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ドラクエ3
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小林 良輔・チーフバイヤー 1987年生まれ。新卒から鎌倉シャツに勤務し、売り場の店長を経て現職。商品に対する思い、情熱は社内一と呼ばれるガッツマンバイヤー。業の傍ら、134ディビジョンのモデルも務め、賛否両論もあるが本人に辞める気はないとのこと。 趣味:フットサル、しかし今は怪我で戦線離脱中。 宮澤 直樹・プロダクションディレクター 1972年生まれ。東京下町シャツ工房の3代目として、幼少期よりシャツ作りを学んだ。日本のみならずイタリア製シャツの研究心と流行を取り入れるセンス併せ持つ次世代シャツ作りのキーマン。シャツ作りの知識は日本有数でマンハッタンモデル誕生の功労者でもある。こう見えてまだ入社2年目である。 趣味:シャツ。休日もシャツのことを考えている生粋のシャツマニア。 貞末 哲兵・バイイングディレクター 1977年生まれ。某セレクトショップの販売員を経て、イタリア・ボローニャに留学
男が帽子をかぶらなくなったのは、先の太平洋戦争後のことだ。 戦後も10年経ち、生活に余裕が出始めると、戦前のおしゃれを体験した人たちが パナマなど、サマーハットをかぶり始めた。 わたしがVANに入社した1961年、 夏になると全社員帽子をかぶって通勤していたのを思い出す。 戦前派の中年はもとより、10代の若手までが着帽した。 入社以前から帽子好きだったので、喜んで帽子をかぶった。 そのころでもパナマは高価だったので、もっぱら安物のココナッツ(ココやし)か ラフィアでがまんした。その代わり「リボン」には凝った。 黒のリボンを外し、マドラスやバティックなどの柄物を使った。 見た目もおしゃれっぽく、安物の帽子を上等に見せてくれた。 帽子をかぶる素晴らしい習慣は、VANが日本橋から青山への移転を機に消滅した。 東京オリンピックの年、64年夏のことだ。理由は不明。 青山の空気になんとなくマッチしない
男性はシャツを購入する時に、まず自分の首周りのSIZEを指定する。第2は袖丈である。 女性は首周りではなく、バストや胴周り、袖丈が自分に合っているかが重要で、多くの女性は試着される。 男性は自分の胴周り(ウエスト)SIZEが体重の変化によって変わることは体感している。 すなわち1kg体重が増加すると、胴回りは0.8~1cmくらいは大きくなるのです。 同じように首周りの肉もついてくるのであるから、体重1kgに対して、首周りのSIZEは0.5cmくらい大きくなるのです。 ウエストはベルトを締め、ベルト穴の位置や、いつも穿くズボンが窮屈になるので体感出来るが、首周りは0.5cmくらいは、誤差の範囲でもあり、またシャツの第一ボタンを留めない人もいるので体重の増減には無関係と思っている人が多い。 この為、自分の体重が2kg以上増えると、シャツの第一ボタンが留め難くなるので、これは、自分に原因があるの
日本古来から受け継がれている固有の文化、衣・食・住という生活の背景は、高度に洗練され、情緒豊かな感性は精微な技によって、表現され、世界中の人々に受け入れられ、尊敬もされている。 食の世界は、まさにinternationalであり、住の世界も自然と共存する建築のスタイルは多くの生活様式に採り入れられている。 次に着物である。 これは芸術として世界に評価されているが残念ながら、日本でもそうである様に現代人の生活スタイルに浸透することが出来なかった。 第二次大戦の終了1945年と共に、焼け野原から日本は世界に追いつけ、追い越せと、猛烈に働き、服装は洋風化の一途をたどり世界経済の中で活躍するに相応しい服飾が進化することになる。 特にメンズウェアに於いては、社会的場面で要求される服飾のルールが厳然と存在し、脈々と受け継がれているのである。 私達のルーツは、何人もこのルールを伝承していない為、誰も教え
OUR MISSION 世界で活躍するビジネスパーソンを シャツで応援する メーカーズシャツ鎌倉は「鎌倉シャツ」の愛称で親しまれる、 シャツ専門店です。 1993年の創業以来、上質な日本製のシャツやビジネスウェアを納得価格で販売しています。 様々なビジネスシーンで、自信をもって着用できるアイテムを、 私たちはこれからも作り続けてまいります。 創業30周年を迎えて 2020年2月、創業者である両親の貞末良雄とタミ子から代表権を譲り受けました。コロナの影響が出始めた時期での交代であり、まさに波乱万丈の船出となりました。 コロナ禍で、数え切れないほどの困難がありましたが、お客様、お取引先様、そして従業員に支えられて、無事に創業30周年となる2023年11月7日を迎えることができました。ここに改めまして、心よりお礼申し上げます。 1993年の創業時に掲げた「世界で活躍するビジネスパーソンをシャツを
a: 汚れの落ち具合を格段にUPさせるために、まずシャツを裏返してボタンを留めます。 b/c: 次に汚れの目立つ箇所を表側に出してあげます。 d: 洗濯機で絡むことのない様にネットに入れてあげると良いですね。 弱流で洗い、脱水したらハンガーにかけて日陰干しします。 綿素材の縮みは乾燥時間に比例すると言われています。 生乾きの状態での高温プレスは生地の風合いを損なうばかりか大きく縮む原因になります。 日陰干しでゆっくりと水分を飛ばしましょう。干す前に一手間かければアイロンがスムーズになります。 生地と芯地が重なった襟・前立てに加えて、袖の3箇所はよ〜く引っ張りしわを伸ばし形を整えましょう。
1945年、日本が第二次大戦に敗戦。焼け野原からの復興は、先進国に追いつけ追い越せで日本全体が一丸となって努力をしました。 その時すでに西欧諸国は洋服を着ていました。日本再興の立役者には老いも若きも、社会的場面に洋服(らしき物)が必要でした。しかし、既製服が無い時代。当時の日本には全国に7万店ものテーラーが存在し、採寸をして紳士服を仕立てていました。その意味では、日本の復興を支えたのは、Made To Measure(MTM)テーラーと言っても過言ではありません。 そもそも洋服にはMTMしかなく、縫製の技術を持ったテーラーが紳士服を創りました。 テーラーが創る仕立て服は高価でした。しかしながら、縫製の技術があっても、時代と共に変化する情報の入手が難しい時代。デザインには無関心だと言われても仕方がありません。当時の青年たちの目には、“金持ちの父親から紹介された古臭いデザイン”は魅力的には映り
最もポピュラーで、使用する頻度の高い結び方がプレーンノットです。 もともと、プレーンノットは、ラルフ・ローレンがネクタイの幅をワイドにする以前の結び方でしたが、現在では、様々な衿型の場合で用いられております。レギュラーカラーやタブカラー等、衿の角度の狭いシャツにもお薦めです。大剣の長さは、先端がベルトへ少し掛かる位が最適です。プレーンノットで結んで頂いて、小剣の方が長くなった場合は、小剣の先をトラウザーズへ入れます。 プレーンノットから、1回多く巻き付けたダブルノットも、クラシカルなスタイルにはぴったりです。 裏地無しで、1枚の布から作られた薄手のタイ、芯地無しのモダン・クラシックなタイにもよく似合います。 モダン・クラシックタイは、大抵の場合、長さが150センチ近くあり、ダブルノットで巻くと、垂れ具合もちょうど良くなります。 ノットの基本はネクタイの素材いかん
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