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2007年8月1日のブックマーク (4件)

  • Freezing Point -  斎藤環 「脳はなぜ心を記述できないか」 講演レポート 1

    斎藤環 「脳はなぜ心を記述できないか」 講演レポート 日時: 3月6日(火) 14:00−16:00 場所: ユメンヌホール(大阪大学人間科学部東館 2階 207講義室) 概要: 脳科学ブームの昨今、脳で人間の心や社会が説明できるかのような言説がまかり通っている。 しかし実際には、現時点での脳科学は、人間の心や行動を整合的に説明できる学問たりえてはいない。 精神医学者アンリ・エイは、脳の障害と精神症状との間にギャップがあることをふまえて「器質−臨床的隔たり」と呼んだ。 この指摘はいまこそ有用である。 「階層性−非階層性」をキーワードとして、脳科学による心の解明において、設定されるべき限界について述べる。 聴講してきました。 同講演に参加されていた、谷川茂氏(双風社): 「斎藤環さんのセミナーにいってきました」 以下、音声ファイルや配布されたレジュメなどを元に、大まかな記録をアップします。

    Freezing Point -  斎藤環 「脳はなぜ心を記述できないか」 講演レポート 1
  • このオヤジ、頭おかしいんちゃう? - Nash Bridgesの始末書

    若者はなぜうまく働けないのか? - 内田樹の研究室 どうして自分の努力の成果を他人と分かち合わなくてはいけないのか? だって、それオレのもんでしょ? 違うのだよ。 『スイスのロビンソン』という、今ではほとんど読まれることのない児童文学作品がある。 これはスイス人一家が無人島に漂着して、そこでロビンソン・クルーソーのような暮らしをするという物語である。 その冒頭近く、漂着したあと、海岸でみんなで魚介類を集めてブイヤベースを作るという場面がある。 スープができたはいいが、皿もスプーンも人数分ないから、みんなでわずかな器を使い回ししている。すると、子どもの一人がおおぶりの貝殻をとりだして、それでずるずるスープを啜り始めた。 なかなか目端の利く子どもである。 それを見た父親が子どもに問いかける。 「お前は貝殻を使うとスープが効率よくべられるということに気づいたのだね?」 子どもは誇らしげに「そ

    このオヤジ、頭おかしいんちゃう? - Nash Bridgesの始末書
  • 書籍出版 双風舎:【連載】「思想の死相」

    「進歩」は「回帰」であることへの「目覚め」 ■第5回■ ベンヤミンの影響を受けて、ブルジョワジーの太古回帰願望や文化産業についての研究を始めたアドルノは、こうしたベンヤミン的なオプティミズムには批判的です。アドルノは、そもそも大衆をそんなに信用しておらず、大衆芸術の解放のポテンシャルのようなものにあまり期待していません――それはアドルノの貴族趣味のせいだという人もいます。ですから、『複製技術時代の芸術作品』以降のベンヤミンの、大衆の自己覚醒能力に過度に期待しているかのような議論に、アドルノは批判的です。 ナチス時代には、ベンヤミンもアドルノもユダヤ系だったので、海外に亡命していました。しかし、同じ亡命者といっても両者の境遇は違いました。アドルノは、(組織全体として亡命していた)フランクフルト社会研究所の代表的なメンバーとして、海外でも研究所の機関誌の発行などをとおして、一定のアカデミックな

    shokou5
    shokou5 2007/08/01
    進歩に潜む回帰について。
  • 斎藤環と茂木健一郎の往復書簡「脳は心を記述できるのか」 第1信 「価値のクオリア」は存在するか?(斎藤環)

    斎藤環から茂木健一郎への手紙 はじめまして。 はじめておたよりします。斎藤環と申します。 茂木さんの著書は何冊か読ませていただきましたが、その精力的な活動のすべては、とうていフォローし切れていない点をまずお詫びいたします。 そのかわりといってはなんですが、妙なエピソードからはじめさせていただきます。 じつは私は、茂木さんとこれまでに何度かニアミスしているんですよ。たとえば、私は2006年の夏休みにフライブルクに行ったんですが……(といえばピンと来るかも知れませんね)、ルフトハンザ機内で私たち家族の斜めうしろに茂木さんが座っておられました。驚いたのは、往路だけならまだしも、復路の機内でもほぼ同じ位置関係で、なんというか、この「偶有性」には驚かされました。思えばあの時点で、この企画は萌芽的かつ徴候的に成立しつつあったのかもしれませんね(笑)。 私の茂木さんへの親近感はこれに留まりません。私たち