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プロレスに関するlakehillのブックマーク (17)

  • 柳澤健氏「力道山vs木村政彦で、力道山が勝つのは自然」「普通にやっても力道山の勝ちだろう」(週刊大衆) - INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

    現在発売中の一つ前の話題になってしまって読者には申し訳ないが・・・ ちょっとtwitterからの引用で内容紹介に変える。 unknown ‏@unknown_twi 7月11日 今週の週刊大衆の『1964年のジャイアント馬場』、柳澤健の『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』へのアンサー。いやー、こういうの読むのはたまらんね。 ふるきち ‏@fullkichi 7月13日 週刊大衆連載「1964年のジャイアント馬場」で柳澤健氏、ほとんどシュートな論調!「(力道山対木村政彦で)真剣勝負を避けたのは木村の方」「力道山は真剣勝負でも木村に勝つ自信があった」…「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」の漫画版「KIMURA」が載ってる雑誌で… ( ̄0 ̄; 司行方 ‏@TSUKASAYUKUE 7月13日 週刊大衆の柳澤健『1964年のジャイアント馬場』、『KIMURA』を尻目に力道山対木村正彦戦

    柳澤健氏「力道山vs木村政彦で、力道山が勝つのは自然」「普通にやっても力道山の勝ちだろう」(週刊大衆) - INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-
  • 『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』 - 一条真也のハートフル・ブログ

    一条真也です。 『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』増田俊也著(新潮社)を読みました。 上下2段組で700ページもある大冊ですが、一気に1日で読了しました。 一度読み出したら止まらないほど、とてつもなく面白かったのです。 いやあ、こんな凄い、久々に読んだ気がします。タイトルも凄いですが・・・・・。 戦後日スポーツ史上、最大の謎と数奇な人生 書は、「不世出の柔道家」と呼ばれた木村政彦と、彼を取り巻く多くの格闘家たちの一大人物絵巻というべき大河ノンフィクションです。 わたしが格闘技やプロレスが大好きだということは、これまでブログの中でも書いてきました。たとえば、ブログ「柔道一直線」、ブログ「空手バカ一代」、ブログ「柔道vs空手」 、ブログ「梶原一騎の格闘ロマン」、ブログ「なつかしのBI砲」、ブログ「世界最強の男」などをお読みいただければ、わたしがいかに強い男に憧れて生きてきたかがよ

    『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』 - 一条真也のハートフル・ブログ
  • 『完本 1976年のアントニオ猪木』 - 一条真也のハートフル・ブログ

    一条真也です。 大阪ダブル選挙の結果が出ました。市長選は大阪維新の会代表で前知事の橋下徹氏が、知事選でも大阪維新の会幹事長の松井一郎氏が勝ちました。 しかし、わたしはまったく関心がありませんので、他のことを書きます。 『完 1976年のアントニオ猪木』柳澤健著(文春文庫)を読みました。 壮大なファンタジーの核心 2007年に刊行された単行『1976年のアントニオ猪木』はすでに読んでいました。 しかし、文庫化にあたって大幅に加筆した上、新たにアントニオ猪木自身へのインタビューを追加掲載した「完」を改めて読んだのです。 ブログ『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』で紹介したとあわせて読めば、日のプロレスおよび格闘技の歴史が戦前から現代へと一気につながります。 裏表紙には、「1970年を境に勢いを失った世界のプロレス。なぜ日のプロレスだけが、その力を維持し続けたのか。その謎を解く

    『完本 1976年のアントニオ猪木』 - 一条真也のハートフル・ブログ
  • プチ鹿島 on Twitter: "名著「1976年のアントニオ猪木」「1985年のクラッシュ・ギャルズ」の作者、柳澤健さんとある新年会でお会いする。「もし取材費を出してくれる出版元がいたら次は誰を書きたいですか」との質問に、「1960年(代)のジャイアント馬場」という答えが‼(続く)"

  • Sampling-LoveのBlog - 『1985年のクラッシュ・ギャルズ』 (柳澤健 著)

    発売日に買って置いていたのですが、忘れており最近読んだ『1985年のクラッシュ・ギャルズ』。著書は『1976年のアントニオ猪木』、『1993年の女子プロレス』の柳澤 健氏の新作ノンフィクション。 クラッシュ・ギャルズをリアルタイムに、ほとんど興味がなかった僕が読んでも十分に楽しめた内容でした。長与千種、ライオネス飛鳥、当時を知るファン(伊藤雅奈子)という3人の視点プラス3人以外の証言などの綿密な取材をベースに書かれており、読んでいるとどんどん引きこまれていきます。 二人の対照的な人生やスタイルが絡み合い交差していくストーリーは鳥肌もの。プロレスの魅せ方を軸に書かれている為、裏側もかなり描かれていますが、薄っぺらい暴露とは明らかに違う熱があります。少しでもプロレスに興味がある人なら詳しくなくても、ガッツリ読めてしまうと思うので是非。 ちなみに芸人のプチ鹿島氏のツイートによると柳澤健氏が次作

  • 「世界初のシュート団体・全女」?この矛盾、混沌がプロレスという「底なし沼」の凄みだ - INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

    再びkamiproから。 kamipro 157 (2011)―紙のプロレス (エンターブレインムック) 出版社/メーカー: エンターブレイン発売日: 2011/03/24メディア: ムック クリック: 3回この商品を含むブログ (5件) を見る ☆最狂団体の最強女帝がついに全女 “押さえ込みの方程式”を語った! ジャガー横田 ロングインタビュー 「私の時代は実力で勝たなきゃいけなかった。だから“八百長”って言われると腹が立つ」 このお話は・・・前も書いたけど、実は自分は女子プロレスのほうはほんっと、80年代も90年代もゼロ年代も正直全然見てないの。 かろうじて大宅壮一賞になった(そのときの立花隆の絶対反対論が今なお語り草だ)「プロレス少女伝説」は読んでいたから、最低限の知識はあったのだが。 しかし、見て無いのに柳澤健氏の手によるkamipro連載と、あと文芸春秋社の「オール読物」に一挙掲

    「世界初のシュート団体・全女」?この矛盾、混沌がプロレスという「底なし沼」の凄みだ - INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-
  • 柳澤健「1985年のクラッシュ・ギャルズ」より。ライオネス飛鳥が「目覚めた」時。 - INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

    1985年のクラッシュ・ギャルズ 作者: 柳澤 健出版社/メーカー: 文藝春秋発売日: 2011/09/13メディア: 単行購入: 10人 クリック: 108回この商品を含むブログ (40件) を見る読んだのは少し前だが、私事でばたばたして読了直後に書くことができませんでした。 「1993年の女子プロレス」に比べると、自分の予備知識が少ないんですね。なんだかんだと言って90年代は全盛期の週プロに引きずられて自然とブル中野や北斗晶などスターについては名前や個性を知っていた。80年代だと、主要人物はやっぱり知っているけど、比較すると知識はそれほどでもない。 なので、かなり個別のテーマになりますが、自分が一番注目したのは長与千種のほうではなく「ライオネス飛鳥」のほうでした。これは初出の雑誌で読んだときに、長与のほうのことは一通り出ていたということもあるのですが。 まず、ライオネス飛鳥は、ひとり

    柳澤健「1985年のクラッシュ・ギャルズ」より。ライオネス飛鳥が「目覚めた」時。 - INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-
  • 1954年の木村政彦 - 男の魂に火をつけろ! ~はてブロ地獄変~

    1985年のクラッシュ・ギャルズ 作者: 柳澤 健出版社/メーカー: 文藝春秋発売日: 2011/09/13メディア: 単行購入: 10人 クリック: 108回この商品を含むブログ (40件) を見る『1985年のクラッシュ・ギャルズ』書中において印象的だったのが、やられ役の長与千種が試合をコントロールし、美味しいところをぜんぶ持っていったしまった、というところ。華奢で弱い千種が極悪同盟に血だるまにされ、苦痛に顔をゆがめ、耐えに耐えてライオネス飛鳥にタッチする。そこで飛鳥が出ていって敵を蹴散らす。当時のクラッシュvs極悪ではそういう図式ができあがっていたのですが、飛鳥は最後に怪獣を倒すウルトラマンの役割であり、人間のドラマからは排除された存在である、と柳澤健は評しておりました。観客の大半を占めるティーンズ女子が感情移入するのはあくまで千種の表現する苦痛のパッションであり、そこに「自分た

    1954年の木村政彦 - 男の魂に火をつけろ! ~はてブロ地獄変~
  • 炎の聖書 - 男の魂に火をつけろ! ~はてブロ地獄変~

    クラッシュ・ギャルズ:炎の聖書 『1976年のアントニオ猪木』『1993年の女子プロレス』と力作を発表してきた、柳澤健の新作『1985年のクラッシュ・ギャルズ』を読みました。 1985年のクラッシュ・ギャルズ 作者: 柳澤 健出版社/メーカー: 文藝春秋発売日: 2011/09/13メディア: 単行購入: 10人 クリック: 108回この商品を含むブログ (40件) を見るリアルタイムではほとんど見ていなかったクラッシュが題材とあって(当時、女子プロレスは女子中高生の見るものだった)楽しめるかどうか幾ばくの不安とともに読み始めたのですが、いやー、これはすごいだわ。 長与千種とライオネス飛鳥、そしてファン代表として元「プロレス・ファン」(エスエル出版会)編集長、伊藤雅奈子氏の三人を主人公に、彼女たちの生い立ちから下積みを経てブレイクに至るまで、そして引退を経て復帰、クラッシュ2000を再

    炎の聖書 - 男の魂に火をつけろ! ~はてブロ地獄変~
  • 長くファンを続けるならば、時には最低につまらないモノを観るのも悪くはない - さよならストレンジャー・ザン・パラダイス

    今日は、以前から思っていたことを"独り言"としてアレやコレやと! 漫画、アニメ、ゲーム音楽映画、プロレス…自分の好きなモノに対して、不意に冷めてしまった瞬間、ファンであることを辞めようかと迷った瞬間。 そんな時に、どうするか? というお話です。 ■私が、プロレス"ファン"を辞めようと思った瞬間私は、プロレスが好きです! もう、大好きです!! 専門の週刊誌を毎週欠かさず読み、真夜中に放送される試合の中継も欠かさずチェックし、スポーツ新聞やインターネットの速報で試合結果とリング上でのストーリー展開を追い、そして、会場に試合を観に行く…という生活を、かれこれ15年以上続けています。 もう、心の底からプロレスが大好きなので、この熱は今までただの一度も冷めたことはありません! …と言いたいところですが、そんな自分でも"プロレス"というジャンルに対して、それまで抱いていた熱意と興味が急激に冷め、フ

    長くファンを続けるならば、時には最低につまらないモノを観るのも悪くはない - さよならストレンジャー・ザン・パラダイス
  • ウィレム・ルスカ - Wikipedia

    ウィレム・ルスカ(Willem Ruska、1940年8月29日 - 2015年2月14日)は、オランダの柔道家、プロレスラー。アムステルダム生まれ。1972年ミュンヘンオリンピック柔道男子無差別級、重量級金メダリスト。オリンピック同一大会で2階級を制覇した唯一の柔道家。身長190cm、体重110kg[1](プロレス転向後の公式サイズは身長196cm、体重120kg[2][3])。英語読みでウィリアム・ルスカまたはウィリエム・ルスカとも表記された[4]。 柔道現役時代からプロレス参戦の間のみならず、トレーニングを怠らなかったため、50歳代で再びリングに立った際にも往年の肉体を維持していた。典型的な北欧人(スカンジナビアン)形質で長身に薄いプラチナブロンド、透けるような白い肌で熱戦になると白人独特の赤い肌になったためにマスコミから "オランダの赤鬼" などと称されたが、これは日国内だけであ

    ウィレム・ルスカ - Wikipedia
    lakehill
    lakehill 2011/10/12
    『ミスター高橋は一連の異種格闘技戦も勝敗の決まったプロレスであったと証言している。』
  • 深町秋生の序二段日記

    ま、こんなもんでしょ……。 土曜日にやっていた「テレビ朝日が伝えた伝説のスポーツ名勝負」は基的にはとてもおもしろかった。近鉄対ロッテにおけるジョークすれすれの神がかった大試合。リーグ優勝がかかった7時間を超えるダブルヘッダー。まるでマンガ「アストロ球団」のよう。これは泣けた。 しかしアリ対猪木のあのスタンスはどうか。いわゆるがんじがらめのルールのなかで懸命に真剣勝負をやった猪木。この猪木ベビーフェイス説に乗っ取った物語が大いに不満だった。そのあたりは大傑作「1976年のアントニオ猪木」が詳しい。 アリという超スーパースターに無理難題をつきつけられる猪木という物語。それがのちに猪木側がこしらえたストーリーなのは格闘ファンの間で有名だ。猪木は超エゴイストの人でなしであり、しかし過去のあらゆるカリスマ政治家や宗教家と同じくらいの天才アジテーターで、偉大な肉体表現者でもあった。そして関わった人間

    深町秋生の序二段日記
    lakehill
    lakehill 2009/02/09
    プロレスって、うさんくさい奴だらけだな。
  • 深町秋生の序二段日記

    ここ最近の海外ニュースでもっとも話題になったブッシュ・シューズ。 後日談がバカバカしくておかしい。 http://news.goo.ne.jp/article/jiji/entertainment/jiji-AFP020471.html(「ブッシュ・シューズ」に注文殺到=トルコの製造会社) アメリカでももちろんジョークの種にされまくっていて、「まったく。あの記者の行為は許しがたい!」と切り出しながら「……2度も外すなんて!」というオチがいい。 しかしびっくりさせられるのがアラブ諸国の反応であって、記者への英雄視はわかるとしても、に数億円の懸賞金をかけたり(なんともアラビア的だ)、リビアでは記者に勲章を与えるのだという。「熱くなりすぎ、お前ら」と笑いとばしたくもなるが、熱くならざるを得ないのが中東の現代事情なのだろう。そりゃそうだ。 に数億円の懸賞金がかけられたりデモが起きたりと、かりに

    深町秋生の序二段日記
  • 深町秋生の序二段日記

    http://www.sponichi.co.jp/battle/news/2008/07/31/05.html(防衛に水差した興毅 坂田陣営「不愉快」) http://sankei.jp.msn.com/sports/martialarts/080731/mrt0807310822001-n1.htm(挑戦申し出た興毅をバッサリ 金平会長「不愉快」) 金平! プロレスをなめるなといいたいね! 亀田長男のあんなパフォーマンスだけで「プロレスじゃないんだから」だと! 「プロレスはそんな甘いもんじゃない」(ジャイアント馬場) という言葉にあるとおり、プロレスはそんなちっぽけな世界じゃないぞ! というかもうすっかり気の抜けたコーラのようじゃないか。亀田劇場。つまらん! 次の日のみのなんかもう見事な内藤ヨイショ&亀田蔑みがすっかり板についていて。華麗なる転向といいましょうか。芸能界の厳しさを見たよ

  • ゴッチについて書き留めておくべき二つのこと。 - ふるきちの、家はあれども帰るを得ず。

    逝去から3日経った今でも気持ちの整理がつかずにいる。 その昔、75年の猪木対ロビンソンの立会人として初めて「カール・ゴッチ」という名を認識して以来30年以上ゴッチ関連の記事を読みあさってきた一フアンとして、書き留めておかねばならない二つのことを記しておく。 (1)昭和40年代前半(1960年代後半)すでにゴッチ人気は凄まじいものがあったということ。 よく「猪木がゴッチを神格化しなければゴッチはただの隠遁者として世を終わっただろう」というような意見が見られるが、これは必ずしも正しくない。 昭和40年代前半の月刊ゴングのバックナンバーあたりを見れば分かるが、新日プロレス旗揚げ以前にして既にカール・ゴッチは日のフアンに熱狂的に支持されていたのである。 昭和43年インターナショナル王者として不動の地位を確立していた馬場に、ゴング編集部(竹内宏介氏?)がいくつかの提言をしており、その中で「基礎体

    ゴッチについて書き留めておくべき二つのこと。 - ふるきちの、家はあれども帰るを得ず。
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    顔に見える?最近「送水口」が気になるという話 「送水口」が気になる今日この頃 最近街中で気になる存在、それがこの「送水口」です。地上のフロアが7階以上あるビルなど、一定の条件を満たした建築物には設置が義務付けられているもので、火事が発生したフロアにただちに水を送るために使われるものです。ポンプ車…

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    lakehill
    lakehill 2007/07/25
    よっぽどネタがないのか?
  • http://qsoboku.exblog.jp/5641282

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