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どんな鈍い頭の持ち主にも、いまや点と線がつながったことがわかるだろう。安倍政権の本質は、「私物化」である。私物化はモリカケ・「桜」問題だけのキーワードではない。モリカケ・「桜」問題それ自体はつまらない事件だ。だが、それはこの本質が氷山の一角としてこの上なく明瞭に可視化された案件なのだ。より重大な、アベノミクス(GDPの改竄を含む)、北方領土問題、対米従属問題(沖縄米軍基地問題やトランプ大統領への媚態等々)、朝鮮半島危機への対応など、すべてはこの一語で説明できる。ここにあるのは、世襲によって譲り受けた権力を手段を選ばず維持するという原理だ。 私物化は未来の日本人にも及ぶ。ピント外れの大学入試改革は、自らの学力と学歴に対する安倍の劣等感によって後押しされてきた。結果、入試制度そのものが、ベネッセを代表とする教育業界の政商の食い物にされ、台無しにされようとしている。 総仕上げは検察の私物化であり
■消えた「慎み」 いよいよ「令和」が始まる。新元号発表からのこの1カ月は、今日の日本がどのような状態にあるのかを鮮やかに示した。この国は一体、誰のものなのか? 昭和から平成への代替わりを思い起こしてみよう。「平成」を誰が考案し、どのような過程を経て元号に決められたのか、今でも不明な点が多い。その当事者たちがそれについてペラペラ口外すべきでない、と考えているからだ。ところが今回は、新元号発表の翌日に早くも、他の候補の存在などが詳細にリークされている。 かつてあった厳粛さと慎みは、一方では「元号=天皇の時間」という側面ゆえの、天皇に対する配慮であったと同時に、民主主義=国民主権への配慮でもあっただろう。新時代は、元号が発表された時点では真っさらの状態にあり、それがどんな時代になるのかを決めるのは、日本国民である。ゆえに、決定に関わった当事者たちは、その具体的過程や言葉の意図などについて口を閉ざ
晩夏に広島で講演をする機会をいただき、平和公園を久しぶりに訪ねた。その地で、脳裏によぎったのは、2年前のオバマ前大統領の広島訪問の「奇妙さ」だ。オバマ演説のなかでは、誰が原爆投下をしたのか、その主体は曖昧化された。日本側は、その主体であるアメリカに謝罪を一切求めず、戦後の日米蜜月がひたすらアピールされた。 この式典を貫いた奇妙さは拙著「国体論――菊と星条旗」(集英社新書)で述べた「戦後の国体」という視角から見てみると、鮮烈な意味を帯びてくる。 国体とは何か。戦前においては、言うまでもなく天皇制ファシズム体制の基礎であった。しかし、敗戦後、アメリカは脱ファッショ化を図る一方、天皇制を維持・利用しながら占領を行った。その結果生み出されたのは、象徴天皇制のみではない。従来の天皇制の構造はそのままに、天皇に代わってアメリカが君臨するという「戦後の国体」と呼ぶべき体制が生み出された。 これはアメリカ
私は、2012年末に安倍政権が成立して以来、原則的な批判者の立場から発言してきた。同政権を成立せしめた12年12月の総選挙の晩、開票速報を見聞きしながら、最悪の気分になったことをよく覚えている。「最低最悪の政権が成立して、最低最悪の政治が行われるだろう」と私は確信していたが、当時私は『永続敗戦論』執筆の佳境を迎えていた。なぜ、安倍政権がそのようなものであるほかないのか、その根拠は同書に書いた。安倍晋三氏は、同書に言う「敗戦の否認」の権化のごとき政治家にほかならないからだ。 そのような私にとっても、想像を超えたのは、同政権が長期本格化したことである。看板倒れで何の結果も出していない政策、常軌を逸した強引な国会運営、相次ぐ閣僚の不祥事、身贔屓(みびいき)によるスキャンダルの噴出、不誠実な災害対応──これらすべてにもかかわらず、今もって政権は続いている。「野党がだらしがない、代案がないからだ」等
2014年11月16日の夕刻、テレビのニュース特番を見ていた時の高揚した気持ちを、私は鮮明に記憶している。チャンネルはBSのTBSであり、アンカーは後に立憲民主党の国会議員となる杉尾秀哉氏が務めていた。開票開始早々に出た「翁長雄志氏当確」の知らせを伝える杉尾氏の表情には沸き立つ感情が現れており、解説の一人として出演していた前泊博盛氏(政治学者・ 沖縄国際大学教授)の表情がみるみるうちに生気に満ちていった様子は、もう一人の解説者――誰であったか忘れたが、代表的な「安保ムラ」の人物であった――のうつろな表情と好対照をなしていた。2012年末に安倍晋三政権が成立して以来初めてまともなニュー スに接した喜びを私はかみしめていた。 翁長知事誕生から4年弱、「日本で最も勇敢な男」(米フォーブス誌)は逝った。この間の翁長知事の闘い、オール沖縄の闘い、沖縄の闘いの過程は、日本国家の民主主義・ 法治主義の崩
「国体」とは? 先月『国体論――菊と星条旗』(集英社新書)と題する新刊を上梓した。テーマは文字通り「国体」である。 幕末に起源を持ち、明治時代に形成された「国体」の概念は、文字通りには、「万世一系の天皇が永久に統治する世界に類を見ない日本国家の在り方」を意味し、昭和ファシズム期においては「国体明徴声明」(1935年)、「国体の本義」(文部省によるパンフレット、1937年)に見られるように、戦争に対する異論を禁圧し、国民を動員する装置として猛威を振るった。実に、ファシズムを支えた治安維持法は、「国体の変革」を目指す組織への参加者に対しては極刑を以て臨みうると定めていたのであった。 なぜ「国体」なのか? 敗戦後の民主化改革は、かかるものとしての「国体」の破壊を意図しており、それゆえ「国体」は死語となった。しかし、『永続敗戦論』を書いて以来、私は確信するようになった。「国体」は廃絶されたどころか
一片の悔いなし 衆議院京都2区選出議員である前原誠司氏の発言が、話題を呼んでいる。安倍政権に大勝を許した昨年の総選挙での希望の党への合流について、「全く後悔していません」(産経新聞、1月20日)と語った。 政治家の決断に対する評価は、短期間で決まるものではない。例えば、一時の敗北を甘受しても、筋を通すことによって後にはより多くのものを達成することはある。 では、選挙前後から現在までの前原氏の言動に、選挙での負けを打ち消すような、価値あるものはあるだろうか。 魂は売らない いわく、「共産党に魂を売って惨敗するより、チャレンジしてよかった」。「合流には《非自民・非共産》の大きなかたまりを作る狙いがありました。民進党の《左旋回》はひどすぎた。日米安全保障条約の廃棄を掲げる共産党と政権選択選挙で協力することを、有権者にどう説明するんですか」。 前原氏にとって、共産党を含む野党との共闘路線をとること
小池新党の立ち位置永田町の喧嘩(けんか)においては、確たるルールというものがない。ルールはないという「ゲームのルール」を知悉(ちしつ)しているのが、長年政権与党にいた政治家たちであり、その筆頭が「緑のタヌキ」こと小池百合子東京都知事である。 本稿執筆の現時点で、政争の行き着く先はまだ見えない。しかし、大局的な構図から見れば、投票後の結果まで含めて、今回の選挙戦の意味はすでに見えたと言える。以下、その意味を論じてゆく。 民進党を解体へと追い込んだ小池新党とは、どういうものなのだろう。ひとことで言えば、もう一つの自民党である。同党が民進党議員に対して当初提示した、合流(その内実は吸収合併である)の条件がすべてを語っている。すなわち、一、憲法改正に賛同すること。二、「現実的な外交・安全保障政策」に賛同する、より具体的には新安保法制を容認すること、である。これらに加えて、9月27日の小池の党首就任
はじめに以下は、「京都新聞」9月26日夕刊に掲載された記事なのですが、その後の展開は驚天動地の有様です。そんななか、そもそもなんで解散されたのか、つい忘れられてしまいかねませんので、想い起しておきましょう。以降の展開については、別途考察を発表するつもりですが、この当初の問題にしっかり向き合えそうな勢力を議会に送るべきではないでしょうか。 モリカケ解散 臨時国会冒頭で衆議院が解散される。歴史上、衆議院解散と総選挙は、名前が付けられる。吉田茂によるバカヤロー解散(1953年)、小泉純一郎による郵政解散(2005年)などが名高い。今回の解散には、どんな名称がふさわしいだろうか。私は、「モリカケ解散」が圧倒的に適切であると確信する。 解散に至る経過を簡単に振り返ってみよう。今年初めから森友学園問題が国会論戦にて取り上げられ、2月17日に安倍首相自らが「私や妻が関係していたとなれば総理大臣も国会議員
■無意味な訓練の意味 北朝鮮から日本に本当にミサイルが飛んでくるのか、現在のところ可能性は低いと見るが、究極的には分からない。だが仮に本当に飛んでくるとしても、こうした訓練は意味がない。小学校の体育館に逃げ込んで身を守れるのか。体育館に集まった方が安全だと判断する根拠はどこにあるのか。頭を抱えたところで、落ちてくるのはミサイルであり、対処法は基本的にない。 政府は、グアム方面に発射されたミサイルを日本上空で迎撃すると言い、島根、広島、高知の3県に地上配備型迎撃ミサイル「PAC3」を配備した。だがこれも無意味だ。日本上空を通過するときにはミサイルは高高度を飛んでいるためPAC3で撃ち落とせない。 北朝鮮が米本土に向けて撃つミサイルを日本が撃ち落とすなどと言っているが、これもばかげた話。この場合、ミサイルは日本上空を通過しない。 これらに共通しているのは危機認識の前提や、その対処方法に「全く合
安倍政権をめぐって「権力の私物化」が批判の焦点となってきた。森友学園問題は国有資産の払い下げに、加計学園問題は省庁の許認可権限に関係するものである。その意味で、疑獄事件としては古典的な構図を見て取ることができるのであり、長期政権化や、いわゆる「一強」体制となっているといった、政治腐敗を生む典型的な要因が作用している。 安倍氏の主観としては、「戦後レジームからの脱却」をめざして、憲法改正の大業を「天命」と心得ているというのに、実につまらない事柄が足を引っ張っている、と感じているのかもしれない。しかし、安倍氏が目指す憲法改正こそ、「権力の私物化」の最たるものにほかならない。 というのも、第2次安倍政権の発足以来、改憲の内容をめぐる総理のスタンスはぶれ続けてきた。2014年初め頃までは、憲法改正手続きに関わる96条の改正を盛んに唱えていたが、やがてそれは封印され、15年末頃からは国家緊急事態条項
秋葉原駅前にて 7月1日午後4時過ぎ、私は秋葉原駅付近のガンダムカフェ前に居た。その日、たまたま出張で東京におり、しかも自由になる時間が2時間ばかりできたのだが、安倍晋三首相が東京都議選の最初で最後の街頭応援演説を行なうというニュースを知って、居ても立ってもいられない気持ちになったのだった。目的はただ一つで、総理大臣に言いたいことを直接言うことだ。そんな機会は滅多(めった)にあるものではない。 着いてみると、まさに安倍が到着する直前であったが、広場の一角には「安倍やめろ!」と書かれた大きな横断幕を掲げる人々がおり、その周囲には安倍批判のスローガンを書いたプラカードを持つ人々も多数いた。若い人、中年、高齢者、男性、女性、ラフな服装、スーツ姿、さまざまだが口々に「安倍辞めろ」と叫んでいる。私は即座にそこに加わった。 いよいよ安倍が到着して登壇するや否や、「辞めろ」「帰れ」の声はグンと高まった。
前編はこちら ■改憲以前の問題 憲法問題を巡ってはこれまで「変えるのか」「変えないのか」という議論がなされてきた。だが、日本国民は、憲法によって定められた人権や国民主権を理解できているのか。今日の日本では、権利要求をする人々(往々にして社会的弱者だ)を抑圧することや国民主権を実践しようとする人々を愚弄することが大流行だ。 かつては敗戦によって、近代国家としてのレベルに達していないという現実を謙虚に受け止める気持ちが広く共有されていた。それがやがて金持ちになり、傲慢になって、内実はスカスカにもかかわらず東アジアで最も民主的な成熟国だと錯覚を起こしている。 いま学生たちに伝えていることがある。それは「君たちが頑張れば社会は変わる」というような非現実的かつ無責任なことではない。日本は奈落の底へと落ちていきつつある。そのとき、突き落とそうとしているのは誰なんだ。それに抗っているのは誰なんだ。ボサー
■朝鮮半島危機があぶり出したもの 実際に日本に対してミサイル攻撃がある可能性は現時点ではほぼないと考えている。最も頼りになる指標は、在韓米人に対して退避指示を米政府が出していないことだ。1994年に米クリントン政権が北朝鮮の核開発を止めようと考え、先制攻撃した場合の被害を試算した。だがその数字があまりに膨大だったため「北の核開発問題」の武力行使による解決を断念し、今日に至る。 いま試算すれば当時よりも大きな被害が算出されるだろう。従って普通に考えれば北朝鮮への先制攻撃などあり得ない選択だ。だが、トランプ政権のとる方向性はいまだ不透明だ。硬軟いずれをとるにせよ、従来とは異なる仕方で行くと宣言している。 仮に戦端が開かれたならばどうなるか。北朝鮮と韓国を隔てる国境、38度線ではソウルに向けて砲台が並べられている。日本へ向けられた弾道ミサイルの基地も複数ある。先制攻撃となればまずそこをたたくこと
友人に助けを求める諄子夫人、「祈り」で応える昭恵夫人森友学園の籠池諄子前理事長夫人と安倍昭恵首相夫人のメールのやり取りが印象深い。2月24日に安倍首相が「(籠池理事長は)非常にしつこい」と発言した後、諄子夫人の言葉のトーンは上がる。「安倍総理には失望しました」。 お金のやり取りをめぐって諄子夫人の言葉は憤りさえはらむようになる。昭恵夫人の「私は講演の謝礼を頂いた記憶がなく」との言葉に対して、諄子夫人は「あまりにひどい」と応える。3月に入り学園への包囲網が狭まるなか、諄子夫人は「小学校は 支払いができず(中略)閉めます 主人も私も失業します」と嘆き、「小学校をやめ 幼稚園は 破産(中略)お父さんは詐欺罪 あんまりにも 権力を使うなら死にます」とさえ述べる。 昭恵夫人の言葉には、「神様は何を望んでいるのでしょう」「祈ります」といった表現が増え、公表された二人のやり取りは、昭恵夫人の「(安倍首相
東芝の破綻はもはや避けられないと騒がれているが、危機の核心は単純である。ウェスチングハウス社を買収して(2006年)、原発を基幹事業としたことの致命的な失敗が、いよいよ誤魔化せなくなったにすぎない。 この買収はそもそも高すぎる買い物であったところに、福島第一原発事故が発生する。これによって、世界各国で安全基準が見直され建設コストは急騰、いよいよ原発はペイする事業ではなくなった。この時点で、東芝は脱原発路線に転ずるほかなかったのである。 実際には、東芝経営陣はこの危機を粉飾決算によって乗り越えようとし、それが発覚すると、見せかけの利益を得るために稼ぎ頭の優良部門を切り売りしながら、原子力事業に望みを掛け続けた。債務超過に陥ったことで原発の新規建設路線こそついに諦めたが、1月27日の綱川智社長の会見で語られた言葉は以下である。 「さらなる成長、ひいては東芝グループの企業価値の最大化を実現するた
11月16日、一人の元閣僚が世を去った。文部大臣や法務大臣を歴任した奥野誠亮氏である(享年103歳)。これを機に、長寿を全うしたこの人物のキャリアにあらためて注目が集まった。氏は、1913年に生まれ、38年に東京帝国大学法学部を卒業、同年に内務省に入る。戦後は、自治庁(当時)官僚となり、63年には自治事務次官に就任。同年、官僚を辞して自民党から衆議院総選挙に立候補、当選。以後13回連続当選し、72年に文部大臣として初入閣(田中角栄内閣)したのを皮切りに、2003年に政界引退するまでに法務大臣・国土庁長官を務めた。 政治家奥野氏は、いわゆる保守派として鳴らした。憲法改正を積極的に唱え、「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」の初代会長を務めた。国土庁長官の任にあった88年には、日中戦争に関して「あの当時日本に侵略の意図はなかった」との発言により舌禍事件を起こし、辞任に追い込まれている。いわ
「名を正す」とは『論語』のなかでも最も有名な話であろう。物事をその正確な名前で呼ばないことこそが世が乱れる根本である、と孔子は喝破したのであった。最近の国会でのやり取りを聞いていてこの言葉を思い出した。 自衛隊がPKO(国連平和維持活動)に派遣されている南スーダンでは内戦が再燃し、紛争継続地には派遣しないとする「PKO参加5原則」が完全に崩れているとの指摘が、かねてなされていた。この点を国会で突かれた安倍晋三首相は、「衝突はあったが戦闘行為ではない」という趣旨の答弁をした(10月11日)が、端的に言って意味不明である。 意味不明ではあるが、これは実に見慣れたまことに「日本的」な光景でもある。大東亜戦争当時、大本営は「全滅」を「玉砕」と呼び換え、「撤退」を「転進」と呼び換えた。この呼び換え癖は敗戦を経ても治らず、「敗戦」そのものが「終戦」と呼び換えられた。だから今も、底が抜けて放射能が溶け込
今回の「お言葉」を通じてわれわれが知ったのは、象徴天皇制とは何であるのかについて、われわれがいかに何も考えてこなかったか、ということだったのではないか。「戦後の天皇制は象徴天皇制であり、そこにおいて天皇が何であるのかは憲法と皇室典範に書いてある」というのは常識であった。穏健な保守派は、このシステムを戦前レジームによって歪曲された古来の天皇制を「権力なき権威」という本来の伝統に復帰させたものとして評価する一方、共和主義を志向する左派は、政治的権能を一切持たないと規定されながらも、天皇の存在が否応なく持つ政治的性格を批判し、また事実上人権を奪われた状態にある天皇をその身分から解放するべきだとしてきた。「良き伝統」なのか「悪しき遺物」なのか、象徴天皇制についての首尾一貫した見解は、この二つのいずれかの見方におおよそ収斂する、というのも常識であった。 しかし、われわれは常識のなかに胡坐をかいて思考
私は当コラム(6月7日付)で、関西経済連合会副会長で阪急阪神ホールディングス会長でもある角和夫氏の発言を取り上げた。同氏は、関西電力高浜原発3・4号機(福井県高浜町)の再稼働差し止めをめぐる訴訟で、大津地裁が運転停止の仮処分を決定した(3月9日)ことに対して猛反発し、「なぜ一地裁の裁判官によって、(原発を活用する)国のエネルギー政策に支障をきたすことが起こるのか」、「こういうことができないよう、速やかな法改正をのぞむ」等と発言した。 これを知った私は、次のように論じた。角氏らが自由民主主義社会の基本原則としての三権分立を理解していないのだとすれば、「彼らは中学生程度の社会常識を欠いている」と。また、行政権力と一体化しているごとき彼らが、自分たちにはこの原則を公然と無視する権利があると考えているのであれば、彼らは極度の傲慢と極度の卑屈によって精神を蝕まれている」と。 この阪急・角発言は、SN
マスコミや有権者がどう考えようと、参院選の争点は「改憲問題」です。なぜなら、選挙の実質的な争点は、勝った者が決めるのですから。そして、安倍晋三氏は、「憲法改正」をひたすら目指してきた政治家です。以下は、「河北新報」6月29日朝刊掲載のインタビューを若干修正したものです。 ――参院選では、憲法改正の国会発議に必要な3分の2の議席を改憲勢力が占めるかどうかが焦点です。改憲論の現状、問題は何ですか。 「自民党は現行憲法を連合国軍総司令部(GHQ)による押し付け憲法だとし、自主憲法制定を党是に掲げる。全面改憲に対しては国民の心理的抵抗が強いことはよくわかっているので、第一段階として部分的な改憲を目指している。戦争や災害時に一時的に政府の権限を拡大する『緊急事態条項』の創設を狙う。だが、東日本大震災の被災地で緊急事態条項がないため憲法が救助や復旧の足かせになったとの声は広がっていない」 (想定される
参議院選挙が近づいてきたが、一応「自由で公正な国政選挙」が行なわれるのは、この選挙が最後となるかもしれない。安倍政権の目指す「憲法改正」の過程がその目論み通りに進行するならば、政権に敵対的なメディア、知識人、さらには政党が、自由に自己の主張を展開したり、宣伝したりすることが今後できるのか、全く予断を許さない。現に、大手TV局は、政権に対して批判的なキャスターを降板させ、屈服した。私たちは、「相手の出方」を出来るだけ正確に予測しなければならない。 ゴールは全面改憲 安倍晋三首相は「憲法改正」に執念を燃やしてきたが、その企みは段階を踏んで着々と進みつつある。そのゴールは全面改憲であり、自民党による憲法草案そのもの、あるいはそれに近いものへと、現行憲法を書き換えることである。この憲法草案たるや、国民の基本的人権を制約したいという欲望を露にした途方もない代物であるという批判が多方面から出てきている
本年3月9日、関西電力高浜原発3・4号機(福井県高浜町)の再稼働差し止めをめぐる訴訟で、大津地裁は運転停止の仮処分を決定した。これに関連して同月17日に、関西経済連合会の幹部が記者会見を行なったが、そこで発せられた言葉は驚くべきものだった。関経連副会長でもある角和夫阪急阪神ホールディングス社長は、次のように述べたという。「なぜ一地裁の裁判官によって、(原発を活用する)国のエネルギー政策に支障をきたすことが起こるのか」、「こういうことができないよう、速やかな法改正をのぞむ」(3月18日付京都新聞など)。 角氏の「なぜ」への答えは簡単だ。我が国は自由民主主義政体を採用している。この政体においては、国家権力が司法・立法・行政の三つに分割され、それらが相互に抑制する作用を働かせることにより国家権力の暴走を防ぐ仕組み(三権分立)が採用されるのが世界的に見て標準だからである。このことは、中学の社会科で
『永続敗戦論』を上梓して以来、各所から講演に呼ばれる機会をいただき、北海道から沖縄まで、さまざまな地方に出向く機会を得た。県庁所在地に呼ばれる機会が多いのだが、ほとんどいつも目にする同じ光景がある。県庁所在地の中心部には大抵その地域の農協本部の大きな建物が立っている。そしてそこには、「TPP(環太平洋連携協定)断固反対」の巨大な垂れ幕がかけられているのだ。 率直に言って、私はこれを見る度に、苦笑を禁じ得ない。私は心の中で呟く。「TPP断固反対、大いに結構である。だが、それを言うあなた方は先の総選挙で誰に投票したのか?」、と。実際、2014年の衆議院議員総選挙において、北海道の場合でも、12の小選挙区のうちの9つで与党が勝利しており、比例代表北海道ブロックでも与党の得票率は40%を越えていた。つまり、多くの有権者が政府与党を支持した結果が今年10月の「大筋合意」なのである。 もう少し時間をさ
・新安保法制闘争のバランスシート新安保法制は通ってしまった。その意味で、筆者を含む反対運動を展開してきた勢力は敗北した。しかし、昨年の新しい憲法解釈の閣議決定(7月)ならびに年末の総選挙における与党勝利の時点で、新安保法制が通ってしまうこと自体は十分予測できる事柄であった。したがって、勝敗以上に重要なのは、敗北の過程で何が生じたのか、社会がどのような化学変化を起こしたのか、ということにほかならない。 SEALDsに象徴されるように、若年層が3.11以降表面化した危機を察知し、抗議の声を上げ始めたことは、多くの報道機関が報じている通りである。筆者も東京や関西で何度か彼らの主催する抗議行動に参加したが、脱原発運動と比べて、若年層の参加が増えていることは確かであるとの感触を得た。だが、新安保法制反対運動においてそれ以上に印象的であったのは、いわゆる「普通のサラリーマン」の参加が増えているのではな
※本稿は、12月18日の「京都新聞」文化面に掲載されたものです。 安倍政権は信任された。低投票率(最低値を大幅に更新、50%台前半まで落ち込んだ)や選挙制度の欠陥(小選挙区での自民党の得票率は48%だが議席占有率は75%)に助けられてのこととはいえ、与党が相対的に最大の票を得たことは事実であり、安倍晋三総理の続投が是認されたのである。 第二次安倍政権が成立して以来、多くの人々が危惧の念を表明してきた。すなわち、「日本は再び戦争をするのではないか」と。今回の総選挙を経て、この危惧は新しい段階に入るだろう。いまや問題は、「日本が戦争をするかどうか」ではない。戦争をすることはもはや既定路線であり、「いつ、誰と、どんな戦争をするのか」が問題である。 政治姿勢の是認 安倍政権の選挙戦勝利は、この戦争路線に国民が賛意を示したことを意味する。「ちょっと待て! 経済政策に対する期待から安倍政権に投票した、
※本稿は、the pageに掲載されたものです。 「与党300議席を超える勢い」――公示二日後の各紙の一面でこんな言葉が躍っている。こうした数字についての大々的な報道が、いとうせいこう氏が言うような、人々が「ある種の「政治不信というキャンペーン」によって「無力」さを刷り込まれ」るために行なわれているのか、それとも全く何の確たる意図なしに行なわれているのか、私にはわからない。いずれにせよ予測されるのは、投票率が戦後最低となった前回(2012年、59.32%)を下回るであろうことだ。そして、投票率が下がるほど、組織票を握る与党陣営は有利になる。 メディア上で頻繁に語られる低投票率の理由のもっともらしい説明はいくつもある。いわく、「大義なき解散」、「争点なき総選挙」。どちらの理由づけも本質的に間違っているのだが、現在の国民の気分を何となくそれなりに反映していることも確かだ。 上記二つの理由づけは
国民の皆さん、覚悟してください-。 突然の解散総選挙は、安倍晋三首相からのそんなメッセージと受け取った。「今回の選挙で与党が過半数を取れば、来年は好き放題やりますよということ。集団的自衛権の行使に関する実質的な法整備や原発再稼働の本格化、そして特定秘密保護法違反で逮捕者が出るかもしれない。さらには、ちょうど終戦から70年の節目になりますから、「安倍談話」のようなかたちで彼の歴史観を公的に表明するつもりかもしれない。彼が本音を隠さないなら、信奉する歴史修正主義を前面に押し出すことになるでしょう。そのとき彼はこう言えるわけです。『皆さん、私を支持しましたよね』と」 険しいまなざしは、首相が成果を強調するアベノミクスにも向けられる。「金融緩和で緩やかなインフレをつくり出すという政策には、危うさがある。貨幣現象であるインフレーションをまず起こせば、実体としての好景気が付いてくる(デフレの脱却)はず
安倍晋三内閣による集団的自衛権行使容認の閣議決定が、7月1日になされました。この記事は、5月の総理記者会見後に共同通信社のために書いたものです。本決定の要点は、日米安保を完全な攻守同盟とすることです。 ************************************** 「戦後憲法への死刑宣告」と呼ぶには、安倍晋三首相の言葉遣いは穏やかな印象を与えるものだった。歴史的転換の瞬間を見る者に気付かせまいとした首相および周辺関係者の手腕は、相当に巧妙なものであったと私は思う。 まず、集団的自衛権の容認が既定事実ではなかったかのごとき印象を演出した。「与党協議の結果に基づき、憲法解釈の変更が必要とされれば‥閣議決定してまいります」。あたかもまだ仮定の話であるかのような口ぶりだが、お手盛りの「識者」懇談会をつくり、内閣法制局の長に同調者を強引に指名しておきながら、「まだ仮定の話」とはしらじら
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