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現在発売中の「中央公論」誌上に掲載されている米長会長との対談が、ウェブ上でも読めるようになりました。 幾度も繰り返し書いてきたように、米長さんは私の昔からの憧れの人であり、彼の著書「人間における勝負の研究」は、私にとってバイブルと言うべき有り難い本でした。稀代の大人物とのこうした対談が実現したことは、私にとっての大きな喜びで、生涯の記念となるものです。 将棋の海外伝播などについてのブログで、「将棋興行師宣言」なんて評されていますが、そんなそんな、おこがましい限りです。 ただ、清水あから戦に企業スポンサーがつかなかったりといった現状を知るにつけ、将棋界にはプロデューサーというかプロモーター的な役割を果たす人が、米長さん以外にいなさすぎるなあ、という問題意識は強く持っていて、自分にできる限りのことはしたいと考えているので、対談からそんな私の気持ちが垣間見えたのかもしれません。 「どうして羽生さ
「将棋世界」電子書籍化、発表直後からの大反響、おめでとうございます。 数か月前に米長会長と柿木さん(柿木神)からこの構想を伺い、試作版ソフトを見せていただいたとき、「紙から電子書籍にすることで、将棋ほど価値が高まるものはないのだ!」と直覚しましたが、いざ完成版をダウンロードしてみて、いやいや、やはりこれは棋書に革命を起こしますね。そう確信しました。 将棋の雑誌や本を読みながら、同じページにある盤面図の上を棋譜通りに駒が動かせる。ある対局の図面を示しながら某かの話題を展開するとき、その図面の裏には実際の棋譜が紐づけされていて、読者はその棋譜を初手から最終手まで自由に図面上で動かせる。それも指で触れるだけで。 こんなシンプルな新しい機能によって、将棋の本や雑誌の読書経験がどれだけ違ったものになるか。この機能こそを読者は待ち望んでいたのです。百聞は一見にしかず。iPadユーザの方は、将棋世界アプ
「どうして羽生さんだけが、そんなに強いんですか?」発売から約一週間、Twitter等でたくさんの感想をいただき、ありがとうございます。 どうして羽生さんだけが、そんなに強いんですか?―現代将棋と進化の物語 作者: 梅田望夫出版社/メーカー: 中央公論新社発売日: 2010/11/25メディア: 単行本購入: 66人 クリック: 1,407回この商品を含むブログ (58件) を見るそして素晴らしい書評をいくつも読み、著者として嬉しい気持ちです。主だった書評はここにブックマークしましたので、ご興味のある方は是非読んでみてください。中でも「ものぐさ将棋観戦ブログ」の書評 は圧巻で感動しました。 著者自らが自分の作品についてあれこれと語るべきではないと常々思ってはいるのですが、この書名については想像していた通り色々な反響があり(中には厳しいご意見もあり)、「ものぐさ将棋観戦ブログ」の書評では、その
11月25日刊です。どうぞお楽しみに。
将棋のときの写真は良い顔をしているよ。仕事のときとは全然違う顔だ。私はよくそう言われる。幸福だからである。 「梅田 棋聖戦第一局の新潟へ行ったときから、僕の人生は大きく変わり始めてしまったんですよ(笑)。 羽生 そうですよね(笑)。」 「シリコンバレーから将棋を観る」に収録された羽生さんとの対談はこんなやり取りから始まったのだが、この写真はまさにそのとき、新潟で撮影されたものである。 産経新聞社のウェブ上にアップされたこの写真を見たとき私は、あたたかいものに受容され、将棋の世界から「ウェルカム!」と言われた気がして心に幸福感が満ちた。それが私の人生が「大きく変わり始め」た瞬間だったのだ。 「私が本当に書きたかったのはこの本でした」という一言を本書の帯に寄せた。そんな「生涯の一冊」とも言うべき本書が、このたび将棋ペンクラブ大賞を受賞させていただくことになった。たくさんの関係者の方々への感謝の
将棋観戦記というブログに「変わりゆく現代将棋」の紹介が載っている。目次も転載されている。 「遂に発売する「変わりゆく現代将棋 上下」」 これを読んで、ああ本になったら目次があるのだ、と思った。当たり前の話をどうして? と思われるかもしれないが、連載のときにはこの目次はなかったのである。しかもこのたび本になる上・下巻の全体に「第一章 矢倉」という名称がついていた。いま自分はどこにいて、いったい何を読んでいるのかがわからなくなり、いつ連載が終るのかの見当もつかぬまま次号を待つ、というのが当時の感覚で、それが「難解」ととらえられた大きな理由だったのかもしれない。 だから、完結した連載を通読するときに、まず自分で目次を作らなくてはいけなかった。何がどこにつながっているのか、一年以上前の雑誌と行ったり来たりしなければならなかったわけだが、その作業が実に難しくも楽しかった。この本にはその楽しみは含まれ
将棋観戦記からトラックバックをいただき、さきほど紹介したエントリーに追記がなされたことを知った。 「遂に発売する「変わりゆく現代将棋 上下」(最後に追記有り)」 この追記分を読むと、羽生さんがその二十代後半の三年半を費やした「変わりゆく現代将棋」という連載が、当時の読者にとってどんな雰囲気のものだったのかがとてもよくわかる。 天才というのは常に凡人の考えを上回り裏切り続ける。始まったのは例の77銀か66歩かという哲学的な問いだったのだ。正直に記せばあの連載が進むに連れて私の期待は失望に変わっていった。これは私にとって、アンドリューワイルズがフェルマーの最終定理を証明するための重要な一部分を、(聴講者に対してはその目的を秘したまま)大学院の講義で数カ月にわたって行うのだが、最初はいた受講生が何をワイルズがやろうとしているのか分からなくなって聴講から脱落していき、最後は証明するのを手伝う別の教
「変わりゆく現代将棋」に収録される羽生さんとの対談のために準備したメモの一部(時代背景編)を公開します。「変わりゆく現代将棋」をより楽しむための一助になればと思います。 第一回(将棋世界97年7月号) 時代背景: 谷川羽生第55期名人戦第四局。後手谷川。5手目▲7七銀、18手目△5三銀右から、▲6九玉△5五歩▲同歩△同角▲7九角△2二角▲4六角△6四銀▲5六歩 『しかし局後▲4六角は欲張りすぎだったか、と悔やんでいた。また▲5六歩は封じ手だが、ここも▲3六歩の方が良かったという。』が羽生の述懐。「変わりゆく現代将棋」連載第5回(4ヶ月後)に、▲5六歩より▲3六歩の方が良いという説明がある。 時代背景: カスパロフの対コンピュータ敗戦 佐藤康光自戦記冒頭『チェスの世界チャンピオン、ガリー・カスパロフ氏がIBMのスーパーコンピューター「ディープ・ブルー」に敗れるとのニュースが入ってきた。昨年は
とうとうこの日が来たか、と言えば大仰に過ぎるかもしれないが、羽生さんの未刊の名著「変わりゆく現代将棋」がついに発売される。自分の本が出たときと同じくらい嬉しい。そして、これほど重要な作品の誕生に貢献することができた(ひいては将棋の世界に貢献できた)という意味で、僕はいまとても興奮している。 本書刊行については、版元の毎日コミュニケーションズからニュースリリースが出ている。 http://www.mycom.co.jp/news/2010/04/_423.html 4月21日に毎日新聞で開催される名人戦第2局大盤解説会の開始時に「『変わりゆく現代将棋(上・下)』先行発売&出版記念イベント」が開かれるとのことだ。 「変わりゆく現代将棋」下巻には、羽生さんとの対談「現代将棋と歩んだ十年」が収録されている。「対談」というよりも、僕が聞き手になって、羽生さんの「現代将棋と歩んだ十年」についての話を聞
前エントリーを巡ってコメント欄等でいくつかの貴重なご意見をいただくとともに、渡辺竜王のブログ(http://blog.goo.ne.jp/kishi-akira/e/23947db7a406ca346f0eb64747ad9922)からは、こんなフィードバックをいただいた。 梅田望夫さんも下記の記事を書かれています。 里見さんの女流名人位獲得に思う。ふたりっ子の世界は実現するか。(梅田望夫のModernShogiダイアリー) 女流棋界制覇を目指す中で力を付けて、対男性棋士の勝率も上がり、気付けば6割5分というのが理想的な展開でしょうか。里見さんはまだ女流棋士の中で飛び抜けたわけではありませんが、年齢を考えるとこれに最も近い存在、と期待されるのも当然と言えます。今春には高校を卒業して将棋に接する時間が増えるでしょうから、どこまで強くなってくれるのか、楽しみですね。 現在のルールの問題点は、そ
里見香奈さんが圧倒的な強さを示し、三連勝で清水さんから女流名人位を奪い、弱冠17歳にして女流二冠となった。過去にも十代の女流タイトルホルダーは何人も存在したが、どうも里見さんはそういう過去のトップ女流棋士よりもうんと強くなり、いずれは男性プロ棋士と伍していける「ファン待望の逸材」なのではないか、という認識や期待が将棋界に広がりはじめている。若手プロ棋士やアマ強豪の方々でそういう認識を語る人も多い。 まさに「ふたりっ子」のお香である。「香車のお香」こと野田香子は奨励会に入って、女性初の正式のプロ棋士になった。しかし里見さんのこれまでの言動からみて、女流棋士としての活動を休止して奨励会へ・・・という道は考えていないようである。そうか、ならば連盟も何か制度やルールを考えなければならないのかなあと思っていたら、昨日TarumiさんからTwitter上で、女流棋士のフリークラス編入試験の条件について
謹賀新年。あけましておめでとうございます。 00年代の最後は、思いがけない幸福な出来事の連鎖によって、将棋に深く関わる2年間を過ごすことができました。この流れのまま、2010年代に突入したいと思っています。 今年もどうぞよろしくお願いします。 この2年間、将棋に関わり、棋士の方々との交流を通してずっと考えていたことは、将棋が日本人にとっての「National Pastime」の一つになれば・・・、ということでした。 「National Pastime」という言葉は、アメリカで野球についてよく語られる言葉ですが、その言葉の本当の意味を理解したのは、2001年9月11日の米中枢同時テロの直後でした。 テロが起きてまもなく、テレビのコマーシャルはいっさい流れなくなり、空港はすべて封鎖されて飛行機が飛ばなくなり、株式市場も閉鎖されました。メジャーリーグの試合も当然のことながらすべて中止になりました
18歳でA級八段になった加藤一二三は、昭和35年(前々エントリーで紹介した文章の半年後)、20歳のときに大山名人に初挑戦し、その第一局に勝っている。 その将棋の観戦記「名人戦第一局 加藤八段の先勝」で、金子はこんなふうに書いている。 大山名人も加藤(一)八段も"積み重ね型"の棋風であるといわれている。 積み重ね型とは、初めの出方には大きな収穫はねらわないで、堅実に進め――ということは"負けない指し方"に通じてくる――て行き、対手の出方を見届けつつ、その都度、自分の指し方に対応させる棋風のことである。 しかし、それは自分の打ち立てる構想がないということではなく、構想に決定的な収穫を期待しないということである。 したがって構想に要する指手の手数が短かいという傾向が多い。その代り、その構想が第一次、第二次、第三というように幾重に積まれた結果、勝機を見出そう(局勢の均こうを破ること)とする。筆者は
ものぐさ将棋観戦ブログ「金子金五郎の加藤一二三分析」で本ブログの前エントリーを取り上げていただいた。 http://blog.livedoor.jp/shogitygoo/archives/51602813.html さらにTwitter上のやり取りで、 ブログでも書きましたが、現在の加藤先生の姿をまるで予見するかのような金子金五郎の本質洞察力には驚かされました。昔の棋士の話でなく我々がよく知っている棋士の話だけに、すごく説得力があります。 http://twitter.com/shogitygoo/status/6891806982 とあった。確かに「昔の棋士の話でなく我々がよく知っている棋士」の若き日の姿を、金子金五郎がいったいどう描いていたか。それをきちんと読んでいくことで、金子将棋批評の凄みはさらに正確に理解されるのだろう。ものぐささんにそう教えられたので、これからしばらくそんな観
10月16日米国西海岸時間の午前4時9分(日本時間午後8時9分)にTwitterでこうつぶやいた。 午前4時起床。今日の橋本野月戦は、両者気合い入りまくり(時間の使い方)で、面白いぞ。 http://twitter.com/mochioumeda/status/4913300845 は、10月16日のB2順位戦、先手橋本七段が120分(2時間)の長考で▲3七桂(21手目)と指した局面である。 ここで後手野月七段が170分(2時間50分)の長考で△5一金(22手目)と寄った。わずかこの2手で5時間近く、昼食休憩を含めると6時間近く、まったく局面は動かず二人の棋士はこんこんと考え続けていたわけである。 この「長考の中身」について野月七段自らの解説が、将棋世界最新号(2010年1月号)に掲載されていてたいへんおもしろく読んだ。「熱局探訪」最終回の冒頭「長考の中身」の項である(毎回楽しみにしていた
渡辺竜王が森内九段を四連勝で下して竜王位を防衛。六連覇を果たした。先日東京で何人かの若手棋士と話していたとき、皆一様に渡辺竜王の研究量の膨大さに舌を巻いていた。彼が人生の最優先事項に置いている竜王位の防衛には、そういう日頃の精進の成果があらわれたと言えるのだろう。心からのお祝いを気持ちを表したい。年末まで続いた去年の渡辺羽生戦の激闘の興奮を思うと、少し12月がさびしくなるけれど・・・。 さて竜王戦第一局の直後に 大胆ながら、今期竜王戦は渡辺の防衛、そして「2010年は渡辺明・本格ブレークの年になる」 王将戦、棋聖戦、王座戦のうち少なくとも二つの挑戦者となり、羽生に挑戦する 棋王戦、王位戦のうち少なくとも一つは挑戦者になる A級に昇級する と予想しておこうと思う。 と書いたが、挑戦権争いの時期が竜王戦と重なる棋王戦と王将戦の挑戦はならなかった。やはり竜王戦七番勝負の期間は、エネルギーのすべて
第21回将棋ペンクラブ大賞観戦記部門で大賞に輝いたのが後藤元気さん。タイトル戦中継の多くや順位戦中継等を、「烏」というペンネームで彼が担当してもいる。 その受賞作品が彼の「お仕事ブログ」(http://blog.goo.ne.jp/gotogen)で読めるようになっている。 第34期棋王戦本戦▲深浦康市王位−△行方尚史八段 http://blog.goo.ne.jp/gotogen/e/158732190cae0e2fd628c19bf51fa9ac を改めて読んでいたら、これまでに彼が新聞に書いたその他の棋王戦観戦記も、ネット上で図面つきで読めるようになっていることに気付いた。 彼のブログの左下の「ブックマーク」という欄に、受賞作も含め11局分の観戦記へのリンクがある。棋譜はなくともどれもたいへん面白く読めたので、将棋ファンの方々には是非ご一読を薦めたい。 ネット上の文章に比べて新聞に載
第21回将棋ペンクラブ大賞で、「将棋世界」に寄稿した「機会の窓を活かした若き竜王」が優秀賞をいただき、9月18日の授賞式に参加し、同機関紙「将棋ペン倶楽部」(第52号、2009年秋号)に”受賞の言葉”という原稿を書きました。本ブログへの転載を快諾していただいたので、下記に転載します。 身に訪れた奇跡 受賞作品「機会の窓を活かした若き竜王」(「将棋世界」09年3月号)を書くことができたのは、ほんのわずかな確率でしか起こらないような出来事が、立て続けに起きたからだった。そしてそれは今となっては、私の身に訪れた奇跡のようにも思える。 08年6月、私は棋聖戦第一局のウェブ観戦記を書くために新潟に出かけた。対局場で将棋を観たのも、観戦記を書いたのも、それが生まれて初めてのことだった。そしてその翌朝、東京に向かう新幹線の中で「今年の竜王戦はパリでやるんですよ」と羽生さんから突然言われる。昔からしていた
竜王戦第一局は渡辺竜王の勝利で幕を開けた。 渡辺竜王のことを考えるときはいつも、パリ対局で敗れ悄然としていた彼の姿をまず思い起こしてしまうのだが、それはちょうど1年前のことだ。そして3連敗からの4連勝という昨年の秋から冬にかけてのとてつもない経験を通して、彼は間違いなく一段上の勝負師になったのだなあ、と、そう感じさせられる第一局だった。 観戦記や本を書くにあたって彼と何回か深く話し合ったとき、渡辺の言葉の端々から伝わってきたのは、同世代の棋士たちの中で、自分ほど真摯に将棋に向き合い、自分ほど努力してきた者はいない、本当に自分だけなんだ! という強烈な自負であった。 それでもなお、自分の世代の「周囲」との競争が羽生世代ほど激烈でなかったこと(不運)が、自分のこれまでの「緩み」につながってきた、そう彼は、自分に厳しく自己分析しているように見えた。 しかし昨年の羽生戦を勝ちきっての永世竜王就位、
「シリコンバレーから将棋を観る」で詳述した羽生善治の長期連載「変わりゆく現代将棋」(「将棋世界」1997年7月号から2000年12月号、全41回)を、ゆえあって読み直している。 しかしこの連載の圧巻は、「5手目▲7七銀型で18手目△5三銀右と進む形の急戦矢倉」での19手目▲2六歩からの変化が、連載掲載時で9ヶ月、トータル約100ページにわたって語られる部分だと改めて思う。よく棋士の長考の中身について質問する人がいるが、「変わりゆく現代将棋」を読むと、棋士が「一つの手を選ぶ」とはどういうことなのかがよくわかる。 たとえばこの「5手目▲7七銀型で18手目△5三銀右と進む形の急戦矢倉」の場合、19手目の先手の選択肢は▲6九玉と▲2六歩と▲7九角なのだが、この連載では▲6九玉に2ヶ月、▲2六歩に9ヶ月、▲7九角に4ヶ月をかけ、その変化について詳述しながら、その先の局面の形勢を判断し、それらの総体と
われわれの記憶の容量は無限ではなく、過去の一瞬一瞬における文脈と、それぞれの時点で潜在的に存在した選択肢を記憶していることは不可能である。過去を振り返るには、現在の地点で判明している帰結から遡って脈絡を見出し、筋道を立てていくしかない。歴史記述とは結局この合理化の作業だろう。 しかしそれによって、肝心なことを忘れてしまいがちである。それは、いつの時点でも、将来はわからなかった、という当たり前の事実である。歴史上のどの時点も、過去の数知れぬ経緯の上にあり、未来に無限の可能性を秘めている。すべての当事者が、どの可能性がより蓋然性が高いかを全知全能を挙げて判断し、その結果として一つの現実が生じる。あとから見れば必然的で、定まっているように見える道筋も、その時点では誰も確かに予想できなかったのである。分からないからこそ、情勢を判断し将来を見通す営為に意味がある。その緊張感と臨場感こそ、本書で示した
せっかく第21回将棋ペンクラブ大賞贈呈式パーティに出席するので、「将棋ペンクラブ大賞に、ブログ部門を創設するといい」と提案しようかと考えています。(ツイッターでも、http://twitter.com/gpsshogi、http://twitter.com/itumonといった新しい風が吹いていますので、ブログ部門にツイッターも含めることとする) そうすれば、棋士ブログ、将棋ファンによるブログ、将棋関連ツイッターが多様化しつつもっと増えて、その内容も充実するのではないでしょうか。 本ブログ読者の皆さん、どうお思いになられますか? 追記: takodoriさんのアドバイスで加筆修正しました。 追記の追記: 本アイデアは将棋ペンクラブには既に伝わり、幹事の方からこんなご丁寧な返答があったことをお知らせしておきます。http://www.defermat.com/journal/2009/000
カリフォルニアの時間は、夏時間だと時差が日本と16時間ある。 順位戦が始まる日本の午前10時は、こちらの午後6時である。それから4時間くらい(昼食休憩後1時間経過したあたりまで)観て、寝て、たとえば朝4時に起きると日本の午後8時でちょうど将棋が佳境に入っている頃になる。そのままそれから4-5時間かけて終局まで観る、という感じで一日が始まる。 たとえば今は日本の午後10時半(こちらの午前6時半)。A級の佐藤郷田戦。午前中に急戦矢倉の佐藤新手▲5六金が出て、それからは未踏の世界での両者の長考が続き、寝て起きてきても、まだこの将棋は戦いが始まっていない。二人のトッププロが、膨大な量の読みを捨てながら手を選び、相手の手を殺しながら、将棋の形を整え続けて、早12時間近く経つのだ(しかし急戦矢倉からこんな形になるのか。不思議なものだ)。そうやってそれぞれの持ち時間6時間の大半を使い切っているから、あと
1992年8月の甲子園。明徳義塾は星稜の四番打者・松井秀喜に対して五打席連続敬遠作戦をとり、松井は一度もバットを振ることなく星稜は敗退した。詳しくはここを参照されたいが、この事件の反響は大きく、明徳義塾に批判が集まって大事件になった。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E4%BA%95%E7%A7%80%E5%96%9C5%E6%89%93%E5%B8%AD%E9%80%A3%E7%B6%9A%E6%95%AC%E9%81%A0 その3年後の1995年と言えば、阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件の年だが、14年前になる。野茂がメジャーリーグデビューを果たし、インターネット元年とも呼ぶべき年だ。僕にとっては1994年に渡米して最初の年だったこともあり、様々な出来事が個人的ないろいろな記憶と重なりあって、遥か昔のようにも、ついこの間のようにも思える、
朝日新聞に掲載された奥泉光氏の「シリコンバレーから将棋を観る」書評の中に、名人戦第七局の▲4六歩がこう書かれている。 将棋ファンといえば、将棋を指すのが好きな人のことだと普通は思うわけなのだけれど、将棋を指さない将棋ファンも世間にはけっこう存在する。かくいう私がそうだ。つまりプロ将棋の観戦を趣味にしているので、これがすこぶる面白いのだ。 本書にも書かれているが、自分ではサッカーや野球をやらない人でも、スポーツ観戦を楽しむことはできる。ならば、それと同じようにして将棋観戦を楽しんでもいいはずではないか。とはいえ、イチローのサードへの返球の凄(すご)さは、見れば誰にでも理解できるけれど、たとえば今期の名人戦第七局、羽生名人の作戦勝ちを決定づけた31手目「4六歩」の凄さは、素人には分からない。プロ棋士から解説してもらって、なんとなく分かった気になれるだけである。 奥泉さんの言う通り、私たちは将棋
将棋鑑賞という趣味を同じくする同世代の友人から、 『永世竜王への軌跡』面白かったです。あまり将棋の本は知らないのですが、棋士がこれほど自分の戦いを語った本って、今までにあったのでしょうか? というメールが届いた。将棋世界09年9月号に書評を寄稿した相崎修司氏は、こんなふうに書いている。 ところで、「知のオープン化」という言葉がある。「シリコンバレーから将棋を観る」(中央公論新社)の著者である梅田望夫氏が、その書中にて「羽生の頭脳」全十巻を評した言葉だ。いわく「羽生のその段階で持っている知識は全てオープンにする」というものである。(中略) はたして「羽生の頭脳」が「知のオープン化」を実現したものであるならば、「永世竜王への軌跡」は「心のオープン化」を実現した書籍であると位置づけたい。 「心のオープン化」、これは名言だと思う。 たしかに渡辺は、それが将棋ファンを増やしていくことになると信じて、
盤面を見ているうちに、二通りか三通りかの<手>が目に映ってくる。ほとんど同時にである。そしてそのうちの一ツをえらぶ。えらぶ理由があるから選んだというのでもない。・・・だが、不思儀にも読んでみると、その手はちゃんと目的を成立させてくれる出発点となっているものだ。・・・ それから、七、八才の子供でいながら、将棋に特別の才能を有する例であるが、着手にあたって考えることをしない。大人のするように、論理の操作ということはない。それでいて、ちゃんと手はマトを射っている。これはつまり、目的を立てないで指した手であるが、目的を持っているということと考えられないだろうか。 ・・・・・ 手とは何等かの"意味"を持って、われわれの目に映っているのだと思う。ただ、それを意識することができないというだけではないだろうか・・・・・ さて、常識では手を読んで行くうちに形ち(目的)が成立するとし、故に、たとえ形と手とは一
ウェブ上でも読めるようになっています。 http://sankei.jp.msn.com/culture/shogi/090726/shg0907260730000-n1.htm
「週刊現代」編集部のご厚意により、同誌7月18日号に寄稿した『勝ち続ける力』書評を、本ブログに転載する許可を得ました。どうぞご一読ください。 『勝ち続ける力』 著者 羽生善治/柳瀬尚紀 新潮社(1470円) 評者 梅田望夫 ―― 将棋を究める天才の内面に 濃密に詰められた"叡智"の数々が 的確な言葉に"翻訳"された絶妙対談 ―― 羽生善治名人は言うまでもなく将棋界の第一人者である。しかし羽生の姿、立ち居振る舞いを見て、その言葉の数々を耳にして、「羽生は将棋が強いというだけの人物ではない」と多くの日本人が気付いている。 しかし羽生は、山奥で一人きりで暮らすことになっても「いまの生活と、特に変わらない」と言い切るほど、将棋に没頭した学究のような生活を送っている。羽生が自己を表現するのは将棋の対局を通してであり、「ジョイスやシェイクスピアの文学作品と同じような多重構造」を持った棋譜、歴史に残る
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