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皆さんこんにちは!自分はこのブログの著者のスキッパーというものです。自分は現在46歳の男です。(2023年10月現在)自分は幼い頃から発達障害が原因で、コミュニケーション面における挫折を蓄積していき、高校生の頃に鬱を発症しました。大学時代にさらに鬱は悪化していき、28歳の時に社会生活・家族関係から完全脱落。引きこもりになりました。その後の18年間は一回も働く事なく引きこもり続け、現在46歳となりました。 このブログは2019年6月から2023年4月までの4年間書き続けたもので、その間に書いた累計記事数は2000弱になります。このブログを書き始めたモチベーションはというと、「何故自分の人生は社会に全く適合出来なかったのか?何故自分の『鬱』はただひたすら悪化していったのか?」「鬱が最も酷かった時代、自分の心身はどのような状態だったのか?」という疑問にあります。 自分はこの疑問を原動力にして4年
皆さんこんばんは、スキッパーです!このブログを見に来て下さりありがとうございます!初めて見に来て頂いた方にも、何度も見に来て頂いた方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事と 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「 母親と1日4〜5時間喋っていったが、鬱は全く改善せず(2008年2月・32歳)」の続きを書かせて頂きます。 前回の記事は、自分が母親と喋り始めたものの、母親は自分の過去話に対して全くのノーリアクションだった、という話でした。あれは虚しかった。そんな感じで自分が過去話を全て喋り終えたのが、2008年の3月頃(32歳)だと思います。母親は最初から最後まで自分の過去話に対してノーリアクションでしたねぇ。ですから、自分は母親と4〜5時間喋り終わると、毎回半端ない虚脱感を感じていました。また、半端ない虚無感も感
皆さんこんばんはスキッパーです!今日も見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事と 人生年表も併せてどうぞ。では、前回の記事「 憎しみのあまり、自分にメリットがあるコミュニケーションすら取れない〜「東○荘事件②」(2006年3月頃・30歳)」の続きを書かせて頂きます。 前回の記事は、自分の中にある母親への憎しみが余りにも膨大になってしまったが故に、自分にメリットがあるコミュニケーションすら取れなくなってしまっていた、という話でした。では「東○荘事件」の話に戻ります。引っ越しの話が出てきてからというもの、自分の中の家族への憎しみは臨界点を超えてしまいました。もはや憎しみのコントロールが効かなくなったんですね。自分は自分の気持ちを無視し
皆さんこんばんはスキッパーです!今日も見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事も併せてどうぞ。では、前回の記事「古本屋バイトを辞める際の様々な葛藤(2004年9月頃・28歳)」の続きを書かせて頂きます。 前回の記事は自分が古本屋バイトを辞めるにあたって色々な葛藤があったという話でした。社会との接点が無くなる恐怖、人との接点が無くなる恐怖、経済的な恐怖、女の子との接点が無くなる恐怖、様々な恐怖があったのです。そう、古本屋を辞め現実世界からドロップアウトするとして、今後再び自分が現実世界に戻ってこれるのかどうか、そこの保証も全くありません。また、いったいどれくらいの期間記憶のサルベージを続ける事になるのかも全く予想が出来ない状態でした
皆さんこんばんはスキッパーです!見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来て頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事も併せてどうぞ。では、前回の記事「〜子供らしくない幼稚園児〜高1で鬱病を発症するまでの具体的エピソード①」の続きを書かせて頂きます。 前回は「自分は幼稚園時代から性格がとても冷めていて子供らしくなく、そういう所が後のコミュニケーション不全に繋がった」的な話でしたね〜。そう、自分の子供時代は「無邪気さ」の欠片もなかったですからね。「親や友達と無邪気にはしゃいで楽しかった」的な記憶が一切なく、親に甘えた記憶も一切ありません。物心ついた時点で親とのコミュニケーションを諦めていましたから、当然甘える事もできない。そういう「子供の頃に親に全く甘えられなかった」という寂し
皆さんこんばんはスキッパーです!見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も皆さんに自分の話を読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来た頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事も併せてどうぞ。では、前回の記事「〜鬱と青春〜大学時代の鬱の諸症状⑤ 」の続きを書かせて頂きます。 前回の記事は「空手部時代の思い出は鬱な思い出しかないものだったけど、あれはあれで自分の青春だった」、という話でしたね〜。正直な事言うと、あの記事書きながら自分泣いていましたwあの涙の理由はなんだったんでしょうね〜。当時の鬱のしんどい記憶自体はすでに心の中で消化しきれていると思うので、辛くて泣いた訳ではないと思うんですよ。思い出してみると、あ〜やって空手部時代の自分の事を認められるようになったのはここ5年くらいの話なんですね。そうそう、あれは5年くらい前にその空手
皆さんこんばんはスキッパーです!見に来て下さりありがとうございますm(_ _)m今日も自分の話を皆さんに読んで頂けるかと思うと嬉しい気持ちでいっぱいです。もし初めてこのブログに来た頂いた方がいらっしゃいましたら、こちらの自己紹介の記事も併せてどうぞ。では、前回の記事「〜慢性的な疲労感と眠気〜大学時代の鬱の諸症状③」の続きを書かせて頂きます。 前回は大学時代の疲労感や眠気や難聴についてでしたね〜。ここまでにご紹介してきました大学時代の鬱症状として、食欲消失、離人感、慢性的な疲労感、眠気、難聴がありましたが、次に紹介する症状は「自殺願望」です。 いよいよ来ましたね〜。最後の大ボスと言えるような大物の症状。鬱と言えば自殺願望、自殺願望といえば鬱、という感じでこの両者は密接に絡みついている印象でして、自殺願望を語らずして鬱は語れないのではないかと思います。そして、この症状をようやく紹介できるという
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