時期外れの話題になってしまったが、ご承知のように「A級戦犯の処刑が12月23日に行われたのは、それが(当時の)皇太子の誕生日だったからだ」とする説がある。猪瀬直樹も『ジミーの誕生日―アメリカが天皇明仁に刻んだ「死の暗号」』なんて仰々しいタイトルの本を出版しているし。(余談だが、首都である東京都の副知事が在任中にこんな本を出すことは「日米同盟を危うく」しないのだろうかw) 判決の言い渡しが終わったのは48年11月12日だが、これによって直ちに刑の執行が可能になったわけではない。『東京裁判とオランダ』(L.ファン・プールヘースト、みすず書房)より引用する。 有罪判決を受けた者を救う望みは、この時点ではまだ完全に失われたわけではなかった。裁判所憲章の第17条では、マッカーサーが「何時にても刑に付之を軽減し又は其の他の変更を加うることを得。但し刑を加重することを得ず」と定めていたからである。 (4