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ノーベル賞
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2022年10月24日 本年7月8日に発生した安倍元首相銃撃事件を契機として、世界平和統一家庭連合(旧世界基督教統一神霊協会、以下「旧統一教会」)が行ってきた霊感商法や過度の献金要請、旧統一教会と政治家との関係、および宗教二世の問題などがマスメディアの報道によって周知されることになりました。現在、必要なことは、新たな被害を生み出さないために、現代宗教のあり方、宗教と政治の関係について認識を深めると同時に、透明なプロセスにそって所轄官庁が適切かつ迅速な宗務行政の対応を行うことだと考えます。 すでに、旧統一教会に対する見解や声明は、霊感商法対策弁護士連絡会、日本宗教連盟理事長談話、および被害者や二世信者などからさまざまな形で出されており、内閣府も省庁連絡会議や消費者庁に設置された有識者検討会の報告ということで、宗務行政や消費者法における対応の強化を提言し、政府も質問権の行使を文部科学省に指示し
『日本史研究』499号、2004年3月、114−121ページ 私たちは「宗教」という言葉を自明な意味をもつかのように用いている。だが、この言葉は近代国民国家の形成過程で、初めて今持つような意味で用いられるようになったものである。近代の欧米(西洋)で宗教という概念やカテゴリーが重要なものと認識され、数世紀をかけて社会制度や学問的知識に定着されるようになった。欧米諸国の影響下で近代化の道をたどろうとすると、いやおうなく西洋風の「宗教」概念を取り込まざるをえなくなる。そして「宗教」を論ずる学知の体系として「宗教学」が成立してくる。では、日本においてこのプロセスはどのように起こったのか。また、「宗教」や「宗教学」とともに、日本の国民国家の柱として重視された「神道」や「神道学」はどのように成立してきたのか。本書はこのような問題に正面から挑んだ、本格的な言説史研究の業績である。 欧米における「宗教」概
日本の放射線影響・防護専門家がICRP以上の安全論に傾いてきた経緯(8) ――ICRPの低線量被ばく基準を緩和しようという動きの担い手は誰か?―― 平成11年4月21日に京王プラザホテルで開かれた「低線量放射線影響に関する公開シンポジウム――放射線と健康」は、放射線防護基準の引き下げを目ざした科学動向に勢いをつけようとするもので、電力会社をはじめとする原発推進勢力が後押しするものだった。科学者側でこの動きを先導したのは医学界というより、人口がさほど多くない保健物理(放射線影響・防護学)の学界の人々だった。1990年代から2000年代へと保健物理の学界では、ホルミシス論やLNTモデル否定論(しきい値あり論)が高い関心を集め優勢になっていった。懐疑的な科学者もおり、野口邦和氏、今中哲二氏らの声がないわけではなかったが、政府周辺の保健物理専門家からそうした声は排除されていた。かろうじて残っていた
低線量被ばくに対する政府の対策の基本をどう定めるのか、細野豪志「原発事故の収束及び再発防止」担当大臣の要請で、放射性物質汚染対策顧問会議(8月25日、内閣官房設置)が「低線量被ばくのリスク管理に関するワーキンググループ」(以下低線量WGと略記)を設置した。 この低線量WGは「国内外の科学的知見や評価の整理、現場の課題の抽出、今後の対応の方向性の検討を行う場として」設けられたもので、主査は長瀧重信氏と前川和彦氏である。11月15日から8回にわたる会合をもった。討議の結果は、12月22日、「低線量被ばくのリスク管理に関するワーキンググループ報告書」として公表された。http://www.cas.go.jp/jp/genpatsujiko/info/twg/111222a.pdf 放射線被ばく防護に関する国際的協議機関であるICRPは緊急時から復旧期に移行した段階で1~20mSvのどこかに「参考
日本学術会議哲学委員会主催、日本哲学系諸学会連合・日本宗教研究諸学会連合共催 シンポジウム「原発災害をめぐる科学者の社会的責任――科学と科学を超えるもの」(予告) 日時:9月18日(日)、13時~17時 場所:東京大学法文2号館1番大教室 参加自由 (題名が変わりました。日本学術会議の幹事会で「科学者」とは区別して「学者」の語を用いることに問題があると指摘されたためです。) 東日本大震災による福島第一原子力発電所の事故、それに続く深刻な放射能汚染や健康被害について、一般社会からは情報発信や説明責任の不十分さ、不適切さが厳しく批判されている。日本の科学者・学界は、これらの問題に適切な判断を下し、十分な情報提供を行い、社会的責任を果たしてきたと言えるであろうか。そもそも関連する諸科学は、原子力発電にともなうさまざまなリスクを、あらかじめ適切に評価・予測し、十全な対策を提示することが可能なのだろ
一、前置き 東日本大地震が引き金となって起こった福島第1原子力発電所の事故により、大量の放射性物質が放出された。この事故により多数の周辺地域住民が移住や長期の避難生活を強いられている。また、避難を指定されていない人たちの多くも、放射性物質による汚染から生ずる健康被害のリスクを見越して、さまざまな対応を迫られている。小さな子供をもつ親や妊婦、また学校・保育所等の関係者の悩みは深い。農水畜産業に携わる生産者を初め、多くの職業人が甚大な損害をこうむっている。節電による困難も小さくない。広い地域の多様な人びとに影響は及んでいる。 この問題に関わり、放射線の専門家たちが低線量の放射線では被害がないと断言したり、強く示唆したりしている。他方、低線量の被曝も人体に深刻な影 響を及ぼす可能性があるとし、政府や自治体の対策が不十分だと批判する学者もいる。多くの市民はどちらが正しいのか分からず、とまどい途方に
6月17日に日本学術会議会長談話「放射線防護の対策を正しく理解するために」という文書が公表された http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-21-d11.pdf 。私は5月19日にこのブログに「福島原発事故災害への日本学術会議の対応について」という文章を掲載し、日本学術会議の福島原発事故に対する日本学術会議の対応、とりわけ放射線の健康への影響についての情報提供が適切ではないことについて批判的な意見を述べた。なお、私は日本学術会議(会員210名)の第1部に属する哲学委員会の3人の会員のうちの1人である。 これを受けて日本学術会議哲学委員会委員長の野家啓一氏(東北大学副学長)は、6月8日刊行の『日本学術会議第1部ニューズレター』第21期第7号http://www.scj.go.jp/ja/member/iinkai/1bu/letter21-7.
1.日本学術会議の対応について問いかける理由 私は日本学術会議(金沢一郎会長)に属する1会員であるが、事故後、1ヶ月、2ヶ月と経るうちに、福島第1原発事故災害に対する日本学術会議の対応に物足りなさを感じるようになった。ふだんさほど仕事の負担もしていない会員であり、内情がよく分かっているわけでもない。「お前がやってみろ」と言われればしり込みしてしまうに違いない。 だが、他に日本学術会議についてある程度親しみがあり、そのような思いを述べている人もいないようであり、このまま問題が忘れられてしまわないとも限らない。自由勝手ななブログでの発言という形式で問題点を記しておいて自分自身の心覚えとし、もしのぞいていただいた方にも得るところがあるとすれば幸いと考えるに至った次第である。 これは日本学術会議とは別に、「34学会(44万会員)会長声明」http://www.ipsj.or.jp/03somu/t
4月19日に文部科学省と厚生労働省が示した「福島県内の学校等の校舎・校庭等の利用判断における暫定的考え方」が国民に衝撃を与えている。「国民」といったが、とりわけ直接の当事者である福島県民への衝撃が大きかった。その骨子は、「ICRP(国際放射線防護委員会)の「非常事態が収束した後の一般公衆における参考レベル」1~20mSv/y(1年あたり20ミリシーベルト)を暫定的な目安として設定し、今後できる限り、児童生徒の受ける線量を減らしていくことを指向」するというものだ。ここから複雑な換算を行って1時間あたり3.8μSvという数字を引き出し、これを福島県内の幼保育園と小中学校の校舎などを通常利用する際の限界放射線量とする具体的な基準が導かれる。 この「暫定的考え方」が大いに問題をはらんだものであることは、このブログの4月20日の文章「原発による健康被害の可能性と安全基準をめぐる情報開示と価値の葛藤」
3月22日から23日へといっきに状況が悪化した。22日には野菜等の出荷制限が主要な問題であり、「風評被害」に関心が集まった。23日には野菜等の出荷制限は摂取制限に拡充しその種類も格段に増えた。その上、午後には東京の水道の水が汚染されていて乳児は飲めないということが分かった。 22日には放射能が健康被害を起こすということを否定しなくてはならないという論調が報道の主流だった。23日には放射能が健康被害を及ぼすということを前提として、どのように健康被害を小さくするかが報道の眼目となってきた。 22日の夜に記したブログ記事「放射性物質による健康被害の可能性について医学者はどう語っているか」では、あくまで「健康に影響はない」と主張し、健康への影響を隠蔽するかに見えた医学者の発言について批判的な考えを記した。 だが、その記事はまったく古くなってしまったかのようだ。今、宮城県から首都圏の間に住む人で乳幼
福島原発事故による健康被害の可能性について、国民、とりわけ福島県や近隣地域の住民は正確な情報を必要としている。では、医学者はそれについてどのように語っているだろうか。そこで述べられていることは、住民にからだに対する放射能の危険について適切な情報提供をしていると言えるだろうか。2,3の例を見てみたい。 まず、「東大病院放射線治療チーム」のツイッターでの連続発言を取り上げてみよう。3月19日の記述からはじめる(http://togetter.com/li/113523)。ここでは、内部被ばくの問題を主に放射性よう素の問題に即して取り上げている。牛乳に含まれた物質による放射線量が問題にされるのはチェルノブイリの事故で小児の甲状腺がんの顕著な発生が認められたからで、その甲状腺がんの発生には住民が続けて牛乳を飲んだことが関わっているからだと述べている。 ここで問題なのは、まず以下の記述である。 「史
拙著『国家神道と日本人』(岩波書店、2010年7月)については、分かりやすい本だったという感想を多くちょうだいしましたが、他方で著者の意図がよく分からないといった類の感想にもしばしば出会いました。 これはこの書物が政治的な主張に主眼を置いたものではなく、数十年単位の長期的なスパンで通用する宗教史理解を示そうとしたため、また新書という形態の都合上、現在通用している理解に対してどこに革新性があるかを分かりやすく提示しなかったことによると思われます。 来年中に刊行を目指している国家神道研究の研究書においては、そのあたりをもっと明確に示すつもりですが、ここでこの本の革新性の概略についてまとめておきたいと思います。参考にしていただければ幸いです. (1)皇道論の系譜として水戸学、津和野国学、そして長谷川昭道を関連づけ、そこから「大教宣布の詔」、および「教育勅語」が出て、ある種の寛容性をもちつつ、諸宗
『比較文明学会会報』52号、2010年1月 比較文明学の素材はまことにさまざまだと思うが、私がこだわって来た「救済宗教」というものも切り口の1つになると思う。救済宗教とは、人間が悪や苦難を避けがたいものであることに思いを凝らしながら、それを克服する通常を越えた道があることを説く宗教だ。来世での、あるいは/また異次元的な領域からの完全な恵みの享受が信じられる。宗教であるから、聖なるものの次元との関わりを重視し、また世界全体の包括的把握を提示するものだが、救済宗教はそれが悪・苦難とその全面克服という主題を基軸として展開している。闇と光の強烈なコントラストの宗教と言えるだろう。 人類文明はある時期に諸地域で一様に精神的深みの次元を獲得したというのが、カール・ヤスパースの「軸の時代」の仮説で、今も支持者は少なくない。紀元前1千年紀に「軸の文明」が中東、ギリシア、インド、中国などでそろって開花したと
10月10日に子安宣邦氏の「怒りを忘れた国家神道論――島薗進『国家神道と日本人』」という論説(第1論説)が、「ちきゅう座」(http://chikyuza.net/n/archives/3705)というサイトに掲載され、私はそれに対する応答を「『国家神道と日本人』への批評について――とくに子安宣邦氏の論説に応答する」と題して、私自身のこのブログ「宗教学とその周辺」に掲載した(第2論説)。これについて「ちきゅう座」から掲載の要請があり、私はそれに応じた。続いて、10月29日づけで「ちきゅう座」に子安氏の「イノセントな学者的欲求が犯す罪─「怒り」の理由」と題する島薗批判の再論が掲載された(第3論説)。この第3論説は私の論旨への誤解、無理解、および現在の国家神道をめぐる論争状況への誤解、無理解が顕著に見えるので、この論説で応答しておきたい。 子安氏は、「国家神道」概念の見直し論が問題なのだと書い
7月21日刊の奥付をもつ拙著、『国家神道と日本人』(岩波新書)が刊行され、3ヶ月ほどがたった。まだまだ内容に立ち入った書評は少ないが、直接間接にさまざまな感想・批評に接し、大いに啓発されている。感想・批評をお寄せ下さった皆さんにあらためて謝意を表したい。 私が敬愛するある宗教哲学者は、「輻輳した歴史の現実態の中に分け入り、しかも山に入って山を見ずではなく、おのづから筋道があらわれて見えて来」、「私にとって最近にない良書」だったとおほめ下さった。私信では日本近代史や日本思想史の研究者からも概ね好意的な評価をいただいているが、ネットに現れた感想や批評の中に「自己中心的だ」とか「けしからん」とか「新書に合わない」という反応があったのにはやや驚いた。この本は論争を踏まえた書物なので、これまでの議論の弱点について批判的に述べて新たな立場を鮮明に示そうとしており、いわば「革新的」な議論を多々提示をして
漱石が死に臨む時を経過し、また大自然を前にして感得している安らぎの境地は、漢詩の伝統から多くを得ているだろう。「詩僧」という語で自らを捉えているのも納得のいくところだ。だが、また儒教的な天や道教的な無、あるいは仏教的な空からも影響を受けたものだろう。死を前にした時期の漱石の「天」は、近代人の「魂のふるさと」の漱石的な形とも言えるだろう。それは漱石が自ら切り開いた境地であり、死生観という枠組みで捉えることもできるものだ。 漱石から現代まで 漱石から現代に至るまで、このような「その人自身の死生観」がさまざまに表出されてきた。共有されている死生観の枠組みからいったん切り離された個々人が、それぞれにつかみ取る、あるいは探り続けるものとしての死生観である。これが近代における死生観の特徴である。拙著『日本人の死生観を読む』でもそのような死生観について宮沢賢治、折口信夫、吉田満、岸本英夫、高見順などを例
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