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略して「もしブロ」…。いや、なんでも「もし××」って略せばいいってもんじゃないか…。 思えば、ちょっと前に一瞬「辞めましたブログ」というのが、やたらと一部のソーシャル メディア系のクラスタ (っぽい) 人たちの中で飛び交っていたような気がする。実際 Google で「を辞めました」で検索してみると、いきなりコレが一番上に出てくるし…。何よりも、検索窓に「を辞めました」と打ち込むだけで、ご丁寧に、こんな感じで教えてくれる。 個人的には「私はこれで会社を辞めました」って響きに、少しノスタルジーを感じてしまうわけで (笑)。 さて、本題。 そんなわけで、やたらと「…を辞めました」的なブログが出てきていたわけだけれども、これまで辞めて入ってを繰り返すこと 6 回。渡り歩いた企業の数は 7 社になってしまったボクが、あえて「…を辞めました」的なブログを書くとすると、どうなるか…、というコトをふと考え
「まずは発信することが大事」「積極的に周囲と会話しよう」「コミュニケーションを密にしてファンになってもらおう」などなど…。思えば「ソーシャル メディア マーケティング」なるものが語られてから (いや、ひょっとしたら語られるようになる以前から)、ずっと、このようなことが言われていた気がする。 たしかに「ソーシャル メディア」なるものが広く使われるようになりだし、特に企業は顧客との、まさにダイレクトな接点を新たに持つことが出来るようになった。そして、企業の多くは、この接点を活用した新たなコミュニケーションを今模索している段階にあると思う。それが、その新たな接点となる場所から、情報をひたすら発信することであり、その接点に対して寄せられた声にだけ耳を傾けるという状態になっているわけで。 ただ、それだけでは足りない。自分たちで作った窓口に寄せられた声だけではなく、もっと広い範囲から声を聞き取り、そし
今、日本の企業において "「ソーシャル メディア」マーケティング" と呼ばれているものを、冷静になって考えてみると、ごく少数の例外を除いて「あるマーケティング戦略に根ざして実行される、コミュニケーション施策において用いられている、一部のチャネルを使用して、発信するための、オペレーション活動」にしかなっていないという話を、昨日書いてみた。実際「オペレーション」というタスクのみを取り上げて「マーケティング」全般を語ってしまっている傾向にあることが大半なのではないかと思うわけで。 その一方で最近では、また "傾聴" が語られている。ただ以前から「"傾聴"は非常に大事である」と語られてはいるものの、実際に "傾聴" をしているケースは、きわめて少ないのではなかろうかとも思うわけで。そもそも「"傾聴" は大事である」と語っている、いわゆる「ソーシャル メディア」を evangelize されていらっ
これまで、なんだかんだで事業会社で Web マーケティングなるものに 10 年程携わってきた自身が、 突然企業広報を中心に手がけるエージェンシーに身を置くようになって半年。何よりも決定的に変わったのは「立ち位置」であり、その「立ち位置」を作るために、まずは、これまでの自身の「考え方を逆にする」ということをしなくてはならなくなった、ということを、前回のエントリーで記してみた。 そして、自身なりに考えてみたことを非常にシンプルに一言で表すと「ソーシャル メディア マーケティングをやってちゃぁいけない」というものになった、ということも合わせて書いてみた。 その考えに至るようになった背景として、前職で「ソーシャル メディア リード」という立場で、ソーシャル メディア マーケティングなるものを常々考えていた頃と違って、いわゆる「マーケティング活動」そのものから距離を置く、つまり外側から見るような立場
気がつけば、2 月 7 日付で、現在身を置いている組織に移籍してきて半年。これまで事業会社に身を置き、Web 屋であり、マーケティングとやらに携わっていた自身が、いわゆるエージェンシーで、広報に携わるという、なかなかできない (いや、やろうとしない 笑) キャリア チェンジをして半年。 この半年間というのは「考え方を逆にする」期間だったような気がしなくもないな、と思っていたりする。たしかに事業会社とエージェンシーでは、立場はある意味逆になってくるところも多いわけで。 ただ、この「考え方を逆にする」という点で、何に一番悩んだかといえば「広報」という業務を軸にした場合における自身の立ち位置だったりする。実は、この立ち位置をどこにするかで、かなり長い間色々と考えていたりもするわけで。 これまで事業会社で Web マーケティングなるモノをひたすらやってきて 10 年。そして、最近では「ソーシャル
先日、NYT が “ソーシャル メディア担当” もとい “Social Media Editor” なるポジションを廃止したコトを伝える @capote 氏のブログを拝読したコトをきっかけに、自分自身で思う “ソーシャル メディア担当” の行く先について、かれこれ 5 回ほどのエントリーを重ねてきた。 その中で、「もはや “ソーシャル メディア担当” は、特別なポジションでも職務でもなんでもなくなる」というコト、そして、さらに、「今後 は “マーケター” が (大なり小なり) 持っておかなくてはならないスキル・セットの一部として、ソーシャル メディア上でのコミュニケーション能力や、ソコに行き交う会話の傾聴力、そして分析力なども含めた形で問われてくるだろう」というコトを述べている。その中で、あくまでも自身の妄想の域を出ないという前提の上で、今後企業の “ソーシャル メディア担当” が、ある日
おそらく人様のブログなんて、まず読まないであろう日の、こんな時間に立て続けにエントリーを書いてしまうあたり、自分の間の悪さをつくづく感じるのだけれども、眠れないので、もう一本。 自身は、以前から “1, 4, 7, 10 月になるときに、企業がオフィシャルに運営する Twitter アカウントのトーンが変わるケースが見られる” のではないか…、と考えていた。そう、人事異動だったり、組織変更だったり、転職だったりといった、企業におけるヒトの動きが活発化するからだ。 これまでも、こういったタイミングで、いきなり饒舌になったり、あるいはいきなり無味乾燥としたトーンになったり、あるいはアカウントごと無くなってしまったり (その逆で、新しいアカウントが誕生したり) といったケースを少なからず見てきた。そして、そのたびに語られるのが “中の人の位置付け” ではないかと思うわけで。 上記のように、あるタ
今後、企業の “ソーシャル メディア担当” は、これまでとは異なり、おそらく自分でソーシャルメディア、もといブログや Twitter、あるいは Facebook (のファン ページ) といったように、いわゆるツール単体を使った “中の人” としてのコミュニケーション、それも現場の末端で淡々とオペレーションを進めるという役割ではなくなってくるだろうというハナシを、前回のエントリーで書き残してみた。 その場合、これら “ソーシャル メディア” と呼ばれるツール等を、場合によっては複数利活用するコトは、ある意味前提となってくるだろうし、さらに、少なくとも、その企業 (あるいは部門) におけるデジタル領域全般、言い換えればオフラインの領域までを絡めたコミュニケーションをいかにして設計するかというところを考えていくコトが求められてくるのではないかと思うわけで。 ただ、こういった方向性を考えていくと、
前回のエントリーでは、NYT が “ソーシャル メディア担当” もとい “Social Media Editor” というポジションを廃止したというコトを受け、おそらく “企業とソーシャル メディア” というテーマにおいて、これから議論の中心となってくるであろう話について、少し思うトコロを記してみた。 いわゆる組織がソーシャル メディアに、どう向き合うか…。このテーマに対し、企業が、その戦略立てはもちろんのこと、スタッフィングまで含めた形で、ある意味、ひとつの大きな戦略としてきちんと確立させるとき。ソレは組織の中で、コミュニケーションという活動に携わる人たちにとって、もはや “ソーシャル メディア上でのコミュニケーション” 自体が珍しいモノではなくなってくるというコトを意味するし、さらに言うならば、“ソーシャル メディア上でコミュニケーションができる” というだけでは、人材として、それほど
今朝読んだ @capote 氏の新しいエントリー。 “ソーシャルメディア担当が特別な意味を持たなくなる時: Social media editorを廃止するThe New York Times” 改めて読み返してみて、色々と思うコト、考えるコトが出てきたので、その思考の断片を残しておくという意味合いも含めて、久々にエントリーを…。 正直、コレを読んで驚きはまるで無く、むしろ組織として、ソーシャル メディアと真剣に相対するために、必要とされる方向に着実に進んでいるんだなぁ、というのが第一印象。 上記のエントリーにも記されているのだけれども、 記事全体で伝えているのは、顧客の声を聞くことや、普段の顧客との接し方の大切さなのですが、同時に筆者が受け取ったメッセージは、今はどの部門もソーシャルメディアを通じて顧客との接点がもてるようになった、ということでした。 ココにしっかり行き着いた結果なのでは
“キャズムは越えない、越えられない” という名をつけて投げ落としたエントリーが予想外にあちこちで語られているのに驚きつつ、やはり普段から、こうやって “書く” というコトを常に意識しておかないといけないな…、と自戒する今日この頃 (やっぱり、意識して書く、というコトをしないといかんね…) 。 というわけで、あの一連のエントリーで、自身が今現在、日本における “ソーシャル メディア マーケティング” なるモノに関して、かなり漠然とではあるけれども、思うところを書き連ねてみた。 かなり大きく出てしまったタイトルではあるけれども、個人的に書き残しておきたかったのは、 “ソーシャル メディア” そのものはキャズムを越えるだろうが、“ソーシャル メディア マーケティング” となると、その方向に進む企業の数として、キャズムは越えないかもしれない というコト。その理由として、 今現在 “ソーシャル メデ
さて、前回途中で終わってしまった (というか、書いている途中で “続き物” にしてしまった) ハナシの続き。 前回、色々と書き連ねていたのだけれども、その中でちょっと触れたコトとして、“日本では “ソーシャル メディア マーケティング” における、初期の事例の多くが “ソーシャル メディアに対してポジティヴな一人のユーザーの活動” によって “結果的に作られたモノだ” という点は、ある程度意識しておく必要があるのではないかと思う。 そして、日本で言うところの、いわゆる “ソーシャル メディア マーケティング” なるものが、ある意味幸か不幸か、ソコからスタートしているというコトも、合わせて意識しておいた方が良いかもしれない。 また、こういった背景に加えて、海外で生まれた事例が、そのビジネス的な部分というよりも、ある意味サイド ストーリー的なトピックのみ拡大解釈され、ソレが半ばゆがんで伝わって
“あえて大きく振りかぶったタイトル” というコトで、今回 “キャズムは越えない、越えられない” というタイトルで書き連ねてきた。 とりあえず、今回で、このハナシを一応結んでおこうと思うのだけれども、ココまで、タイトルに使われている “キャズム” 云々については、あまり言及してこなかった。 さて、いきなり、個人的な意見から始めてしまうが、“Twitter をはじめとしたソーシャル メディアは、おそらく単に「ユーザー数」というくくりで見るとキャズムは越えるだろう” と思っている。ただし、“こういったソーシャル メディアを何らかの形で、自分たちの施策の一環として活用する企業” というくくりで見たとき、このキャズム越えは、かなり難しいし、下手したら、このまま越えられないコトも十分に考えられるのではないかと思うわけで。 言い換えれば、このまま進んでいけば “ソーシャル メディア” そのものはキャズム
あえて、大きく振りかぶったタイトルをつけてみた、久しぶりのエントリー。 昨夜 (もとい今日未明と言った方が正しいのだけれども) 、久々に、U.S. の本社で、ソーシャル メディア関連施策に携わっている人たちと、情報交換をかねて、色々と打ち合わせを行った。 その中で、ふと思ったコト、というか気付いたコトがあり、直後に連続で Tweet してみたのだけれども、自分自身のためのメモ的な意味も含め、改めて、ブログのエントリーとして残しておこうと思ったわけで。 ここしばらく (ホントに長いこと) ブログの方をお留守にしていたコトもあるので、そのリハビリというのもあったりするのだけれども… (やっぱり書くのは大事) 。 さて本題。始まりは、この Tweet から。 U.S. の人たちと話してて気づいたコト。もちろん組織やら何やらにより異なるけど、彼らはどちらかというと、ソーシャル メディアをいい意味で
ソーシャル メディアについて、あれこれ思い悩むクマムラゴウスケのブログ“あえて大きく振りかぶったタイトル” というコトで、今回 “キャズムは越えない、越えられない” というタイトルで書き連ねてきた。 とりあえず、今回で、このハナシを一応結んでおこうと思うのだけれども、ココまで、タイトルに使われている “キャズム” 云々については、あまり言及してこなかった。 さて、いきなり、個人的な意見から始めてしまうが、“Twitter をはじめとしたソーシャル メディアは、おそらく単に「ユーザー数」というくくりで見るとキャズムは越えるだろう” と思っている。ただし、“こういったソーシャル メディアを何らかの形で、自分たちの施策の一環として活用する企業” というくくりで見たとき、このキャズム越えは、かなり難しいし、下手したら、このまま越えられないコトも十分に考えられるのではないかと思うわけで。 言い換えれ
あらかじめ書いておくのだけれども、今回書き連ねようと思っているのは、あくまで自身が今まで漠然と考えていたコトを、半ば無理矢理に文章化してみたモノだ。 最近、何気に色々なトコロで語られ始めているコトをテーマにするのは、非常に難しい。ともすれば、他者の意見に対して否定的なアプローチと考えられてしまうかもしれない部分も出てきてしまう可能性はあるわけで。 もちろん、自身のエントリーには、特定の方や、その方の意見を否定/非難するような趣旨は、一切含まれていないし、そうするつもりも、当然ながら無いわけで。あくまでも「あ、こいつは、こういう考え方なんだな…」と解釈していただければと思うわけで。 さて、まだまだ前置きっぽい文が続くのだけれども、最近やたらと “トリプル メディア” なるモノが、あちこちで語られるようになった気がする。ただ、正直なところ、個人的には「なんで今さら…?」というような感想になって
前回のエントリーに引き続き、約 1 週間ばかりの出張 (in U.S.) の中で、本社におけるマーケティングの前線に立つ人間と、色々と話をしていた中で、自身が気付いたコトを書き残していこうと思う。 コレは、前回のエントリーのコメントにも若干記したのだけれども、実は昨年の今頃は、まだ “Buzz” や “Viral” という言葉は、かなり頻繁に飛び出していたのは事実だ。実際、いまや一部では “バイブル” と呼ばれている “ソーシャル メディアをマーケティング施策に活用していくために必要なフレームワークをまとめたハンドブック” を、自身が作ったきっかけも、当時 U.S. で声高に “Buzz” や “Viral” が叫ばれていた流れの中、「日本で、この流れを、そのまま進めていったら、失敗する可能性が高いはずだ」という危惧があったからなわけで。 その記憶が、まだアタマの中に残っている状態で、今回
すでに、少し前置きをしていたように、ブログ引越し後の、最初のエントリーは、自身が、約 1 週間ばかりの出張 (in U.S.) で、本社の人間と色々と話をしていた中で、気付いたコト等々を書き残すというカタチにしようと思う。 思えば、ブログに何かを書き残すというコト自体、ずいぶん久しぶりのコトだったりするのだけれども、今回自身が見聞き、そして感じ、考えたコトは、少なくとも、今後 1 年くらいの自分の活動にあたって、かなり重要な要素を占めてくるのではないかと思うので、忘れないように書き残しておこうかと思っていたりするわけで。 これらの断片は、すでに滞在中に、自身の Tweet として細切れになって残っていたりするのだけれども、もちろん 140 文字では、当然ではあるが十分なモノではない。ただ、このブログをご覧になっている多くの方々は、これらの断片を読まれているはずなので、これから先の (多分何
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