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ドラクエ3
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どうもズブズブとレンズ沼にはまっているようで、最近の休日は「辛そうで辛くない少し辛いラー油」でご飯を消費しています。今日も中古で「安い!」と思ってシグマのマクロレンズを購入してしまいましたが、安物買いのなんとやら、先が思いやられます。今日はマクロレンズ購入記念と題して、僕の保有している古レンズを紹介します。古レンズの使い方や「Aレンズ」「Mレンズ」等の言葉については後日紹介する予定ですが、さしあたり以下のページをご覧ください。マニュアルフォーカスレンズで遊ぶ! 第1回 ペンタックスのレンズの知識編http://www.camecame.com/camera/k100d/pentax_a/ SMC PENTAX-A 28mm F2.8持っている中古レンズの中では一番高かったレンズ。いわゆる「Aレンズ」で絞りの情報をカメラ本体側で制御できるので、プログラムAE(自動露出)が可能なレンズです。ペ
入社直後は部長1人、課長3人、主任3人、平10人というスリムの部署で、やりがいのある仕事をしていました。しかし、入社して2年目に部署統廃合があり、40人いる部になりました。そのうち、部長3人、課長17人、主任10人、平10人という逆三角形型の部署になりました。統廃合後の部署は管理職だらけなので2人の上司に1人の部下とかはざらで、管理職同士の手柄争いとかに巻き込まれたり。管理職同士の争いに巻き込まれかつ、デスマーチプロジェクトに入ったので、残業時間が100〜150h/月が当たり前になり、メンヘラーの道へ。 ロスジェネとか雇用とか(一当事者として)+実際あった出来事 - syncのれんあい☆にっき ver1.1この人事体勢の変化、とりわけ課長が約6倍に増えているのに平社員が横ばいなんて本当にありえない話で、まあ肩書きだけ残して仕事内容はそうでもないんだろうと思ってみても、文章を拝見する限り課長
ぼくは基本的に仕事について書いたりしない。結局ブログというのはプライベートだからそこに仕事のことは持ち込みたくない。そういうところは今風なんだろうけど、ブログが全然仕事の役に立っていないともいいかねるし、仕事のことを書かないとは言っても仕事をしていることで書けることというのは確実に広がっている。そんな感じ。仕事で毎日残業続きで帰って寝るだけの日々です。休日は日曜しかありません。手は荒れ放題で写真では見え難いかもしれませんがあちこちに傷が入ってしまいました。働く事とはこうゆうことです。働く事… - heartbreaking.アルバイトで皿洗いをしてたころのぼくの手もまさにこんな感じになっていて、その代わりに熱いものを結構素手で扱っていたから、その頃は例えば薬罐とか素手で持ってもそれほど熱いとは感じなかった。今紅茶を入れるために沸騰したお湯の入った薬罐を持ったら熱かったので取っ手に布巾を被せ
僕の"愛機”は長いことThinkpad535Xだった。今でも起動するが、現在のブロードバンドを前提としたインターネットに接続するにはかなり非力である。ちょうど3年前ぐらいに隠居生活に入り、今では埃をかぶっている。というか3年前まで現役というのが信じられない。そのころはあまりインターネットもしなかったしPCも本当に必要な時にしか使わなかった。現在は主にデスクトップを使用している。最近新しくVista用に組んだから、XPマシンとあわせて2台が現役である。あと1台父がリース落ちでもらってきた2000のノート端末が1台。CPUは非力だがキーボードが気に入っているのでよく使っている。さてデスクトップ端末に"愛機"という言葉を使おうとするとあまりしっくりこない。535Xを長い間使っていたからだろうか。なんかインフラといった感じで壊れてしまったらそりゃ困るのだろうが、ベッドに持ち込んで抱きかかえて寝てし
中学生の頃まだ1年生だったぼくが生徒会役員になった。先輩との関係はそれまで野球部だけだったから制服を着たつき合いというのは新鮮だった。音楽についてアイドル歌謡とサイモン&ガーファンクルしか知らなかったぼくはそこでオフコースと出会った。書記をしていた背が小さくて胸の大きな先輩が大好きだったのだ。君を抱いていいの 好きになってもいいの君を抱いていいの 心は今何処にあるのオフコース 「YES-NO」今思えばかなりセンセーショナルな歌詞だったように思うが、ぼくはその言葉をビートルズの「I want to hold your hand.」ぐらいに認識していたのだと思う。好きになっちゃってるのに、「好きになってもいいですか」とはどういうことだ。このセリフは初めて聞いたものではないなと思った。どこでだったかは思い出せないが、今までに数回聞いた気がする。なんとなく、ここ10年くらいの恋愛ドラマの告白シーン
正しい意見を間違っているかのように印象づけるテクニック - 劇場管理人のコメント - 分裂勘違い君劇場グループもちろん彼の書いた者は歴史論でもない。風刺だ。内容が正しいかどうかよりも面白ければよい、もちろんこの「面白い」は「笑える」という意味ではなく「興味深い」という意味である。少なくとも、専門知識があるというのなら、上記の「差分」の部分を、素人にもはっきりわかるように、明確に説明してもらいたい。それから、「どうせ、専門家以外には分からないのだから、素人はだまってろ。」的な主張がよくみられるが、だったら、専門家同士だけで、うちわで話していればいい。わざわざ、読者のほとんどが素人であるようなブログ記事に書いておいて、「素人にはわからない。」というのは、「素人は、オレさま専門家の意見に従えばいいのだ。もしくは、大量の本を読んでから発言しろ。」とでも言うのだろうか?ぼくが読んだ限りではここが核心
唐突だがそろそろWeb 2.0が日本に何をもたらしたのか考える必要があるのではないか。ホームページが一般化した1990年代後半と何が違うのか。Web 2.0は日本においては新しいビジネスチャンスの別名で、一般的日本人の大部分はたんなるそれの消費者ではなかったか。世の中にはまさに米をおかずに米を食べるようなブログ論が今も後を絶たない。書く人なら当然分かることだが日記を書くという一つの作業を取り上げてみてもそう簡単ではないはずだ。Web 2.0に集う日本人ブロガーは結局何を求めたのか。Web上に友人がたくさんできたこと、あるいは多くの人がアクセスするようになったこと、もちろんそれらは大きな収穫であろうが、それらは本当にWeb 2.0でなければ成し遂げられなかったことなのか。例えばTwitterで書くことによってブログを書く必要がなくなったという人がいる。その人にとって書くということはどんなこと
詩について言えば、詩人がほんとうに求めていたのは読者たちの彼の詩境に対する全面的な共感だろうと私は思う。理解されず共感されず、それゆえ模倣することもできぬような詩想を有したことでオリジナリティを確立することなど詩人は望んではいない(と思う。詩人じゃないからわからないけれど)。詩想がひろく共感されるということは、人類の「感受性の財産目録」にそれまでになかった新しい感受性を一つ付け加えるということだと私は考えている。詩人が求めているのは「人類の詩的資産」を増やすことであり、詩人の著作権相続者の預金残高を増やすことではないと私は思う。私は間違っているのであろうか(おそらく間違っているのであろう)。詩人のコピーライトについて (内田樹の研究室)著作権問題についてあまり関心がない。思いついたこともあるのだがペンディングしておこう。この一節が気を引いたのは他でもない、ここで書かれている詩人というのは全
ここでブログを書くことに決めて、新しく住む場所にはどんなブログがあるのだろうと、色々見て回った。大変恐縮なのだが、どうも読みたいと思わせてくれるようなブログにはなかなかめぐり会えなかった。きっとそう思わせる理由というのは、文章力でもなく、テクニックでもなく、いわんやその人の魅力が足りないからではない。書かれた文章の向こうには読者がいるという意識が欠けているからではないかと感じられた。ブログというシステムの利用することで対読者という意識が欠けやすいのかもしれない。もちろんブログなんてその人の自由で構わないし、それに対してとやかく文句を言うつもりはない。ただ、ぼくはつまらない日記であろうと、風景であろうと、情報であろうと、人生であろうと、相手に届く言葉で書きたい。それはぼくのことをたくさんの人に知ってもらいたいとか、注目されたいとか、そういう気持ちともいささか違う。自分は美文家ではないけれども
玄倉川の岸辺 あるブログの終焉かなり乱暴だが話題になっている「ある個人史の終焉」という記事やhashigotan氏の記述など背景についてははしおって書く。大体においては玄倉川さんの記述はぼくが感じたことに近かった。「村上春樹もどきの小綺麗な文章」は嫌いではないか、「ささやかな幸せ」とかクリスマスだとかバレンタインデーだとか七五三だとかひと夏のアバンチュールだとか、四季折々に訪れる人が当然歩むものと信じ込まされているような幸福の記述が大嫌いなのだ。別にidiotape氏をこき下ろす積もりはない。ぼくは強烈に嫉妬深い人間なのだ。それはさておくとして、方々で指摘されているとおり当該記事に集まったブックマークは異様なものだった。はてなブックマーク - ある個人史の終焉 - after game over「泣いた」とか・・・本当に泣いたのか、なあ、ちゃんとお前の泣き顔ストリーミング配信しろよ、「素晴
純粋なココロ 2.0: 異文化コミュニケーションは、労多く実り少ない 〜 社会規範の内面化と個人の幸せに関する考察この記事の視点がとても面白かったので、ぼくもそれを土台に異文化コミュニケーションについての考え方を整理したいと思った。"異文化"という言葉についてまずMasao_Hateさんの"異文化"とぼくの考える"異文化"が全く違った。異文化 = 違う趣味、考え方を持った人 ・・・Masao_Hateさん異文化 = 言語、食習慣、所属する国が違う人・・・ぼく端的に言えば異文化とは文化的背景が全く異なる状況、現代社会においては特に受けている教育が違いで説明できると思う。対してMasao_Hateさんは価値観や趣味、ノリなどを"異文化"の指標としてあげている。ぼくの枠組みから考えればこれは同文化内での多様性であり、それらに対する"異文化"という視点が全くなかった。ぼくにとって新鮮な視点である。
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