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早いもので、ママ歴14年になる。 そういえば、以前はこだわっていたが、最近ではあまり気にしなくなってしまったことの一つが『ママ友 』かと思う。気がついてみたら、周囲のママ友はもうすっかりあたりまえの存在になってしまっている。 ママ友といっても、友達と呼んでいいのかわからない知り合いレベルのママ友のほうが圧倒的に多い。スーパーでばったり合えば、やだ、久しぶり~!と立ち話になってしまう人もいれば、目が合っても無視される人もいる。そんな時はちぇ!アイツまた無視かよっと心の中で毒づいて終わる。気分にムラのある変わり者なので特に気にしていない。 子供達が小さい頃はママ友がいなかった。年を空けずに産んだので、児童館や公園に行ってもあっちこっちに散らばった3人を目で追うのに忙しく、お砂場の横でゆっくりママ友とおしゃべりするような時間はあんまりなかった。 それに、ママ友親子とのお付き合いを通して、例えば、
昔の文集を読んだ事で小6の時の事を思い出した。 クラスにマコちゃんという男子がいた。マコちゃんは、今思えば発達障害か何かだったのだと思う。あまり人とコミュニケーションがとれない、おっとりした子だった。勉強も運動もダメだったけれど、絵がとても上手だった。 先生はマコちゃんがこんな風になってしまったのは、マコちゃんが赤ちゃんの時、お店の仕事が忙しくて、お母さんがマコちゃんをゆりかごに入れっぱなしにしたせいだと言った。昔の先生は平気でこういうとんでもない事を言っていた。 いつの頃か私の席はいつもマコちゃんの隣で、席替えをしても廊下寄りの1番前の席にされていた。それで私はなんとなくマコちゃんのお世話係のようになっていた。 マコちゃんの後ろの席には秀才のキムラ君がいた。皆にキムラと呼ばれていた。キムラは当時としては珍しく、中学受験をして都内の有名私立中学校を目指していた。理屈っぽくて、帰りの会ではい
4月、5月と入学やら税金やらで飛ぶようにお金が出ていく。そして、夫はこんな小遣いで、やってられるかと吠えまくる。勘弁してくだせえ、お代官様、とうとう最後の種籾にまで手を出してもうたという感じだ。 短時間パートや短期バイトではとても足りないので、いよいよ私もフルタイムで働くようになった。14年振りに娑婆に出た感触は、楽しいというのが半分、自分の体力のなさと物覚えの悪さに凹むことが半分といったところ。 職場は小規模デイサービスだ。比較的介護度が低い方が多く、アットホームな雰囲気で地元では結構人気がある。 この仕事は、どうやら私には向いているようだ。立派な生き方だなあと尊敬出来る方とお話出来て嬉しい。昔の様子を聞くのも好きだ。それから、毎日起こる珍事件に笑ってしまうことが多数。 また、家族からの連絡に毎朝目を通すことになっているのどけど、例えば、昨日はタクシーで病院に行ったあと、途中で寄り道をし
次男からお手紙を貰ったのは、卒業式でのことだった。自ら進んで書いたものならばびっくりだけど、これは小学校の卒業を機に、先生がお家の人への感謝の手紙をと書かせたものだ。 それでも、次男から私へ手紙など書く機会などはもうこの先ないだろうと思うと感慨深い。 それらしいお花模様の便箋と封筒。 これは私の数少ない宝物のひとつになった。 ママへ 毎日ご飯とか家事をしてくれてありがとう。 おかげで、ここまで大きくなりました。 友達ができ、はっきり気持ちが伝えられるようになったよ。このようなことがあったのは全部ママのおかげだ。 これから迷惑かけるけど、よろしく~ 中学生、その先もがんばるから応援してね。 それから最後にひとつ。 スマホ買ってください。 本当に。よろしく。 これから中学生になろうという者としてはなんともつたない文章で、頭の不出来が知れてしまうところだが、「友達に自分の気持ちが伝えられるように
このまえの朝、自転車置き場で、急いでるのにギャーギャー愚図っている子供をこっぴどく怒鳴っちゃったあなたへ。 巡り巡って、どこかでこの記事を見つけて、ほんの少しだけでも今の状況に風穴を空けることができたら幸いです。 私も、子供達が小っちゃい時は余裕がなかったし、必死だったので、忘れてしまった事が多いのだけど、キーッとなってヒステリックに怒ってしまったことが多々あります。 不思議とそういう場面は、ずっと憶えているんですよね…ホントに痛い。 なんとか穏やかに子育てをしたいと思っても、1人で奮闘しているとなかなか抜け出せない。心が疲れていると、感情のコントールがきかない。 ママ友に相談といっても、子供の性格も置かれている状況も違うので羨ましくなってしまうだけだったり… 育児本も何冊か読んだけれど、かえって自分はダメな親だと落ち込んだり… それでも、酷いことにはならずに、なんとか乗り切って来られたの
よく考えてみたら、長男は私の幼少時代に似ているのだった。家ではよくしゃべるし、我が強いのだが、1歩外へ出て集団に入ると萎縮してしまい、おとなしーくなってしまう。それを人は内弁慶と言う。ただし、私はあそこまでしつこく泣かなかった…多分。 小学校に入っても、長男の引っ込み思案の内弁慶はかわらず、放課後に自分でお友達と約束して遊ぶようになったのは3年生になってからだったと思う。 入学当時、1年生ではまず学校のルールを覚えて生活に慣れ、毎日元気に学校に来る事が勉強なのだというお話があったが、長男のようなタイプには本当に大事な事だと思った。 引越しもあり、環境の変化に体がついていけなかったのか、一学期は毎朝のようにお腹が痛くなり、下痢をした。それでもなんとか学校には遅刻をせず通うことが出来た。担任の先生と話をして、先生が、 「もしも学校でトイレを失敗したら、そ〜っと保健室に行っちゃえば、誰にも分から
あ~。私は今、余裕がない。 一つの仕事の効率を上げる為には、適材適所で、仕事を振り分けたほうが良いに決まっているのだけど、やはり難しいのだと身を持って実感している。 私達の代はみんな協力的だから大丈夫。というお題目で始まった卒団係だけど、いざ、分担を振り分けるなると、妊婦だったり、仕事が休めなかったりで頼めない。やっと頼んでも、彼女はいま〇〇で大変だからと影の圧力がかかり、あら、配慮がなかったわ、ごめんなさい。大丈夫よ、私出来るから。というわけで、1人で抱え込んでいる。 そんな中でも、これじゃ、ガンボさん大変だよ、私もやるよ、何日なら休みだから行くよ、などと自分から言ってくれる数人を心の支えとして、最後の仕事を頑張る所存でござりまする。 その他、ありがちなそもそもアイツ嫌いなんだよ的な小事件もあり、モヤ~とした中でいたのだが、そういう事にこだわっていると精神衛生上よろしくないし、ムキになる
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