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心の哲学と脳に関するshokou5のブックマーク (6)

  • 斎藤環 × 茂木健一郎 往復書簡についての 往復所感★第2信

    斎藤環 × 茂木健一郎 往復書簡 「脳は心を記述できるのか」 http://sofusha.moe-nifty.com/series_02/ についての ,@shokou5さん作成の「斎藤環 × 茂木健一郎 往復書簡についての 往復所感 http://togetter.com/li/30971」の続き。一部口論ありつつも品位は保たれ,またそこも重要な論点に絡んでくるのであえて残しました。 @deepbluedragon, @fun9tion, @shokou5, @totojuni_sanche, @AmiHide など参加。

    斎藤環 × 茂木健一郎 往復書簡についての 往復所感★第2信
  • 斎藤環 × 茂木健一郎 往復書簡についての 往復所感

    蒼龍 @deepbluedragon そういえば齋藤環の茂木との往復書簡で、齋藤環が脳の可塑性によって支持しているのは認知科学的な機能主義のはず。機能主義が前提にするのはせいぜい心身のトークン同一説なので、このままでは物質還元主義者が期待するほどには心を説明できるような情報量の増加はない。 蒼龍 @deepbluedragon 私が書いてた認知科学ブログの読者には、茂木が好きとか池田信夫を愛読してるとかって人がたまに見受けられたのだけれど、彼らの怪しさを知っている側からすると困ったな感がかなりあった、今となってはもうどうでもいいけど(付き合ってると切りねぇ)

    斎藤環 × 茂木健一郎 往復書簡についての 往復所感
  • スワンプマン・ジョンの意識

    HA @AmHdt 「水槽のなかの脳」という思考実験があるけど,あの脳は正常に機能しないんじゃないかと最近になって思うようになった.もちろん検証不可能なんだけど,身体や他の神経系を離れては脳は活きていけないのではないか? 2010-02-16 14:30:46 @boy_smith @AmiHide では、脳が身体や神経系とすべて繋がった状態で脳を取り出し、水槽の中に入れてみてはどうでしょうか? 私自身は脳にとって身体が必要だという理由はよく分かりません. そもそも脳すら必要なのか分からないです笑. 2010-02-16 14:36:26

    スワンプマン・ジョンの意識
    shokou5
    shokou5 2010/02/16
    めずらしく いきどおっていますね.ぴーぱっぱ!
  • Harvard Mind/Brain/Behavior - Past News And Events

  • ■ - 科学と工学と哲学から、日常を考える

    下書き 1.どういった脳状態がどういった内観報告を行うかについての法則が存在する。 これは基的に科学的な前提。いわば世界の全ては法則に従っている、という前提。 (ちなみにデイヴィッドソンの非法則性の議論。この議論は一見こうした法則の存在を否定している議論のように見えるが、法則の存在の有無と、法則の単純性・複雑性の間の違いを明示的に論じてないがゆえにそう見えるだけ。) 2.この法則の記述を、その有効性をまったく何一つ損ねない形で圧縮できる この部分こそが僕の妄想。デイヴィッドソンが否定するのもむしろこの部分。 3.有効性を失わない形で圧縮された法則は、科学者達の間で全称命題化され、実在論的に扱われるようになる。 ここは基的に科学者のいい加減さから来るもの。 3.1全称命題ジャンプ ∃n(ある場合に妥当した)が ∀n (全ての場合に妥当する)に拡張される。 3.2実在論的ジャンプ 「その法

    ■ - 科学と工学と哲学から、日常を考える
    shokou5
    shokou5 2008/09/20
    "有効性を失わない形で圧縮された法則は、科学者達の間で全称命題化され、実在論的に扱われるようになる。 ここは基本的に科学者のいい加減さから来るもの" limited sloppiness 万歳!
  • zombi.htm

    ゾンビは論理的可能性ですらないか? ------チャルマーズに対するpros and cons------                                      柴田正良(金沢大学)  チャルマーズの性質二元論は、物理主義に対立するテーゼとして提出されている。通常、科学者(とくに物理学者?)は、よほど問いつめられた場合以外には物理主義者とはならないだろうと思われる。確信犯的な(?)実体二元論者を除くと、彼らがおしなべて存在論に無頓着であるのは、想像のかなたの可能世界で何が起きようとも自分の目下の研究に差し迫った影響はない、という理由からであろうか。しかし、われわれ哲学者でも、物理主義のギリギリのラインがどこに引かれるべきかに関しては完全な一致に達しているわけではない。その意味でチャルマーズの物理主義反駁は、どこまでが物理主義の主張なのかということの自覚をわれわれに

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