リカーシブ編 ふりかえる/社会科学は方法論を語りたがるのか? 知識社会学は、知識の起源や生産や流通や分配を問う。そして、研究対象とする知識の中には、当の知識社会学という知識も、むろん入る。 自己言及(自分について何か言うこと)は、すべてが危険なわけではないが、自己相対化から相対主義の氾濫とペシミズムへの転落という危険が付きまとう(繰り返すが、すべてが危険なわけではない。完璧な意思疎通がたとえ不可能であっても、我々は何一つ伝えることができないわけではないように)。 自己言及の危うさを知るには、なにも「私を含むすべてのクレタ人はうそつきです」とまで言わなくてもいい(だいたいあなたはクレタ人じゃないだろう)。 「私は正直です」と言わなければならない場面を考えてみるといい。たしかに今認めて欲しいのはその言葉が指す内容(コンテンツ)なのだが、そう言わなければならない場面 (コンテクスト)に追いこまれ
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