サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
体力トレーニング
www.rekihaku.ac.jp
開催趣旨 コロンブスやマゼランが開いた世界史上の大航海時代より以前、早くも14世紀代から東アジア海域世界では活発な交易がおこなわれていました。その中心となったのが海洋国家・琉球です。琉球王国の輝ける時代は、これまでもしばしば紹介されてきました。ただ、琉球はその活動の過程で、言語も習俗も異なる周辺の島々、八重山・宮古・奄美に侵攻し、それぞれの社会を大きく変化させたこと、このことで現在の日本国の国境が定まっていることは、あまり知られていません。 文献資料がほとんど残っていないこれらの地域の歴史は、琉球王国によって作られた歴史書をもとに語られてきました。しかし島々を歩くと、ジャングルの中には当時の村が遺跡として眠っており、そこからは大量の陶磁器が発見されます。琉球王国とは別の世界が、そこには確かにあったのです。 これまでほとんど注目されてこなかった琉球の帝国的側面に視点を据え、八重山・宮古や奄美
このたび、国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)(※以下歴博)では、韓国国立中央博物館、九州国立博物館と共同で、国際企画展示「加耶―古代東アジアを生きた、ある王国の歴史―」を2020年7月7日(火)~9月6日(日)に開催いたします。 加耶(かや)とは、日本列島の古墳時代と同じ頃、朝鮮半島の南部に存在した、互いに協力し、時には競い合いながら活躍した国々のことです。おおむね4~6世紀に、海上交易と鉄生産を一体として運営し、東の新羅(しらぎ)や西の百済(くだら)、海をはさんだ古代日本の倭、そして遠く中国などとも交流を重ねながら、大きな成長をとげました。しかし、百済と新羅という強国のはざまの中で、徐々に勢力が弱まり、562年には滅亡してしまいます。 今回、韓国国立中央博物館の全面的な協力のもと、加耶の墳墓から出土した金銀のアクセサリー、整美な土器、武威をしめす武器や馬具、成長の礎となった鉄、そして対外
趣旨 神社・寺院、御殿・住宅、城郭・民家・茶室などによる日本の建築文化は、縄文・弥生にはじまり、古代・中世・近世と日本列島内で受け継がれてきたもので、日本独自であり、日本固有のものであると考えられています。しかし果たして本当にそうなのでしょうか?東アジアに視野を広げてみると、中国や韓国の建築と日本建築はよく似た部分も多く、日本建築とは何が独自で何が固有のものなのか案外わからなくなってしまいます。このような観点にたって、あえて「特異」という言葉を使って日本の建築文化を考えようというのがこの企画展示の試みです。中国建築、韓国建築と比較して日本建築の何が独自なのかをまず考え、そこから東アジア建築の共通性、普遍性という問題を考えようとしています。 この場合の建築文化は、王権の象徴としての宮殿、宗教の拠点となる寺院などの宗教施設、そして人間の活動の場である住宅で代表させることができるものです。また、
歴博国際シンポジウム「日本の古墳はなぜ巨大なのか?-古代モニュメントの比較考古学-」 Why is Japanese Kofun so huge? : Comparative archaeology of ancient monuments 開催要項 日程
広報画像① (左上/左下)『聆涛閣集古帖』鏡 江戸後期 国立歴史民俗博物館蔵 (右上/右下) 国宝 線刻釈迦三尊等鏡像(瑞花鳳凰八稜鏡) 平安時代 公益財団法人泉屋博古館蔵 鏡面に線刻仏像を毛彫りした鏡像の名品です。鏡面の裏には二羽の鳳凰と二個の花枝文を交互に配しています。吉田家旧蔵品の一つです。 古いモノ(古器物)に憧れる心は、いつの時代にもあります。実際にモノを集めることはもちろん、それが叶わない場合は画像だけでも手元に置いておきたい、そういう願望は、歴史が好きな人ならば、だれでも心当たりのあることでしょう。 歴博の館蔵品の中に、江戸後期に編纂された『聆涛閣集古帖(れいとうかくしゅうこちょう)』という図譜集があります。これは、兵庫県の神戸・住吉の豪商だった吉田家が三代にわたり編纂した、いまでいう「図録」や「カタログ」にあたるようなものです。考古資料、文書・典籍、美術工芸品など、じつにさ
日本民謡データベース Japanese Folk Song Database 公開年月:2007年3月 このデータベースは、昭和54(1979)年度から平成元(1989)年度まで文化庁による国庫補助事業として全国の都道府県で行われた「民謡緊急調査」の成果の一つである『民謡緊急調査報告書』を基本としている。 この調査の成果は各都道府県の報告書と録音テープの形で文化庁に提出されたが、国立歴史民俗博物館はその成果の活用を計るため、データベース化を計画、文化庁及び各都道府県教育委員会の許可をえて整理にあたってきた。今回はそのうちの文字情報について公開するものである。 「民謡緊急調査」はデータベース化の可能性が予測しえない時点で行われた。このために各都道府県の報告書の様式は極めて多様で、調査項目の数量、内容の選択なども自由な形をとっている。このような報告書の性格を考慮し、本データベースは各報告書に盛
趣旨 前近代の銃砲の歴史は、1543(天文12)年の鉄炮伝来に始まり、1868(明治元)年の戊辰戦争で幕を閉じますが、今回の展示は、その3世紀の間に、外来文化であった銃砲が、わが国の政治・社会・軍事・技術など多方面に影響をおよぼしながら独自の発達を遂げ、さらに幕末維新に欧米の軍事技術を取得しながら変革するまでの過程を、新発見のものを含む膨大な資料を駆使し、3部構成でみていきます。 展示される資料点数は約300点です。 なお、現在「てっぽう」「ほうじゅつ」には「鉄砲」「砲術」の字をあてますが、江戸時代の文献史料には通常「鉄炮」「炮術」と書かれていますので、本企画展示ではその表記を使用します。 第一部 鉄炮の受容と定着(鉄炮伝来から近世の初めまで) これまで鉄炮伝来は、「ポルトガル人が」「種子島に伝え」「たちまち戦に投入された」というストーリーで語られてきました。しかしこれは、最近の研究で見直
開館時間: 3月 − 9月9:30-17:00、10月 − 2月9:30-16:30 開苑時間: 9:30-16:30(通年) ※入館・入苑は閉館・閉苑の30分前まで 休館日 : 毎週月曜(休日の場合は開館・開苑し、翌日休館・休苑 ※4月30日(火)、8月13日(火)は臨時開館・開苑) 年末年始(12月27日〜1月4日) 5月8日(水)、6月4日(火)、7月2日(火)、8月6日(火)、9月3日(火)、10月1日(火)、12月10日(火)、2025年1月7日(火)、2月4日(火)、3月4日(火)※その他館内メンテナンス及び悪天候等のため臨時休館・休苑する場合あり
国立歴史民俗博物館までの交通手段 電車をご利用の方 東京方面から JR東日本利用の場合 東京駅から総武本線佐倉駅(約60分)下車、バス約15分 (北口1番乗場から、ちばグリーンバス田町車庫行き乗車、「国立博物館入口」または「国立歴史民俗博物館」下車) 京成電鉄利用の場合 京成上野駅から京成本線にて京成佐倉駅(約55分)下車、 徒歩約15分 (詳しくは案内図→駅からの徒歩路) またはバス約5分 (南口1番乗場から、ちばグリーンバス田町車庫行き乗車、「国立博物館入口」または「国立歴史民俗博物館」下車) ※成田スカイアクセス線(アクセス特急等)は京成佐倉駅を通りませんのでご注意ください。 京浜急行・地下鉄都営浅草線の相互乗り入れを利用の場合 地下鉄都営浅草線直通、京成佐倉駅下車 ※成田スカイアクセス線(アクセス特急等)は京成佐倉駅を通りませんのでご注意ください。 (青砥駅にて京成本線にお乗換くだ
趣旨 国立歴史民俗博物館では現在、「総合資料学の構築」を目指して準備を進めています。「総合資料学」とは、多様な「モノ」資料を時代・地域・分野等によって分類し、分野を超えた視点から統合的に分析することで、高度な共同利用・共同研究へと結びつける新たな学問です。 総合資料学では、大学を含めた研究機関の研究資源を活用できる情報基盤を構築し、この基盤にもとづく人文・社会科学と自然科学、人文・社会科学と情報科学の横断型の研究方法などを提案します。このような情報基盤と研究の循環のしくみを、私たちは「研究循環アクセスモデル」と名付け、このモデルの実現によって総合資料学の創成を目指します。 本シンポジウムでは、今年度の成果報告とともに、博物館資料の活用の未来について、多方面から検討し、次年度以降の研究への橋渡しとしたいと思います。
1. 安土城の清涼殿と公家一統の政道 安土城の清涼殿 2000年2月、滋賀県教育委員会は、安土城本丸御殿の発掘成果を発表し、その建物が、内裏の清涼殿にきわめて似たものであるとした。これは、信長が正親町天皇の行幸を予定していたとされることとも合致し、信長の政権構想ともからんで大きな関心を呼んだ。 今回作成した安土城のCGでも、発掘の成果と安土城郭研究所の御指導に基づいて、本丸御殿は、当時の清涼殿風の建築にされている。 では、信長が安土城に清涼殿風の建物を置いたことの意味は、そしてそもそも信長が目指していた政権とは、いったい何だったのだろうか。今回の出品資料を手がかりに、少し考えてみたい。 三条西実澄の手紙 まず注目されるのは、公家三条西実澄(実枝)の二通の書状である(『田中穣氏旧蔵典籍古文書』424-3・4*)。日付を欠くが、実澄から実枝(さねき)に改称するのは天正2年(1574)12月であ
BS歴史館 NHKの番組「BS歴史館」第50回「信長27歳 桶狭間に立つ」(2012年9月20日初回放送)に出させていただきました。桶狭間を専門に研究してきたわけではないので、むしろ信長の位置づけについて、といった趣旨で参加したのですが※、合戦自体についても、いろいろと考えさせられました。討論番組の性格上、言い尽くせなかったことも多く、私見を少しまとめておきたいと思います。 否定された通説 永禄3年(1560)5月19日(グレゴリオ暦だと6月22日)に起こった桶狭間の戦いは、かつては流布していた戦記物、小瀬甫庵の『信長記』などによって、上洛を目指して尾張に侵入した今川義元を、織田信長が奇襲によって倒した戦争、と考えられていました。しかし今日では、より信頼が置ける、信長の側近くに仕えた太田牛一『信長公記』などの史料の見直しによって、こうした見方は否定されています(藤本正行『信長の戦争』講談社
※研究報告は(財)歴史民俗博物館振興会で取り扱っております。また、歴博内のミュージアムショップでも販売しています。 ※下記リストでは論文要旨を公開しています。「国立歴史民俗博物館学術情報リポジトリ」では本文PDFを公開しています(一部の論文を除く)。 国立歴史民俗博物館学術情報リポジトリはこちら 第200集 2016年1月刊行/A4/178ページ/定価1,232円(税込) タイトル セクション 著者
企画展示をより楽しく、より深く鑑賞していただくため、本館の広報担当職員が企画展示の担当者から展示の見どころや作り手の気持ちを取材します。 今回は3月10日から開催の企画展示「大ニセモノ博覧会-贋造と模倣の文化史-」の代表者である西谷大教授(研究部考古研究系)にお話をうかがって来ました。 展示案内「大ニセモノ博覧会」 各回リンク 第1回 第2回 第3回 第4回 第5回 第6回 - まず今回の展示を企画されたきっかけを教えてください。 西谷:いくつかありますが、一つは最近「ニセモノ」が世間を騒がせることがたくさんありますよね? 食品偽装や偽ブランド品などいろいろな話題がニュースで流れています。ただ、実際はそんなに「ホンモノ」と「ニセモノ」ってはっきりと黒白つけられるものではなく、もっと複雑な関係にあるものと考えています。 もともと骨董品の鑑定などでモノの価値をお金で決めてしまうということに不満
開催概要
このページの目次 開催概要広報用作品画像の使用について問い合わせ先 雪舟、探幽、松陰、谷文晁!! ジュラ紀から現代まで珠玉の「ニセモノ」「ホンモノ」約300点!! 国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)にて、企画展示「大ニセモノ博覧会 -贋造と模倣の文化史-」(2015年3月10日(火)~5月6日(水))を開催する運びとなりました。本展は、ジュラ紀から現代まで約300点におよぶ「ニセモノ」「ホンモノ」の展示を通じて、それらがいかに独自の歴史や文化的な創造性を広げ、私たちの暮らしの中でどのような役割をしてきたのかを紹介する展覧会です。これまで「ニセモノ」に焦点をあて、民俗学、考古学、人類学などの分野を飛び越えて紹介した特別展はあまり類をみません。 本展を通して、常に陰のイメージをもつ「ニセモノ」に対して、また新たな視点が生まれるかもしれません。目からウロコの展覧会です!
中世後期~近世初期の都市を主な対象に、文献史学と歴史地理的な方法、考古学の成果などを融合させた総合的な歴史を描くことを志してきました。最近は、博物館資料の研究と活用を進めており、洛中洛外図屏風の読み解きや、古文書の様式に着目した解説などを行っています。 歴史展示と博物館教育の問題にも関心があり、この課題でイギリスへ留学させていただいた際の記録も掲載しています。
"); write(" "); write("【商人名】 "); write("【居所】 自 1 ~ 至 10 "); write("【現在地】 自 1 ~ 至 6 "); write("【職種・所持株】 自 15 ~ 至 30 "); write("【出典】 "); write("【フリーワード】 [全項目横断検索] "); write(" ※ 数字は半角で入力してください。 すべての項目を入力する必要はありません。 また、必ずしも各項目を完全に記述する必要もありません。入力された語が含まれるものが検索されます。 "); write(""); } w.focus(); } function SelectClear(sel2) { var len = sel2.length; for(i= len - 1;i >= 0;i--) { sel2.options[i] = null;
嘉永四(1851)年、歌舞伎に新しいヒーローがうまれた。 「東山桜荘子」(ひがしやまさくらのそうし)の主人公浅倉当吾こと佐倉惣五郎がその人である。 百姓一揆がテーマであるこの作品は、関係者の予想をはるかに超えるヒットとなり、またたく間に日本中に広まった。 各地の農村では、この物語を受け入れる素地ができていたのである。 幕府が作られてから250年、数多くの百姓一揆が発生し、義民を顕彰する活動も十八世紀後半から活発になっていった。 明治以降も惣五郎歌舞伎は頻繁に上演され、佐倉義民伝として定着した。 また講談・浪花節などでも積極的に取りあげられた。 福沢諭吉や自由民権活動家は、彼らの主張の先駆者として惣五郎をとりあげた。 また昭和恐慌や戦後改革の時期などに、惣五郎の物語は新たな解釈を伴いながら思い起こされた。 西暦2000年の今、惣五郎物語は何を語ってくれるのだろうか。 ■図版:東山桜荘子 国立
趣旨 本企画展示は、「色」をテーマとした館蔵資料展として企画しました。ここでは「色」という言葉を大きな意味でとらえ、赤,黄,青…などといった「いろ」にとどまらず、素材のもつ質感や微細な構造がかもす「つや」、そしてそれらの組み合わせがつくる「かたち」までを含めて考えることとしました。 特徴的な「いろ・つや・かたち」をもつ館蔵資料を取り上げ、歴史学・考古学・民俗学・自然科学の観点から展示・解説を行い、日本における色と人間とのかかわりについて考えます。権威あるいはおそれを象徴する存在としての色、職人らによって生み出される技芸としての色…「色」というキーワードから、館蔵資料のさまざまな見方を引き出してみたいと思います。 本展のみどころ 建造物彩色、染織工芸、浮世絵版画、漆工芸、考古遺物、隕鉄剣…歴博の多彩な館蔵資料を紹介し、その「いろ・つや・かたち」が示す人間の営みについて考える あなたがたはなぜ
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『大学共同利用機関法人 人間文化研究機構 | 国立歴史民俗博物館』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く