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ドラクエ3
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サラブレッドは、生き物の極致の如きスピードで私たちの目の前を駆け抜ける。 愛らしい瞳を持ち、時に無防備な、時に哲学的とも思える振る舞いを見せる彼ら彼女らが、命を燃やし、闘志をむき出しにしてスピードを競う姿は、私の心を捉えて離さない。 レースを俯瞰するだけならテレビ画面が一番わかりやすい。それでも私が競馬場に足を運ぶのは、蹄音を響かせて、あっという間に目の前を駆け抜ける彼らの「疾風」をその目で、その耳で、その肌で感じたいからだ。 アスリートたる彼らの中でも短距離を生業とする馬たちは格別だ。 彼ら彼女らは頑健さを極めた屈強なダート馬とも、研ぎ澄まされた身体能力をクレバーに発揮するスレンダーな中長距離馬とも異なる。 小細工無用。後肢が生み出す巨大なトルクを前肢で捉え、ターフを蹴り、推力に変換しパワーを乗せていく。スピードに最適化し、走ることに特化した筋肉の芸術品に私はいつも見惚れてしまう。 サク
2023年5月30日12時40分、ナイスネイチャが35歳の生涯を閉じた。 青空のもとで静かに息を引きとり、そよ風に運ばれるように魂は天国へと導かれていった。 競走馬の余生について真剣に考えるようになって久しい。競馬場を去った競走馬はどこへ行くのか。我々競馬ファンがそのことについて想像力を巡らせるのは正しい。しかし、競馬ファンが競走馬の余生のためにできることは少ない。ときに競走馬の来し方行く末について所有者を批判する場面もあるが、言うは易しということを肝に銘じないといけない。サラブレッドを養うためには経済的にも人的にも労を要するからだ。自宅で飼えるわけでもなく、どこかに放しておけばいいというものでもない。ではどんな形が理想的なのか。 ナイスネイチャはそんな一つの形を示してくれた。 余生はなにもサラブレッド特有の問題でもない。我々人間だって余生という問題はいずれのしかかる。老後2000万円問題
広い青空とうららかな日差しの下、一頭の栗毛馬が気持ちよさそうにクッションに顔を埋めている。穏やかで幸福に満ちた時間。アスリート然とした競走馬の姿とは一転、打算のない表情と溢れ出る愛嬌に嘘はない。 ”ウマをダメにするクッション”の魅力を最大限引き出した彼はYogiboと契約を結び、彼の姿はテレビCMと4200万回以上された動画を通じて、競馬に関心を持たないお茶の間にまで広く知れ渡った。 彼の名はアドマイヤジャパン。 かつては英雄・ディープインパクトに肉薄したライバルの一頭として、そして名牝ビワハイジの仔や稀代の才媛・ブエナビスタの兄として、その名は度々フォーカスされた。 だが「ディープのライバル」も「ブエナビスタの兄」も、一時代を築いた名馬を彩る”脇役”としての肩書であり、彼自身のものではないようにも感じられた。 引退から十数年の時を経て、思わぬ形で脚光を浴びたアドマイヤジャパン。かつて冷た
競馬場には、馬券好きのオッチャンたちに紛れてデカいカメラを提げて走り回る人たちがいる。 馬や騎手などの追っかけだ。 その一人が、夜明け前の品川駅にいた。大きなカメラバッグを二つも担いで、青白い顔で始発を待つ女。この日、このオネエサンの“推し”の若手騎手が中京競馬場のGⅠに出るという。それも相当の人気馬だ。デビュー9年、ついに初GⅠ勝利が現実のものになろうとしている。それで彼女は遠く中京競馬場まで行くのだ。 車窓の向こうに金色の朝焼けが広がると、それを眺めては目を潤ませたりするオネエサン。何やら事情がありそうなさまだが、単に推しの初GⅠを前にしているだけなのだ。 他に心配することはないのか。 オネエサンはこれまでさまざまな人生の心配事、資産形成、キャリア、結婚云々をことごとく推しの初GⅠ勝利後に後回しにし、”推し活”に全てを捧げてきた。 でもそれではまずいと彼女自身も薄々勘付いてはいたようだ
2022年の天皇賞・秋、パンサラッサは見事な大逃げを打った。ハイペースを刻んで1000メートル通過は57秒4。ずっと先頭を守って、守って、最後は差された。あふれんばかりの生命力をもって、元気よく走り切った。 私は「パンサラッサ本命なら、残り100メートルまでは絶対に楽しめるからね、アハハ」という職場のおやじを思い出していた。このおやじ、馬券はろくに当たらないが純粋に競馬が面白くてたまらないとみえる。秋の天皇賞では35年前のニッポーテイオーから逃げ馬の戴冠はお預けで、東京での逃げは一苦労であろうが、このおやじにそんなことは知ったこっちゃないようだ。それが嬉しくて、パンサラッサ好きに悪い人はいないね、と言ったら、おやじはまんざらでもなさそうに皺くちゃになってはにかんだ。 実におやじの目論み通りだった。100メートルどころか、最後まで夢を見た。35年の沈黙を押し破るあと一歩のところまできていた。
ホームコラム・エッセイインタビュー[インタビュー]和田騎手「メイショウドトウは善戦マンではない!」。テイエムオペラオー鞍上が振り返る、多士済々なライバルたち。 2000年8戦8勝、通算26戦14勝。獲得賞金は18億円を超える。 2004年にはJRA顕彰馬にも選出された、超名馬・テイエムオペラオー。 その26戦全てで鞍上を任されたのが、当時の若手・和田騎手だった。 今回はそんな和田騎手に、当時のライバルやテイエムオペラオーの持っていた素質について伺ってきた。(本記事は、新書『テイエムオペラオー伝説 世紀末覇王とライバルたち』収録の和田騎手インタビューから、本編には載らなかったこぼれ話のご紹介となります) 「上の世代の一線級は化け物揃い」 「テイエムオペラオーの走っていた時代は、競馬そのものも面白い時期だったと思いますね。テイエムオペラオーにとってよかったかは別として、上の世代の一線級は化け物
記録には残らなくても、人の記憶に残る名馬がいる。 2015年に『優駿』の企画、「未来に語り継ぎたい名馬 BEST100」の中で、重賞未勝利の条件馬として唯一ランクイン(95位)した馬がいた。 その馬は、シゲルスダチ。 2012年の3歳OPマーガレットSを勝利し、NHKマイルCにも出走した実力馬で、その芦毛の馬体と可愛らしいルックスも相まって多くのファンを獲得したアイドルホースだった。2012年シーズン、シゲルスダチは休むことなく転戦を続け、ほぼ1ヶ月に1走のペースで走り続けて年間で実に11戦のキャリアを積んだ。 連勝してオープン入り、GⅠの舞台や古馬との対戦、1番人気もシンガリ負けも経験した内容の濃い1年だったと言えるだろう。 そんなシーズンにおいて、8月の北九州記念は、彼のキャリアでも特筆すべきレースとなった。 前2走で古馬相手に歯が立たなかった彼はこのレースで18頭立ての12番人気42
僕は1年間だけアメリカに"競馬留学"をしていたことがある。 競馬留学なんて言うと大げさに聞こえるかもしれないが、大学に留学するという名目の下、毎日のようにアメリカの競馬場に通い詰めていたということにすぎない。 僕が本拠地にしていたのは、サンフランシスコ郊外にあるベイメドウ競馬場。レーシングプログラムにある限られた情報を元に、パドックを見て、馬券を買って、レースを楽しむ。いや、当時は楽しむなんて表現は生ぬるくて、生活費を切り崩して、まさに生きるか死ぬかの世界線を生きていた。僕の競馬の原点は、アメリカ競馬にあると言っても過言ではない。 目の前で繰り広げられるレースもまた、Dead or Aliveの激しい競馬ばかりであった。 アメリカの競馬場を初めて訪れたとき、驚かされたのは、その声援の仕方である。日本の競馬場では(これはヨーロッパの競馬場でも同じだが)、各馬がスタートしてから勝負どころに向く
1990年代中ごろから、日本の3歳クラシック戦線は、サンデーサイレンス産駒vsブライアンズタイム産駒の戦いの歴史だったといっても過言ではない。1994年にナリタブライアンが牡馬三冠を達成し、牝馬でもチョウカイキャロルがオークスを制した翌年、サンデーサイレンスの初年度産駒が大爆発。その翌年からも牡馬・牝馬のクラシックを席巻し、以後もその戦いがおよそ10年ほど続いた。 いうまでもなく、それらの中には、クラシックを勝てなかった馬や、古馬となってからもGⅠを勝利することができなかった馬はたくさんいたが、重賞戦線で活躍しバイプレイヤーとして名を馳せた馬達もまた、多数存在した。 1996年、栗東の大久保正陽厩舎には、大黒柱のナリタブライアンと同じ、ブライアンズタイムを父に持つ牡馬が2頭いた。一頭は、早田牧場出身という肩書きも同じだったが、ずんぐりむっくりで見栄えのしない馬体の持ち主。もう一頭は、馬体重
2019年7月30日。 日本近代競馬界の結晶、ディープインパクトが天国へと旅経ちました。17歳でした。 ディープインパクトの功績の大きさは計り知れません。競走馬として多くの歴史的偉業を成し遂げた名馬であると共に、多くの名馬をこの世に送り出した大種牡馬でもありました。 そのディープインパクトの死と共に大きな話題になったのが”安楽死”です。 これ以上手の施しようのないと診断された馬に対して安楽死がされることは、少なくありません。 そう、歴史的名馬であるディープインパクトにも、この安楽死の処置が施されたのです。 その出来事は、普段競馬をやらない方々にも大きな衝撃を与えることになりました。 ──本当に安楽死という処置が正しかったのか?まだ様子を見るべきではなかったのか?様々な意見が巻き起こったこの問題を、改めて振り返り、解説していこうと思います。 なぜ『安楽死』という考えがあるのか? そもそもなぜ
競馬における"1998年世代"。それはまるで、漫画やドラマに描かれる脚本のような世代である。 産まれてすぐに母を亡くし、乳母に育てられた良血馬。 自身・鞍上、共に偉大過ぎる両親の宿命を背負う良血馬。 ──そんな2頭のスターに立ち向かっていった、ある1頭の芦毛がいた。 父はデビュー時には既に消息不明。母も無名の繁殖牝馬。 周囲からの期待値などいざ知らず、ただ懸命に逃げ、走り抜けた2冠馬。 それが、セイウンスカイだ。 紛れもない、1998年クラシックの主役である。 父が残した"忘れ形見"。 父シェリフズスターが日本にやってきたのは1990年。 西山牧場の先代、西山正行氏がイギリスから買い取り同牧場の繁殖牝馬をこぞって種付けしたのだが、産駒が全く走らない。そのため種付け総数が一気に落ち込むと、1996年に息子の西山茂行氏に実権が変わった際、用途変更で種牡馬引退に追い込まれてしまう。 奇しくも輸入
──昔の競馬は良かった。 誰が言うもんかと思っていた言葉を、結局自分も使うようになった。 これが歳を重ねるということなのだろうか。 私が競馬に出会ったのは1995年。 メジロマックイーンは2年前に引退していた。 今どきの競馬ファンはどうかわからないが、競馬にハマると過去の名馬に思いを馳せる時期が来る。 今のようにインターネットで何でも調べられる時代ではなく、大学生だった自分にとって一番の情報は競馬好きの大人たちが語る物語だった。 当時、現役馬では前年に三冠馬となったナリタブライアン、同世代の女傑ヒシアマゾンがいた。 サンデーサイレンスの初年度産駒が春のクラシックで旋風を巻き起こしたのもこの年だった。 牡馬ではジェニュインとタヤスツヨシが皐月賞とダービーで1着2着を分け合った。 牝馬ではダンスパートナーが桜花賞2着、オークスでは優勝を飾った。 秋には、後にナリタブライアンと名勝負を演じること
「今日の走りもチョベリグ! お立ち台までイケイケよ!」 とてつもないポテンシャルを持ちながら、威張ることもなく、学園のウマ娘みんなのお姉さんとして慕われているマルゼンスキー。 ドライブが大好きで、よく学園のウマ娘をドライブに誘ってはヘロヘロにさせたりと面白い一面を持っているキャラクターです。また学園で唯一1人暮らしが許可されていたり、学園長秘書のたづなさんと友達であった、なにかと学園で特別な存在となっています。マルゼンスキーがトレセン学園で特別な存在として描写されている理由は彼女の現役時代にあります。 今回は数奇な運命に立ち向かい、ファンから"スーパーカー"と評されるようになった、マルゼンスキーの現役時代について解説させていただきます。 マルゼンスキーの目標レース メイクデビューに出走 マルゼンスキーは日本生まれですが、持込馬という少し特殊な経歴の持ち主でした。持込馬とは、母が海外滞在中に
2021年4月4日、大阪杯が行なわれた。 戦前に話題となったのは、三冠馬コントレイル vs GⅠ3階級制覇を狙う牝馬・グランアレグリアの対決。 大方の見立ては「この二強に、もう一頭の4歳牡馬サリオスがどこまで割って入れるか」だった。結果は、無敗の4歳牝馬レイパパレが勝利し、三強はともに敗れてしまった。 ただ、グランアレグリアのように、1200mと1600mの“2階級”でGⅠを制すことだけでも素晴らしい実績で、牝馬に限れば、これまでに4頭しかいない偉業である。 そもそも、中央競馬で1200mのGⅠが初めて創設されたのは1990年で、GⅡから昇格したスプリンターズステークスがそのはじまり。つまり、この2階級でGⅠを制することが可能になってからは、まだ30年ほどしか経っていない。 今回スポットを当てるのは、2021年現在では唯一、その快挙を"3歳で"達成した牝馬である。 後に、ニシノフラワーと名
「そうだな…君は素晴らしい、モルモットになるだろう」 怪しい目つきでトレーナーに語りかける、ウマ娘・アグネスタキオン。 日々、肉体改造を目的とした研究を重ねていて、担当トレーナーに薬やサプリメントを飲ませ実験体とすることも。 なぜ彼女は、ここまで肉体改造にこだわるのでしょうか? その答えのカギは、彼女の現役時代──そして引退後の彼女の馬生にありました。 今回は、ウマ娘アグネスタキオンと、史実馬アグネスタキオンをご紹介していきましょう。 アグネスタキオンの目標レース デビュー戦に出走 アグネスタキオンは父サンデーサイレンス、母アグネスフローラのもとに産まれました。父は言わずと知れたアメリカ出身の大種牡馬、母も桜花賞馬という点だけでも十分期待されていたのですが、兄のアグネスフライトがダービー馬ということもあり、アグネスタキオンは幼駒時から大きな期待を背負ってトレーニングに励むことになりました。
人気コンテンツ『ウマ娘』の勢いがとまりません! 毎日のように『ウマ娘』の話題を見かける日々。そんな『ウマ娘』の人気が"バクシン"的に上がる中「○○ちゃんに会いたい!」という声を、SNSなどで見かけることも増えました。 それと同時に「牧場見学ってどうすればいいのかな?」「どこに問い合わせればいいのかな?」と疑問点も多く見かけます。 せっかく『ウマ娘』効果で多くの方が「馬に会いたい!」と思ってくださっているので、元厩務員として少しでもお手伝いができればと思い、今回は『競走馬に会いに行く際、守ってほしいこと』をお伝えしていきたいと思います。今回、引退馬の情報などを発信されている「競走馬のふるさと案内所」様に引用の許可をいただいた上で、同サイトにある”牧場見学の9箇条”をご紹介させていただきます。 当たり前のように感じるかもしれませんが、とても大切なことです。 大きな観光牧場であれば沢山の駐車場が
日高の家族経営の小さな牧場で産まれたナカヤマフェスタは、高額売買馬が多数集まるセレクトセールで、和泉信一氏に1,000万円で落札されます。 和泉氏と旧知の間柄だった二ノ宮厩舎に預託されたナカヤマフェスタは、2008年11月2日東京でデビュー。 このレースは、直線素早く抜け出した3頭に離され、残り100mでもまだ先頭とは5馬身近くの差があったのですが、そこからもの凄い末脚で先頭まで突き抜けての差し切り勝ちを収めます。 この勝ち方は非常にインパクトがあり、今でも記憶に残っているデビュー戦です。 2戦目は重賞の東京スポーツ杯2歳Sへ。9番人気という低評価を覆し、断然1番人気のブレイクランアウトを粉砕し、重賞初勝利。これがステイ産駒12勝目の重賞勝利となりました。 新馬・重賞2連勝となれば、当然クラシックへの期待が大きくなります。しかし明けて2009年、初戦の京成杯を2着した後に体調を崩して弥生賞
現在、週刊ヤングジャンプ(以下、YJ)で連載中の『ウマ娘 シンデレラグレイ』。 Cygamesが手掛ける人気コンテンツ『ウマ娘プリティーダービー(以下、ウマ娘)』の完全新作コミックとして話題となっただけでなく、その面白さから競馬ファンや競馬ファン以外から支持を得ている。そんな期待の注目作の主人公は、オグリキャップ。 伝説のアイドルホースを題材に描かれる作品から、目が離せない。 今回は、『ウマ娘 シンデレラグレイ』の脚本担当・杉浦理史さん、漫画企画構成担当・伊藤隼之介さんにお話を伺ってきた。 漫画『ウマ娘 シンデレラグレイ』の制作秘話、さらに本作の題材となった名馬オグリキャップの魅力について伺っていく。 「オグリキャップという超名馬を扱うのは、ある意味必然でした」 ──今回、数ある名馬の中からオグリキャップが主人公のモチーフに選ばれました。 漫画企画構成担当・伊藤隼之介さん(以下、伊藤)「世
褐色で紺髪ロングの美少女──私がヒシアマゾンを初めて見た時の印象です。 こんなにかわいい女の子は今まで見たことない! ずっとこの子を応援したい! と、その時心に誓いました。 往年の競馬ファンには何を言っているんだと思われるかもしれませんが、私は「1人と1頭」のヒシアマゾンが大好きです。 今回は1頭の競走馬、1人のウマ娘、1人の競馬オタクについてご紹介させてください。 ウマ娘のヒシアマゾンと私の出会い 元々の私の競馬ライフは、平凡なものでした。 ただただ競馬場に行き、写真を撮ったり馬券を買ったり……といった感じです。 特に競馬を始めてすぐの頃は私にとって競馬はただのギャンブルでしかありませんでした。 競走馬に対しても、馬券が当たるか当たらないかを決める……まるでサイコロを見るような感覚で捉えていたと思います。 そのような感覚を変えてくれて、さらには私の人生を豊かにしてくれたのが、ウマ娘「ヒシ
三冠馬オルフェーヴル。 彼の誕生に際しては、いくつかの奇跡的な幸運が重なっていました。 まず、ドリームジャーニーの記事にも書きましましたが、ジャーニーの活躍により、社台がオリエンタルアートの放出を踏みとどまったこと。 そしてもう一つの幸運は、2007年に鳴り物入りで種牡馬デビューしたディープインパクトの存在がきっかけでした。 ジャーニーがGI馬となった翌年、当然のようにオリエンタルアートのお相手にはディープが選ばれました。あの「ディープ」ならジャーニー以上の産駒が出るだろうと。 まぁ、そう考えるのが普通でしょう。 ところが、オリエンタルアートは3度も種付けを試みたにもかかわらず、ディープの仔を受胎しませんでした。 そして仕方なくステイと種付けをすると、一度で受胎をします。 そう、その時受胎した仔がオルフェーヴルだったのです。 今考えれば、なんという奇跡。 まさに、神が介在しているとしか思え
[本日発売]イクイノックスにゴールドシップ、ナイスネイチャにハルウララ。著名馬28頭の引退後の素顔を、関係者が激白! - 『もうひとつの引退馬伝説~関係者が語るあの馬たちのその後』 関係者への取材により28頭の著名馬の引退後にスポットをあてた競馬書籍『もうひとつの引退馬伝説~関係者が語るあの馬たちのその後』が2024年9月13日に発売開始。...
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