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ドラクエ3
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1976年の出来事ですから、もう29年も前の話です。共産党の市会議員の人が渋谷のホモ旅館「千雅」でロッカー荒らしをして逮捕され、渋谷警察の留置場にほうりこまれてしまったのです。 共産党の機関紙「赤旗」は、9月9日の日曜版に6段抜きで「党にかくれ二重生活=失踏=窃盗容疑のA」と大きく報道しました。 当事、ぼくはその記事を読んで、あっけにとられてしまいました。泥棒したことが悪いことなのに、ホモであることを糾弾する記事だったからです。 「Aは失跡した7月16日以前は表面まじめに議員活動をしていましたが、他面、私生活ではいわゆるホモの習癖がある二重人格者でした。 ・・・党にかくれて赤坂、新宿などの盛り場で深夜喫茶店に出入し、そこで知り合った友人と男同士のいかがわしい関係をつづけるという、きわめて異常、異質な二重人格的な私生活をつづけていたのです。」 ホモは異常でも、変態でもないと言い続けてきたぼく
作家の吉屋信子さんが亡くなったのは、昭和48年(1973年)享年77歳だということをあとで知った。この年はぼくの妹、紀子が、心臓手術の甲斐なく、32歳で亡くなった年でもある。もう40年も前のことだから、吉屋信子さんのことを知っている人は少ないだろう。 大阪市長の橋本さんの慰安婦の問題発言で、橋本さんを非難する人が多かったが、『ときの声』を読んで、よく考えてほしいものだ。 吉屋さん、今生きておられたら、今の世の中を嘆かれるに違いない。 戦時中の慰安婦についての資料などいっさい公表されるわけがない。戦地の報道記者も、こと慰安婦についての原稿は書けなかった。 吉屋さんは西口克己著の『廓』から引用されているが、驚くべきことが書かれている。 「慰安婦たちを戦地に伴う引率者の男たちは将校待遇の軍要員だったとある。 引率される彼女たちは第一に(お国のため)と説かれたろうし、また戦地へ行ってからの生活はむ
亡くなった内藤ルネさんが、何度か電話をかけてきて、『三島由紀夫――剣と寒紅』(文藝春秋刊)の著者、福島次郎さんの若き日の写真を残された、お母さんに頼んで手に入れてほしいと言われた。 三島由紀夫さんが初対面で気に入った福島さん、背が高く、いい男だったに違いない。その話は果たせないままに、ルネさんんも亡くなってしまった。 藤田竜さんの文章の続きを紹介しよう。ベッドを共にしても福島さんは、性的になんの反応もしなかったのに、なぜ? 「それならなぜ離れなかったのか。性交をのぞけば著者は憧れのマスコミの鬼才、三島さんと共にいて、話を聞けるのは願ってもない喜びであったし、共に外出した先での豪奢な食事も嬉しく、ことにあたたかい家庭の味を知らないで育った身に、三島さんの母親に接すると心が満たされる思いだったからだ。上京して貧しく暮らしていた大学生には、僥倖があふれていたのだった。 僥倖(思いがけない幸福のこ
古い『薔薇族』(NO63.1978.4)を何気なくパラパラとめくっていたら、ハッと目にとまった記事があった。 東北大震災の被災者へのインタビュー記事は各紙に報じられたが、いずれも模範的な人ばかりのものだった。 哲学者の方のお名前を忘れてしまったが、同性愛者という文字をその記事の中に見つけだしたときはうれしかった。 多くの被災者の中に、ゲイの人たちがいないわけがない。その人たちがどんな思いで過ごしているのか気になっていたからだ。 「北から南から」というコーナーがあって、各地から寄せられたニュースを載せていた。その巻頭に「原発の町にフレッシュなハッテン場が(福島県発)」とあるではないか。 「福島県の原子力発電の町といえば、双葉郡大熊町を中心に南北に広がり、五つの町をかかえていますが、次々と建設される工事場には、中央からの技術陣(外人もいます)がワンサとくり込み、働く人のためのマンションも、ニュ
30年前の中・高生って、今の子供より文章力があったのでは。『薔薇族』の誌上には、「少年の部屋」という頁があって、多くの中・高生が投稿している。その中には長文の投稿も多く、しっかりとした意見をのべているのには感心させられる。 宮崎県の17歳の高校生が、デパートの中の書店で『薔薇族』を万引きして、女店員につかまり、警備員室に連れていかれ、親を呼び出されてしまった。 少年は親にゲイだということを知られるのを恐れ、トイレに行かしてくれと言って部屋を出て、屋上から飛び下り自殺してしまった。 その事件のことを誌上で大きく取りあげ、ぼくも意見をのべたことがあり、それを読んだ高校生の投稿だ。 「ひとつ心にひっかかることがある。それは『薔薇族』を万引きしたところをみつかって自殺してしまった男の子のこと。俺、今、17歳。俺がはじめて『薔薇族』を買ったのは、今年の4月、なにげなく入った栄(さかえ)の古本屋のすみ
大正時代に、ぼくの祖父、伊藤富士雄は、(大正12年6月2日、53歳で亡くなっている。救世軍の士官として、廃娼運動に身体を張って千人近い、娼妓を解放させた。)が亡くなった。大正12年(1923年)9月1日(土)、11時58分32秒、神奈川県相模湾北西沖、80km(北緯35・1度、東経139・5度)を震源として発生した、マグニチュード7.9の大正関東地震で、神奈川県を中心に、千葉県、茨城県から静岡県東部までの内陸と、沿岸に広い範囲に甚大な被害をもたらし、日本災害史上最大級の被害を受けた。 東京は地震によって、家屋が倒壊する被害と、当時はほとんど木造家屋なので、火災による被害が大きかったようだ。神奈川県では振動による建物の倒壊のほか、液状化による地盤沈下、崖崩れや津波による被害もあった。 被害は地震によるものだけで、今回のような福島第一原発事故のような放射能による被害がなかっただけに、復興も早か
たった7行の記事に、僕の心はふるえた。 2011年5月17日(火)の東京新聞の夕刊に載った哲学者、中島義道さんの「震災への『なぜ』今こそ 美談が覆う真実もある」の記事の一節にだ。 三沢典丈さんという東京新聞の記者が、中島義道さんから話を聞いてまとめた記事だ。 三沢典丈さんは、冒頭にこう記している。 「東日本大震災から2ヶ月がたった。震災を契機に戦後の日本が歩んできた道を見直そうというかけ声をよく耳にするが、その具体像は見えて来ない。 被災地の復興も遅々として進まない今、〝新しい日本〟のために何をどう考えればいいのか。『不幸論』などの著書で知られる哲学者・中島義道さんに聞いた」とある。 震災後、僕が心を痛めていたのは、何十万人という被災者の中に、何千人、何万人もの同性愛者もいるに違いないと思っていたからだ。 年配のゲイの人たちは、地方のことでもあるから、ほとんどの人は結婚しないわけにはいかな
1970年代には、こんなことがあったということを知ってほしい。もう今の時代、世の中が変わって、こんな馬鹿なことはもうないということを、僕は信じているけれど。 「家族にホモだということを知られて悩む僕」と題して寄せられた投稿は深刻だ。 「僕は家族にホモだということがバレてしまった青年です。家族と親族会議にかけられ、強制的に田舎に連れ戻されてしまいました。 なぜ、バレてしまったかというと、自分の愚かさからでした。昨年、大学を卒業して一流会社に入り、半年間、働いていたのですが、お付き合いした中年の人が、自分の会社に来ないかと言ってくれた言葉を信じて会社を辞めてしまったのです。 それからはまったく相手にしてくれず、毎日その人からの電話を1カ月半、待ち続けていました。結局騙されたとわかり、家族にも内緒にしていたのが会社にいないということが見つけられてしまいました。 それが身辺調査をされ、僕がホモだと
かつて10数冊の本を出してきたが、今回の僕の著書『やらないか!「薔薇族」編集長による極秘的ゲイ文化史論』(彩流社刊/本体価格1800円)ほど、原稿を出版社に持ち込んでから、こんなに時間がかかったことはない。 今の時代、急速に出版事情が悪化したためといえる。本を出すことも大変だけど、書店に並んだとしても、その半分近くが返品されてくるのだからたまったものではない。ネットに押されて本を買わなくなってしまったからだ。 印刷所の職人さんが、鉛(なまり)を溶かして作った活字を一本一本ひろって組んでいく。これは大変な作業だった。読みにくい字を原稿を見ながら活字を拾う。だから組代というのが一番お金がかかったものだ。それを増刷する時に使うための紙型というものがとってあり、そこに鉛を溶かして流し込み、また印刷することができた。これは実物をお見せしないと理解できないだろう。 有楽町のかつて朝日新聞社の本社が建っ
「書店、半減の県も」の見出しで朝日新聞の夕刊(1月26日)が報じている。 「出版市場が2兆円割れし、縮小が続く中、各地で書店が消えている。この10年間で6403店減少し、ほぼ半減している県もあることが分かった。」とある。 とにかく本が売れないのだから書店が減少していくのは当然のことだろう。 先日、姉の長男の長崎大学の准教授の雅文君が上京してきたので、しばらくぶりに会った。退職してからのことを考えて、実家のすぐそばの神奈川県の栗原というところにマンションを購入したというので訪ねてみた。 小田急線の僕が住む下北沢から唐木田行の急行に乗ると、なんと20数分で着いてしまった。栗原の改札口を出てすぐの線路沿いのところにマンションはあり、年老いた両親と一緒に住むこともあるのではと、エレベーターが故障で停まったりした時、2階なら歩いてでも上がっていけるとまで考えて決めたそうだ。 僕の父は終戦後の昭和23
「週刊SPA!」の4月21日号が、「パートナーは出会い系、飲むなら繁華街で・・・・・・。アジア最大のゲイタウンに異変が・新宿二丁目からゲイが消える!?」という見出しで、2頁にわたって記事を載せている。 最近、彩流社から「消える『新宿二丁目』」という本を出した『薔薇族』副編集長、竜超(りゅう・すすむ)君(今、現在復刊されている季刊の『薔薇族』は、彼が企画を立て、ワープロを打ち、レイアウトもしている)、彼のこの本の宣伝のようにしてくれている。 とにかく竜君は才人で、山川純一君の劇画を使って、Tシャツを作りたいと、前から言っていたが、ついに竜君のデザインで、「やらないか!」のTシャツが完成した。 Tシャツの地色は3色、薄いピンク・M、水色・M、白色だけがM・Lの2サイズ。 注文は、郵便貯金総合通帳ぱるるの店名018、預金種目・普通預金・口座番号4304540・伊藤文学宛に、送料とも2100円を振
日本初の男性ヌードカメラマン、大阪のオッチャンのことは前に紹介したと思うけど、『薔薇族』創刊の頃は、オッチャンが提供してくれた写真のおかげで出発することができた。 そのオッチャンの撮った写真で、まだ針金綴じで隔月刊で出していた頃、読者に大反響を呼んだモデルの写真があった。 間宮浩さんと、オッチャンは親しかった。ルネさんと竜さんも、その青年にひとめぼれ、間宮さんを通じて、オッチャンからその青年の居所を聞き出したのだ。 その青年は、長野の松本の近くの生まれで、ご先祖は九州の人で、眉毛が太くて、胸毛もちょろっと、2人で長野まで青年を訪ねて行ったのだからすごい。 それで、その青年を、2人が住む千駄ヶ谷のマンションに連れて帰ったという。 田舎の子だから、朴訥でストレートで、全くの「男の子」で、大阪のオッチャンに、おちんこおっ勃てられて、白い汁を出してしまう写真を撮られるような純情な子で、都会ズレして
毎日、購読している毎日新聞の販売店の若者が、「だいじょうぶ」コンサートのチケットを届けてくれた。 いつか世界各国の警察の、音楽隊の演奏会が催されるというのを毎日新聞で見て、販売店に頼めば何とかなると思って応募したが、はずれてしまった。どうやら、そのときのことを覚えていてくれたようだ。 海上保安庁音楽隊、東京消防庁音楽隊、警視庁音楽隊、陸上自衛隊中央音楽隊が演奏する、Bunkamura・オーチャードホールでの会だ。 「だいじょうぶ コンサート」って、何のことかと思ったら、「犯罪や事故、災害から子どもたちを、お年寄りを守るため、日ごろから気軽に“だいじょうぶ”と声を掛けられる社会を目指しています」。主催は「だいじょうぶ」キャンペーン実行委員会とある。こんな会があることなんて、一切知らなかった。 僕自身も左膝の軟骨がすり減ってしまって、歩行困難になり、人工膝を入れる外科手術をして、今では杖なしで
本をまったくといっていいほど読まない僕にとって、書評を書くことは、もっとも苦手なことだ。そうはいっても、『薔薇族』を励まし続けてきてくれた、早稲田大学教授、丹尾安典さんの著書となれば読まないわけにはいかない。 今まで書評を書くときは、「まえがき」と「あとがき」を読んで、あとはぱらぱらと走り読みして書いていた。ところが丹尾安典さんの著書『男色の景色(なんしょくのけしき)ーいわねばこそあれ』(新潮社刊・定価・本体2200円〈税別〉)には、「まえがき」も「あとがき」もない。 第1章から第6章まであって、「それぞれの章は独立しておりますので、どの章から読み始めるも御自由」とある。これでは何がなんでも254ページをすべて読まないわけにはいかない。 学者ってすごい。多くの文献を読んで書くのだから。そのための参考資料を集めるだけでも大変なことだ。読者は2300円ほどで、いろんなことを知ってしまうのだから
僕の祖父、伊藤富士雄は、大正時代に、「廓(くるわ)」に女郎として、貧しい農家の娘が 親に売られていたのを千人近くも救い出した。 救世軍に救い出されてしまうと、廓の経営者は損をしてしまうので、暴漢をやとっていて、 それを阻止しようとしていた。 古いアルバムから、祖父が暴漢に襲われ、大ケガをし、病院に担ぎ込まれて手当をされている写真が見つかった。それと救い出した女郎たちに囲まれている写真と。 沖野岩三郎著『娼妓解放哀話』(昭和5年、中央公論社刊)に、その時の様子が書かれている。 「歌之助としのぶ(女郎の廓での名前)の両人は、病気のため洲崎病院に入院していて、 そこから手紙をよこしたので、伊藤君は洲崎病院に二人を訪問して、その決心を聞いたところ、どうしても廃業するというので、伊藤君は早速、樓主に電話をかけると、二人の樓主は、たちまち二十人ばかりの暴漢をひきいてやってきた。 伊藤君が二人の娼妓を連
1982年から1985年頃までに『薔薇族』誌上に登場していた、山川純一君の劇画。 それが5年ぐらい前から、ネット上で話題になってきて、2003年の10月に、株式会社「ブッキング」から、全作品35作を網羅した『ウホッ!! いい男たち』が刊行された。 なんと570ページ、定価も本体・¥4800+税という劇画の本としては、珍しいほどの高価な本。本の厚さも40ミリという、ぶ厚い本だ。 出版界が、かつてない不況で、本が売れないという時代に、書店の店頭に並ぶことなく、ネットだけの販売で、5刷と版を重ねている出版界注目の本だ。 ヤマジュン人気は今も衰えることなく売れ続け、ついにヤマジュンの名場面「やらないか」を使ったTシャツを制作する会社まで出現してしまった。 ぼくのブログに「山川純一君、人気にあやかりたい!」と、書いたら、何万人もの人が見てくれたようだ。 ぼくのブログを集めた本、『やらないか=行動をお
もう4年ぐらい前になるだろうか?次男の嫁さんが、「お父さん、ブログをやってみない。」と、声をかけてくれた。 なにしろパソコンとか、インターネットなんて触ったこともないぼくだが、話を聞いてなんだか面白そうなので、やってみることにした。 下北沢南口の百円ショップで、50枚で百円の原稿用紙を買ってきて、書き始めた。あまり長い文章だと読んでくれないというので、ひとつの話を3,4枚ぐらいでまとめることにした。 小学校1年生になった息子の世話をしながら、嫁は勤めにでることになった。どんな手間がかかるのかは知る由もないが、原稿を書くと忙しいのだろうが、ネットで見れるようにしてくれている。 毎日、見てくれる人の数字が分かるそうだが、それが何百人もいるそうで、ヤマジュンのことを書くと、万に近い人が見てくれるというのでびっくり。 ときどき息切れすることがあって、間があいてしまうこともあったが、なんとか今日まで
これはなんとも異常な光景だ。街中でひる日中、こんなことが平然と行われていいのだろうか? 最近はどん底生活が続いているので、コーヒー一杯、500円という喫茶店「邪宗門」からは足が遠のいている。 下北沢の南口にある「イタリアン・トマト」はコーヒーが200円。女房と一緒に行っても400円なので、そこを憩いの場にしている。 もう少し足をのばすと、北口の駅前の地下1階の「シャノアール」。ここはセルフサービスでなくて、コーヒーが300円だ。 毎日のように散歩がてらに、これらの店に通っているが、秋葉原の通り魔事件があったからだろうか、警棒を手に持った二人連れの警察官の姿が街中に目につき出した。 二人の警察官が判断するのだから、どういう基準で声をかける男を決めるのかは、分からないが、うさん臭いと見るのか、若者を呼び止めて、持っているかばんの中を調べている。 今時、ひる日中、かばんの中にナイフやピストルなど
初代『薔薇族』編集長のつぶやきブログ
劇場版『相棒』は大ヒットで、ロングランが決まったようだ。ぼくも平日の午後に渋谷東映に、女房と一緒に見に行ったが、客席はシニア層が多く満席の状態だった。 俳優、水谷豊と寺脇康文がゲイだと決めつけようと思っているわけではない。ドラマで描かれた水谷豊、演じる杉下右京と、寺脇康文演じる、亀山薫の二人の関係にゲイ要素があるかも知れないと、考えをめぐらしてみたい。 水谷豊が演じる杉下右京は、ハンサムで抜群の頭脳の持ち主で、自らの信念を貫く頑固でユニークな性格だ。それに勉強家で知らないものはない。 チェスなんてものに詳しい人は少ないが、右京は堪能だ。ワインのことも、紅茶のことも知っている。それにおしゃれで、いつもスーツできちっとキメている。おそらく大学は東大出だろう。血液型はA型ではないだろうか。 寺脇康文が演じる亀山薫は、杉下右京とは正反対の性格の持ち主だ。大学も拓殖大学か国士舘大学出身という、野生的
「週刊朝日」(3月21日号)の新聞広告を見ていたら、ちょっと気になる記事が目についたので、早速、買い求めて読んでみた。 「私が見た『三浦和義』容疑者」という記事だ。彼と接したことのある人たちに、時代の寵児だった彼との「記憶」を聞いたとある。 林真理子さん、団鬼六さん、二木啓孝さん、高橋良典さん、佐木隆三さん、蜷川正大さん、篠田博之さんがそれぞれ書いている。 その中でも団鬼六さんが書かれていることが、一番彼の本質に迫っているようだ。 「彼は天性のマゾですわ。当時、雑誌『ブルータス』が三浦さんのSMグラビアを企画したんです。編集者が交渉したら、喜んで出ていきましたからね。そこで監修をして、彼を縄で縛ったのが僕です。(中略) 写真を見てもらえばわかるけど、股間に縄をかけるなんて相当なことです。普通だったら怒ります。でも彼は興奮していましたね。」 普通に考えたら、全裸でふんどしだけで、SMの写真を
ミリオン出版の劇画誌『漫画ナックルズ撃』が、ぼくのことを「日本初のホモ雑誌を作った男」と題して劇画化してくれた。 その最後の頁、一頁を使って、「ゲイのバイブル」が引き寄せた奇才・異能の漫画家・ヤマジュン」と題して、『ウホッ!!いい男たち』(ブッキング刊・\4800)を、くわしく紹介してくれた。 それでまた火がついたのか、この本が売れに売れて、第四刷にまでなっている。こんな高価な漫画本もあまりないだろうが、それが二千部を超えるほど、この出版不況の中で売れていることは珍しいのでは。 大阪の方でもマニアが集まる大きな催物があって、ヤマジュンの漫画の主人公を人形として作った人がいて、売りに出すようだ。 たった五体しか出品しないそうだから、これは奪い合いになるに違いない。このブームに目をつけたのか、「夕刊フジ」が2月10日の新聞に「ウホッ・しーましェーンのルーツ・ネット人気で復刻のホモマンガ作家・ヤ
北朝鮮が多くの日本人を拉致したということは許しがたいことだが、ひとりの人間の欲望のために、日本人の少年を連れ去ったとすれば、これも問題ではなかろうか。 戦時中から戦後にかけての日本の混乱期のことは体験したことのない、戦後生まれの人に理解してもらうことは難しい。 米軍の無差別な空襲によって、家を焼かれ親兄弟をも無くして孤児になった子供たちが、上野の地下道に寝泊りしていた。 アメリカのお金持ちが、それらの少年をアメリカに連れて行ったという話は、戦後の新聞紙上に美談として記事になっていた。 もちろん純粋な気持ちで少年たちをアメリカに連れて行って面倒を見た人もいたに違いない。しかし『薔薇族』の編集長として長い間、同性愛の問題に取り組んできたぼくとしては、どうしても少年愛のアメリカ人が日本の少年を連れて行ったのではないかと、推測して考えている。 何年か前にアメリカのカソリックの神父さんが少年に手を出
『薔薇族』の大恩人、内藤ルネさんが10月24日、心不全で74歳で亡くなられた。その死を知ったのは、朝日新聞の記者からルネさんの写真を持っていないかと、問い合わせの電話があったからだ。 ルネさんは年をとってからの写真を撮られるのを嫌って、いつもかわいかった若いときの写真を使っていた。 二年ほど前に復刊した『薔薇族』に、ルネさんとの対談を載せるために、修善寺を訪れ、菊屋旅館の静かな部屋で長いことおしゃべりをした。そのときもどうしても写真を撮らせてくれなかった。 すぐに修善寺に電話を入れたら、本間真佐夫くん(ペンネーム・藤田竜さん)が出たが、本間君の手もとにも若いときの写真しかないとのことだった。 本間君とヨッちゃん(本間君の養子)は出かけていて、ルネさんが寝室で寝ていて亡くなってしまったのを発見するのが遅くなってしまった。寝たままで亡くなったので、安らかな死に顔だったそうだ。 朝日新聞の死亡記
8月のあの思い出してもおぞましい、酷暑の最中のことだ。月刊誌「サイゾー」の編集部の女性から、原稿依頼の手紙と、最新号の9月号が送られてきた。 「10月号(9月18日発売)で、『人気漫画の罪と罰』という特集を組むことになりました。つきましては伊藤様には、今もっとも熱い注目を浴びている青春高校野球マンガ『おおきく振りかぶって』(作者・ひぐちアサ/発行・講談社)をお読みになっていただき、コメントを頂戴したい。この『おおきく振りかぶって』というマンガは、『月刊アフタヌーン』(講談社)に連載中で、07年8月現在、単行本が7巻まで刊行されています。この作品が話題になっている理由のひとつに、ただの野球部員同士の友情を超えたかのような過剰な愛情が感じられる描写が多々見受けられるというところがあります。作品のファンの間では、「BL(ボーイズラブ)の要素が濃くて萌える!」などと表されたりもしています。」 とこ
自分自身が異常で変態だと思いこんでいたのだから、『薔薇族』を買い求めているところを人に見られてしまったら、この町に、村に住んでいられない。誰もがそう思ったに違いない。 それほどこの雑誌をレジに持って行って買うだけのことに大変な思いをしたのだ。閉店する時間を待って、店内に人影がいなくなるのを待ってレジに持っていく。 若い女性がレジにいたりすると、まず買うことができない。路地裏にお店があって、じいさん、ばあさんが店番しているようなお店で『薔薇族』はよく売れた。自然に買いやすいお店ができてきて、拠点になっていた。 デパートにある本屋さんで、『薔薇族』を万引きして女店員につかまり、警備員室につれて行かれた17歳の高校生。親を呼ばれてしまった。万引きしたことよりも、親に同性愛者であることを知られてしまったショックで、トイレに行かせてくれと外に出て、階段を駆け登り、屋上の塀を乗りこえて、飛び降り自殺し
「毎日新聞」6月25日(月)朝刊の「メディア事情」に、出版ニュース社代表の津田義昭さんが「自費出版に注目」という記事を載せている。「出版年鑑2007」(出版ニュース社刊)の中に「出版社別新刊書籍点数」があって、1位が新風社=2788点。次いで講談社=2013点。3位が文芸社=1468点で、1位と3位が自費出版を中心に刊行している出版社だ。 この記事を読んで、まさかと思ったが、出版界は自費出版ブームと言っていいのだろう。講談社でも文藝春秋でも、「自費出版します」と広告を出しているから、それらを合計したら大変な数になるだろう。 朝日、毎日などの書籍広告を見ていると、この2社の半5段の大きな広告が、ひんぱんに載っているのは、これだけの本を出して、利益をあげているのだから当然のことといえる。 その新風社を7月4日午前、3人の著者らが「本が店頭に並ぶと誤解させられて契約した」として、新風社を相手取り
75年、住みなれた家と土地をぼくから取り上げてしまった、芝信用金庫に感謝している。あまりにも高い代償とはいえ、ヤマジュンこと、山川純一君の未発表作品をついにそのお蔭で、見つけ出すことができたからだ。 わが家の3階、モデル撮影のためのスタジオにすべく作られた、まったく窓がなくて、高い天井の部屋。それがいつの間にか、衣裳部屋のような倉庫になっていた。 その部屋の奥の方に、秘密の物置きみたいな、扉がついている物入れがある。そこの一番下から茶封筒に入って、4作品が見つかったのだ。そこは何年も開いたことがなかった場所だ。引っ越しということにならなければ、見つからなかったことは間違いない。 スタッフのヤマジュン作品を載せるなコールについに負けて、誌上からなくなってしまった。前にも書いたが、16頁の1作品の原稿料だけで生活していることをぼくは承知していたから、この決定は苦痛だった。 山川純一というペンネ
ついに山川純一君の劇画の原画、13編をみつけ出しました。長い間、使っていた事務所を撤退したので、ダンボールに入れたものが山のようになっていた、その中からです。 なにしろ『薔薇族』関係のものだけでも、35年間のものが、たまりにたまっているので、その中からみつけ出すのは大変でした。 山川君の作品は、一編の長さが16頁で、それだけでストーリーは完結していて、一つの作品で16枚あるということです。 今回みつかった作品は、『薔薇族』の増刊号に掲載されたものが多いです。1983年の作品というと、今から23年前に書かれたものです。原画にはトレシング・ペーパーが貼ってあったので、作品そのものは保存状態がよくて、きれいに残っています。ただ上の部分をセロテープでとめてあって、長い時間が経っているので、その部分はわずかに黄色く変色してしまっています。 山川君がわが家に作品を持って訪れていたのは、すぐとなりに事務
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