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考に関するshokou5のブックマーク (14)

  • 恋愛感情がわかない人はどうもしなくていい

    http://anond.hatelabo.jp/20090923013046 恋愛至上主義の人に煽られてるだけだと思うんだ。 ときどき私が「彼氏欲しくない」事を知った人から、「なぜ欲しくないのか」と聞かれるんだけど、それは逆だと思う。 「欲しくない」ことに理由は特にない。「欲しい」人に理由があるだけで。 誰かを好きになる努力をするって、なんか末転倒な感じがする。なんのためにそれをするかといえば恋人を作るためなわけで、じゃあなんで恋人を作らなきゃいけないのか……普通はそこが「好きになったから」とかじゃないのか 「後になってしたくなるかもしれないので、今したくもないけど恋愛をして、したくもないけど、セックスをして、したくもないけど結婚する」なんてことはできない 全部真理。 将来とか老後のことだって、結婚したからといって良い老後を過せる保証はまったくないわけだし、思い悩むだけばかばかしいと思

    恋愛感情がわかない人はどうもしなくていい
    shokou5
    shokou5 2009/10/03
    "一番残念なことは、本気で猫を愛する事と、愛する猫を失う絶望を味わうことができないことかな。じゃなきゃ、猫の大切がわからんよ" "生きたサソリ食べてみて初めて分かる食の喜びみたいなものはあると思う"
  • 【邂逅 カルチャー時評】四方田犬彦 酒井法子氏を擁護する - MSN産経ニュース

    タレントの酒井法子氏が覚醒(かくせい)剤を所持していたことから起訴され、もう数週間になろうとしている。才色兼備のうえに富裕な生活、理想的なお母さんを演じてきたアイドルは、一夜にして犯罪者の汚辱に塗れた。久しぶりに出現した「堕(お)ちた偶像」に、メディアも大衆も我(われ)を忘れて興奮している。 だが待てよと、わたしはいいたい。なるほどある種の薬物の使用は現下の日の法律では許可されていない。厳然たる悪である。だがその悪としての側面を強調し、大義名分さえ踏まえていれば何をどう叩(たた)いてもかまわないと面白がるメディアの姿勢には、疑問がないわけではない。敗戦直後の田中英光や坂口安吾といった文学者は、ヒロポンやアドルムを常用しながら敗戦の絶望感を克服して、戦後文学に残る記念碑的な小説を書き上げた。覚醒剤を絶対の悪と見なすなら、彼らの業績を「国文学界」は全否定しなければなるまい。欠損家庭に育ち、過

  • 音楽を録音すること:それは善か悪か? - 想像力はベッドルームと路上から

    音源の無料化を推進する言説とセットで「そもそも音楽はアーティストがライブで演奏していたもので、レコードやCDに収められた音源はその代用品に過ぎない」というようなことを言う人達がいます。 レコードやCDのようなパッケージメディアが既に時代遅れになっているのはその通りだと思います。デジタルデータでやり取りした方が効率的ですしね。でもって、パッケージメディアと比較した場合デジタルデータの流通や複製に必要なコストは格段に下がりますから、(無料化が成立するかどうかは別にして)レコード会社が考えているような価格を維持することはユーザーが許さないでしょう。 ですが、“レコード/CDが時代遅れになること”あるいは“音源の値段が下がる(無料になる)こと”と“録音された音楽が価値を失うこと”は全く違います。 以前も、 そもそも、「レコード」が「ライブ音楽を収録する為に使われていた」なんて何十年も前の話。現在で

    音楽を録音すること:それは善か悪か? - 想像力はベッドルームと路上から
  • 元サバルタンは語るのを覚えていられるか - 女教師ブログ

    ...サヴァルタン[ママ]が語り得ないならば、語れるように教育すればよい。初等・中等教育はもちろんのこと、成人教育も重要な役割を果たす。部落解放運動の中では、成人に対する識字教育が行われてきたが、その中では、生活史の作成がなされることがあった。つまり、読み書き能力の獲得は、自分の置かれている状況を日常的な構えとは違った反省的な視線でとらえ返すための手段でもあるのである。当事者のエンパワーメントという側面が強調されがちであるが、識字教育は、社会的な現実の構成/記述という点でも、大きな可能性を持つ。社会学者が代弁してあげるのではなく、当事者が語ったほうがずっと迫力があるし、影響力も大きいのは当然である。アクティブインタビューか、識字教育か? | Theoretical Sociology * * * * * ありそうだけど実際にはなさそうで、でもやっぱりありそうな話。 僕は幼い頃から背が小さく

    shokou5
    shokou5 2009/04/08
    "識字能力の「獲得」によって、元サバルタンの「今ここ」の「社会的な現実」も構成される。…識字能力の「すばらしさ」を内面化した今では、あのころ一体何が「語りたかった」のか思い出せない"
  • 薄っぺらい言葉を吐く勇気 - U´Å`U

    こんな記事を読んだ。 ・「私を死刑に」「あなたが生き残った意味必ずある」 重いダウン症の長男(当時27)の将来を悲観した(同53)に頼まれ、2人を殺害した夫(57)に対する判決が4日、さいたま地裁であった。死刑を求めた夫に裁判所が出した答えは、懲役7年(求刑同10年)。若園敦雄裁判長は「長男がダウン症を持って生まれてきたことには必ず意味がある。あなたが生き残ったことにも意味がある」と諭した。 http://www.asahi.com/national/update/0204/TKY200902040312.html 別の記事によると、裁判長は「や長男に対する愛情から、自らも死を覚悟して犯行を実行しており、考慮するべき事情はある」などと述べ一定の配慮を示す一方で「被告はの心身が正常でないと理解していた。医師に受診させるなど、ほかにも取るべき手段があった」と指摘し、被告の事情には過度に考

    薄っぺらい言葉を吐く勇気 - U´Å`U
    shokou5
    shokou5 2009/04/01
    陳腐,とか薄っぺらい,ってのは言葉に対して張るべきレッテルではないのかもしれない.ロールプレイから離れられないなら,どんな言葉だって陳腐になるんじゃないかな.
  • ふみこむ。それは こわいこと。でも、 - hituziのブログじゃがー

    すべての ふみこむ ひとへ。そして、すべての たちどまっている ひとへ。なおさら、ふみだすまえで とまどっている ひとへ。 完璧な親って いるのか - hituziのブログ 無料体験コース 「親があっても、子は育つ」 - hituziのブログ 無料体験コース パターナリズムが どうしたってんだ - hituziのブログ 無料体験コース ただしいことって おそろしいものです。それが自分が きめたものであっても、だれかが きめたものであっても、「ただしいとされているもの」であっても。 だって、わたしは、おそらく あなたも、どこにも安住することは できないからです。ふと 気がつけば。ふと、ふりかってみれば。よく まわりを みわたしてみれば。ああ。 どこまでも、いつまでも、どんなときも、自分を せめてはいけないものです。自分で くるしんでは いけないものです。おしだまっては いけないものです。いや

    ふみこむ。それは こわいこと。でも、 - hituziのブログじゃがー
  • 連想せよ:「クィアという概念は具体的に誰も救わない」 - なまこのはらわた

    この問題提起は非常にしばしば耳にするところで、基的にはまったく同意しないのだが、しかしなぜ何度もおなじことを言われるのかを考えると、「救う」という言葉でおたがいに想定していることがらの範囲がちがうのだろうという気がする。 そんなことを考えていて思い出したのだが、ジェンダー論とかフェミニズムとかで文学や映画、あるいは絵画などをあつかっていると、贅沢品扱いというか、女性の生存にとってほんとうに大事なこともやらずになにをあそんでいるのか、という批判をうけやすい。このときの「生存にとって大事なこと」も、たぶん自分とはかんがえていることがちがうのだろうという気がする。 衣住の保証とか身体の安全を脅かされないこととか、ひとが生きていくうえで大事なことはいろいろある。 「飢えたひとを前にしても芸術に意味があると言えるのは、そのひとが飢えたことがないからだ」という言い方があるが、そんなことが言えるのは

    連想せよ:「クィアという概念は具体的に誰も救わない」 - なまこのはらわた
    shokou5
    shokou5 2008/09/09
    "「贅沢品」を享受するのにふさわしくない立場(中略)のひとが「贅沢品」を享受することには、限定的ではあれ、常にラディカルな力がひそんでいる。" ひとは衣食住のみにて生くるに非ず。
  • http://d.hatena.ne.jp/sdt/20080829

    shokou5
    shokou5 2008/09/05
    "スタンドアローンな人間は常に「輪」をあこがれているのでそういう人がなんとなく分かる。ただし輪の中に入る気が、あこがれているくせに、あまり無い"何だか可笑しい。幸せになりたいと思いたい。という気がしたい
  •  何かをものすごく好きになるということ - イチニクス遊覧日記

    昼ご飯にイングリッシュマフィンのトーストをべながら、テレビ東京の「土曜イベントアワー 2007自給自足物語 冬の大地に生きる夢の家族SP」という番組を少しだけ見た。タイトルは今検索して調べたんだけど、ずいぶんと恣意的なタイトルだなぁと思う。けど、私が見た部分、一人で自給自足している女性を紹介していた部分は、ナレーションにもずいぶん含みが多く、へきえきした。へきえきしたけれど、私はその女性のことをすてきだなぁと思ったので、その気持ちについて書いてみたいと思う。 → 私の友達に、農家の後を継いだ女の子がいる。すごくすてきな人で、誠実で頑固で、苦労ばかりしていて、それこそ「愛すべき娘たち」にでてくる爽子のような人だ。少し遠いところにすんでいるし、農業には休みというものがないので、なかなか会う時間がないのだけれど、でも何かあるたびに彼女のことを思い出して、がんばらなきゃなと思う。そんな人だ。 数

     何かをものすごく好きになるということ - イチニクス遊覧日記
    shokou5
    shokou5 2008/05/29
    "何かをものすごく好きになることで、生活をがらりと変えてしまう可能性というのは、あるんだなぁと思った"
  • 届かない距離と反芻する言葉 - 昨日は必然、今日は偶然。

    時々はこうして少しずつ言葉を吐き出さないと頭の中でぐるぐる言葉が自律的に動き始めてまるで生きものみたいやがては死んで腐ってゆくからこうしてまた書き続ける。 かたちのないものは生きものではないのか、そんなことを考えながら訪れた日曜日はアタック25の司会の白髪のおじさんの威勢のよい言葉とともに目が覚めた。平和な日曜日はそういえばこのように始まるのだった。ここのところ日曜日はいつも大学で作業をしていたせいでそんな当たり前のことを忘れていた。ときに人は熱心に、半ば脅迫神経症的に何かをやらなければいけないときがあるが、それを長く続けることは誰をも幸せにはしない。荒んだ心で人に接する際に口から出てくるこの優しさが微塵も感じられないことば。ことばと呼ぶにはいささか醜すぎる。 書かずにはいられない、というのが恐らく結論で、それは僕が学部生のときに何もの小説を書こうと試みては挫折したということからも伺える

    届かない距離と反芻する言葉 - 昨日は必然、今日は偶然。
  • 「永遠の嘘をついてくれ」――「美しい国」と「無法者」の華麗なデュエット 後編 - (元)登校拒否系

    シリーズ:自由と強制と(無)責任の政治学 | 23:26 | (前編からの続きです。) サルトルは、アルジェリア革命の闘士フランツ・ファノンによる『地に呪われたる者』への序文で、フランス国人の植民地支配に対する責任について語っている。当時のアルジェリアは、フランスの植民地だった。アルジェリアでの、「コロン」と呼ばれるヨーロッパ人入植者の暴虐非道ぶりは、フランス国でも既に知られていた。サルトルは、フランス人読者に告げた。 ……「だが、おれたちは<国>[=フランス]にいるんだ、[アルジェリアでの]行き過ぎを非難しているんだ」。そのとおりだ。君たちはコロンではない。だが似たり寄ったりだ。彼らは君の先駆者[パイオニア]なのだ。君たちはコロンを海外に送り出し、コロンは君たちを金持にした。もっとも君たちは彼らに予め警告していた。「あんまり血を流すと、お前らを否認せざるをえなくなるぞ」。これと同様

    shokou5
    shokou5 2008/01/30
    "問われるべきなのは、(中略)「永遠の嘘」によって維持される暴力と平和主義の分業体制である。(中略)人はあらかじめ割り振られた「役割」についてではなく、「全体」について責任を負っている。"
  • どきどきジャイレース

  • "Strong Inference"について

    shokou5
    shokou5 2007/08/18
    "(分子生物学の)勝利は、「どんな二つの細胞も同じではない」と言って自らを正当化する種類の人々によってもたらされたのではない。これらの勝利は、まさしく新しい思考方法の勝利である。"
  • http://anotherorphan.com/2006/08/post_350.html

    shokou5
    shokou5 2006/08/08
    「現状は悲惨であるという認識を、精神の状態のメタファーに変えないことだ。」
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