古代の集落跡とされていた滋賀県栗東市上砥山(かみとやま)の上砥山遺跡で、7世紀中頃~8世紀(飛鳥~奈良時代)に文字が書かれた土器や木製品が大量に出土した。県文化財保護協会が10日発表した。木簡を転用…
古代の集落跡とされていた滋賀県栗東市上砥山(かみとやま)の上砥山遺跡で、7世紀中頃~8世紀(飛鳥~奈良時代)に文字が書かれた土器や木製品が大量に出土した。県文化財保護協会が10日発表した。木簡を転用…
◇竜王で出土 奈良期 米の「付札」? 竜王町山面の「ブタイ遺跡」(古墳時代~鎌倉時代)で、人名が書かれた奈良時代(8世紀)の木簡(長さ211ミリ、幅18ミリ、厚さ3ミリ)が見つかり、県文化財保護協会が発表した。近くには県内最大の須恵器生産地「鏡山 古窯趾 ( こようし ) 群」があり、何らかの形で関わった地方豪族を指すとみられる。生産遺跡での木簡出土は珍しく、専門家も注目している。(小宮宏祐) 工場用地整備に伴い、町教委から依頼を受けた協会が2016年7~12月に2240平方メートルを調査した。 木簡は、船が航行する奈良時代の人工水路と考えられる大溝(幅5メートル、深さ1・7メートル、長さ56メートル以上)から出土。墨で「 桐原郷●原史 ( きりはらごういはらのふひと ) 」と書かれていた。「桐原郷」は現在の近江八幡市南西部、「●原史」は氏族名を指すという。 下端部がとがった形状で、荷物な
File Not Found. 該当ページが見つかりません。URLをご確認下さい。 お知らせ 事件・事故のジャンルを除き、過去6年分の主な記事は、インターネットの会員制データベース・サービスの「京都新聞データベース plus 日経テレコン」(http://telecom.nikkei.co.jp/public/guide/kyoto/)もしくは「日経テレコン」(本社・東京 http://telecom.nikkei.co.jp/)、「ジー・サーチ」(本社・東京、 http://www.gsh.co.jp)のいずれでも見ることができます。また、登録したジャンルの記事を毎日、ネット経由で会員に届ける会員制データベース・サービス「スカラコミュニケーションズ」(本社・東京、http://scala-com.jp/brain/) も利用できます。閲読はともに有料です。 購読申し込みは下記のページから
トップ > 滋賀 > 2月16日の記事一覧 > 記事 【滋賀】 納税品に付けた荷札の木簡出土 長浜・塩津港遺跡 Tweet mixiチェック 2013年2月16日 (右)見つかった木簡の表。「皇后宮御封米」と書かれている(左)裏の墨書は「代十石栗毛母馬」と読める=県文化財保護協会提供 県文化財保護協会は、長浜市西浅井町塩津浜の塩津港遺跡から、平安時代後期に地方から税として納める品に付けた荷札「付札」の木簡が見つかったと発表した。律令(りつりょう)制度の中で貴族や寺社などに納めた税「封米(ふうまい)」と書かれている。この記述のある木簡の出土は全国で初めてといい、これまで文献資料でしかわからなかった物納の流れを証明する貴重な資料だという。 木簡には「皇后宮御封米(こうごうぐうみふうまい)」と書かれ、裏に「代十石(だいじゅっこく) 栗毛(くりげ) 母馬(ははうま)」と記されている。この記述は、
天智天皇の近江大津宮に関連するとみられる大津市の北大津遺跡(7世紀後半)から出土した「音義木簡」を、奈良文化財研究所が約30年ぶりに再調査したところ、解読できた文字数が、当初の約2倍の49文字に増えたことが、わかった。 漢和辞典のように漢字の訓読みや意味を示した木簡で、情報量が増えたことによって、より詳細な研究が可能になり、日本語の音韻や漢字を使った表記の変遷をたどる上で貴重な史料になりそうだ。 木簡(長さ68・5センチ、幅7・4センチ)は1973年度、滋賀県教委の調査で出土。同県内で初めて見つかった木簡で、同県警鑑識課が撮影した赤外線写真を使って調査した。その結果、77年に、約50文字が残り、うち26文字を解読できたことが報告された。 現在は、墨書が薄れて文字が読めなくなり、赤外線写真のフィルムも劣化して現像できなくなっている。昨年8月、奈良文化財研究所が新たに赤外線撮影したところ、79
紫香楽宮跡から出土した門籍木簡。宮殿への門を通るためのIDカードの役割を果たしていたとみられる(甲賀市教委提供) 奈良時代に聖武天皇が造営した紫香楽宮(しがらきのみや)(742〜45年)があったとされる滋賀県甲賀市の宮町遺跡から、宮殿の門を出入りする官人をチェックする「門籍(もんじゃく)木簡」が出土したと18日、甲賀市教委が発表した。 門籍木簡はこれまで平城京と藤原京(いずれも奈良県)の9例以外に出土例がなく、市教委は「離宮のイメージが強い紫香楽宮だが、都市として機能していたことがはっきりした」としている。 門籍とは宮殿の警備を定めた奈良時代の宮衛令(くえいりょう)に定められた制度。官人それぞれに出入りできる門が決まっており、IDカードのように官位と姓名を書いた札を門で照らし合わせ、合致すれば通行できる仕組みだったとされる。 出土した門籍木簡は長さ17.7センチ、幅2.5センチ、厚さ5ミリ
最古の起請文には、誓約を守らなければ体中の8万4000の毛穴から神罰を受ける、との内容が記されていた=滋賀県教委提供 滋賀県西浅井町の琵琶湖北端にある塩津港遺跡(平安時代後期)で、神仏への誓約「起請文(きしょうもん)」を書きつけた国内最長を含む大型木簡55点が出土し、県教委が5日、発表した。木簡に書かれた例は初めてで、起請文としても国内最古。琵琶湖の水運に携わった流通業者などが魚や米を盗んでいないなどと誓約、誓いを破れば神罰を受けるという内容で、県教委は「商売を含む日常の営みに、信用や潔白さを重んじた人々の有り様がわかる」としている。 木簡は、神社遺構の南約35メートルで、堀跡(長さ11メートル、幅4・5メートル)から出土。長さ2・2〜1・3メートル、厚さ1・4〜0・4センチの杉板で、10点はほぼ完全に形が残り、保延3年(1137年)〜永暦元年(1160年)の年号を確認できた。 墨書の起請
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