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「田中功起について知っている、10の事柄。」 田中功起は、ビデオ作品をつくっている。 田中功起は、現実に非現実を侵入させる。 田中功起は、立体やテキスト作品もつくっている。 田中功起は、気持ちいい。 田中功起は、世界の見え方を新しくする。 田中功起は、開いている。 田中功起は、大仏に似ている。 田中功起は、確信犯である。 田中功起は、国籍に囚われない。 田中功起は、今、これらのすべてであり、すべてでない。 僕が、初めて彼の作品を実際に見たのは、縁側に座った笠智衆が扇子を延々と扇ぎ続けるビデオ作品(「「Perfect Life」2002」)だった。小津安二郎の映画「東京物語」のほんの数秒のシーンを無限にループさせたものだ。田中はこの時期、ループという「始まりも終わりもない」形式を、身の回りにあてはめた作品をつくりつづける。その後、「大地の芸術祭越後妻有アートトリエンナーレ2003」「六本木ク
某ギャラリーの手伝いをしていた時に、初めて丹羽さんに会った。 トレードマークの赤いベレー帽、飄々とした語り口が印象深く、帰宅してすぐにサイトを探した。いくつかの映像作品が見られるようになってるサイトでは、どこか海外の道端でしゃがみこみ、水たまりの水を少しずつ口に含んでは、数歩先の別の水たまりまで移しに行く様子が映し出されていた。 淡々と、街ゆく人に邪魔されながらも続ける姿は、ふざけているようでひたむきで、信念を突き通そうとする意志が言葉の壁を越えて、遠巻きに囲む人々に確実に伝わっているように見えた。それが丹羽良徳の作品「水たまりAを水たまりBに移しかえる」だった。 他にも丹羽は「熊の着ぐるみで熊に会いに行く」「泥棒と文通する」「100匹の猫と握手をする」などの詩的でロマンティックな作品や「社会主義者を胴上げする」「デモを逆走する」など、皮肉まじりの社会問題提起型の映像作品を発表し続けている
TSと季刊誌『広告』の連動によるスペシャルインタビュー最終回は、画家の松井冬子さん。 「恐怖」「狂気」「ナルシシズム」「生と死」などをテーマに、精神的肉体的な「痛み」を視覚的に感じさせる作品を描いてきた彼女。内臓を露にした女性や、幽霊となった女性など、一般にはおぞましく、不気味ともいえる題材を古典的な日本画の技法で描いた作品を初めて見たとき、日本画についてはそれほど知らないのに強烈に惹きつけられる自分がいた。彼女の作品の何がそれほど人を惹きつけるのか? その発想の源はどこにあるのか? 横浜美術館で大規模な個展『松井冬子展−世界中の子と友達になれる−』を開催直前の松井さんを訪ねて話を聞いた。 近藤ヒデノリ(TOKYO SOURCE 編集長) 1 「世界中の子と友達になれる」 近藤:まずは横浜美術館での個展について聞かせてください。今回は副題が原点ともいえる「世界中の子と友達になれる」ですが、
TSと季刊誌『広告』との連動インタビュー第10回は会田誠さん。 『巨大フジコ隊員VSキングギドラ』『紐育空爆之図(戦争画RETURNS)』『自殺未遂マシーン』『灰色の山』など、エログロや、社会問題など多様なテーマで、絵画だけでなく、写真、立体、パフォーマンス、映像、漫画、小説など多彩な作品を発表してきた会田さん。日本の現代美術界でも特異なポジションを確立しつつある彼の発想の源とは? 来年には都内某美術館での個展も控えている彼に話を聞いた。 インタビュー:近藤ヒデノリ(TS編集長) 1 今、準備中の作品について 近藤:まずは今、とりかかっている作品について聞かせていただけますか。 会田:来年の11月初頃から都内某美術館で個展が始まるんで、最近2年くらいと今後1年はほとんどその準備をやっています。ちょっと前までも、金沢美大の学生と1カ月間、段ボールで半立体のようなものをつくっていましたが、これ
1 シンプルでユニバーサルなアイデア 米田:これまでアメリカにいて影響を受けたものについて聞かせてもらえますか? 川村:アメリカに行ってアメリカを好きになるタイプと、アメリカにいるからこそ日本の文化に興味を持つ2タイプがいますけど、僕は後者の方なんです。アメリカは好きですけど、やっぱりデザインとか考え方は日本の方が好きで…「間」だったり「侘び寂び」的な感覚…そういう美的感覚に憧れるというか、すごいと思って興味もったり、学んだりはしてきました。 米田:そういう日本的なものが、自分の作品に直接的ではないにしても、間接的な強みになっているような感覚はありますか? 川村:ある気がします。例えば、僕は物事をすごくシンプルにするのが好きなんです。アイデアを中心にミニマリスティックというか機能的に、削ぎ落とす感じ。料理で言うと刺身、良いネタがあったら、さっとスライスしたら出来あがりみたいなのが究極だと思
昨年末にWeb上でリリースされ、あっという間に世界中で話題を呼んだSOURのインタラクティブ・プロモーションビデオ(PV)作品『映し鏡』。 入力画面で自分のFace bookやtwitterのアドレスを入れると、当人の画像データやつぶやきなどが自動的に読みこまれ、その人自身の「映し鏡」のように独自の映像体験をもたらしてくれる。画面の枠内で展開するPVと違い、映像が画面を飛び出してGoogleやFacebookなど様々な画面を渡り歩く…自分のデスクトップ上をジャックされたような感覚に驚いた人も多いはず。 僕自身、TwitterのTLで流れてきたのを見て「これはスゴい!」とつぶやいたら、あっという間に元会社の後輩でもある川村真司くんとつながり、あれよという間に正月早々、早速インタビューすることに。その後、原稿作業に手間取っている間に『映し鏡』は予想通りカンヌ、NY ADC、クリオ、アドフェス、
遠い遠い未来、命知らずのレーサーたちが何でもありの壮絶レースに挑む!! そのレースの名は“REDLINE”。 2010年10月9日、いよいよ公開となったアニメーション超大作『REDLINE』。CG全盛の時代にあって手書きにこだわった作画アニメのスピード感、デフォルメされたキャラクターや車の造形がもたらす“ぶれ”“誤差”による「主観的な臨場感」は、まさにリーガルトリップ! 「世界と対峙する僕の自意識」の“セカイ系”が跋扈するアニメ界にあって、『REDLINE』が持つ身体性、肉体性は異色を放つ。賞金稼ぎ、ゴロツキ、ヤクザ、そんな怪しい(妖しい)連中が幅を利かせる世界で、主人公のJPとヒロインのソノシーのラブストーリーが音速に挑むレースとともに加速していく。 監督の小池健は、アメコミの影響を感じさせる独特の作風を持つアニメーターとして数々のアニメ作品に参加し、石井克人監督の『PARTY7』のアニ
鈴木さんに会うのは久しぶりだった。 初めて会ったのは2000年前後、彼が初期作の模型の椅子がプロジェクターで拡大されて回る「椅子の反映」や、夜のジャングルジムに昼の子供たちの映像を投影した「遊具の透視法」を発表していた頃。アート文脈など知らなくても分かる、子供時代のわくわくする気分を思い出すような作品が印象的だった。 その後も、水戸芸術館や青山スパイラルで展示された、紙に描かれた目が落ち葉のように舞う「まばたきの葉」や、鉛筆・ハンコを使った小さな作品を発表。最近では、羽田空港ターミナルで展示した「空気のひと」、瀬戸内海を巨大なファスナー型の船が開いていく「ファスナーの船」などパブリックスペースでの大規模な展示も増えている。 一見、メディアアートやデザインのようにも見えつつ、常に身近なものをモチーフに新しい体験を生み出す彼の発想の源は何なのか。久しぶりに会って、じっくりと話を聞いてみたくなっ
ARとは技術ではなく、概念であり、思想である。それを教えてくれたのがAR三兄弟の長男こと、川田十夢だ。 ……と、「うっかり」偉そうに書いてしまったが、この「AR(Augmented Reality)=現実拡張」について、僕はそもそも詳しかったわけではない。カメラをかざせば、GPSを使って「エアタグ」というコメントをリアルな場所に書き込めるiPhoneアプリ「セカイカメラ」も「セカイカメラ」を開発した頓智という会社の井口資仁さんも知ってはいたが、長らくARの本質については手つかずのままだった。 セカイカメラがリリースされ、ARが話題になった直後もよく友人と「呼び込みに声をかけられたら、入店せずともお店に向かって携帯をかざすだけで出勤してるキャバ嬢が表示されたらいいよね」などと冗談を言っていた。もちろん、観光地や美術館などを訪れた際、その場で詳細な周辺情報が得られたりコメントを残せるといった利
「ZINE'S MATE, THE TOKYO ART BOOK FAIR」は、ZINE(ジン)と呼ばれる自費出版物やアートブックを扱ったブックフェアだ。第1回は2009年、東京・原宿の2会場で開催され、3日間で150組が出店。会場は“スモール・パブリッシング”、“リトル・プレス”と言われる自費出版のファンが集い、のべ8000人もの来場者に溢れた。 主催者の江口宏志さんは、2002年からインディペンデントなアートブックを取り扱う書店「UTRECHT(ユトレヒト)」を経営するかたわら、2007年、NYのアートブックフェアに参加した。その際、ZINEを売る数多くの作家兼出版社に出会い、驚いたという。 江口さんは、彼らとアートブックの取引や交流をする中で、日本でもNY同様のフェアを開催してみたいと思うようになる。マンガやアニメにはコミケがあるが、アートブックにはマーケットが同じようなものはなかっ
クリエイティブと言われる仕事に就いているはしくれとしては、そりゃあ人をシビレさせるようなカッコいいものを生み出したい、心底ファッシネイトさせてくれるものに出会いと願ってきた。 でも、一方で、それだけじゃつまらんなあとも思うのだ。ギクっとさせるような驚きや違和感を与えるような刺激、触れる前と後では世界の見え方が変わってしまうような危うい興奮。血がドクドクと流れ、清も濁も併せ持ち、森羅万象、宇宙の断片がカオスのように入り混じった、今まで出会ったことのない、圧倒的なわけのわからなさに出会いたい。そうじゃなきゃ、ものなんて作っている意味はないとも思っている。 * 編集者の深沢慶太さんと出会ったのは、2007年、表参道ヒルズで行われた、ある展覧会の会場だった。(最初に『Numéro TOKYO』のコントリビューティング・エディターと聞いて、てっきりファッションの専門家かと思っていた) 『STUDIO
雑誌『広告』と連動によるスペシャルインタビュー第6弾は、 「ネオ日本画」を標榜し、絵で戦う「武闘派・画強」を名乗る現代美術家、天明屋尚。 日本伝統絵画と現代のストリート文化を融合させた作品で知られてきた彼がこの夏、自身のキュレーションによる「BASARA」展を開催するという。これまで「侘び・寂び・禅・オタク」というイメージで語られることの多かった日本美術に対して、その対極にある「華美(過美)にして反骨精神溢れる覇格(破格)な美」の系譜を突きつけるグループ展。この話を聞いた時、僕は昨年『美術手帖』で彼が監修した「アウトローの美学」特集の冒頭に掲げられた「男伊達宣言」を思い出した。 "日本では総理大臣(当時)が自らオタクと公言し、オタク文化が「クールジャパン」と祭り上げられ、脚光を浴びている。しかし一方で「『アキバ系』や『萌え』は、もううんざりだ」と言う人も少なくないのではないだろうか。[中略
「SUPER RAT」2006 ビデオ、渋谷センター街で捕獲したネズミの剥製 courtesy of Mujin-to Production, Tokyo 「ハマッ子なんですけど、学校が都内にあったので渋谷で育って、新宿、六本木で遊んでました(笑)」という紅一点のエリイ。元キャッチで「吉祥寺で一番黒い男」と言われていたという卯城さん、元走り屋だったという稲岡さん、「渋谷系が好きだった」という水野さんなど、Chim↑Pomのメンバーにとって東京という街が発想の源になっていると言う。 「渋谷のようなストリートの価値観って美術に画期的に足りないもの。同時代にあるものだし、現代美術にもそういうものがあっていいはず。渋谷で作品をつくった時(「スーパーラット」「BLACK OF DEATH」)は圧倒的にそういうイメージがありましたね」 3 グループ
054 中村政人 (アーティスト、東京藝術大学絵画科准教授、3331 Arts Chiyoda 統括ディレクター) TSと季刊誌『広告』の連動企画の第4弾は、中村政人さんにTS初の動画インタビュー。 「美術と社会」「美術と教育」との関わりをテーマに、様々な地域でアートプロジェクトを手がけ、市民活動と恊働していくアートプラットフォームを開拓してきた中村氏。そんな彼が統括ディレクターとして旧練成中学校を改修し、アートセンター「3331 Arts Chiyoda」を千代田区・秋葉原の一角に今日、3月14日、プレオープンさせた。 このセンターは、「新しいアートの形をつくる」ための拠点として、アーティスト主導、民設民営、領域横断のスタイルを旨とし、東京と日本各地、また東京と東アジアのハブとなる「21世紀型オルタナティブアートスペース」と掲げている。 中村さんは、そもそも何故、アートセンターをつくろう
この4月から6月まで開催された別府現代芸術フェスティバル2009「混浴温泉世界」。会期中にTSアートリップとして訪れた際に行った同展の総合ディレクター、芹沢高志さんへの公開ロングインタビュー! 芹沢さんは「精神とランドスケープ」をテーマに活動するP3 Art & Environmentのエグゼクティブ・ディレクターとして別府以前にも中国での蔡国強とのアートプロジェクトをはじめ、帯広競馬場で開催されたとかち国際現代アート展「デメーテル」、「横浜トリエンナーレ」(2005)など、美術館のいわゆるホワイトキューブではない、様々な地域で、その場所に根ざしたアートをプロデュースしてきたことで知られる。 そんな芹沢さんを僕が初めて知ったのは10年以上も前のこと。写真家、野口里佳さんの表紙写真に惹かれて手にした著書『月面からの眺め』でその宇宙的視座に興奮し、『この惑星を遊動する』で世界各地のアーティスト
あなたはアートを見て笑ったことがあるだろうか。 アートだからって、なにも難しく考える必要はない。「くっだらねぇなぁ」といって笑うのは、テレビやお笑いの専売特許ではなくて、アートにも立派な鑑賞法なのだ。 そもそも笑いは人間にとって、食べる、飲む、寝る、排泄するなどと並ぶ、根本的な快感の一つ。それはあなたの思考を一旦リセットし、そこから、いつもとちょっと違う世界が見えてくる。もし、あなたが最近笑えるアートに出会っていないというならば、是非一度、田中偉一郎の作品を見てほしい。田中偉一郎は、昨年のレントゲンヴェルケでの個展をはじめ、美術手帳での連載「やっつけメーキンング」、共著「立体めがね」の出版やライブ活動など、メディアを選ばないスタイルと、絶妙にズレてる笑いのセンスで、近年秘かに注目を集めているアーティストのひとりだ。 「見て笑うものをつくりたい」と彼はいう。言葉を使ったライブのものである「お
日仏交流150周年記念「感性kansei Japan Design Exhibition(日本のデザイン展)」(フランス・パリ、ルーブル宮・国立装飾美術館)にて、会場メインホール空間をチームラボがプロデュース。 1 人間の主観には共通性があるんじゃないか 米田:というわけで、チームラボに来るのも3回目になってしまったんですが(笑)、今日はね、ちゃんと会社のお話を訊きたいと思っています。お願いしますね! 猪子:はいはい! 会社の話をしましょう! 何でも話しますよ~。 米田:(笑)。では、企業のWebサイトのプロデュースやソリューションの仕事から教えてもらえますか。 猪子:情報が爆発的に増える中で、いかに1人1人の価値観に合わせて情報を扱うか。その答えとして作ったのが、「サグール」という検索エンジンです。Googleは「ページ・ランク」っていうアルゴリズムを使っているんですが、「サグール」は「
猪子寿之が代表を務めるITベンチャー「チームラボ」は、「日本」や「未来」を発想の源とする。平面であるはずの大和絵を3DCGで表現した「花と屍」や「花紅」といったビデオアート、検索結果が“面白い順”に表示される「サグール」といったWebサイト、ユーザーインターフェイスをエンタテインメントに変えた「act face」、さらにオフィスの机やイスといったプロダクトまで……デザインとアートとテクノロジーの境界を曖昧にする作品を発表し続けている。猪子は高校生の頃からインターネットによってもたらされる情報化社会の到来を予期し、東大在学中の2000年にチームラボを設立。現在、メンバーは100名を超える。 そんなチームラボを訪ねたのは2009年春のこと。東京・本郷の見晴らしのよい高台に本社が入るビルがあった。受付にはファミンが置いてあり、スーパーマリオ風のゲームを操作して、メンバーを呼び出すシステムになって
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「ドレミノテレビ」を見て、どうやら面白いことを考えている人がNHKにいるらしいと知った。その後、その人がflowでメディアアーティストとしても活動していると知って、会ってみたいと思った。最先端のメディアアートを発表してきた人が、NHKの子ども番組という舞台で活躍している面白さ。その人はきっと、どこにいても“自分の面白さ”みたいなものを追求してしまう人に違いない。 山岸さんは自分のことを「すごく欲張り」だと言う。仕事をしていても何をしていても、とにかく面白くないと嫌だ、と。常に穏やかな語り口で、気負いの少ない人のようだが、言葉のはしばしに、“既にあるものは作りたくない”“既存のものに決して縛られない”という譲れない価値観が見えた。 仕事とアーティストとしての活動は、どちらもメイン。その時々で比重は入れ替わり、2つあってバランスが取れる。それが山岸さんの“常に面白くある”ためのやり方だ。 要領
映画『リンダ リンダ リンダ』の放つ輝きとは一体何だろう。 偶然、友情、笑い、戸惑い、そして、刹那の輝き。これはかつて、僕らがザ・ブルーハーツというロックンロールバンドから貰ったものと同じだ。 インタビューは新作公開前の取材ラッシュの中行われた。渋谷の指定の場所に到着すると、前の回のインタビュワーの声が聞こえてくる。額面通り以外の事を喋ってくれるだろうか、そんな不安をよそに、山下監督は冗談混じりに、しかし「うーんうーん」と唸りながら言葉を選んで真摯に答えてくれた。まるで彼の映画の登場人物の一人のように。 独特の長回しで展開される、気まずさを孕んだ間(ま)と、相手との微妙な距離感をもった会話。突き放したようで暖かい、そんな感覚に親近感が沸いてしまう。怪優・山本浩司を起用した、『どんてん生活』『ばかのハコ船』『リアリズムの宿』の所謂“山本浩司三部作”からは、まるでかつてのマーティン・スコセッシ
PixCell_Elk#2 mixed media ©OMOTE Nobutada Courtesy of the Hermès Foundation BEADS インターネットで収集したモチーフの表面を、無数の透明な球体で覆うことで「PixCell(映像の細胞)」というフォーマットに変換された彫刻。 近藤:今日は名和さんの作品づくりの発想の源を聞いていきたいのですが、まずはその一つとして、建築から受けた影響について聞かせていただけますか? 名和:作品を構想する時って、どういう場所に展示するか、どう作品にアクセスさせるかが一番大事なので、どうしても空間や建物が気になります。学生の頃はヘルツォーク&ド・ムーロン(スイスの世界的建築家)がカッコいいと思って見ていましたが、去年、群馬で磯崎新さんとレム・コールハース(オランダの建築家、都市計画家)さんの対談があり、そのあとに浅田彰さんらと合流して
近藤:音楽以外にも、ポストカードとか現代美術とか、興味の範囲が広いですよね。 ムードマン:サンチアゴ・シエラ、大好きなんですよ。2001年にヘルシンキのARS01という展覧会に参加させてもらった時に初めて見たんですけど、すごいなと。最近ではいちばん共感してますね。 近藤:僕もNYで彼の展示を見たんですけど、鳥肌立ちましたね。すごい広い空間にダンボール箱が並んでて、なんだか妙な気配がするなと思って中を覗くと、人が座っていたり…。 ムードマン:68人で壁支えるとか、ストリートチルドレンの背中に刺青を入れるとかね。 近藤:ほんと、犯罪とアートのすれすれですよね(笑)。 ムードマン:僕、大学時代は、早稲田で美術史を専攻していて、特に日本の現代美術について勉強していたんです。で、クラブで働いて、お金が貯まると欧米をぷらぷらして、各国のレイヴと現代美術展をはしごしてました(笑)。その頃の展覧会でいうと
随分昔の話のような気もするが、「終わりなき日常」という言葉がある。 社会状況を言い得て妙だとは思ったが、個人的には目にする度に嫌悪感が募った。 当たり前の話だが「終わりなき日常」なんて「終わりなき平和」が無ければ、甘受することはできないわけであって、言葉自体、世の中が平和であることが前提となっている。 日本という国に暮らしていて、確かにドラマチックなことなどそうそう起こるわけでもないのかもしれない。生活の中で欠伸が出るような反復を繰り返し、昨日と今日が同じように、今日と同じ明日が訪れる。 しかし、それのどこが悪いのだろう。同じ明日が来なければ、給料は振り込まれないし、頼んでいた通販の商品も届かない。練習の成果を試合で試すこともできないし、予定していたデートプランも実行できない。 でも、やはり「終わり」はある。何と言っても僕らの生には限りがあるのだから。(故に「日常に終わりがあるかないか」は
今年2月、横浜のZAIM別館。僕がTSで全国からアート団体が集まるイベントに参加していたところへ、冨井さんはふらっと現れた。ちょうどこの会場でも作品を展示していたのだ。僕はついさっき彼の作品� どこにでもあるようなハンマーが奇妙な法則に則って床に並べられているーを見たのを思い出す。 冨井さんは、ストロー、画鋲、鉛筆、スポンジなど身の回りにあるモノを組み合わせて作品をつくるアーティストだ。いわば、編集による「彫刻」。見慣れたモノたちが、彼独自の体系に編まれることで日常の用途から解き放たれ、奇妙に美しい彫刻となる。そんな風にして彼は世界を少しずつ再構築していく。 以前から面識のあった僕らは、その場ですぐに話し始めるー最近のこと、作品について、批評について…。一度、じっくりと話を聞いてみたいと思っていたこともあって、ついついインタビューのようになってしまう。そして僕は急遽、彼に承諾をとって録音し
TSと雑誌『広告』の連動によるスペシャルインタビュー第2弾は、杉本博司さん。 「海景」「劇場」「ジオラマ」シリーズをはじめとする、深い歴史認識に基づいたコンセプトと緻密な技術による写真作品ほか、近年では直島・護王神社や進行中の小田原でのプロジェクトで自ら図面を引くなど、建築の仕事でも知られる杉本氏。 70年代からNYをべースにアーティストとして活動してきた彼は、日本の古美術をはじめとするコレクターとしても知られる。2003年に東京のメゾンエルメスで始まり、アメリカ、カナダなどでの展示を経て、大阪国際美術館での展示を終えたばかりの「歴史の歴史」展は、そんな杉本氏自身の収集品と作品によって再編集・捏造された人類の歴史でもある。 常にアートの狭い文脈に留まらず、人類がつくりあげてきた思想、文化、科学、宗教など歴史そのものを扱う杉本氏。日本の古美術への深い造詣をもちつつ、世界の現代アートシーンで活
僕は今、たまたまNYでこれを書いているんだけど、昨日買った本の中で「あなたにとっての<場所>とは?」という質問に答えるタシタ・ディーン(作家)の次のような言葉を見つけた。 「<場所>のもっとも面白くて且つ難しいことは、本当のところ指を触れることができないということ:それはとても無定形なもの。誰もが分かったり理解したつもりになっているけど、本当のところ誰もつかむことができない、きっとエモーショナルな方法によってしか。」 僕にはこれが、秋山さやかさんと場所との関係について書かれているように思える。<場所>を地名とか広さ、歴史など、頭で理解しようとするのではなく、場所に直に触れ、感じて、詩的に表現すること。 秋山さやかは、<あるく>という行為を通して得た場所の感覚や記憶を表現する。 僕が初めて彼女の作品を見たのも5年前、ここNYでのこと。招待作家として来ていた秋山さやかは文字通り市内をあるきまわ
1 僕たちは作られた世界に住んでいる 近藤:本城さんの写真は距離感が面白いですね。いつも遠くから撮っているので、「神の視点」っぽい感じを受けるのですが、写真を撮る視点と、実際に自分が周りの世界を見る視点に近いところはありますか? 本城:「観る」という行為は好きです。実際の風景もそうだし、映画や写真、絵画や漫画などの表現された作品も。昔から、自分とは別の遠い所から観ているような客観的な視線で物事を見る機会が多かったと思います。 自分が住み続けている東京を観ていて、ウソっぽいというか、何というか、作られてる感じがしたので、学生の頃の初期の作品は、都市の作られてる感じを表現したいというテーマで撮っていました。初めて自分が、作られた都市に住んでいると実感したのは14歳の時でした。 母親が死んだ時に、家にいるのが辛くて夜の街を自転車で徘徊していたら、ビルやマンションがやたらと高く感じられて、何か押し
港町であり、日本有数の温泉地として知られる別府。 この街で、国際芸術祭の開催を目標に2005年に「BEPPU PROJECT」を立ち上げたのが、アーティストとして国際的に活動してきた山出淳也さんだ。その後、イベント、シンポジウム、リノベーションなど、街の各所で立ち昇る湯けむりさながら同時多発的な活動を展開してきた彼らだが、この4月からついに彼らと市民、様々な団体との恊働による別府現代芸術フェスティバル2009「混浴温泉世界」が開催されている。 僕自身、2000年前後のニューヨークで、山出さんが派遣アーティストとしてP.S.1.現代アートセンター滞在時に知り合ったのだが、当時からプロジェクト単位による「リレーショナルアート(関係性の芸術)」と呼ばれる、モノとしての作品より、そこから広がるコミュニケーションを重視した作品を発表していた(山出さん個人の活動はこちら。そして数年前、横浜で行われたア
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