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昨年の11月に掲載した『「恋空」:共感と匿名性から生まれたもの』(日本語版2007年12月27日付)に、このような一節がある。 日本ではネット文化が進化するにつれ、匿名性が基本原理であるということがより浮き彫りにされつつある。 1年が経過した今も、この見解は正しいと言えるだろう。現に、日本におけるブログのほとんどが(SNSも同様に)実名を伏せたうえでも十分に機能している。アメリカの ペレーズ・ヒルトンやマーコス・モリツァスのようなサクセスストーリーとは対照的に、日本ではブログで注目されることによって活躍の場を広げるというケースは少ない。 日本で最もポピュラーなネット掲示板「2チャンネル」ではその匿名性ゆえに、ほとんどのユーザーが決まったハンドルネームを使うことすらしていない。『電車男』や『恋空』の作者(もしくは主役)たちは、公の場に姿を現してその成功を称えられたことは一度としてない。彼ら
昨年から日本のマスコミは、日本の若者がビールを飲まなくなっていることに危機感を持って伝えている。もともとお酒をあまり飲まない若者世代は、世界で最も愛されている麦とホップの飲み物を特に毛嫌いしているようだ。ビールは苦くてまずい、と彼らはいう。 このビールに対するあからさまな嫌悪は、飲み会や接待の席で“とりあえずビール”で乾杯してきた、古い世代の人たちには理解できないかもしれない。しかしそのビール嫌いの感情は、今日みられる若者のカルチャーや生活に対する姿勢と傾向を反映している。 ここで肝心なのは“最初のひと口でビールを好きになる人はほとんどいない”という点だ。例えば、学生時代に何度となく開かれる飲み会で苦い経験を味わってきたからこそ、人々はビールの苦味そのものを楽しめるようになる。ビールは酔うという一時的な快感も得られるが、継続的に飲んで味を覚えていく努力も必要。それはまさしく徐々に慣れ親しん
先日、六本木のグランド・ハイアット・ホテルでフィナンシャル・タイムズ(FT)主催「ラグジュアリー・サミット2008」が開催され、世界各地からラグジュアリービジネスの業界関係者が集結した。高級ブランド消費における最重要市場である東京。ラグジュアリーというテーマで議論するのに、これほどふさわしい場所はないだろう。 ところが、東京の市場としての重要性を説明するには、誰もが興味をそそられるような数字が必要だったようだ。FTのLionel Barber氏はオープニングスピーチで、「20代日本人女性の94.3%がルイ・ヴィトンの商品を所有している」と述べた。それを受けて、アジアを代表するラグジュアリービジネスの専門家、Radha Chadha氏は、「東京では20代女性の94%が、ルイ・ヴィトンの商品を所有している」と、FT特集号でこの数字を繰り返し引用した。グーグルで「94.3%」「ルイ・ヴィトン」と
1990年代に流行した、インターナショナルな音楽・ファッション・インテリア・デザインにおけるオシャレなムーヴメント“渋谷系”(※1)。「オシャレな」とはほど遠いイメージがある秋葉原のアニメオタクによるカルチャー“アキバ系”。これら2つの異質なカルチャーが融合した、コンピレーションアルバム『AKSB 〜これがアキシブ系だ!〜』が話題になっている。1曲目は、パリにダンス・ミュージック・シーンを築いた伝説的なフランス人DJ、Dimitri from Parisによるサウンドプロデュースで、アニメ「月詠」テーマソング「Neko Mimi Mode」。アルバムの最後には、渋谷系のカリスマ、Pizzicato Fiveの小西康陽がリミックスしたアニメ「ケロロ軍曹」のテーマソングで締めくくられる。渋谷系の象徴ともいえるこの2人のほかにも、渋谷系で有名どこのアーティストがクレジットにならぶ。昨今、不況の音
日本のファッションにおけるサブカルチャーは時に“整然としすぎる”場合がある。ゴシックロリータは120%“ゴシックロリータであり、ヒップホップの若者はいわゆる”ヒップホップ“に完璧になりきっている。すべてがわかりやすく、きれいに線引きされているのだ。日本のポップカルチャーの歴史に関する本を読むかぎり、サブカルチャーは常にそれぞれ独自の特徴を持った、完全無欠なものとして存在していた。例えば、1955年といえばマンボスタイルの年、1956年は太陽族、1957年はカリプソスタイルの年。これほどまでに流行り廃りが効率的におこなわれていると、まるで計画されているかのようにさえ思える。 一般的に、戦後のポップカルチャーは日本メディアとポップカルチャー研究において“ブーム”の連鎖として概念化されている。このブームという言葉は、それぞれの時代を定義する短命な“一時的な流行”をあらわすものだ。『チャートでみる
Over the last year or so, the Japanese press has been moaning that young people are committing an unspeakable crime against the traditional mores of Japanese culture: they have ceased to drink beer. Generation Y (or perhaps, Generation Z) have not proved themselves to be big drinkers to start, but they seem to particularly dislike the world’s most beloved malt-and-hops beverage. "It’s bitter," the
一昔前は、日本における海外ブランドの位置づけがもっとわかりやすかったといえる。日本の消費者には“海外ブランド”であることを伝えるだけで、高級、最先端、洗練されているというイメージを抱かせることができたからだ。 ところが、日本はここ30年間で国内ブランドに対する自信を積み上げてきた。そのため、ヨーロッパや北米のブランドは、日本の消費者を引き寄せるために、今まで日本にあった劣等感に頼ることができなくなっている。 だからといって、今の日本の消費者が欧米のものに比べて、国内ブランドを無条件に好んでいるとは限らない。今の市場は複雑なうえめまぐるしく状況が変わり、誰もが正確に予測できないため、消費者は自分の嗜好にあったブランドをより念入りに判断しているためだ。 前回のエッセー“ファッション表現者という人種”で説明したように、『CanCam』や『ViVi』のような“リアル・クローズ”雑誌は、特集している
“KY”が2007年新語・流行語大賞のトップを飾るようになってから、若者の間で流行っていた言葉を大人でさえも平気で口にするようになった。KY(ケイ・ワイと発音する)とは、“空気を読めない”の略語であり、文字通り“空気を読む”ことができない人を非難する表現である。言い換えれば、KYと言われた人は、それぞれの社会的状況の中できちんと行動できていない人を意味する。さらに、KYの度合いを大きく超えている人なら、“SKY”-“スーパーKY”(英語のスカイと同じ発音)と見なされるのだ。今では、ローマ字日本語の俗語について説明をする『KY式日本語-ローマ字略語がなぜ流行るのか』という本が発行されるほど盛り上がりをみせている。 日本の若者人口の割合が年を追うごとに減ってきてはいるものの、親は昔と変わらず思いもよらない形で子供に困惑させられている。最近、雑誌の『宝島』と『宣伝会議』は日本の若者について特集を
宣伝文句を信用するならば、日本人の10人に1人が“ケータイ小説”『恋空―切ナイ恋物語』(以下、『恋空』)を読んで泣いたということになる。レイプや妊娠、流産、そしてがんによる少年の死などが内容の、素人によるこのラブストーリー。文化的にもそれほど普及しているのなら極めて異例であり、21世紀におけるマスメディア業界の事件としても取り上げられていることだろう。インターネット上でのダウンロードの回数が1,200万という数字はおそらく間違いであろうが、業界における『恋空』の大ヒットは本当にすごいことである。というのも、2005年にホスト向けの掲示板へ投稿された“ケータイ小説”から始まり、その後携帯小説サイト「魔法のiらんど」からのダウンロード数は開設後1年で1,000万に達したのだ。さらに、書籍化された上・下巻はミリオンヒット、漫画化を経てついには映画化もされ、公開初日の興行成績では第3位をおさめたと
日本には、ハイファッションやストリートファッション、オフィスでの服装まで、ある分野のスタイル提案にそれぞれ特化した多くのファッション誌がある。そしてこれらの雑誌の写真には、「これらはいったい世界のどこで撮影されたのだろう?」と思わせるものが多くある。 ほとんどの場合において、その答えはつまるところ「東京」である。(たとえばエビちゃんのような)一人のモデルが月に150着以上の洋服を着なければならないというせわしい撮影スケジュールの中では、どだい海外ロケなどは無理な相談である。夏にはビキニ撮影にサイパンやグアムなどが使われるし、秋物のトレンドを特集するのにニューヨークは人気のある撮影場所である。しかし、たいていは東京やその近郊が背景として唯一の現実的な選択肢なのだ。 とはいえ、これらのファッション誌の写真の中では、その風景は人々が普段考えているような「東京」には決して見えない。仮に「CanCa
酒好きの大衆が日本における「ビールの王様」的なエールビールやラガービールではなく、発泡酒や“第三のビール”と呼ばれる飲料を飲むようになったこの時代において、「初代・ビールの代用品」であるホッピーが再び脚光を浴びるようになったことはなんら不思議なことではない。本来ホッピーは終戦直後の東京で労働者向けのビールの代用品という名目で作られ、発泡性のビール的ソーダ(=ホッピー)で焼酎を割って「アルコール飲料」としていたものである。その味はキャロブ(イナゴマメ)とチョコレートくらいビールと味が似ており、しかも必ずしも苦いというわけではない。むしろ夏の時期はとてもすがすがしく、ビールよりもずっと軽い。(私はその中でも焼酎特有のきつい味をかき消してくれる、コクのある「黒ホッピー」が好みである) ホッピーの人気の復活から、日本の市場が学ぶべき点がいくつかあるので下記に記しておこう。 1) 年月を経た劣等財は
アルバムのセールス記録やメディアの取り上げ方から判断して、倖田來未は現在の日本において、「トップの」女性歌手である。1960年代後半以降、トップスターの仲間入りを果たすということはエンターテインメント界のヒエラルキーの中でも最も活発に活動できるポジションを獲得したことを示す。ポップミュージックの女王の座に君臨して数ヶ月、彼女は極端な広告露出、カルチャーシーンにおける強大な影響力、世の男たちのハートをくすぐるセックスアピール、次々と変わっていく音楽シーンでの確固たる地位、といったスターの特権を享受しはじめた。同じような例としては、沖縄出身のダンスユニットでデビューした歌手・安室奈美恵が挙げられる。彼女の1990年半ばにおける知名度の高さは、音楽界のみにとどまらなかった。というのも、曲がヒットしたことで彼女は全国の女子高生による「茶髪・ミニスカ現象」という革命的なムーブメントの先導役も果たして
コカ・コーラ社から発売された、カロリーゼロのソーダ飲料「コカコーラ・ゼロ」の新しいテレビCMをすでにご覧になっている方はご存知であろうが、このCMにはある企業の大ホール内でたくさんの社員にまぎれて1人のはげた男性が登場しており、その企業の社長がステージに立って「我が社のクールビズ」を社員たちに説いているという場面設定がされている。 これは環境省が提唱した「クールビズ」キャンペーンが行くところまで行ってしまったと言えるであろう。コカ・コーラ社のブラックな(えげつない、むごい、悲惨な)パロディによって、画期的なこのビジネスカジュアルのスタイルは極端にコミカルなものになってしまっている。というのも、スーツのズボンは丈が大幅に切られてボクサーショーツになっており、上着もそれに合わせて肩の高さほどまでに丈を切られ、まるで「チビT」のようになっているのだ。 CMでは興奮のあまり、壇上にいる社長と彼を大
隔週発行の女性ファッション誌である「non-no(ノンノ)」にとって、21世紀への道のりは非常に険しいものだった。というのも、1995年下期に971,020部という最高発行部数を記録して以来、部数を324,736部(ABC協会・2005年度末)にまで落とし続けてきたからである。しかし、2006年始めに田中美保をマスコットモデルとして起用してから、「non-no」は読者の減少を食い止め、440,870部(2007年・印刷部数)にまで挽回させることに成功したようである。6月22日付の繊研新聞では、1面で「フェミニン&レイヤード:復調するヤングブランド」という記事を展開しており、ヤングカジュアルブランドの売上増加の裏にあるキーポイントとして、「non-no」の復活や田中美保の人気ぶりを取り上げていた。 “専属モデルの創出”という手堅い手法によって「雑誌の顔」となるマスコット的存在を生み出し、「n
2005年、環境省から「クールビズ」という画期的なキャンペーンがスタートした。「クールビズ」とは、オフィス内のエアコンの過剰な稼動によるエネルギー消費を省けるように、ホワイトカラーのビジネスマンたちに夏の数ヶ月間はジャケットを脱ぎ、ネクタイをはずすことを奨励したものである。このキャンペーンはいくぶん浸透しているものの、その広がりは停滞しつつあるように思われる。開始から2年の月日が経ったものの、「クールビズ」は7・8月のビジネス界においていまだに「スタンダード」とは言えない。 「クールビズ」の普及を阻止している要因は、1950年にアメリカ合衆国ランド研究所のメリル・フラッドとメルビン・トレジャーによって考案された「囚人のジレンマ」というモデルを用いて説明することができる。この古典的なゲーム理論でわが国の「クールビズ」を考える際、A社とB社それぞれの代表による商談があると設定し、夏のミーティン
首都・東京が国内外のファッション情報の伝達において圧倒的な優位に立っているため、日本列島間におけるファッションの地域差が見落とされやすくなっている。例えば、大阪のファッションセンスは東京よりも独特で、「けばけばしい(ケバい)」とよく言われる。関西地方の読者だけをターゲットにして創刊された関西ベースのファッション誌もあるにはあるが、国内におけるファッション誌の編集部の拠点はほとんどが東京に置かれている。ファッションの消費傾向は雑誌が提示する方向性とほぼ同様の経緯をたどるため、日本の首都・東京はファッション市場において無敵の影響力を誇っていると言える。流行の発信地が名古屋や京都だとしても、それが東京のメディアに取り上げられて認められなければ、「全国で流行っている」という状態になるには困難をともなうであろう。 日本雑誌広告協会発行の「雑誌広告掲載料金表」では、日本の主要ファッション誌の読者につい
Robert M.Marchの著書「Honoring the Customer: Marketing and Selling to the Japanese」に言及されるように、欧米の評論家たちはマーケティング戦略上の経営決定からではなく、日本文化から自然発生した「日本式の」超丁寧な接客スタイルの存在をしばしば取り上げてきた。この接客スタイルの概念は「お客様は神様です」という有名なフレーズに代表される哲学が、ショップ店員の行動を無意識のレベルで操っているということを示しているものだ。確かに、この価値体系は日本の小売業界のほとんどで実現されてきた。私たちの買い物は店員の「いらっしゃいませ!」というかけ声に出迎えられることからたいてい始まる。 これは消費者との関係を築いてきた伝統的な慣習とも言えるが、その一方でこの慣習は日本にある多くの高級ファッションブティックやブランドショップには全く当ては
日本のマス消費は上意下達で広まっているケースが多い。企業はIt Girls(=旬な女優)やその年のヒット商品を決める大手広告代理店や謎の多いプロダクション、タレント事務所と密に連携をとっているが、そういった彼らの上意下達の「仕掛け」には多くの矛盾と複雑な状況があるようだ。一方、草の根的な活動から一躍スターダムにのしあがるというケースはほとんどないのだが、「読者モデル」と「カリスマ店員」という新種のキーパーソンが昨今のマス消費を牽引しており、消費に関する影響力がマーケティングにおける上位層の企業から、より一般消費者に近い存在の人々へと遷移していると言えるだろう。 読者モデルとは若者向けファッション誌に登場するアマチュアモデルのことで、彼らは街でスカウトされるか、読者アンケートなど編集部に投書した中から選ばれている。筆者の印象としては、大半の読者モデルは「モデル」よりも、センスのいい美容師やス
14年前の4月、2人の日本人が専門学校を卒業し、23歳という若さで専門知識もほとんどないまま、原宿の静かな裏通りで小さなブティックをオープンさせた。ブティックの名前は「ノーウェア(NOWHERE)」。物件の大きさや立地にぴたりとフィットする店名だ。そのうちの1人、高橋盾(JONIO)は自らが立ち上げた前衛的パンクブランド―Under Coverの商品を店の半分で売り、もう半分は後のインターナショナルスーパーブランド・A BATHING APE(BAPEのトータルディレクターとなるNIGO(長尾智昭)が担当していた。開店当初の数ヶ月、NIGOの売場ではadidasやその他のセレクトインポートグッズが売られていたが、高橋のレーベルの大ブレイクがプレッシャーとなり、NIGOは自分のオリジナルブランドを作って差別化をはかる必要性を感じていた。そこで友人であるグラフィックデザイナー・スケートシングと
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