太祖(たいそ)・曹操(そうそう)のいとこにあたり、彼の覇業(はぎょう)を両腕として支えてきた、夏侯惇(かこうとん)・淵(えん)を筆頭とする夏侯氏(かこうし)は、魏国(ぎこく)きっての名門です。 そして、夏侯淵(かこうえん)の次男である夏侯覇(かこうは)は秀才ぞろいの夏侯一族にあって、特に弓馬の才に恵まれていた期待の貴公子(きこうし)でした。今回は家督(かとく)こそ兄である夏侯衡(かこうとう)が継ぎましたが偏将軍(へんしょうぐん)・右将軍(うしょうぐん)を経て、征蜀護軍というVS蜀(しょく)の総司令官の地位まで登り詰めた夏侯覇が、なぜ故郷魏(ぎ)を捨て敵である蜀へ亡命したのか、そのナゾを解明したいと思います。 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャン