サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
衆院選
dora-hikarilibrary.air-nifty.com
「貸出」の普及により、公共図書館が大きく変わったことについては誰もが評価するところだし、それを批判したり増してや否定する気など毛頭無い。ただ、公共図書館の貸出が支持されてきた背景には、当時の成長し続ける日本経済の状況と、その時代の中にいる人たちの労働への意識があり、その背景が全く異なる現在、公共図書館の貸出に異を唱える人々が目立つのは、ある意味当然なのだろう。 過去にも、「貸出」に対する批判が無かった訳ではない。例えば、「図書館が貸出するから本が売れない」という批判もあったと思うが、当時はそれでもモノが売れたから、逆に、公共図書館の存在があったから書籍の売り上げに繋がったという部分もあったし、実際の効果はどうあれ、とにかくモノが売れた。そんな時代に、貸出に異を唱えるのは寧ろ得策ではないという事が状況としてわかっていたのだろう。だから、現在この貸出を批判する声が矢鱈と大きく聞こえるのは、当
どこにでもいるただの図書館司書の戯言公共図書館の司書が日常業務の中でどれだけMARCを作っているのかと言うと、残念ながら殆ど関わっていない、というか、市販MARCを買っているところでは、入力など全くやったことがないという人もいるだろう。それはそれで、効率良くサービスを提供するためには当然考えるべき選択肢だから文句をつける問題でもない。 ただ、普段からMARCを入力している人と、そうでない人を比べると検索能力に大きな差があるのではないかと思う。MARCの構造を知り、データがどのタグに収められているのかを知っているのと知らないのではキーボードから検索語を入力する際、何処まで入力すればある程度絞り込んだ検索結果が得られるか、のような場合に差が出てくる。 結果、MARCをつくるという仕事は、本を探すという根幹のサービスを提供する際に大きな力となる。 そう考えると、私たちは非常に勿体無いことをし
例の新聞報道について、ひと言書かせていただきます。 この発端となった記事の取材があったのが、容疑者逮捕後の日曜日で、警察発表により図書館を利用していたという供述を受けて、図書館に取材陣が殺到したとの話でした。周辺に住む人によれば、その日の朝、図書館付近がかなり騒然としていたそうです。 さて、喋ってしまった経緯については、図書館よりも先に生涯学習課の方が喋ったと受け取れる形の記事ですが、それにしても最終利用日とか利用登録日の情報を図書館が提供したというのは明らかであり(この情報を図書館が関与することなく、端末を操作し調べたとしたらそれはもはや論外です。)、誰が最初に喋ったという以前にデータを開示した時点で一切弁解の余地がないことでしょう。 ただ、この事案に関しては、不幸な事実が重なったとも言える部分があります。だからと言って、弁解にもならないのですが。詳しい内容は憶測の域を出ない部分があり
と、比喩されて、失敬な!と怒るのではなくて、見比べたら本当にそういう風に見えるのだから、少し真剣に考えてみたらどうなのかな。 例えばさ、 応対のマニュアル化 スマイル¥0 ロスを少なくする主力商品の作り置き 時間経過での廃棄 開館時間の延長 などなど。 おまけに、民間資本参入によって、チェーン店化しつつある。これだと、全国何処へ行っても統一した研修を受けた窓口スタッフによって、愛想が良い好感が持てる応対を受けられるし、主力商品のハンバーガー(人気本・新刊)を殆ど待たずに食べる(借りる)ことができる。 さらに、商品のロスを減らすため、無駄に作り置きはせず(書庫を持たない)、一定時間が経過したら廃棄する(除籍・リサイクル)。 確かに、ハンバーガー屋には、ハンバーガーを求めてお客がやって来る。それに対応するのは当然としても、ハンバーガーを食べたくない人にも、買いに来たくても来られな
それは、徹底した「棚づくり」をすること。 この図書館は、主にフロアでのサービスをする「遊撃部」、蔵書管理をする「資料部」、広報と情報サービスをする「情報部」、そして、施設管理をする「総務部」により構成されている。 開架の棚づくりをするのは、普通に考えると、貸出などのサービスをする遊撃部であるように見えるが、フロアで棚づくりの中心になるのは資料部のメンバーとなる。 その理由は簡単で、書庫資料を含め、トータルな形で棚を構成するという意図があるからで、分類順というような単調な棚構成ではない、大胆な棚づくりを要求するからだ。 具体的に絵本の棚を見てみたい。 従来の図書館でよく見られる絵本の棚は、画家の50音順などで並んでいるだけという場合が多い。絵本の場合、表紙を見せることで利用に違いが見られるので、近年つくられた図書館では、表紙見せができる書架を置く所が増えたが、フロアに置いてある本の構成
カウンターに立つ事は大切、でも、ここで敢えて貸出カウンターの無い図書館を作ってみたいと考えた。貸出が大切という概念と貸出カウンターが無いという状況を照らし合わせると矛盾しているではないか?と言うが、実際のところ矛盾はしていない。 寧ろ、司書の必要性を強調したいのであれば、貸出カウンターなど不要だ。煩わしい対面での手続きが嫌な人のために自動貸出機を数台設置しておけばいい。その上で、スタッフ全員が個人IDの付いた携帯端末を持ち、フロアで書架整理をしている。数人のスタッフは、自動貸出機の近くで待機し、操作の手伝いをしている。さらに時々、お客様を書架へ案内しながら、携帯端末で貸出の手続きをしている。 これまでの図書館では、本の盗難や切り抜きが問題になっていたが、貸出カウンターを無くすと、この点においても効果が期待できる。スタッフは、書架整理をしているだけでなく、お客様の動きをシッカリと見ている。と
余りにも唐突な行動に、遂に切れたかと思ったかもしれないので、若干の補足説明をしておきたいと思います。 体調が充分ではないという事実があり、更新が途絶えたというのは確かなのだが、実は、4月以降若干の心境の変化があり、業界のある一部に対する失望が増幅したことが、今回の行動につながった。 いちいち細かいことを直接言っても、そんな事には全く問題意識を持たないようなので、既に意見する気は遥か昔に失せていたのだが、それでも、先細りする現状を少しでも打開するために助力にでもなればという想いがあったので、多少なりとも協力できればと思っていたものの、そんな想いは見事に粉砕されたなという出来事がいくつかあって、完全に失望したというのが正直なところです。 いろいろ悩みましたよ。 この業界を去ろうかとも考えたりもしましたし、でも業界の膿の部分を見なければ、自分としては図書館という空間が好きなんですよ。だから、
[今日のひと言] 図書館にはライブラリアンという質問に答える人によるサービスがある。 公共図書館内に「本の相談デスク」を作ろうとか、「レファレンスデスク」を貸出返却から分離しようという話を聞いて久しいが、独立させてもそこで本の相談を受け付けしますよ、と言っても、そこに人がいなかったり、司書ではない人がいて中途半端な対応をするぐらいだったら却って無い方がいいのかもしれない。 それでも、レファレンスを重視したいという希望や、レファレンスサービスを普及させるためにわかり易く説明するなどの努力を繰り返している光景を目にする。でも本当に必要なのは、空間の中に存在する机の名前を親しみやすくすることかと問えば、それは違うだろう。 最近流行りの言葉で「コンシェルジュデスク」なるものがあるが、これはコンシェルジュという人がいる場所を指す言葉であって、決して机の名前ではないことがわかる。そう考えると答えは簡
[今日のひと言] 敢えてリンクは張りません それは、批判する先の方が自らの過ちに気付き、正すことを期待するからです。 幾らブログで広く公開している文章であっても、その全文コピーしたものを無断で編集し、web上に掲載することは許されるものではないと考えます。もし、web上で掲載するのであれば、リンクを張って対応すべきです。 1つの記事のみを単独で引用され、斯様な形で掲載されると、私の全体のスタンスがわからないばかりか、私の意図しない形で発言を解釈されてしまうこともありますので、ハッキリ言えば迷惑です。 ついでに、ホームページを見て思ったのですが、他人の管理するホームページへのリンクの張り方、あれじゃ、サイト外に出ることがわからないので、ああいうリンクを張られた方は不愉快に感じるでしょう。 いろいろ他所に要求を出すのであれば、まずはご自身からもう少しきちんとされては如何でしょうか。
[今日のひと言] 既に実践している所はある 図書館経由で欲しい本を買うと、図書館に本の価格の数パーセントのポイントが貯まる。そのポイントを利用して図書館は必要な本を買う。 というシステム、既にやっている図書館はあるのだが、同じシステムを図書館のweb-OPACで検索して、その検索結果から、購入という入手手段を選択できたり、書評掲載本の未所蔵本にネット書店へのリンクを貼ってみたり。いづれにしても、いろいろな入口を用意することにより、予算だけではない、蔵書充実の手段を確保したいと考えている。 実現への準備は整いつつある。
[今日のひと言] 文化に境界無しとは言うが。 忘れた頃に偶に蒸し返される話で、図書館の本を住民以外の人に貸すのは違法だという指摘がある。そう言う人の理由は明快で、自治体に税金を納めている人以外に貸し出すのはおかしいというものだ。 このような意見も一理ある。さらに言えば、自治体職員が、他の自治体の住民に対し労働する行為もおかしいし、そう考えると、建物に入って来て、トイレなどを使うことも、税金を払っていないのにけしからんという話になる。 ただ、施設の公共性を考えれば、道路などの場合、税金を払ってなければ、市町村が作った道路を住民以外が通ると摩耗するので維持管理費を負担せよ、という話にはならないのと同じ話だ。 この「区域外貸出」の件は、別に、目くじら立てるような話ではない。財源の6割以上を地方交付税に依存している自治体の財政事情を考えれば、ある程度は許容すべき話なのだが、このような疑義が住
[今日のひと言] 何ができるか考える過程が大切じゃないか 昨年の研修で、法律の専門の方に裁判員制度についての話を聞く機会がありましたが、その際、話の冒頭で「裁判員制度で図書館が出来ることは何もありません。」と先制パンチが。すっかりその後の質問のポイントを失ったような。 それでも、制度そのものの理解を深めるために必要な情報を提供することぐらいはできるだろうし、少なくともフツーに生きている上では誰が裁判員になるかわからない訳だから。それから、もう一つ関わることができるとしたら、心のケアだろうな、と、ずーっと考えてた。そう、例えば、生命の尊厳とかを考えるための本なんか。 考えてみれば、これもいわゆる「課題解決型サービス」の一つだなと思い、その研修ではあまり核心を突いた質問が出にくい雰囲気で法衣を着るのかみたいな質問していたが、何か大切な視点を見落としていたような気がして、ずっと引っ掛かってい
[今日のひと言] 貸出管理用機器だな。 遠くに見える自治体合併を有利に進めるためにはどうしたらいいだろう...みたいな事を考えながら、図書館のコンピュータについてふと見ると、何だか何所も「貸出管理用」としての使い方が中心で、それ以上の活用は出来てないのだな、という気がしてならない。 特に思うのは、MARCを買っていて、確かに偶には詳しいデータが役に立つことがあるけれど、利用傾向は、図書館に本があるかないか、というのが殆ど。MARCを買うことについては全然否定はしないけれど、買った後、ひれをどう活用するかが重要だと思わないのかな? つーか、図書館のコンピュータで大事なのは、市販本の収集管理じゃなくて、その先にある図書館独自のデータベース構築じゃないか?例えば、地域の新聞記事もそうだし、新聞だけじゃなく、書籍や雑誌の中にある地域情報のインデックスもそうだろう。 コンピュータの入れ替えの度に
[今日のひと言] 貸出に執着する以前に考えるべきことがあるのではないのか。 図書館にやって来たお客さん、入って来て館内を見まわしている。どうやら本を探しに来たようで、OPACを見つけるとそこへ行き検索を始める。 探している本は『私』、谷川俊太郎さんの詩集だが、このお客さん、タイトル以外の情報は何も覚えていない。OPACに『わたし』と入力して検索する。しかし、該当件数が多くなかなか見つけることができない。ちなみにこのOPACは前方一致だの完全一致だのという条件指定もできないし、漢字検索もできない。 結局館内のOPACでは見つけることが出来なかったお客さんだった。ここで、本を見つけることができなかった場合、次の行動は大きく2つに分かれる。1つは、諦めてしまうケース。そして、もう一つは別の検索手段を探すケース。 このお客さんは後者で、すぐに「相談」カウンターに聞きに来た。「あの、『私』とい
[今日のひと言] 順序としてどうなんだろう 趣旨はなんとなくわかる。この有料掲示板。図書館が情報を集め、発信する場合、ある特定の団体ばかりの情報を掲示するのもどうかと考えるし、掲示する事業そのものが有料(講師謝金を確保するため)の場合の掲載の可否もある。ただ、図書館を地域の情報ハブと考えるならば、まず最初に、図書館としての情報収集を考えてみてはどうかと思う。自ら探して、有用な情報を紹介していくのはもとより、「皆様の活動に関する情報を図書館までお寄せください。」として、図書館サイトに掲載してほしい情報を募ってもいい。 そうやって、図書館サイトを閲覧する価値を創るのが第一段階。すると、今度はここに広告を掲載する宣伝効果が顕れる。そこで次に、図書館サイトに広告を掲載する。勿論有料で。 魅力的な活動は、寧ろ黙っていても口コミで広がるのではないのかな。だから、そういう処はお金を払ってまで情報を広め
[今日のひと言] 盗難防止に導入しては?と言うのだけど。 ICタグの導入目的に盗難防止がある。勿論、導入目的はそれだけではないが、売り込みのために、盗難被害に悩むことが書かれた新聞報道を例に、限りなく盗難をゼロに近付けると言う。でも、その分切り抜きなんかが増えるんじゃないかという懸念があるのだが、それについてはどうお考えか?と、突っ込んでみたいとは思うが。 ところで盗難防止を主たる目的として導入を勧めるのは構わないが、自分のところの盗難(と思われる)数は年間500ぐらい。すると、その数を減らすことだけを目的として、盗難リスクの高い開架部分の本14万冊にタグを貼り、ゲートなどの機器を設置すると概算で3000万円程掛かる。取り敢えず、タグを1枚100円として14万冊に貼る費用は1400万円となるので、それを累積盗難数で割ると、盗難防止単価は2800円ぐらいになる。年間ベースの経費にしても、1
[今日のひと言] 個人の履歴から直接引っ張ろうとするから無理が生じる 検索の資料詳細画面を開くと、「この本を借りた人はこんな本を借りてます」、というamazonばりの情報を表示させるには?この機能を実現させようと、随分前からDBの構成をどうしたら現実的なのか考えていた。 まず、資料詳細画面を開いた時に、瞬時に参照できるようにするためには、利用者DBにアクセスして、集計するのでは余りにも情報が膨大過ぎる上、多くの図書館関係者が懸念する貸出履歴の保存というリスクもある。この是非はともかく、サービス向上のため利用履歴を加工する事により、利用履歴と個人情報を分離して、利用履歴の例えば書誌番号や資料登録番号の部分だけを抽出し、その資料同士を「同時に利用された資料」として関連付けする方法をとれば、個人情報保護の面は一応クリアできる。 問題は記録の方法。一番簡単な概念としては、書誌データにぶら下げる形
[今日のひと言] 保障すべきところは保障しないといけないのよさ。 図書館有料化の話に少し便乗してみる。米欄「やはりどこかで税金による負担保障も大きく必要になってくるのではないでしょうか」というくだりが妙に気になっていた。 例えば資料費、1000万円あるとして、その財源の内訳が[一般会計700万円、補助金200万円、寄付金100万円]だとすると、予算化した財源の全てから予算どおりの収入があれば良いのだが、見込んでいた補助金が無かったとか、寄付金が無かったという場合、財源を振り替えて1000万円を確保するという理屈になる。*1 これを図書館の直接収入に依存したらどのようなことになるのか?ここでも資料費で考えてみると、自治体の予算、700万円が資料費として配当されるとして、資料を1000万円分買いたいとする。自治体からの収入では300万円不足するのだから、不足分を自主的に稼がなければならない
[今日のひと言] コピーの有料を既成事実として捉えているヒトもいるようだけど・・・ 予てから思っていたのだけど、どうしてこーいう方向に話を持って行きたがるのかな、って。 「いかなる対価をも徴収してはならない」と言いつつ、「じゃあコピー代は何なんだい?」「他館から取り寄せした本の送料は利用者負担、これってヘンじゃない?」みたいな突っ込み。そして、「だったらこの部分でもお金取っていいんじゃない」みたいな。 やむを得ないならやっていいということにしたら、議会なんかで直ぐになんだかんだ「やむを得ない理由」を付けて有料化への道をひた走るんだろーな、と思う。 コピー代なんかは、図書館法上の原則無料は堅持しつつ、「やむを得ない理由」があると言って料金を徴収している訳だが、逆に思うのは、こういった部分をどのようにしたら無料化できるか?っていうこと。以前話題になった「タダコピ」みたいなものを設置すると
秘密裏に計画を進めてきたプロジェクトを公開した。題して「ケータイ持って図書館へ行こう」。 棚にQRコードを貼り付けて、それを読み取ることでリストが表示できる。また、「をも見よ参照」的な利用法もありかなとか、応用範囲も広いと考えている。 その一つとして...広報紙に本の紹介を載せて、そこにアクセス用のQRコードを印刷しておけば予約が簡単だとか。 この目的は、蔵書に対するアプローチルートの多様化、ただそれだけ。館内でケータイを使用することを容認とも取れるプロジェクトで、ある意味問題ありとも見えなくもないが、この一覧表示、何も館内での利用に限った話じゃないし。そう、例えば。本自体にその本の著者の所蔵一覧にアクセスできるQRコードを貼り付けておいてもいいだろうし(ただ、恐っろしく手間が掛かりそうだ。)そうすれば、本を読み終わった時に一覧表示から次に読みたい本を表示するとかできるし。 で、あれば
このような、デジタルアーカイブを所蔵資料として提供する時代はいづれやって来るという事は、10年ぐらい前にはわかっていた筈?なのだから、システム自体対応できるようなものでなければ仕様がないのに...今の図書館システムときたら、固定媒体の資料を貸出する事しか眼中にないのだから、ブツブツブツ(>_ 報道発表の直後から、作品単体に対してMARCを作成し、アーカイブを所蔵登録して、OPACからの検索結果にアーカイブへのリンクを貼り、ダウンロードできるロジックが書けないかとか、いろいろ考えていた。現行の与えられたシステムの中で対応しようと言うのだから、これはかなり厳しい。ちょっと結論が出るまで時間が掛かりそう...。これを読んでいると思われる、某所SEの皆さんも是非ご協力を。m(__)m で、システムの部分は置いておいて、もっと単純な話、老人ホーム辺りから要望のある大活字本などを作成して、常設できるよ
>> 少年調書の引用本、公立図書館で閲覧中止の動き[読売新聞 2007年9月16日] 原稿の締め切り間近で焦ってるんだから、こっちに振らないでよ(^^;) って、思ってたけど、予想どうりというか...「どーします?」って聞かれたりして。聞かれるまでもなく何もしませんから。つーか、新聞に書名が載る度、「新聞掲載本」のページに載せてるし、ご丁寧にリンクも貼ってあるし、多分、うちとこで一番露出が多い本なんだろー。 そんな中、某新聞社から、問い合わせも。 原稿の締め切り間近で焦ってるんだから、こっちに振らないでよ(^^;) 「そちらでは、閲覧を中止するご予定はありますか?」だから、聞かれるまでもなく何もしませんから。とーも、この新聞社の電話取材、他紙に出遅れてしまったので、閲覧制限を掛けてる図書館を必死で探してるみたい。だから、うちとこでは新聞各紙が記事にする度に書名がクローズアップされてる
「講談社BOX」というシリーズがある。 このシリーズ、図書館にとってはなかなかの曲者である。どこが曲者かというと、箱を外してしまうと、背の部分には何も書いていないので、棚に並べると何の本だかわからなくなってしまう事である。 そこで、対処法としては、1)箱のまま並べる、2)箱を外して背の部分にタイトルをラベル打ちする、などの方法が考えられる。ただ、1)の場合は本体にフィルムを貼ると、箱から取り出すのが大変になるという問題があるし、2)の場合は、あまり美しくないという難点がある。 そこで、箱に貼ってあるシール状の部分を綺麗に剥がし、それを本体に貼るという荒業を敢行したのだが...。 皆さんはどのように装備をしているのだろう?
開館時間の延長、ただ闇雲に延ばしても利用に結び付くかといえばそうは問屋が卸さない。やはり、通勤通学時間と図書館までの距離関係など、ち密な分析の上で実施しなければ、思ったような効果など上げられません。 と、いうのは「前向き」に捉えた話。世の図書館がみーんな後ろ向きという訳ではありませんが、中途半端に開けてもそれ程効果が得られないのは火を見るより明らかだろう...と、内側から見れば大体経験の範囲で仮定を立てることぐらいはできる。それでも市民から「もっと遅くまで開けろ」と要望があれば、それを黙殺する訳にもいかないし。そこで、「試行」なる形で開館時間を延ばしたらどのくらい利用があるかを判断するための資料づくりをやる。 でも、不思議な話、試行というのは名目で、実際には試行という名の通常業務になってしまう事がよくあるらしいので、試行するにもできるだけスタッフのやりくりに困らない形で、できるだけ少ない時
突然ですが、今日で最終回とします。 本当は来月半ばの最終回を予定していたのですが、前倒しして本日を以って最終回とさせていただきます。 こちらにいらして頂いた皆様には感謝いたします。どうも長い間ありがとうございました。 復活は...いつになるかわかりません。 4月の段階では、細々とでも続くかなと、思っていたのですが、 本業の方が忙しくなり、更新が困難になりましたので、ここで一旦けじめを付けたいと思います。 体制が整い、落ち着いたら、できるだけ早い時期の復活をしたいのですが、(何しろここのBK1ポイントは、図書館の本を1冊でも多く整備するために不可欠だったものですから。)でも、今回は事情が事情なだけに、復活までは時間が掛かりそうです。 それでは、お近くの方はオフでお会いしましょう。 また、復活の際にはお引き立ての程、宜しくお願い申し上げます。 では、ごきげんよう。
今日の他人(ひと)言(2007年5月11日)-宣伝媒体としての図書館 最近、自費出版流行りのせいだろうか、図書館に対しての本の売り込みが増えてきた、特に個人から。 自費出版にもいろいろあるのだろうが、数ある自費出版の中で採算が取れるものなとごく一握りに過ぎない。ただ、本にする以上は少しでも売りたいと望むのだろう、そんな人の一部が図書館に積極的に売り込みをかけて来る。 地縁や人脈を通じて売り込んで来る場合、なかなか断りづらいこともあるが、そんな話に簡単に応じてしまうと、逆に「あちらは買ったのになぜこちらは買わないの。」みたいな話にもなるので、やはりここは情に流されずきちんとした線引きが必要だろう。 ただ、地縁がある人の本など、需要が全然無いという訳ではない。寧ろ、ユニークコレクションとしての自費出版の累積は、それぞれの地域の図書館の責務ともいえる。同時に、そのようなコレクションを図書館が積
今日の他人(ひと)言(2007年5月1日)-三大行方不明資料 行方不明の資料、以前は文学単行本が多かった。しかし、最近の傾向は少し違う。逆に文学単行本の行方不明は殆ど無い。逆に多いのは、「参考図書」「文庫新書」「CD」の三つだ。 文庫は、ポケットに入ってしまうような手軽さからか、急激に見当たらなくなる数が増えてきた。それ以上に目立つのは、参考図書で、以前はそれ程多くは無かったのだが、ここ数年で徐々にその数を増やしてきた。 参考図書は単価が高いものが多いので、個人で買えないので持って行ってしまうという事もあるが、それだけではなく、売却目的で持ち帰るという事もあるようだ。図書館の本でも買い取る所があるという話は昔からあるが、以前は無くなっても国語辞典や英和辞典が数冊程度だった。それが最近では、人名事典や○○全情報みたいな本、果ては新聞の縮刷版まで無くなるという話がある。 どうしてこのような行
今日の他人(ひと)言(2007年3月6日)-言い訳 犬が齧った形跡がある本を返却してきて、そのまま何事も無く返却の手続きが済んでしまえばシメタものと考えているのだろうか。もし運が悪いというか、齧られた本の存在に係が気付き「これは...」と声を掛けられたら、「最初からそうなっていました」とシラを切る。そこまで図々しくなくても言い訳の内容は自分に責任が無いことを主張するもので、「犬がやった事ですから許してください」などという言い訳に至っては無茶苦茶だ。そんな態度を見ていると、こういう人はとにかく弁償したくない事を考えてしまうので、言い訳が先になってしまうのだろう、と感じる。 貸出による利用をしている限り、図書館の本は常に汚破損のリスクを負っている。そういう目に遭わずに生き延びたとしても、紙の劣化などで利用に堪えなくなる場合もある。だからと言って、責任を問わないとするものでもないが、まず考えるべ
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『DORA-LOG2』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く