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三条大橋から五条大橋まで、鴨川の西側には、お店などのたくさんの建物が並んでいます。 今では、鴨川沿いに建物があるのは当たり前の風景となっていますが、かつては鴨川が氾濫したことから居住に適する場所ではありませんでした。 中世においては、人家が鴨川沿いに見られるようになりますが、定住していたわけではなく、飢饉や疫病などの災害で、集まった被災者が住む場所でした。 応永の大飢饉で京都に人が集まる 室町時代の応永27年(1420年)。 この年は、全国規模で大飢饉が発生しました。 岩波新書の『京都の歴史を歩く』によれば、この年は春から夏にかけて降雨日数が少なく、秋に降雨日数が異常に多くなったそうです。 そして、それ以前の数年にわたる気候の不安定もあり、飢饉となったのだとか。 この頃、日本の富は、京都に集中する状況だったため、地方から食べ物に困った人々が京都に流れ込む事態となりました。 伏見宮貞成親王(
11月中旬。 京都市東山区の養源院に参拝しました。 養源院は、血天井の本堂が有名なお寺ですが、秋の紅葉も人気があります。 参道脇には、比較的多くのカエデが植えられており、秋が深まると、その紅葉を見に訪れる人が多いですね。 参道脇で色づくカエデ 養源院は、京阪電車の七条駅から東に徒歩約6分の場所に建っています。 市バスだと、「博物館三十三間堂前」から徒歩約3分ですね。 養源院の山門前に到着。
10月22日。 京都御苑に時代祭を見に行ってきました。 時代祭は平安神宮の祭礼で、明治維新から平安時代まで、時代をさかのぼりながら、その時代の衣装を着た人々の行列が京都の街を進みます。 正午に京都御所を出発した行列は、御池通や三条通などを進み、午後2時30分に先頭が平安神宮に入ります。
江戸時代中期の国学者である本居宣長(もとおりのりなが)は、約35年間、古事記を研究し古事記伝を著しました。 また、彼は、源氏物語を講義する中で、「もののあはれ」こそが日本固有の情緒を表現しており、日本文学の本質だと述べたことでも有名です。 本居宣長は、伊勢松坂の出身ですが、若い時には京都に出て勉学に励んでいました。 23歳の時に京都へ 本居宣長は、享保15年(1730年)に木綿仲買商の小津家の次男として生まれました。 彼は、8歳から勉学に励むようになりましたが、商売には関心を持っておらず、十代になると源氏物語も読み始めました。 その後、19歳の時に伊勢山田の今井田家の養子となります。 ところが、21歳で不縁となり、翌年に兄がなくなったことから小津家を相続しました。 しかし、もともと商売に向いていなかった宣長は、母の勧めで医者になるため、宝暦2年(1752年)の23歳の時に京都に遊学すること
明治維新の原動力となったのは、イギリスと清国との間に起こったアヘン戦争でした。 アヘン戦争ではイギリスが勝利し、清国はイギリスの言いなりとなります。 このままでは、日本もイギリスなどの西洋諸国に侵略されてしまうという危機感が国内で沸騰し、外国人を打ち払うべきだという主張と開国して近代化すべきだという主張がぶつかり合い、やがて明治維新を迎えました。 日中の協力団結を主張した荒尾精 明治に入ってからも、西洋諸国のアジア侵略の危機は続きます。 そのような中、西洋列強の中国侵略を阻止し、アジア保全を唱えたのが荒尾精(あらおせい)でした。 彼は、日中の協力団結を主張し、特に通商貿易の振興による日中の繁栄を唱導しました。 さらにその実現のために必要な人材養成を目的に根津一とともに上海に日清貿易研究所を設立します。 この2人の思想と協力が近衛篤麿を盟主とする東亜同文会結成と東亜同文院創立を実現化しました
この山伏は、浄蔵貴所(じょうぞうきしょ)という人物で、傾いた八坂の塔を法力で元に戻したという伝説を持っています。 御神体のすぐ下の欄縁には14羽の飛鶴、さらにその下の横水引は中国の養蚕から機織までの様子が描かれています。 ゆっくりと目の前を通り過ぎていく山伏山。
7月に入り、京都では祇園祭が始まりました。 すでに八坂神社では様々な祭礼が催され、また、四条通を歩いていると、コンチキチンと祇園囃子が聞こえてきます。 さて、7月10日から14日まで、四条烏丸周辺では、祇園祭前祭(さきまつり)の山鉾建てが行われます。 ということで、7月10日に山鉾建ての様子を見に行ってきました。 長刀鉾 地下鉄四条駅または阪急電車の烏丸駅を出て地上に上がると、四条烏丸の交差点付近に出ます。 その四条烏丸の交差点のやや東側では、長刀鉾の組み立てが行われていました。
5月下旬。 京都市左京区の頂妙寺に参拝しました。 頂妙寺は、仁王門通の北側に広い境内を持つ日蓮宗の寺院です。 大きなお寺でありながら、普段は訪れる人が少なく、心静かにお参りできます。 境内のイチョウの新緑 頂妙寺の最寄り駅は、京阪電車の三条駅または地下鉄の三条京阪駅です。 駅を出て、川端通を北に5分ほど歩き、仁王門通を東に入ると、頂妙寺の山門前に到着します。
(広告) 10年近く使い続けたパナソニックのコンパクトデジカメが、とうとう使えなくなったので3月に買い替えることにしました。 新しく購入したのは、2017年5月に発売開始したキャノンの「PowerShot SX730 HS」という機種です。 10年も経つと技術は大幅に向上しているもので、初めて撮影した時には、その高機能に驚きを隠せませんでしたよ。 光学40倍ズームの威力 PowerShot SX730 HSは、アマチュア向きのコンパクトデジカメの中では、やや値段が高い機種です。 最近では、スマホのカメラの性能が良くなっているので、コンパクトデジカメをわざわざ買う理由がなくなってきていますが、PowerShot SX730 HSには、スマホには付いていない機能がいくつもあるので撮影していて楽しいです。 PowerShot SX730 HSは、ズームが最大40倍です。 この40倍ズームを使えば
京都観光の魅力のひとつは、過去から現在まで長い歴史を持つ都市というところにあると思います。 京都の歴史は、日本史の大きな歴史の流れと重なる部分が多く、何気なく訪れた場所でも、そこが歴史的に重大な事件が起こった場所だったということはよくありますね。 また、有名な事件ではないものの、日本史の一部分に大きな影響を与えた事件になると、何度も京都で起こっています。 そのような京都の歴史をまとめたのが、山田邦和さんの著書の「京都 知られざる歴史探検」です。 地域ごとに短編を収録 「京都 知られざる歴史探検」は、上巻と下巻の2冊からなります。 京都 知られざる歴史探検 上―上京 洛北 洛東・山科 京都 知られざる歴史探検 下―下京 洛西 洛南・伏見 乙訓・宇治 南山城 丹波・丹後 上巻の「はじめに」で以下のように述べられているのですが、この部分は私も京都を散策していて確かにそのとおりだと感じる部分ですね
4月10日。 京都市上京区の北野天満宮に参拝しました。 北野天満宮は、2月から3月にかけての梅が有名な神社で、その時期には多くの旅行者や観光客の方が訪れます。 でも、4月に入ると、参拝者の数は一気に減ります。 北野天満宮は、桜が有名ではないのが理由でしょうね。 しかし、北野天満宮にも桜は植えられており、特に北野桜は当宮でしか見ることができない珍種ですから、4月にこそお参りしておきたい神社なのです。 満開の北野桜 北野天満宮は、京福電車の北野白梅町駅から東に徒歩約5分の場所に建っています。 市バスだと「北野天満宮前」で下車してすぐです。 大きな鳥居の前にやって来ました。
4月上旬に京都市伏見区の城南宮に参拝しました。 この時期の城南宮では、境内を囲むように設けられた神苑で、たくさんの春の花を見ることができます。 城南宮は、割と大きな神社なのですが、春の行楽シーズンでも訪れる人が少な目です。 春の山 城南宮は、地下鉄または近鉄電車の竹田駅から南西に歩いて15分ほどの場所にあります。 境内に入ると、本殿が工事中でした。 随分前に参拝した時も工事をしていましたが、結構時間がかかっているようですね。 本殿にお参りを済ませた後は、境内の西側にある神苑の入り口へ向かいます。 そして、受付で拝観料600円を納め神苑に入ります。 神苑は、時計回りに進んでいきます。 最初は、春の山と呼ばれる庭を見るのですが、そこへ続く遊歩道わきには多くの椿が植えられています。 こちらは蝦夷錦(えぞにしき)という椿です。
3月上旬に京都市上京区に建つ北野天満宮に梅苑のライトアップを見に行きました。 北野天満宮では、毎年2月から3月まで梅苑が公開されますが、ライトアップは2018年が初の試みです。 梅苑のライトアップ期間は、2月23日から3月18日までですが、金曜日、土曜日、日曜日のみに実施されるので、それ以外の夜には拝観できません。 照らされる紅梅と白梅 北野天満宮は、市バス停「北野天満宮前」で下車してすぐの場所に建っています。 京福電車の北野白梅町駅からだと東に徒歩約5分です。 午後6時頃に梅苑の拝観受付にやってきました。 拝観料は700円とやや高め。 でも、京の冬の旅イベントガイドブックを持参すると70円引きで拝観できます。 私は、これを持っていたので、割引料金で入れました。 ちなみに京の冬の旅イベントガイドブックは、非公開文化財の特別公開が行われている寺社で無料で配布しています。 北野天満宮の近くだと
2月末に京都市下京区の興正寺に梅を見に行った後、そこから南西に10分程度歩いて梅小路公園に行ってきました。 梅小路公園もその名のとおり、梅の名所です。 毎年2月の終わりから3月の初めにかけて公園内の梅林では、梅まつりが行われます。 2018年は、2月24日から3月4日までが、梅まつりの開催期間です。 見ごろの紅梅 梅小路公園の最寄り駅は、京都駅です。 駅からは西に徒歩約15分で、梅小路公園に到着します。 遊歩道の脇では、紅梅が見ごろを迎えていました。
慶長5年(1600年)は、関ヶ原の戦いが起こった年として有名ですね。 その関ヶ原の戦いが起こる前に京都の伏見城で、東軍と西軍の戦いが起こっています。 この年の6月18日に徳川家康は、上杉討伐のために東に出陣するわけですが、伏見城で家臣の鳥居元忠に別れを告げます。 鳥居元忠は、家康の留守中に西軍が伏見城を攻めてくることをわかった上で、城を枕に討ち死にする覚悟。 そして、7月19日に宇喜多秀家や吉川広家らが率いる西軍4万が伏見城にたてこもる2千名弱の鳥居勢に襲いかかります。 激しい攻防の末、8月1日に伏見城は落城、鳥居元忠と残兵380名余りは、自害して果てました。 伏見城の床は、自刃した鳥居勢の血がべっとりと付き、やがて黒く変色していきました。 この時の鳥居元忠とその兵士たちの霊を弔うために伏見城の床をお寺の天井として祀り上げたのが血天井です。 血天井は、京都の各地のお寺にあります。 養源院
10月下旬。 京都市東山区の大将軍神社に参拝しました。 大将軍神社を訪れるのは久しぶりです。 当社は、三条通の近くに建っていますが、三条通からは境内が見えないので、つい素通りしてしまいます。 台風被害を受けた荒熊稲荷社 大将軍神社の最寄り駅は、京阪電車の三条駅、もしくは地下鉄の三条京阪駅です。 どちらの駅からも、南東に徒歩約5分ですね。 大将軍神社の西側にある入り口にやってくると、社殿が倒れていました。 京都は、10月22日から23日にかけて台風21号が通過したので、その被害を受けたようです。 修復の作業が行われていましたが、境内には入れるということなので、とりあえずお参りしていくことに。 数年ぶりの参拝が、まさかこのようなことになるとは思いませんでした。 倒れていたのは、境内の西側に建つ荒熊稲荷社の社殿でした。
関ヶ原の戦い後、徳川家によって京都所司代が設置されました。 京都所司代は、江戸幕府が皇室・公家の監視、京都諸役人の統率、京都町方の取締り、近畿8ヶ国の訴訟処理、西国33ヶ国の大名の動静監視などの強い権限が与えられており、老中に次ぐ最重要役職です。 その京都所司代の上屋敷は、現在の二条城の北側にありました。 京都所司代跡の石碑 下の写真に写っているのが、京都所司代跡を示す石碑です。 初代の所司代には、奥平信昌が任じられ、その後、板倉勝重・重宗父子が歴任し、幕末までに58人が就任しています。 京都所司代の活躍は、江戸時代初期の豊臣家の監視や幕末の動乱期の治安維持が有名なところですね。 関ヶ原の戦いで西軍に味方し敗北した長宗我部盛親(ちょうそかべもりちか)は、京都所司代の監視下に置かれましたが、うまく板倉勝重の目をくらまして京都を脱出し、大坂の陣で活躍しました。 1発の銃弾も撃たずにすべてを失っ
多紀理比売命(たぎりひめのみこと)、多岐津比売命(たぎつひめのみこと)、市岐嶋比売命(いちきしまひめのみこと)をあわせて宗像三女神(むなかたさんにょしん)といいます。 宗像三女神には、商売繁盛、家内安全、芸事上達、金運などのご利益があります。 日常生活にとって、ありがたいご利益が多いですね。 この宗像三女神を祀っている神社が京都御苑の中に2つあります。 ひとつは、宗像神社で、もうひとつは厳島神社です。 素戔嗚尊が生んだ三女神 宗像三女神を生んだのは、素戔嗚尊(すさのおのみこと)と伝えられています。 素戔嗚尊は、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の子です。 素戔嗚尊は、父の伊弉諾尊に海原を治めるように言われましたが、その言葉に従おうとせず、ただ泣くばかりでした。 そこで、伊弉諾尊が、なぜ父の言葉に従わず泣き続けるのかと、素戔嗚尊に尋ねたところ、自分は母の伊邪那美命(いざなみのみこと)がいる黄泉(よ
7月17日。 京都では毎年この日に祇園祭の前祭(さきまつり)の山鉾巡行が行われます。 その山鉾巡行を見るため、京都市中京区の河原町御池に行ってきました。 月鉾と山伏山 前祭の山鉾巡行は、四条烏丸から四条河原町を経て河原町御池までやってきます。 午前11時頃に河原町御池に到着すると、月鉾が交差点に入って来てました。
7月中旬。 京都市東山区の大谷本廟に参拝しました。 大谷本廟では、夏になると円通橋が架かる池と仏殿脇でハスが花を咲かせます。 今回の参拝は、そのハスの花を見るのが目的であります。 円通橋下のハス 大谷本廟は、京阪電車の清水五条駅から東に5分ほど歩いた辺りに建っています。 五条通と東大路通が交わる辺りですね。 境内の入り口にある池では、大きな緑色のハスの葉が水面を覆っていました。
7月上旬。 京都市中京区の行願寺に参拝しました。 特に行願寺を訪れる予定はなかったのですが、近くを通りかかった時、そう言えば境内にアジサイがあったなと思いだしたことから立ち寄ることに。 終わりが近づくアジサイ 行願寺は、京阪電車の神宮丸太町駅から南西に徒歩約10分の場所に建っています。 地下鉄だと丸太町駅から東に徒歩約10分です。 行願寺の山門前に到着。
6月下旬。 京都市左京区の大蓮寺(だいれんじ)に参拝しました。 大蓮寺は、寺名にふさわしく境内に多くのハスが植えられているお寺です。 夏になると一面にハスの花が咲き見事な景色を見せてくれます。 様々な品種のハス 大蓮寺の最寄り駅は、地下鉄三条京阪駅、または京阪電車の三条駅です。 どちらの駅からも、北東に7分ほど歩くと大蓮寺に到着します。 近くには、いろんなお寺が建っているので、どこが大蓮寺なのかわかりにくいですが、山門を見て行けば「大蓮寺」と書かれているので見つけられると思います。
6月下旬に天授庵の本堂前庭を鑑賞した後、書院南庭に向かいました。 天授庵は、趣の異なる2つの庭園があるので、一粒で二度おいしい拝観寺院なのです。 今の時期の書院南庭では、大きな池にたくさんのスイレンが花を咲かせます。 池を覆うスイレンの葉 書院南庭の入り口は、本堂の裏側にあります。
6月下旬。 京都市左京区の南禅寺に参拝しました。 南禅寺は、京都を代表する禅寺です。 京都五山の上の格式を誇る大きなお寺ということもあってか、国内外から多くの旅行者の方が訪れます。 とは言え、6月の梅雨の時期は、観光シーズンではないので参拝者がとても少ないんですよね。 ハスはまだ 地下鉄蹴上駅から北東に5分ほど歩くと、南禅寺の入り口の中門に到着します。 中門の近くは、観光バスの駐車場となっているのですが、その前にハスがたくさん植えられた池があります。 そろそろハスが咲いているかなと期待したのですが、まだ大きな葉だけの状態でした。
6月下旬に京都市左京区の金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)でアジサイを見た後、北隣の真如堂に参拝しました。 真如堂も、近年はアジサイの名所となっていますね。 まだ、真如堂は、他のアジサイの名所ほどは知られていないので、見ごろを迎えている今の時期でも訪れる人が少な目です。 本堂前の夏椿 真如堂には、市バス停「真如堂前」か「錦林車庫前」で下車し、東に5分ほど歩くと到着します。 今回は、金戒光明寺の境内の墓地を抜けて、南側から境内に入ることに。 南側から境内に入ると、本堂の真如堂がすぐなんですよね。 本堂の前に植えられている大きな木は、ボダイジュです。 6月上旬から中旬に花を咲かせますが、花期がとても短く、すぐに散ってしまいます。 すでに6月も終わりが近づいてきた頃なので、花はほとんどありませんでした。 なお、真如堂のボダイジュの写真は、以下の過去記事に掲載しています。 真如堂の満開のボダイジュ
6月下旬。 京都市左京区の金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)に参拝しました。 梅雨の時期の金戒光明寺は、春の桜や秋の紅葉ほどは見るものがないのですが、蓮池と瑞泉院でアジサイが咲きます。 蓮池のアジサイ 金戒光明寺は、市バス停「岡崎神社前」から北に5分ほど歩いた辺りに建っています。 電車だと京阪電車の神宮丸太町駅から東に徒歩約15分から20分ですね。 岡崎神社前から最も近い入り口は、南門です。 その南門をくぐってすぐの場所に蓮池があります。
6月下旬。 京都市左京区の岡崎に建つ岡崎神社に参拝しました。 当初は、岡崎神社に参拝する予定はなかったのですが、丸太町通に面した岡崎神社の鳥居に茅(ち)の輪が設置されているのを見て、せっかくだからお参りして行こうと思った次第です。 半年間の穢れを祓う 岡崎神社は、市バス停「岡崎神社前」で下車してすぐの場所に建っています。 鳥居に設置された茅の輪。 茅の輪は、左、右、左とくぐり、最後にもう1回くぐって本殿へ向かいます。 茅の輪をくぐると、この半年間に体についた穢れを祓うことができると古くから言い伝えられていますね。 私の体についた穢れも取れたことでしょう。 なお、6月30日には岡崎神社で、夏越(なごし)大祓式が行われます。 岡崎神社に限らず、京都の各神社で夏越の祓が行われますよ。 茅の輪が設置された鳥居をくぐり参道を北に歩きます。 参道の正面にたくさんの木々が植えられており、その奥に本殿が建
6月中旬に京都市伏見区の鳥羽に建つ城南宮に参拝しました。 城南宮には何度か参拝しているのですが、梅雨の時期に訪れるのは今回が初めてです。 国道1号線の近くにある神社なのですが、境内が静かなんですよね。 真幡寸神社と芹川天満宮 地下鉄もしくは近鉄電車の竹田駅から南西に約15分歩くと、城南宮の東の鳥居の前に到着します。 外から見ても、境内に人がいないのがわかります。
6月中旬に京都市伏見区の鳥羽に建つ安楽壽院に参拝した後、近くの北向山不動院にも立ち寄りました。 北向山不動院は、その名のとおり本堂が北向きに建っている寺院です。 安楽壽院からは西に2分ほど歩けば、北向山不動院に到着しますから、安楽壽院に訪れた時は一緒に北向山不動院にも参拝しておきましょう。 北向きに建つ本堂 北向山不動院の最寄り駅は、地下鉄と近鉄電車の竹田駅です。 駅から南西に徒歩約7分ですから、それほど遠くはありません。 今回は、安楽壽院の参拝後だったので、東側の入り口から境内に入ることに。 入り口近くに建つ会社のオフィスの日陰では、ネコが気持ちよさそうに昼寝していました。
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