言葉の表現と食への関心 F先生のSF短編を読んだのはここ最近のことです。2023年、仕事で川崎市 藤子・F・不二雄ミュージアムに行く前に気になって。昔から手塚治虫が好きなので、着眼点の違いに興味を持ち好きになりました。 中でも印象的だったのが、食への関心。食べるという行為の原罪について、敏感に描かれているなと感じました。F先生は食べることをすごく恐ろしいことだと捉えているんじゃないかと私は勝手に解釈していて。「ミノタウロスの皿」はストレートに食べる、食べられるが逆転する世界で、普段当たり前に行っている動物を食べる行為について考えさせられる。「カンビュセスの籤(くじ)」も、生存のために共食いが展開されて、ラストの余韻もなんともいえない。 どちらの作品も、食を通じて我々はどうして生き続けなきゃいけないんだろうという自問自
戦後、東西に分断されていたドイツが統一された1990年まで、西ドイツの首都であったボンはベートーヴェン生誕の地として有名だが、少しでも鉱物に携わる者にとっては、ボンといえばボン大学の地球科学科、そして「クランツ総本山の地」なのではないだろうか。 鉱物結晶の木製模型を世界で初めて製作したことで知られるクランツ商会は、1833年、父親の営んでいた薬局を引き継いだ後に鉱物と地質学にその情熱を傾けることになった若きアダム・アウグスト・クランツ(A・A・クランツ)によってフライブルクで誕生。その4年後にベルリンへ移り、1850年からはボンに拠点を構える。 1872年のA・A・クランツの死後、義理の息子のテオドール・ホフマンが会社を継ぎ、1888年にはA・A・クランツの甥で鉱物学者のフリードリッヒ・クランツ(F・クランツ)が経営を引き継いだ。そしてクランツ商会を世界に知らしめることになった木製の結晶模
少年時代、オリンピックの開会式で指揮をする姿を目にして以降、坂本龍一から多大な影響を受けたというサンダーキャット。20代になった彼は、不思議な偶然によって坂本との出会いに導かれる。はじめての対面から心を通わせた数分間のダンス、音楽的な影響から形見のお茶缶まで、サンダーキャットが坂本龍一を語り尽くす。 2人の親友が、龍一さんのところへ導いてくれた ──坂本龍一さんの音楽との出会いはいつですか? サンダーキャット すごく若かったと思う。14歳とか15歳くらいじゃないかな。絶対に忘れないよ。キーボーディストのキャメロン・グレイヴス、長年俺と共同制作しているプロデューサーのタイラー・グレイヴス兄弟の家に行ったとき。彼らの家には録音機材やテープがあったから、いつも練習したり録音したりしていたんだよ。 彼らの父親のカール・グレイヴスさんはOingo Boingoっていうバンドのキーボーディスト/ボーカ
坂本龍一が遺したものを共有化する試み 「sakamotocommon」を設立。あわせてクラウドファンディングをスタート
電子音楽、ノイズ、アンビエント音楽といった実験音楽のカリスマとして一挙一動に注目が集まるワンオートリックス・ポイント・ネヴァー(以下OPN)ことダニエル・ロパティン。自身の作品のみならず、ザ・ウィークエンドの音楽プロデュースや『グッド・タイム』『アンカット・ダイヤモンド』といった映画の劇伴制作など近年活躍の場を広げている彼だが、そのマルチな音楽的探求の門前には“坂本龍一”という先達の存在があった。 ——坂本さんの音楽との最初の出会いは? Oneohtrix Point Never 大学生の頃だったかな、クリスチャン・フェネスを聴き込んだ時期があってね。2000年代の初め頃かな。彼は坂本とよく協働していたから、それを通じてだったと思う。あの頃の僕はメロディックなアンビエント音楽に傾倒していたから、当然彼に辿り着くわけだよ。それから彼の過去のソロ作品にのめり込んでいったんだ。YMO(イエロー・
日常生活では気づけない、現実の延長線に夢を見た “怖いSF”を、昔から好んで観ていたと思います。よく覚えているのが『ブレイブ・リトル・トースター』というアニメ。家電のトースターが主人公で、長年放置されていた掃除機やランプたちと一緒に、ご主人の元へと会いに行く旅が描かれます。モノに対する人間の残酷さを強く意識したし、普通に生活していると気づかない世界を見せてくれる物語に恐怖とワクワクを同時に抱いていました。 カート・ヴォネガット・ジュニアの作品やディストピア小説『すばらしい新世界』のような古典SFも好き。映画だと『トゥルーマン・ショー』も、現実と地続きの怖い社会を映していますよね。 自分の思想に大きな影響を及ぼしているのは、ドラマシリーズの『新スター・トレック』。24世紀を舞台に、宇宙船エンタープライズ号のクルーたちが新しい生命と文明を求めて航海する物語。科学と芸術が共存した、私の理想の未来
「福生・昭島のコンテストで、僕の起業案がグランプリを獲ったんです」 BRUTUS(以下B) ミュージシャンとしてだけでなく、DJとしても多忙ですよね。 サモハンキンポー DJではだいたい1万円から5万円くらいのギャラをもらってます。バンドでは全然食えないけど、コロナ前まではDJだけで結構やっていけるかもと思えるくらいたくさんやってました。 B なのに、コロナ禍で事情が変わった。 サモハン そうですね。あと、自分はバンドとDJ以外に、レコードをプレスしている東洋化成の営業もフリーランスでやってるんです。でも、今はレコードが人気だけど、それもいつまで続くかわからない。やっぱり音楽って水商売ですし。本業の音楽以外にも仕事の柱を作っておきたくなった。バンドメンバーの中でも自分は根本的なところで考え方が商売人の息子だったんです。 B それが、この店になった。本屋をやりたいと結構前から言ってましたよね
人はみな、年をとって ここ数年の小西康陽は、歌っている。時にはバンドを従えて、時にはギターの弾き語りで。2020年にはライブ盤『前夜』も発表した。なぜ小西康陽は今、歌うのか。 小西康陽 1972年に親がニール・ヤングの『ハーヴェスト』というレコードを買ってきて、その年に僕もギターが弾けるようになって。自作自演のシンガーソングライターに憧れて音楽に入っていったから、本当はきっと僕も歌いたかったんですよね。でも、大学時代にサークルで初めてライブをやって、やったぜと思って家に帰ってテープを聴いたら、ひどくて。これは俺は歌っちゃいけないんだと思った。それからずっと歌ってこなかった。でも、人はみな年をとって、なんかね。いよいよ自分でも弾き語りをやってみようとなって、自分で歌える曲がたくさんあると気づいたときは嬉しかったですね」 ピチカート・ファイヴの解散後にファンに出会うと、「詞が良かった」と言われ
2024年1月に『少年ジャンプ+』(集英社)で連載が開始して以来、各所で話題を読んでいる漫画『ふつうの軽音部』(原作:クワハリ、漫画:出内テツオ)。先日、「次にくるマンガ大賞2024」Webマンガ部門1位を受賞した、今年の最注目作だ。 物語の舞台は高校の軽音楽部。新1年生でバンド初心者の主人公・鳩野ちひろを中心に、高校生たちの部活や友情などの人間模様を描いている。軽音部を舞台にした漫画は数多いが、この漫画の特徴は、登場人物たちがプロデビューやコンテストでの優勝を目指すわけではなく、何か劇的な事件が起きるわけではなく、しかし、ほのぼのとしたあるあるネタを描くだけでもないところ。高校生活の細かい出来事に潜む人間ドラマにフォーカスした群像劇が、多くのファンを夢中にさせているのだ。 今回は単行本4巻の発売を記念して、そんなファンの一人であるミュージシャンのキタニタツヤが、『ふつうの軽音部』の原作を
このところ巷で、SDGs、という言葉をよく耳にする。SクラスとDクラスの爺ぃ達、という意味ではなく、Sustainable Development Goalsという英語を略したもので、持続可能な開発目標という意味らしい。 なんのこっちゃわからんので検索すると、「このまま人間がいい感じの暮らしを求め続けたら全体的な不具合が生じてあかん感じになってまうので適宜考えながらやっていくから文句言うな」みたいなことが書いてあった。 これを俺の生活に当てはめるとなにがあるのだろうか。俺は別になにも開発してないから関係がなさそうなものだが、しかし便利な現代文明を享受していることについては間違いがない。 例えば東京から約百キロ離れた伊豆の片田舎に住んでいる俺は日々の買い物や仕事に出掛ける際、必ず自動車に乗って出掛ける。これによって、ほんの数十分で歩いて行ったら丸一日かかるようなところへも行くことができる。う
仕事というのは辛いものである。なぜ辛いかというと、そこに責任と義務が生じるからである。それと引き換えに銭を貰う。それが仕事である。 そしてまた仕事には別の辛さもある。それは、己の無能を直視しなければならない辛さ、である。自分は多少はマシな人間だと思いたい。いや、本音を言えば優れた人間だと思いたい。というかそれくらいの自惚れがないと競争社会で生き抜くことはできない。 だが仕事をすると、否が応でも己の無能がそこに立ち上がってくる。殊に俺なんかの場合はそれが顕著だ。俺は物書きで、ひとりで仕事をしているから、それを上司や同僚のせいにすることができない。会社の組織構造や社会情勢のせいにできない。 本日が締切だというのに何のアイデアも浮かばないのは。アホみたいなダサい文章しか書けないのは。一から十まで自分のせいだ、というあからさまな証拠が目の前のディスプレイに無慈悲に表れる。それはとても辛いことだ。そ
怖いコンテンツは「ホラー」と名のつくものばかりではない。お笑いにも、不気味な瞬間は唐突に訪れる。ベテランの名作から若手の話題作まで、YouTubeで観られる8つのコントの怖さを解説。 本記事も掲載されている、BRUTUS「もっと怖いもの見たさ。」は、好評発売中です。 不穏なコントが怖い 病院やお葬式のような、普段は笑うことが許されないシチュエーションで意外な展開が起こると、緊張が緩和されて、笑ってはいけないけど思わず笑ってしまう。 緊張と緩和によって感情を揺さぶるという点で、実はホラーとお笑いのコントは似ています。そして、笑いへのフリとなる緊張が過剰になると、コントはホラーに接近するのです。 歴史を辿ると、千原兄弟さんの『ダンボ君』、バナナマンさんの『ルスデン』、ラーメンズさんの『採集』は、三大怖いコントとして語り継がれる名作。『ダンボ君』は、男が頭に段ボールを被せられ、いたぶられているビ
Milk inside a bag of milk inside a bag of milk and Milk outside a bag of milk outside a bag of milk(2020) developer:Nikita Kryukov 対応機種:Switch/PC 牛乳を買うだけの道のりが、こんなにも苦しい プレイヤーは何らかの精神疾患を抱えた少女の“心の声”となり、対話しながら彼女の日常風景を垣間見る。暗い色調に、8bit風のおどろおどろしいグラフィック、ホラーテイストが漂う世界観の中で、少女が抱える“生きる苦しみ”がダイアローグによって浮かび上がっていく。 「テキストを読むうちに、他人からは筋が通っていないように見える行動の中にどんな論理があるかが見えていきます。ビデオゲームは世界の見え方を提案できると実感する作品です」(山田集佳) 返校 -Detention
漫画家いましろたかしさんの名作『化け猫あんずちゃん』が、実写で撮影した映像からトレースし、アニメーション化するロトスコープの手法を用いて、日仏合作映画として蘇る。本作でタッグを組んだアニメーション、イラストレーション、漫画家で活躍する久野遥子監督と日本映画の名手である山下敦弘監督の2人、そして原作者のいましろさんが、完成までの長い道のりを振り返る。
音楽も笑いも、グルーヴが必要だ。ランジャタイとgroup_inou、アバンギャルドに突き進む2組の初対談 お笑い芸人のランジャタイとミュージシャンのgroup_inouの初対談が実現。7月1日発売のBRUTUS「夏は、SF。」に掲載された、記事に収まりきらなかった4人のトークと写真を大幅に追加した完全版!
『BLUE GIANT』石塚真一と挾間美帆が考えた、楽器から入るジャズ講義 〜INTRODUCTION〜 「楽器の魅力を知れば、ジャズがもっと身近になるはず」。そう考えた『BLUE GIANT』シリーズ作者・石塚真一が、第一線で活躍する音楽家にインタビュー。楽器の個性やバンド内での役割、聴くべき名盤までを教わりました。
会食の予定一時間前に先方から、仕事がどうしても終わらず、会食をキャンセルさせてくれという旨の電話がかかってきた。 「承知しました」とだけ僕は告げ、「ふ〜」と息を吐いてみる。そして、その場で「よし!」とガッツポーズを決めた。ここだけの話、どんな予定でも、なくなると嬉しい気持ちが湧いてきてしまう。それが直前だったりすると、たまらないほどに嬉しい。ドタキャンで悲しんだことは一度もない。行ったら行ったで、まーまー楽しくできるほうだが、そこに至るまでがとにかく難儀だ。 仕事の予定も、友達との飲みの約束も、まんべんなくうっすら行きたくない。行きたくないという気持ちだけは徹底している。好き嫌いで選んでない。全部うっすら平等に面倒だ。一番心穏やかになれる瞬間は、「明日はなにもない」ということが確定している夜に、ベッドに入って眠りにつくときだ。 予定をパンパンに詰めないと落ち着かない、というライターの知人が
ソウルの気鋭ショップが、サン・ラーを選ぶとは。今や音楽好きが韓国に向かう“理由”にもなりつつあるレコードショップ〈Sounds Good Store〉。そのグッズは、マニアも唸るチョイス。例えばこの《Journey Stars Beyond Cap》。独特の音楽性で孤高の存在として知られるサン・ラー。彼の曲「Journey Stars Beyond」からインスパイアされたデザイン。色違いのネイビーもあり。39,000ウォン。soundsgood-store.comジャズのお家芸なグラフィックが胸に躍る。1950〜60年代のブルーノートのデザインを彷彿とさせるグラフィカルな“JazZ”が印象的なスエット《JazZ Crewneck》。アッシュグレーのボディにポップな色味が映える。マーチャンダイズといえばボディは既製のものも多いが、こちらはオリジナル。厚手ながらも裏地がパイル地なのも嬉しい。同
日本の戦後ジャズ史を体現し、70年を超えるキャリアを第一線で活躍し続けてきた渡辺貞夫。今年91歳を迎えたその演奏を聴くと、まだまだ“ジャズ”を追い求めているように感じる。彼にとってのジャズとは何なのだろう。 渡辺貞夫さん、“ジャズ”は人生ですか? 「世界のナベサダ」こと渡辺貞夫は、日本のジャズのパイオニアであることは誰もが認めるところだろう。実際、渡辺は戦後間もなくジャズと出会い、その後のミュージシャンとしてのキャリアは、そのまま日本のジャズの歴史と重なる。 1933年に宇都宮市に生まれた渡辺は、12歳の時に終戦を迎える。 「日本が負けて1週間も経たないうちに進駐軍放送が始まりました。ジャズ、ハワイアン、ヒルビリー。アメリカの明るい音楽が一気に流れてきたんです。それに、音楽映画もいろいろ入ってきました。僕の1級上の山内さんという人のお父さんが、電気館という映画館の支配人で、そこで観た『ブル
『今日拾った言葉たち』で街場やメディアの声をすくい上げ批評する武田砂鉄さんと、“タワマン文学”とも呼ばれる『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』で現実とも虚構ともつかないショートストーリーを紡ぐ麻布競馬場さん。社会問題からスターの半生まで、幅広い作品を有するノンフィクションのなかで、それぞれの琴線に触れた作品を聞いた。 本記事も掲載されている、BRUTUS特別編集 合本「本が人をつくる。」は、2024年6月13日発売です!
昔から読書は大好きだけど、実は自宅に本棚がないというヒコロヒーさん。家にあるのは、段ボール箱のようなボックス1箱に収められたずっと手元に置きたいと思える厳選の数十冊。今回は思い入れの深い8冊を傍らに、彼女ならではの本との付き合い方を聞いた。 繰り返し会いたくなる、本は一番身近な娯楽 というのも、20代の頃の貧乏生活が長すぎて、本というものを持てるような生活ではなかったんです。本当にお金がなかったので(笑)。でも読書は好きだったので、本は買うものではなく図書館で借りて返すもの。だから本棚を置く必要性もなくて。その延長線上で生活が続いているので、今でも本は買っても読み終わったら売ることが多い。もしくは後輩や友人が家に遊びに来た時にあげる。 「好きなの持っていっていいよー」と言うと、気づくとなくなっていたり。自分が読んで面白かった本は、もっと読みたい人の元に届いてほしいと思うんです。だったら小学
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