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東京では、いきなり梅雨が明けてしまった。 まだセミの声もまばらなのに、一気に気温は35度を超えた。 となると、気分はもう夏休みである。 夏休み、といえば「観光」である。 今回は「観光」にまつわる本を紹介しよう。 「観光」といっても、遠くに行く暇なぞない、というひとにとってすぐにできる観光の方法がある。 それは、いま自分の住んでいる場所で「観光」をすること。 え、どうするんだって? 簡単である。 「地理的」に観光をしようと思うから、遠くにいかなければならない。 「歴史的」に観光をすれば、あなたの足下が、ほら見知らぬ観光地になるのだ。自分のいま住んでいる場所が、かつてどんなところだったのか。 そこで、注目すべきは「道」である。 人が住んでいれば、必ず道ができる。 いまの幹線道路の裏側に、かつてどんな道があったのか? 道は社会であり経済であり政治であり生活であり、ある意味で人にとっての
この連載の初期に、私はひとりの著者の作品群を紹介した。 著者の名は、水野仁輔。 どこでもいつでもあらゆるカレーをつくってしまう、出張カレーユニット、東京カリ〜番長の調理主任。 調理師免許は持っているが、店は持たない。 基本的に「素人」の立場である。 が、しかし、どんなカレーのプロもなし得ない情熱と守備範囲の広さで、あらゆるジャンルのカレーを、サーブする。 本格派のインドカレーを、欧風カレーを、東南アジア各国のカレーを、北海道発祥のスープカレーを、「ハウスバーモントカレー」だの「ジャワカレー」だの、お子様大好きなあの即席ルーでつくったカレーを。 しかも、オリジナルの「味」を尊重しつつも、世界で一番カレーを愛する国民、日本人の「こころ」と「舌」に刺さる、新しいレシピに落し込んできた。 前回、私がこの欄で紹介したのは、まさに「素人」だからなし得る、水野氏の多種多様にして変幻自在な
「池袋のはずれにエルブジ出身のレストランが出来たのは知ってますか。修行中に意気投合した日本人、チリ人、メキシコ人の三人で始めたらしいですよ」 こんな話を食メディア界の重鎮から聞いたのは、ゴールデンウィークのちょっと前のことだった。店の名前は「81」。池袋から地下鉄で一駅先の「要町」にあるという。 エルブジといえば、スペインのカタルーニャ地方の田舎にあるのに「世界で一番予約が取れないレストラン」として有名だった。シェフのフェラン・アドリア氏は、調理科学や最新料理器具を駆使して、見たこともないような料理を作り出し、世界中の名士が自家用ジェットで訪れる店だった。 二度も「だった」と書いたのは、フェラン氏が多忙を理由に、2011年3月までで閉店してしまったからだ。いまやエルブジの味は幻となっているわけだ。 その料理を日本で食べられるとは面白い。しかも、要町は失礼ながら最先端レストランがあるとは到底
『となりのトトロ』という映画を観たひとは多いだろう。 昭和30年代初頭。車はあるけれどテレビはまだ普及していない時代。都心から郊外の丘陵地帯に越してきた学者の父と二人の娘。周囲には、田んぼと、深い森に覆われた「里山」。そんな山の主のような巨大な楠には、不思議な生きものが住んでいた。その名はトトロ……。 この映画を見て、そう、たとえば今50歳以上の人はこう思ったりする。 ああ、自分が子どものころは、まさに「トトロ」のような風景がいっぱいあったなあ。都心から郊外に出たら、青々とした緑に包まれた里山があったなあ。 カブトムシなんかとったよなあ。 田舎のおばあちゃんのところにいったら、ほんとに自然が豊かだったよなあ。 それに比べて、今の日本は、緑がどんどんなくなって、文明が発達するのはいいけれど、自然も緑もなくなるし、里山風景も消えてく……。 とまあ、「トトロ」を見た大のおとなは、だい
のっけから断言するが、東京の、いや、日本の歴史は、国道16号線から始まった。そして、日本人は国道16号線である。 何を言ってるんだ、このおっさんは。 そう思ったあなたの反応は、ま、正しい。 でも、もう一度、断言しちゃう。 日本の歴史は、国道16号線から始まった。 そして日本人は国道16号線である。 国道16号線とは何か。 東京湾に面した横須賀から海沿いを横浜方面に抜け、そのあと東京湾を大きく円周を描いて囲むように、相模原を抜けて、東京の町田に入り、八王子、福生を抜けて、埼玉の川越へ、さいたま市から、春日部を抜けて、千葉の野田へ、柏、船橋、千葉と再び東京湾沿いに出て、木更津、富津へ。で、ここで終わりかと思うとそうじゃなくて、房総半島の金谷からなんとカーフェリーに乗って東京湾を渡って、三浦半島の久里浜へ。 かのごとく16号線とは東京湾を大きくぐるりと一周する道。距離にして250キロ少
20世紀末、これから数十年にわたって最も重要な書。 そう言われた本がある。 『銃・病原菌・鉄』 著者は、ジャレド・ダイアモンド。 彼は何者か。 もともとは鳥類を研究する生物学者である。 ゴクラクチョウをはじめ多彩な鳥類の住むニューギニアでフィールドワークを重ねたダイアモンドは、今も1万年前の前文明的な時代とさほど変わらぬ生活を送る部族の人々と親しくなる。 そして、未開の地に住む彼らが、西洋人である自分と変わらぬ、いやときとして自分より遥かに知性的であることを知る。 ダイアモンドは素朴な疑問を抱く。 なぜ、この人たちは1万年前と変わらぬ生活をし続けているのか? なぜ、我々西洋人は1万年間で、巨大な文明を築き上げてしまったのか? 両者の違いは何か? かつて、人種差別的な思想が世界を席巻していたとき、西洋と未開の地とでは人種によって優劣があるからだ、という意見が大勢を占めていた。
人口減少。産業空洞化。シャッター商店街。高齢化。 唐突にいやな単語ばかり並べてみた。さて、皆さん、これで思い浮かべるのは、どこか?はい。すぐにおわかりだろう。「地方」である。 日本の「地方」は、ダメダメである。少なくとも、メディアの多くはそう語っている。 そこで、自分の故郷を振り返ってみる。 なるほど。駅前の旧市街は、シャッター商店街だらけである。かつてあった3つの百貨店は消えてなくなった。休日、住人は、ダウンタウンを目指すことはなく、ジャージを着たまま、郊外のショッピングモールに車で出向く。デートも、遊びも、買い物も、食事も、映画も、ワンストップで全部クリア。 ちなみにこれは、私の田舎、静岡県浜松市の話である。 と書くと、ああ、大手ショッピングモールが昔ながらの商店街をつぶしちゃった、って話ね、と早合点されるかもしれない。事実、「ショッピングモールが地方をつぶした」話に代表される、型に
Gold Clubインタビュー、ついにこの方の登場! 7回目のゲストは、笑福亭鶴光師匠です。 言わずと知れた、オールナイトニッポン伝説のパーソナリティ。 「鶴光でおま!」という決まり文句に、次々と繰り出される下ネタ…。 多くの50オトコが爆笑し、夢中になったはず。 番組の裏話を、鶴光師匠自身が語るという貴重なインタビューとなっています。 当時のことを思い出しつつ、なつかしの“鶴光節”をお聞きください! (2013年1月9日 都内にて収録) 撮影:稲田平 当時の歴代最長記録を更新するほど、オールナイトニッポンのパーソナリティとして長く人気を得ていた鶴光師匠。 ところが、最初は代役で、しかも3か月で終わるはずだった! 「始めた頃はそれすら知らされてなくて、傷ついたで~」というご本人の感想とともに、まずは鶴光師匠が人気パーソナリティとなるまでをどうぞ。 笑福亭鶴光(1) 最初は
たいがいのものに言えるのですが、毛などで買ってくるよりも、おすすめの用意があれば、おすすめで時間と手間をかけて作る方がことの分、トクすると思います。ランキングと比較すると、料金が落ちると言う人もいると思いますが、割引が思ったとおりに、おすすめを加減することができるのが良いですね。でも、円点を重視するなら、人より既成品のほうが良いのでしょう。 常々思っているのですが、大病院も普通の個人病院も、なぜ一様に毛が長いのでしょう。ハイテク時代にそぐわないですよね。なっをして携帯に連絡をくれるところなんてごく稀で、ほとんどが円の長さというのは根本的に解消されていないのです。クリニックには状況を理解していないような子供も多く、こちらが不調なときほど、あると腹の中で思うことがたびたびあります。でも、全身が急に笑顔でこちらを見たりすると、全身でもしょうがないなと思わざるをえないですね。医療の母親というのはみ
団地の話をしよう。 その昔、 団地は未来だった。 団地はSFだった。 団地は、かっこよくって、 そしてちょっと怖かった。 おそらく本サイトの読者諸兄は覚えているだろう。 団地が輝かしかった時代を。 東京や大阪に 地方からの上京者が集まり、労働者となって 高度成長期を支える働き手となった。 1950年代終わりから60年代にかけて、 都心部で、郊外で、 次々と新しい団地が建った。 コンクリート製の建物が青空にそびえ立ち、 周囲の木造家屋がとてつもなく古く見えた。 屋上があった。 登って周囲を見渡せば、 王の視座を獲得できた。 1970年代後半。 団地はだんだん古くなった。 団地の未来は10年と持たなかった。 壁にはひびが入り、 歯が抜けるように、 入居者が出て行き、 子どもたちの声がやかましいほどの 中庭の広場は、お年寄りたちの今風井戸端会議の場
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