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hanahiroinoniwa.hatenablog.com
このブログでも、過去何度も取り上げている「安心」というテーマについて、今日は改めて考えてみたいと思います。 人間がするすべての行動(意識的なもの、無意識的なものも含めて)の動機は、「安心」です。 例えば、お水を飲みたいと思って、コップにお水を入れて飲んだとします。 これは、身体が渇きを覚え、「水分を補給しないと生命維持が危ういよ~」という不安信号が脳に送られることで、「コップに水を入れて飲む」という行動が生まれます。そして、渇きが潤されることで、生命維持の”安心”が得られたことになります。 食事はもっと分かり易いと思います。食べることで、「お腹が空いたよ~!食べないと生きられないよ~!」という不安は消えます。満腹=安心するのです。 また、上のどちらの「安心」にも共通しているのは、お水を飲めば喉の渇きが癒えるし、食事をすれば空腹の不快感がなくなるという、「予測可能」の認知があるということです
ここ数年で、「愛着障害」について書かれた著書やYouTube番組などが増えてきたおかげで、大学等で心理学を学んでいない一般の方にも、愛着トラウマを負った心の特性や傾向が広く知られるようになってきました。 これはとても良いことだと思います。 ただ、AC(アダルトチルドレン)が知られるようになった時と同様、その見立て方があまりにも煩雑であるために、「私は、愛着障害だったんだ!」と、僅かに呈示された性格傾向等を見て、決めつけたり、判断してしまう方も少なくありません。 実は、「愛着障害」だと思っている方の殆どが、「愛着不全」であることの方が多いのです。 「愛着障害」と「愛着不全」。両者はどう違うのでしょうか?また、何が共通なのでしょうか? まず、共通部分から申し上げると、どちらも養育者側に問題があって、発生する問題だということです。 いま、敢えて「養育者」と書きましたが、はっきり申し上げるなら、そ
私が「傾聴」を行う際に、一番気を付けていること、それは、クライエントさんに”開示をさせ過ぎないようにすること”です。 「傾聴」なのだから、時間いっぱい思う存分話をさせてあげる方が、良い傾聴技法なのでは?と思われるかも知れませんが、そうとは限りません。 特に重度のトラウマを抱えている方にとっては、自身の傷になったきっかけの話を何度も繰り返すことで、トラウマの二次受傷の心配もあります。また、自己開示をすることは、カウンセリングの深まりにおいて、大事なプロセスではありますが、 弱みをさらけ出す=交感神経の活性化(闘う・逃げる) でもありますので、自己開示の刺激が強すぎた場合、カウンセリングの後、クライエントはエネルギーを大幅に消耗してしまい、急速に背側モード(ポリヴェーガル理論で言う、副交感神経の背側迷走神経複合体)が活性化してしまい、シャットダウンが起きてしまう可能性も出てきます。 喩えがあま
5月30日に久々に双方向の講座を開催しますよ~^^ forms.gle 昨今、「統合」というワードが、あちらこちらで花盛りなのであります。 例えば・・・ 科学とスピリチュアル(精神)の統合 右脳と左脳の統合 からだとこころの統合 善と悪の統合 男性性と女性性の統合 未来と過去の統合 自分自身の統合 顕在意識と潜在意識の統合 三次元意識と四次元意識の統合 地球と宇宙の統合 神・天(宗教)と地・人間の統合 もうね・・ほんと、挙げたらキリがないです!!でも、誰もが上に挙げた項目のいずれかに、最低でもひとつは関わっているのではないでしょうか? そして、どうやら「統合」とは、かつては別々、もしくは対極に存在していたAとかBとかCとか・・が、何らかの理由で、別々ではなくなるという意味らしい・・・と言うことは、イメージ出来たかな?と思います。 ちなみに私ですが、心理学というフィールドで、この「統合」とが
X100V 時々、何もかもが、その一瞬の為に交錯したような場面に出くわすことがあります。 そんな時、これが私にとっての写真を撮る意味なのかも?・・なんて思うんです。 特に最近は、「あ!撮りたい!」と心のスイッチが入るための振動数が変わってきているのを感じます。 あーーー!なんかずっとモヤモヤしていた「絵画ではなくて写真を撮る意味」の答えが出たかも。 そして、そんな写真を撮るには、「そこに居る力」を磨くことが大切になって来るんだろうな。技術とかカメラについての知識はもちろん大事だとは思うけど、もうその部分はAIなんかが間もなく追い越してしまうでしょう? でも、「そこに居る力」だけは、撮影者本人でしかたどり着けないものだと思う。 「そこに居る力」は逆に言えば 「そこに居ない力」 「そこに居ることを選ばない力」 でもあるのかも。 ここから進んでいきたい場所が、ようやく分かった気がする。 きょうも
Fujifilm X-T5 with nokton35mm f1.2 最近めっきりテレビドラマを見ることが減りましたが、今期、久々にこれは面白い!と思ってハマっているのが、日曜夜22時半の「セクシー田中さん」です。 www.ntv.co.jp 主人公の田中さんは、どちらかと言うと地味で自己主張もない40代の未婚のOLさん。そんな彼女が、ひょんなことからベリーダンスと出逢い、アフター5で煌びやかな衣装を纏うと、昼間とは別人のセクシーなダンサーに変身する・・という、まあ言ってみれば定石のシナリオではあるのですが、そこは脚本の力なのでしょう。主役のみならず、脇を固めるキャラクターの心理描写も実に細やかで、ぐんぐん物語に引き込まれてしまうのです。 昨夜は田中さんが四十肩になってしまい、心の支えであるベリーダンスが踊れなくなる・・という回でした。 田中さんがお休みしているダンススクールでは、20代か
Fujifilm X-T5 with nokton35mm f1.2 「どこにも自分の居場所がないんです」と仰るクライエントさん、とても多いです。 わたしも随分とこの「自分の居場所がない」という感覚に悩んだし、傷つくことも多かったのですが、今はもう「自分の居場所」って、「自分が居る場所」だけでいいやって思えるようになってしまいました。どこかに所属していないと不安だった若い頃を過ぎた年齢のせいもあるかも知れません。 例えば、健全な愛着を持っている、誰とでも上手に人間関係を結べるような人ばかりが集う場に身を置くと、そんな人たちと比較することで自分の不甲斐なさに圧倒されたり、愛着トラウマの人特有の「愛着の否認」という心理状態に陥ってしまって、その場を離れたくなってしまうことがあります。 そんな状態の私を見て、恐らくヘルシーな方と言うのは、「どうしたんだろう?私たちと居てもつまらないのかな?」と心
Fujifilm X-T5 with nokton35mm f1.2 レンズを購入すると、必ず撮りたくなるものがあって、私にとってはそれは「水」。そして、ガラスです。 その質感が好きなレンズほど、長く一緒にいるような気がしています。 Fujifilm X100V 同じ富士フイルムのカメラでも、純正のフジノンレンズで撮った写真(下)と、フォクトレンダーのNokton 35mm f1.2で撮った水では、その質感が微妙に違うような気がします。 フジノンの描写する「水」の方が、立体的で粘る感じがします。対して、Noktonの方は、もっと液体よりな描写。手のひらでふわっと掬えそうな質感に写るんですよね。どちらも好きです。 Fujifilm X-T5 with nokton35mm f1.2 カメラが変わるとまたその質感はがらりと変わります。 Sony α7Ⅳ with Trioplan 100mm
Fujifilm X-T5 with nokton35mm f1.2 「もっとグラウンディングして!」 「あなたはグラウンディングが弱いから」 「グラウンディングが一番大事!」 この「グラウンディング」ですが、最近ようやくその本当の意味が腹落ちしたので、今日はシェアしたいなと思っています。 ところであなたは「グラウンディング」という言葉を知っていますか?あるいは、耳にしたことはありますか? 「地に足がちゃんとついて生きていること」と言う人もいるし、 「ふわふわしていないこと」と言う人もいるし、 「大地(地球)と繋がっていること」と言う人もいるし、 「いま、ここを生きている人」と言う人もいるし、 「第一チャクラがしっかり活性化している」なんて言う人もいる。 そして私自身に関して言えば、上記のセリフを言う立場の人からは「グラウンディングできていない人」の烙印を、これまでことごとく押されてきまし
Fujifilm X-T5 with nokton35mm f1.2 年末年始やお盆。所謂、人が原家族と深く関わりを持ち、共に過ごすことが多い時期に、 「ご実家に帰省されるの?ゆっくりと楽しんで来てね。」 等の定型の挨拶を気軽に言わなくなったのはいつ頃からだったのか・・・。 「ゆっくりしてきてね」 「ご両親も楽しみに待ってるわね」 「楽しんで来てね」 「お家で甘えておいで」 20代から30代前半くらいまでは、そんな声掛けをされる度に、心の中では、 「実家でゆっくり?楽しむ?甘える?え?!一体、何を言ってるんだ?この人は?」 と思っていました。ただここで、(昨日の記事にも通じることですが)心のつぶやきをそのまんま相手に言ってしまったら、何やらよくないことが起こるであろうことは学習しているため、機械的なにこやかさで、 「ありがとうございます。」 と返していたように思います。これが私が後天的に学
Fujifilm X-T5 with nokton35mm f1.2 愛着トラウマを負って成長した人と言うのは、ヘルシーな愛着の基盤を持って成長した人たちが、「あたりまえ」でかつ、それを守っていると「安心・安全」と感じている社会的倫理規範を、違ったルートで身に着けて大人になっています。 例えば、「親を大切にし、敬いましょう」 という一度は耳にしたことがある社会的倫理規範があったとします。養育者から十分なケア(協働調整)を受けられていないために、基本的信頼感や愛着を育めてこなかった人と言うのは、心の中では・・・ 「え?なぜ、あんなひどい親を大切にしないといけないの?」 「どうして家族に害悪しかもたらさない親を敬えるの?」 と思っています。 ですが、自分の周りの社会の大半の人々は、どうやら「親を大切にし」、「敬って」いるらしい。ここでもし、自分が、「あんな親、地獄に落ちればいい!」「あんな親は
Fujifilm X-T5 with nokton35mm f1.2 昨日の朝、実家でそうしていたせいか、まだ日が昇るだいぶ前に起きてしまいDMを見ると、句友さんから、 「実家からお帰りになったばかりで、お疲れかも知れませんが、明日近くの公園でパンを食べながらランチをするのでいらっしゃいませんか?無理な時は直前で断ってくださって構いませんので。」 という趣旨のメッセージが入っていました。 確かに身体はクタクタだったし、それよりなにより、心の方が身体以上にヘタっていたので、一瞬「どうしようかなあ・・」と迷いました。ですが、寝起きの頭が冴えて来る頃には、心の方が「行きたい!」に変わってきました。 それでも(←しつこい^^;)念のため、身体の声もちゃんと聴こうと思い、待ち合わせ時間ギリギリまで返事を待つことにしました。そうこうしている内に、身体の方も「行けるかもよ?!」に変わったため、二人が待つ
Fujifilm X-T5 with fujinon XF60mm f2.4 r macro hanahiroinoniwa.hatenablog.com 今回、実家に居る間、何度かトラウマテイックな場面に遭遇していました。 どういう話の流れだったか定かではありませんが、足を揉んでいる私に、父が急に、 「お前の人生は幸せじゃない!」と言い出したのです。 そこを口火に、まあ、出て来る出て来る・・・。何故か夫の悪口が。そして、いかに私と言う人間が、家庭人として最低で最悪で、社会において恥ずかしく、至らない人間であるかが・・・。 結婚して距離が出来てからはだいぶそう言った状況に晒されることが減ったので、記憶が曖昧になっていたのですが、はっきりと思い出しました。 そうだ、私はことあるごとに、父のこうした暴言を浴びてきたのだと。そのたびに、子どもだったこともあって、どこにも逃げることも出来ず、ただた
Fujifilm X-T5 with nokton35mm f1.2 しばらく実家に帰省していました。父の介護のためです。 前回の時もそうでしたが、日増しに感情のコントロールが難しくなっているようで、今回はあまりの当たりのキツさに、私もついに限界。ぶちキレてしまいました。 View this post on Instagram A post shared by さとうみゆき (@miu___sato) 今回は、母と妹が少しでも休める時間ができたら・・と、父の介護と言うよりは、生活全般のサポートをした感じです。食事の準備や洗濯、掃除、母の心と身体のケア等です。 皆、いつも毎晩のようにお風呂に入っていたのに、なぜか全くお風呂に入る気配がないので、「お風呂の時間だけど、お湯の準備はいいの?」と訊くと、父が訪問介護で週に2回しかお風呂に入れないため、自分たちがお風呂に入っていると、面白くなくて暴れ
Fujifilm X-T5 with nokton35mm f1.2 「人の一生は物語のようだ」・・・とよく言いますが、私は「長編小説」のような生き方をしている人に憧れがあったように思います。 分かり易い例だと、歴史上の人物とかですかね。 生まれて割と直ぐに、自分の天賦の才というか、天職の兆しみたいなものに出逢って、それを成し遂げるために苦労はするけど、その苦労を苦労とも思わず、天命というゴールに向かって自己実現をして、最後の最後には何者かになって死んでいく・・・みたいな。 最初から最後まで、ブレない「自分」というアイデンティティの中に在って、しっかりとそこに実績が積み重なっていくような人生。憧れでした。 「でした・・」というのは、ひょっとしたら私の(しいて言うのなら魂が)描いている物語はそうじゃなかったのかもなあ・・という考察に基づいてのあくまで主観です。 私の携えている”魂の物語”って
Fujifilm X-T5 with fujinon XF60mm f2.4 r macro 富士フィルム(フジノン)のMACROレンズをどれにしようか?と考えた時に、私には2つの候補がありました。 ひとつは今現在使用しているこちら・・・ 富士フイルム FUJIFILM X 交換レンズ フジノン 単焦点 中望遠マクロ 60mm F2.4 絞りリング F XF60MMF2.4 R MACRO ブラック 富士フイルム(FUJIFILM) Amazon そしてもうひとつが・・ 富士フイルム FUJIFILM X 交換レンズ フジノン 標準マクロ 30mm F2.8 防塵防滴耐低温 リニアモーター(静音) 絞りリング XFレンズ F XF30MMF2.8 R LM WR MACRO 富士フイルム(FUJIFILM) Amazon です。2本とも重さが200g前後で、持ち出しの負荷が無さそうなところ
Fujifilm X-T5 with fujinonXF35mmF1.4 R 「何故、山に登るのか?そこに山があるからだ」的に、上に行けば行くほど、何か「良い」こと「素晴らしいこと」、「素敵な状態」、「ありがたい状況」のような気持ちがするのは人間の性だと思います。 お給料然り。階級制度然り。上位、上級、上等・・・うん、「上」ってつくものは、大概眩く、目標となりやすいのでは? そう、だからこそ「自己肯定感をあげましょう!」と言われた時に、それが具体的にどうすることなのかもわからない内から、私たちの心の中には何かこう、「自己肯定感山への登山」的なイメージが浮かんでしまうのも、無理はないのです。 でもですね・・・・「自己肯定感山」って、標高何メートルなわけ?、どこにあるわけ? そもそも、どこまで登ればOKなの?! 「自己肯定感を上げるってどういうこと?」 これ今度ね、「自己肯定感を上げましょう!
Fujifilm X-T5 with fujinon XF60mm f2.4 r macro X-T5をゆるっと使い始めてから約2か月が経つわけですが、未だに「え?!そんな機能があったの?!」と驚くことばかりです。 これまで一眼レフ時代も含めて、CANON、NIKON、Olympus、CONTAX、SONY、RICHO、Panasonicと割と隈なく触れてきたつもりでしたが、富士機というのは、その仕様がちょっと独特でして・・・。^^;発色は言わずもがなですが、他のメーカーの機種だと、「この辺りを触れば、これがこうなるよね?」的な集合無意識の同意が全く通じないと言うか(笑)。でも、そこがとにかくすごく楽しくて、ハマってしまったのだと思います。 結局、Eマウントの持ち出し頻度の低かったレンズを潔く売却し、富士純正のレンズを2本購入しました。 FUJIFILM X 交換レンズ フジノン 単焦点
Fujifilm X-T5 with fujinonXF35mmF1.4 R 緩急をつけながら、日増しに父の認知症はひどくなっています。 もともと気難しく、扱いずらい人ではあったのですが、晩年にはそれでもかなりマイルドになったなあ・・と思っていたのですが。 先日、私が東京に戻った後には、「これだから、東京へなんて嫁にやるんじゃなかった!」としばらく怒りが止まらなくなっていたらしく、私が帰り際に、「ベル(犬)も待ってるから帰ってあげないとね。お父さん、ベルが寂しいの可哀そうでしょ」と言って出たのがいけなかったのか?「俺はもともと鳥獣類は大っ嫌いなんだー!!!!動物なんて絶対に飼いたくない!!!」と大声で叫んでいたそうです。 いや、知ってましたよ。お父さん、あなたが動物大嫌いなこと。本当は地元で結婚して、できれば婿をとって同居して欲しかったこと。ついでに言えば、お墓もきっちり守って貰いたかった
金木犀の花が香り始めましたね。 よく「人が好きです」と仰る方に出逢います。 SNSなんかのプロフィールにも書いてあるのを見かけたりもします。 そのたびに、立ち止まって考えてしまう。 「人が好き」ってどういうことなんだろう?って。 私の友人の中にも、会話の端々に「私、結局、人が好きなんだよね~」みたいなニュアンスのフレーズが出てくるし、その人を見ていると、ああ、本当にその通りだよなとも思ったりもします。 でも、もし自分が「人は好きですか?」と訊かれた場合、「はい、好きです!」と即答できる自信はないです。 心の中の声はこんな風・・・ 「人が好き?ってどういうこと?好きな人は好きだし、嫌いな人は大嫌いだし、その他なんとも思っていない人もいるし・・・うーん・・・どんな状態、状況を持って、人を好きって言っていいんだろう?別に人を憎んでるわけではないし、でもそれがイコール好きってことにはならないよね?
Fujifilm X100V 人生の四季ってあるなあ・・・ってこの頃強く思います。 春夏秋冬・・・ 種をまく、芽吹いて花開く、結実して収穫し、刈り取って休閑する。 冬を生きていると、華やかな季節を纏う人、ぐんぐん勢いに乗って成長している人、成果を出してその実りを味わっている人を見ると、どうしても羨んだり、焦ってしまいますよね。 私も今、自分がどんなに「こうしたい」と思っても、自分の意思や希望だけでは、どうにもならない季節を生きています。一体これってなんだろう?って思いたくなってしまうことも多々あります。 でも、そんな中で、ふと手渡される人の温かさや思いやりが、心に沁みて沁みて仕方がないです。他の季節に居たら、こんなにも人の優しさを感じとることができたでしょうか?きっと出来ていなかったと思うのです。 その季節にしか味わえないことを、しっかり味わいたいと思います。 きょうも最後までお読みくださ
Fujifilm X100V 先週末は父の介護のため、実家に帰省していました。 8月、退院する少し前から少しずつ顕著になってきた認知症状。実は退院時の臨床心理士の見立てでは、「認知症ではない」という評価が下されていました。恐らく医師も同様の診断だったのでしょう。嚥下状態が悪いのも、足がしびれるのも、よだれや鼻水がやたら出るのも、食欲不振だったり、夜中に暴れる、異常な抑うつ状態と、愚痴や不満を感情のままにまき散らすのも、ガンの進行によるもの、人格に由来するものと見なされていました。 ただ、この判断に唯ひとり疑問を呈していたのは私です。「何かがおかしい?」と思いました。わたし自身が高橋和巳医師のもとで心理アセスメントを学んできた中で、高次脳機能障害についても詳細に学んでいたからでした。 認知症というと、大概の方がアルツハイマー型を思い浮かべると思いますが、認知症には他に、レビー小体型認知症、血
今、自分が置かれている現状に満足している方、そうでない方、様々だと思います。 とは言え、「この部分は満足している」でも、「この部分には満足していない」・・みたいな方が、一番多いのかな? 傾聴カウンセリングで、私が一番注意深く聴くのは、クライエント様の「葛藤の強さ」です。というのも、成人期に入っている方のカウンセリングで目指すゴールが、安心して葛藤できるようになることだからです。 例えば、家で大好きなドラマの最終回を見ていたとしましょう。途中でトイレに行きたくなった場合、あなたはどうしますか?ドラマはクライマックスに差し掛かっています。1分でも見逃したら、伏線が追えなくなってしまうのです。でも一方で、お腹の状態も大ピンチ!です。 「ドラマを見たい」でも「トイレにも行きたい」 この2つのニーズがぶつかり合うこと、これが葛藤です。 でも、この時、一緒に見ている家族にトイレに行きたいことを打ち明け
X-T5 with smc Takumar どうなんだろう?どうですか? やっぱり、価格が高いものほど「良いもの」に違いないって思いますか? 信頼できるものですか? 先日、セッションの価格改定の記事をアップしました。 hanahiroinoniwa.hatenablog.com すると私を陰ながら気にかけ、励まし、勇気づけてくれる先輩カウンセラーからアドバイスされたのです。(それに関しては私の労働環境を心配してくれてのことなので、本当に感謝しています。) 「みゆきさんは、もうそろそろ、セッションのお値段を上げた方がいいと思うよ?」 「クライエントさんにとってはありがたいことだけれど、お値段があまりに安価なことで、むしろ信用されない場合もあると思う。技術に謙虚でストイックなのは良いことだけれど、お値段なりの内容だと疑われて、逆にみゆきさんのカウンセリングを本当に必要としている人に届かない場合
X-T5 with smc Takumar このところカウンセリングのご依頼が増えたので、改めて私のカウンセリングのゴールについてお話したくなりました。以前にもどこかに書いたと思いますが。 悩みがなくなる=カウンセリングのゴール ではなく、 安全に健全に悩めるようになる=カウンセリングのゴール だと思っています。 悩みって、残念ながら、なくならないです。生きている間は、ずっとある。むしろ、生きているからこそ、悩みはある。だから、「悩まなくなる自分」を理想として目指したら、人生がおかしくなる。それはもはや、「生きている」とは言えない。 悩むし、状況だって変わらないし、絶望もするけれど、時にはそれを信頼できる誰かに相談したり、愚痴ったりして、どうにか今日1日を生き抜く、また次の日を生き抜く・・それで充分なんです。 ご飯を美味しく食べて、よく眠って、そして「うん、そうだよね~!分かるわ~!」って
企画展の事務処理などが終わって、昨日は森のユカフェで整体受けたり、美味しいお料理をいただいたりして、今日は台風が来ていたこともあって、1日家の中でのんびり過ごすことができました。考えてみたら、ここまで何もしない日って一体いつ以来なんだろう? ここ2か月くらいの振り返りも本当はしたかったけれど、もういろいろなことがあり過ぎて我ながら書ききれないほどです。 順不同ですが、思ったままに書いていくと・・・ 先ずは、望遠レンズを手放しました! タムロン 50-400mm F4.5-6.3 Di III VC VXD ソニーEマウント用【A067】 タムロン(TAMRON) Amazon このレンズで何回撮影したんだろう?^^; 4月に購入して、使い始めてすぐに、腰部脊柱管狭窄症になってしまって、それ以来、何となく怖くて持ち出せなくなっていました。カメラと合わせて1.5㎏を超えるって言うのがねぇ・・・
昨日無事にギャラリーの企画展が終了しました。 思い返せば6月の末から走り出した企画で、あまりの負荷にここ2か月の記憶があまりないくらい。^^;それぐらい、怒涛の日々でした。 「担当できる?」と気軽に尋ねられ、「では、やるだけやってみます。」で始まった企画展のメイン担当。チームで働く・・とか、部下を指導する・・とか、人に頼る、人を引っ張るを、これまで率先してやろうとしてこなかった私には、今回の仕事は相当な挑戦で、何度もくじけそうになりました。また、「チームで働く」ことに関しては、個人的に”傷”もありましたので、潜在的な恐怖感もありました。 で、結果どうだったかと言うと、やってよかった!やり遂げられてよかった!いま、そんな気持ちでいっぱいです。これまでの傷が癒された・・と言うか、ようやく超えられた!そんな気持ちです。 私がずっと夢見ていたこと。 社会との関わりの中で、たとえ失敗したとしても、謝
チームなり集団・組織の発展は、その組織のリーダーの器の大きさを絶対に超えない と言う格言。よく耳にはしていたのですが、その実どういうことだろう?と思っていた時期がありました。 その謎が「そうか!だからか!」と合点したのは、大学の社会心理学で学んだ、「ブレーンストーミング、3人寄れば文殊の知恵は本当か?」というテーマにおいてでした。 「ブレーンストーミング」というのは、ある事柄に対して、間違っている・正しいはひとまず脇に置いて、集まったメンバーで自由に意見を出し合う・・すると、そこから新しいアイデアが生まれる!という集団の良さや利点を謳った思考法ですが、実はこれ、気を付けないと全く逆効果だよという実験の結果があるのです。 ブレーンストーミングの成果は、その話し合いをまとめているリーダーの性格や人間的な資質が大きく影響してくると言います。 一見、自由にアイデアを出し合える場に思えるブレーンスト
残暑お見舞い申し上げます。 気づけば8月も14日。月の半分が終わろうとしていますね。 暑さ、台風、暑さ、台風、そしてお盆・・・とめくるめく月日は流れて・・・。 先週から父の介護の為に帰省し、戻ってきました。 6月の末から水も喉を通らなくなったために入院していましたが、8月3日に本人の意思もあって退院した後は、在宅介護扱いとなり、週2回の点滴を受けながら、どうにかこうにか命を繋いでいるような状況です。 母と妹からは「前より気難しくなって、扱いに困ってる。病院でも看護師さんをひとり鬱にしたくらい態度がひどい。覚悟して来て欲しい」と聞いていたので、それなりに覚悟をして今回帰省したつもりでした。 が・・・父の精神状態は聞きしにも勝る悪さで、初日から「これはどうしたものか?」と頭を抱えてしまいました。 まず、ことあるごとに、枕元に備えてる自宅用の簡易ナースコールボタンを押しまくり、私たちを呼びつけま
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