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災害への備え
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日本の塩づくりの特徴 日本は岩塩などの塩資源に恵まれていませんので、海水から塩をつくってきました。 "四方を海に囲まれているので、簡単では・・・"と思われがちですが、実はとても大変なことなのです。 なぜなら、 理由その1:海水の塩分濃度はたった3% 理由その2:日本は多雨多湿なので、海水は天日だけでは塩にならず、たくさんのエネルギーを使って煮詰めて塩の結晶を取り出すしかない 広い土地を持ち、海水を陸に引き込んで1~2年放っておけば塩の結晶が採れる諸外国とは異なり、日本ではたった30gの塩をつくるのにも、1リットル近い水分を蒸発させなくてはならず、コストがかかってしまいます。そのため、海水をそのまま煮詰めるのではなく、いったん濃い塩水に濃縮してから、その濃い塩水を煮詰めて塩の結晶を取り出す、という効率のよい方法で塩づくりが行なわれてきました。 この、海水を濃縮して、それを煮詰めるという2つの
塩の博物館 塩について学んだり体験したりできる全国の博物館、資料館等のリンク集です。クリックすると外部のサイトに移行します。 これから塩の人類史を考えるにあたって、前回の最後に書いた「生業による塩利用のちがい」の話に入るより前に、まずは、そのスタートポイントをいつぐらいの時期に設定したらいいのかを考えてみたい。 現時点までの情報では、製塩開始の時期はある程度わかっても、人類がいつから塩を採るようになったのか、塩利用がいつから人類の文化になったのかはよくわからない。例えば日本では、製塩土器の出土によって、縄文時代後期後葉(およそ3,000年前)には、塩が作られていたと考えられている。ヨーロッパや中国でも、遅くとも3,000年前までには、塩が作られるようになっていたと考えられている。これらの「塩づくりのはじまり」は、塩の人類史にとっても大事なテーマで、今後、ていねいに扱っていきたい話題ではある
1905年(明治38年)の創設以来、塩の需給と価格の安定に寄与してきた塩専売制度は1997年に廃止され、現在は『塩事業法』という法律のもと、原則自由の市場構造へと移行しています。 塩専売制度とはどんなものだったのか、その歴史を簡単にご紹介します。 年 できごと 1905年 塩専売制の実施 1910年 第1次塩業整備(~1911年) 1919年 塩専売の収益主義から公益主義へ 1929年 第2次塩業整備(~1930年) 1938年 食卓塩の包装要領の改定、統一価格の実施 1942年 自家用塩制度実施 1949年 日本専売公社設立 1959年 第3次塩業整備(~1960年) 1965年 イオン膜技術が実用可能な段階へ 1971年 第4次塩業整備(~1972年) 1985年 日本専売公社から日本たばこ産業株式会社へ 1997年 塩専売制度の終焉 塩専売制の実施(1905年) 塩づくりの原料を海水
おなじみ「赤キャップ」の「食卓塩」に、減塩タイプが新登場! お客様のご要望にお応えして、減塩タイプの「食卓塩」をつくりました。 ※ KSP-POS(2016年:50~150g(袋包装品を除く))における重量シェア
食塩シリーズ お料理の下準備・味付けや漬物用に。幅広くご愛用いただいている、国内で海水からつくられる塩です。
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私たちはどうして"おいしい"と感じるのでしょうか。「クオリア」(感覚の持つ質感)をキーワードに脳と心の関係を研究する茂木健一郎氏に、"おいしさ"の正体を解き明かしていただきます。(全12回予定) 茂木健一郎 もぎ・けんいちろう − 1962年生まれ。ソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー、東京工業大学大学院客員助教授、東京芸術大学非常勤講師。東京大学理学部、法学部卒業後、同大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経て現職。著書に『脳とクオリア』『生きて死ぬ私』『心を生みだす脳のシステム』『スルメを見てイカがわかるか!』他多数。専門は脳科学、認知科学。(詳しい経歴) 食べものや飲みものの「おいしさ」が、いわゆる甘さ、塩っぱさ、酸っぱさ、辛さ、苦み、さらには日本で発見された「うまみ」といった六つの基本味や、噛む時のテクスチャ、舌触りな
森川嘉一郎 もりかわ・かいちろう - 1971年生まれ。早稲田大学理工学部卒業、同大学院修士課程修了。早稲田大学理工学総合研究センター客員講師等を経て、現在は同センター客員研究員、桑沢デザイン研究所特別任用教授。専門は建築意匠論。 著書に『趣都の誕生 萌える都市アキハバラ』、共著に『20世紀建築研究』など。 前回見取り図を描いたように、アカデミー賞をとるような"上昇的"な作品が出る一方で、日本のアニメのメインストリームは、『セーラームーン』や『エヴァンゲリオン』、さらには、新世紀に入って急増したいわゆる"萌えアニメ"へと、おたく好みなキャラクターの魅力に偏重してゆく"下降的"な方向をたどった。ではこの二つの方向へのアニメの分離は、いかなる背景をもっているのか。今回はそこから、話を始めたい。 キャラクターによって訴求していくベクトルを"下降的"と形容したが、これはどのような価値観に照ら
私たちは日々何かを「信じて」暮らしていますが、なぜ「信ずる」のでしょうか。あるいはなぜ「信じ」たがるのでしょうか。マスメディア、統計、常識、安全、健康、科学・・・・さまざまなレベルの〈信ずる〉を、各界気鋭の研究者に語っていただきます。 廣中直行 ひろなか・なおゆき − 1956年山口県生まれ。東京大学文学部卒業、同大学院人文科学研究科心理学専攻博士課程単位取得退学。実験動物中央研究所・前臨床医学研究所、理化学研究所・脳科学総合研究センターを経て、現在は専修大学文学部教授。専門は行動薬理学。医学博士。 著書に『人はなぜハマるのか』『快楽の脳科学』『やめたくてもやめられない脳』など ある精神科医に聞いた話だ。リストカットや摂食障害に悩む若い女性患者に、こういう治療法が有効なことがあるという。 まず、「あなたの町に川があるでしょう」と言う。川ぐらいどこにだってあるのだ。そして、 「その川
*令和2年及び令和3年の「国民健康・栄養調査」が新型コロナウイルス感染症の影響により中止となったため、本統計データは更新していません。
日時:2003年10月24日(金) 18:30〜20:00 場所:立正大学大崎キャンパス石橋湛山記念講堂 主催:財団法人塩事業センター、共催:立正大学、後援:品川区教育委員会 「生きもの」を機械としてではなく、本当の「生きもの」として見ること。21世紀はそうした「生命」に基本を置く時代となるだろう。 ゲノムのない「生きもの」はいない。他方、多様性をもつのも「生きもの」の特徴だ。このように、同じだが違う、普遍性をもつが多様性ももつ。その両面があるのがゲノムであり、これが「生きもの」の不思議でもあり面白いところでもある。 「生きもの」の側から見るとどう捉えられるのか、また何が言えるのか。21世紀が「生命」の時代だという意味は、そういう見方で社会を見直してみようというということだ。そのヒントになる言葉を私は「愛ずる」に発見した。この「愛ずる」をキーワードに、今こそ第二のルネサ
私たちは日々何かを「信じて」暮らしていますが、なぜ「信ずる」のでしょうか。あるいはなぜ「信じ」たがるのでしょうか。マスメディア、統計、常識、安全、健康、科学・・・・さまざまなレベルの〈信ずる〉を、各界気鋭の研究者に語っていただきます。 北田暁大 きただ・あきひろ − 1971年神奈川県生まれ。東京大学文学部卒業、同大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。筑波大学講師等を経て、現在は東京大学大学院情報学環助教授。専攻は理論社会学、メディア史 著書に『広告の誕生』『広告都市・東京』『責任と正義』、共著に『子ども・青少年とコミュニケーション』など 私たちの社会は、マスメディアやインターネットが提供する虚実入り乱れたさまざまな情報に取り囲まれている、だから、メディアの受け手(audience)である私たちも、メディアが繰り出す情報を鵜呑みにすることなく、つねに疑ってかからなくてはなら
現代日本を代表する研究者 ― "知の巨人たち"にインタビュー。その最先端の思考を余すところなくお伝えします。 本田和子 ほんだ・ますこ − 1931年新潟県生まれ。お茶の水女子大学家政学部児童学科卒業。現在、お茶の水女子大学学長。著書に、『異文化としての子ども』『子どもの領野から』『少女論』『変貌する子ども世界』『子ども100年のエポック』ほか多数。 インタビュアー:佐藤真(株式会社アルシーヴ社) ―― 僕らにとって80年代というのは非常に面白い時代でした。山口昌男さんや中村雄二郎さん、あるいは浅田彰さん中沢新一さんなどが次々に新しい本を出されて、当時の言葉をそのまま使うとすると、まさに「パラダイム・シフト」が本当に起っているように思えたからです。本田和子先生が『異文化としての子ども』で衝撃的なデビューを果たされたのは82年。「知」の地殻変動が胎動を始めた時期です。先生のご専門である子ど
舞台のテーブルの上に真っ赤なリンゴが一個置かれている。テトラさんの目にはそのリンゴがよ〜く見えている。よ〜く見えているから、正直にそこにリンゴがありますと言った。その様子をじっとながめていたレンマさん「そこにリンゴがあると言ってはいけない」と言うが早いか、テトラさんの頭をポカリとたたいた。「い、痛いな、何すんだよ。だって、現にここにあるからそう言っただけじゃないか」。テトラさん一生懸命抗議をするが、レンマさんは首を横に振るばかり。「あると言っちゃダメなわけね。わかりましたよ」。しかたがない。ほんとはそう思はいないけれど、とりあえずないと言っちゃおう。「ここにはリンゴはありませ〜ん」。ところが、レンマさん「そこに見えているものをオマエはなぜないというのだ」と、またまた大声でテトラさんを叱り頭をポカリと一発たたいた。「えーそんな、ひどいよ。"ある"と言うと怒るから、"ない"と言ったんじゃないか
山本隆 やまもと・たかし − 1944年生まれ。大阪大学歯学部卒業。同大学院博士課程修了。歯学博士。大阪大学歯学部助手、同講師、同助教授を経て、大阪大学大学院人間科学研究科教授。専門は味覚生理学と脳科学。日本味と匂学会会長。日本官能評価学会理事。日本生理学会評議員。日本神経科学会専門委員。河北師範大学生命科学院名誉教授。日本味と匂学会中西研究奨励賞、三島海雲記念財団学術奨励賞、安藤百福記念賞などを受賞。主な著書は、脳と味覚(共立出版)、美味の構造(講談社)など。 食物は複雑な物理的、化学的性状を備えていて、口にしたときは触感としてのテクスチュアー、冷たい・温かい・熱いといった温度感覚、そして、化学感覚としての嗅覚や味覚などが生じる。これらの感覚情報が統合され、分析された結果、快と判断されればおいしいと感じるのである。 おいしいという快感は、体に必要なもの、つまり、体に欠乏している栄養素
いろいろなところで「管理」への要請が強くなってきているのが感じられます。しかし一方で「管理」という言葉には、自由を阻害するものとしての否定的な意味合いがあるのも確かです。様々な角度から「管理」をとらえたときに何が見えてくるのか――各界気鋭の研究者の方々にご寄稿いただきます。 阿部潔 あべ・きよし − 1964年名古屋生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。関西学院大学社会学部教授。専攻は社会学、メディア/コミュニケーション研究。メディア文化と権力の関わりを批判的に研究することに、一貫して取り組んできた。最近では、テクノロジーを駆使した監視社会における空間の変容に関する共同研究の成果を、成実弘至との編著『空間管理社会─監視と自由のパラドックス』(新曜社)として刊行した。 著書に『公共圏とコミュニケーション』(ミネルヴァ書房)、『彷徨えるナショナリズム』(世界思想社)、編著
いろいろなところで「管理」への要請が強くなってきているのが感じられます。しかし一方で「管理」という言葉には、自由を阻害するものとしての否定的な意味合いがあるのも確かです。様々な角度から「管理」をとらえたときに何が見えてくるのか――各界気鋭の研究者の方々にご寄稿いただきます。 鈴木謙介 すずき・けんすけ − 1976年生まれ。東京都立大学大学院社会科学研究科博士課程単位取得退学。国際大学グローバルコミュニケーションセンター客員研究員。専攻は理論社会学。ネット文化や若者の内面について社会学的な立場から積極的に発言し、注目を集める若手研究者。 著書に『暴走するインターネット ネット社会に何が起きているか』(イーストプレス)、『カーニヴァル化する社会』(講談社)がある。現在、TBSラジオ(954KHz)にて「文化系トークラジオ Life」(土曜日20:00〜21:00、関東のみ)にてパーソナリ
様々な分野で「安全」や「安心」が語られることが多くなっています。それは、わたしたちがいろいろなモノやコトを「危ない」と感じているということでしょう。自由、メディア、少子化、科学・・・・さまざまな「危ない」について、各界気鋭の研究者にご寄稿いただきます。 平山洋介 ひらやま・ようすけ − 1958年大阪市生まれ、神戸大学工学部卒、同大学院自然科学研究科博士課程修了。現在同発達科学部教授。住宅・都市計画を専攻。著書に『不完全都市−神戸・ニューヨーク・ベルリン』(学芸出版社)、『コミュニティ・ベースト・ハウジング』(ドメス出版)、最近の分担執筆に『貧困と社会的排除』(ミネルヴァ書房)、Housing and Social Change (Routledge)、Comparing Social Policies (Policy Press)など。近刊編著にHousing and Social T
いろいろなところで「管理」への要請が強くなってきているのが感じられます。しかし一方で「管理」という言葉には、自由を阻害するものとしての否定的な意味合いがあるのも確かです。様々な角度から「管理」をとらえたときに何が見えてくるのか――各界気鋭の研究者の方々にご寄稿いただきます。 香山リカ かやま・りか − 1960年北海道札幌市生まれ。東京医科大学卒。精神科医・帝塚山学院大学人間文化学部人間学科教授。学生時代より雑誌等に寄稿。その後も臨床経験を生かして、新聞、雑誌で社会批評、文化批評、書評なども手がけ、現代人の“心の病”について洞察を続けている。専門は精神病理学だが、テレビゲームなどのサブカルチャーにも関心を持つ。 著書に『老後がこわい』(講談社現代新書)、『テレビの罠―コイズミ現象を読みとく』(ちくま新書)、共著に『チルドレンな日本』(七つ森書館)など多数。 ときどきテレビの生放送番組で
いろいろなところで「管理」への要請が強くなってきているのが感じられます。しかし一方で「管理」という言葉には、自由を阻害するものとしての否定的な意味合いがあるのも確かです。様々な角度から「管理」をとらえたときに何が見えてくるのか――各界気鋭の研究者の方々にご寄稿いただきます。 岡本裕一朗 おかもと・ゆういちろう − 1954年生まれ。玉川大学教授。専攻は哲学・倫理学。ヘーゲル以降の近・現代思想を研究し、現在は「モノ化するヒト」をテーマに執筆中。 著書に『ポストモダンの思想的根拠――9・11と管理社会』、『異議あり!生命・環境倫理学』(ともにナカニシヤ出版)、共著に『差異のエチカ』(ナカニシヤ出版)、共訳にネーゲル『哲学ってどんなこと?』(昭和堂)など。 コントロールという言葉を聞いて、私たちは何を思い浮かべるでしょうか。もしかしたら、カルト教団の「洗脳(マインドコントロール)」や国民をが
いろいろなところで「管理」への要請が強くなってきているのが感じられます。しかし一方で「管理」という言葉には、自由を阻害するものとしての否定的な意味合いがあるのも確かです。様々な角度から「管理」をとらえたときに何が見えてくるのか――各界気鋭の研究者の方々にご寄稿いただきます。 数土直紀 すど・なおき − 1965年メキシコ生まれ。東京大学文学部卒業、同大学院社会学研究科博士課程修了。博士(社会学)。信州大学人文学部助教授などを経て、現在は学習院大学法学部教授。研究テーマは自由論、平等論。 著書に『自由という服従』(光文社新書)、『理解できない他者と理解されない自己―寛容の社会理論』(勁草書房)、『自由の社会理論』(多賀出版)など。 日本的な雇用慣行として、年功序列賃金と終身雇用がよく指摘されています。これとは別に、新卒一括採用も日本企業の特徴として指摘できるかもしれません。このような雇用
いろいろなところで「管理」への要請が強くなってきているのが感じられます。しかし一方で「管理」という言葉には、自由を阻害するものとしての否定的な意味合いがあるのも確かです。様々な角度から「管理」をとらえたときに何が見えてくるのか――各界気鋭の研究者の方々にご寄稿いただきます。 毛利嘉孝 もうり・よしたか − 1963年生まれ。東京芸術大学助教授。専攻は社会学・文化研究。特に音楽や美術など現代文化と都市空間の編成やメディアをテーマに幅広く活動中。主著に『文化=政治:グローバリゼーション時代の空間の叛乱』(月曜社)、共著に『カルチュラル・スタディーズ入門』『実践カルチュラル・スタディーズ』(ちくま新書・ともに上野俊哉氏との共著)、翻訳にジェイムズ・クリフォード『ルーツ』など。編書に『日式韓流:『冬のソナタ』と日韓大衆文化の現在』(せりか書房)。NPO法人アート・インスチチュート北九州理事。 管
いろいろなところで「管理」への要請が強くなってきているのが感じられます。しかし一方で「管理」という言葉には、自由を阻害するものとしての否定的な意味合いがあるのも確かです。様々な角度から「管理」をとらえたときに何が見えてくるのか――各界気鋭の研究者の方々にご寄稿いただきます。 酒井隆史 さかい・たかし − 1965年熊本県生まれ。早稲田大学大学院文学研究科博士課程満期退学。早稲田大学非常勤講師等を経て、現在は大阪女子大学専任講師。専攻は社会学、社会思想史。 著書に『自由論‐現在性の系譜学』『暴力の哲学』、共著に『音の力』、共訳書に『〈帝国〉』『否定的なもののもとへの残留』など。 ポスト・イデオロギー社会という言葉があります。この言葉には一定の正しさがあります。たしかに、「イデオロギー社会は終わりつつある」、といっても、それは、よくいわれるような東西冷戦が終わったとか、社会主義の理念が失効
いろいろなところで「管理」への要請が強くなってきているのが感じられます。しかし一方で「管理」という言葉には、自由を阻害するものとしての否定的な意味合いがあるのも確かです。様々な角度から「管理」をとらえたときに何が見えてくるのか――各界気鋭の研究者の方々にご寄稿いただきます。 金森修 かなもり・おさむ − 1954年北海道生まれ。東京大学教養学部卒業、パリ第一大学哲学博士号取得、東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。筑波大学助教授、東京水産大学教授等を経て、現在は東京大学大学院教育学研究科教授。専攻は科学思想史、現代科学論。 著書に『遺伝子改造』『科学的思考の考古学』『自然主義の臨界』『負の生命論』『サイエンス・ウォーズ』ほか、共著に『科学論の現在』『現代科学論』ほか オーウェルの『1984年』は、ディストピアの有名な古典であり、いま読んでもいろいろと考えさせられることの多い
ナチズムとオカルティズムのつながりは、かつてから指摘されていた。ただ、ナチズムは、公然とオカルティストを批判し、公的には反オカルティズムの姿勢をとっていたので、両者の関係を否定する研究者もいる。しかし、そのイデオロギーの中心にあるアーリア人種の絶対的優位性、その対極にユダヤ人を筆頭とする他の「劣等人種」をおく極端な優劣の対比は、かなり特殊な思想から出てきたものと考える方が自然だろう。オカルティズムは、その名が示すとおり、occult=隠されたもの(叡知)であり、そもそも非公認の思想であるほかないものだ。その意味ではオカルティストであることを進んでカミングアウトすることは、原理的にありえない。オカルトを拒否する姿勢を露にすることで、自らの思想的立場を隠ぺいするのがオカルティストたちの常とう手段である。筆者も、ナチズムとオカルティズムは強いつながりを持っていたと考えている。 オカルティズムに
遠藤哲夫 えんどう・てつお − 1943年新潟県六日町生まれ。フリーライター、大衆食の会代表。法政大学を3年間で中退後、そこそこやってはやめ別のことをやる中退人生。「プランナー」という肩書が71年からで一番長い。そのプランナー稼業で一番多かったのが食品のマーケティング分野。メーカーの商品・市場開発や宣伝広告販促、スーパーやコンビニのマーチャンダイジング、飲食店の出店プランなど多数。著書『大衆食堂の研究』(三一書房、1995年)『ぶっかけめしの悦楽』(四谷ラウンド、1999年)は、いずれも出版社の経営紛争や倒産で絶版。 私は専門家とか研究者というものではない。一介のフリー、何でも屋ライターであり、「大衆食の会代表」という肩書は、大衆食堂で飲んで騒ぐ会を招集するだけの代表である。それも近頃は召集をサボリがちで、発行していたワープロ印刷ミニコミ「ザ大衆食」もWeb(http://homepa
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