ドイツ視察時に現地要人と握手する山下奉文陸軍中将(当時、右)=1941年1月、ベルリン(ゲッティ=共同) 日本陸軍の山下奉文(ともゆき)中将率いる欧州視察団が、対米英開戦前夜の昭和16年にまとめた報告書からは、国家総力戦体制の構築や航空兵力が加わった近代戦の戦術をドイツから吸収、発展させようとした合理的側面が浮かび上がる。しかし戦時中の軍部や陸軍内の派閥対立が変革を阻み、多方面に弊害をもたらした。非常事態における組織運営をはじめ、現代に通じる教訓は少なくない。 「ドイツ軍に協力を希望」山下視察団が示した国防機構一元化などの改革案が実現しなかった背景には、陸軍の実力者だった山下と、東条英機陸相との反目があったともいわれる。陸軍には「自分に楯突く者を遠ざける」との東条評があった。 視察団の一員だった高山信武(しのぶ)陸軍少佐が著した『参謀本部作戦課 作戦論争の実相と反省』(昭和53年、芙蓉書房