サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
ノーベル賞
flipoutcircuits.blogspot.com
Helen Pluckrose & James A. Lindsay, Cynical Theories: How Activist Scholarship Made Everything about Race, Gender, and Identity—and Why This Harms Everybody. Pitchstone Publishing, 2020. [Kindle] 著者紹介によると,プラックローズは著作家で Areo Magazine ってやつの編集者だそうで,もともと人文学をやってたけれどそこから遠ざかったらしい.リンゼイは数学者 (Ph.D) で,New Discourse ってウェブサイトをやってる.この2人は,以前,ソーカル事件と似たトリックを仕掛けたメンバーでもある. 本文はこんな構成になってる: 序論第1章: ポストモダニズム:知識と権力の革命第2章:
ずいぶん前に書いた文章のおまけ. スティーブン・ピンカーがフェミニストの見解を軽視している,とフェミニスト系の哲学研究者ケイト・マンは述べた: 『暴力の人類史』(2012年)では,性暴力・ジェンダー的暴力に関するフェミニスト的見解をピンカーはいっそうあからさまに軽んじている. In Better Angels of Our Nature, Pinker (2012) is more openly dismissive of feminist views about sexual and gendered violence. (Kate Manne, Down Girl, 第4章脚註 (3), kindle版; 太字強調は引用者によるもの.邦訳『ひれふせ,女たち』も参照しつつ,引用者があらためて訳した) さて,どんなところを,どんな風に軽視しているのだろう? ケイト・マンの文章を長く引用する
Alva Noë, "Gender Is Dead! Long Live Gender!" NPR, June 24, 2011. バークレーの哲学教授が NPR に書いた文章を,むかし訳してたなぁと思って掘り出してきた.この文章は,たとえば「女性とはこういうもの」「男性とはこういうもの」という概念カテゴリーが,プライミング(呼び水効果)をとおして当人の行動に影響するという点を強調している. 以下,訳文. 頭のなかで,物理学教授のすがたを思い描いてほしい.彼の暮らしがどんなものだか,想像してみよう.ほんの一時でいいから,彼になったつもりになってみよう.この物理学教授であることがどんなものだか,感覚をつかんでみるんだ. さて,ここで仕切り直し.こんどはチアリーダーのことを思ってみよう.彼女を思い描いてみよう.彼女の暮らしがどんなものだか想像してみよう.彼女になったつもりになってみよう.このチ
スティーブン・ピンカーをアメリカ言語学会の「フェロー」(傑出した業績をもつ研究者その他が選ばれる)およびメディア専門家から除名すべきだという公開書簡が出て,Twitter でも少し話題になった.(追記: shorebirdさんが日本語でまとめている) で,そうしたツイートのひとつに,ケイト・マン『ひれふせ,女たち』にピンカーの「反フェミニズム的立場」が詳しく書かれているというものがあった.ぼくはピンカーの著作のファンではあるけれど,べつに彼のあらゆる言動を追いかけてるわけじゃないし,なにかけしからんことでも言っていたんだろうかと,興味を覚えた. とはいえ,訳書はお値段が高いし近所の図書館では利用できない様子だったので,とりあえず原書 Down Girl だけを参照してみると,本文で1箇所,脚註で1箇所,ピンカーについてまとまって述べた文章がある.残念ながら,どちらの箇所でもとくに詳しい情報
私たちの文化的制度は,試練の時を迎えようとしている.人種的・社会的な公正をもとめる強力な抗議が起こり,長らく遅れていた警察改革を求める声が上がっているばかりか,さらに,高等教育・ジャーナリズム・慈善活動・芸術にとどまらず,私たちの社会全域にわたって,いっそうの平等と包摂が広く求められている.しかし,こうした清算は必要ではあるものの,同時に,この清算によって新たな種類の道徳的態度と政治的な姿勢が強化されている.この道徳的態度と政治的姿勢は,イデオロギー面での順応を優先して,公開の討議とお互いの相違への寛容という私たちの規範を弱める傾向がある.公正を求める前者の動きを私たちは歓迎する一方で,後者には抗議の声を上げる.反自由主義 (illiberalism) のさまざまな勢力は,世界中で力をつけており,ドナルド・トランプという強力な同盟者もいる.トランプは,民主主義に対する紛れもない脅威を代表す
アンソニー・ウェストンせんせいの『論証のルールブック』の付論では,定義の取り扱いを解説している.ちょっとだけ抜粋してみよう: D3: 定義は論証の代わりにはならない 定義は考えをまとめたり,似てるものどうしをひとくくりにしたり,重要な類似点や相違点を抜き出すのに役立つ.言葉をはっきり定義してみたらさっきまで議論で対立していた2人が実はその論点をめぐってなんにも異論がなかったのに気づくことだって,たまにある. でも,定義そのもので難しい議論の決着がつくことなんてそうそうありはしない.たとえば,特定の物質にどういう立場をとればいいか決めたいという理由もあって,「ドラッグ」を定義しようと試みたりする.けれど,そういう定義そのものでは,この問いに答えられない.さっき提案した定義では,コーヒーはドラッグだ.カフェインはたしかに特定のかたちで心の状態を変える.それどころか,中毒性すらある.でも,だから
「科学は葬式のたびに進歩する」というのは、マックス・プランクの有名な警句だ。人間、どうしても自分がよくなじんで知っているアイディアにしばられがちだ。それに、歳を重ねると、新規なアイディアを受け入れるのに前向きでなくなる。すると、科学分野の重鎮が死去してようやく新世代のアイディアが日の目をみる、ということになりやすい――というお話は直感としてはよくわかる。でも、それってほんとなんだろうか? 全米経済研究所 (NBER) のワーキングペーパーが、まさにその問いを検討している。論文本体を要約したダイジェスト記事はこちら (via Tim Harford) :
さっきの例文採取 "Maybe don't try to..." に関連して,大昔の論文を引っ張り出してみた. George Lakoff, "Performative subordinate clauses," Proceedings of the Tenth Annual Meeting of the Berkeley Linguistics Society (1984), pp. 472-480. この論文でジョージ・レイコフが考察しているのは,次のような事例だ The Knicks are going to win, because who on earth can stop Bernard!(ニックスが勝ちそうだね,だって,いったい誰がバーナードを止められるってんだ) ふつう,because節に疑問文は生起しない.でも,修辞疑問なら生起できるのだとレイコフは言う.なぜなら,修辞疑
少し前のインタビューで,ピンカーがそういう話をしている. "Steven Pinker on Sex Differences, Human Nature, and Identity Politics (Pt. 1)" The Rubin Reports (YouTube), March 3, 2018;28:05あたりから. ここで言ってるのはだいたいこういうことだ: 馬鹿げたアイディアも,そもそも表明されなければ反論を受けて修正される機会がなくなる. 男女が異なるという可能性すら公言できないタブーになると,男女のちがいに関する馬鹿げたアイディアが反駁されないまま極論に育ってしまうかもしれない. 他の例を挙げると,人種間の犯罪率のちがいも公に議論しにくい話題だけれど,実際に統計を見ればちがいがあるのははっきりしている.とはいえ,「やっぱり黒人は生まれつき白人より暴力的なんだ!」みたいなアイ
男女の性差に関するおもしろい論文が出てる (via @eguchi2017): Armin Falk & Johannes hermle, "Relationship of gender differences in preferences to economic development and gender equality," Science, Vol. 362, Issue 6412, eaas9899, Oct 19, 2018. 【性差を評価する】 リスクをいとわないこと,忍耐,利他行動,損得それぞれの互酬行動,信頼といった事柄の優先順位には性別に関連した相違がある.これに寄与する要因はなんだろうか? Falk & Herme は76ヶ国8万人の個人を対象とした「全世界優先度調査」(Global Preference Survey) を実施し,GDP や男女格差指数といった国レベ
フェミニズム哲学などの学術誌に偽名で意図的にインチキ論文20本を投稿し,そのいくつかが査読をとおって掲載されるという,かつてのソーカル事件を彷彿とさせる一件があった. 仕掛けたのは James Lindsay, Peter Boghossian, Helen Pluckrose の3名で,「ジェンダー研究などの分野で進行中の問題」を憂慮すると称している. James Lindsay: 数学博士(?). Peter Boghossian: ポートランド州立大学助教(哲学). Helen Pluckrose: 英文学研究者.AreoMagazineの編集者. ざっと目をとおした記事: Jillian Kay Melchior, "Fake News Comes to Academia," Wall Street Journal, October 2 (updated October 5), 2
The Sense of Style から抜粋: 文章がツリーみたいな構造になってるのを理解すると,専門的でない散文を書くときに文章構造を視覚的にわかりやすくする数少ない仕掛けのひとつを理解しやすくなる.その仕掛けとは,段落の区切りだ.多くの文章作法本では,段落(パラグラフ)を組み立てる方法について詳しく指南している.でも,そういう指南は見当違いだ.なぜなら,段落なんてものはないからだ.文章のアウトラインを構成する部品も,ツリーの枝分かれも,文章の単位も,改行やインデントで区切られてる文のまとまりに一貫して対応してはいない.かわりに存在してるのは,段落の *区切り* だ:読者が立ち止まって一呼吸入れていま読み終えた内容をじっくり咀嚼してからまたすぐにどこから読み始めればいいかわかるように文章の切れ目を目で見えるようにしてるしおりなら,たしかに存在してる. パラグラフの区切りは,たいてい,談
『スタンフォード哲学事典』から,「言語行為」の項目をちょっとずつ訳していこう.やたら長いし,ちょいちょいめんどくさい言い回しをしてるので,訳し終わるまでけっこう時間がかかると思うけど,興味がある人はおつきあいくださいな. 原文: Mitchell Green, "Speech Acts," Stanford Encyclopedia of Philosophy, 2007/2014. 原文の方でも blockquote がちょいちょい使われているので,訳文全体は blockquote に入れないことにする. ---- ここから訳文 ---- 普段の会話で私たちが自然と注意を向ける主な対象は,お互いに交わしている文ではなく,そうした文の発話で遂行されるいろんな言語行為だ:お願い,警告,招き,約束,謝罪,予測といった言語行為に自然と注意が向かう.こうした行為なしに人とのやりとりは成り立たない.
ときおり日本にやってきている経済学者のノア・スミスが,2002年から日本で変わったことについて連続ツイートをしている. 1/I have been coming to Japan since 2002. Since that time, the country has changed enormously. Year-to-year the changes are small, but looking back, they really add up. Here are some of the things that have changed. — Noah Smith (@Noahpinion) 2018年3月30日 2002年からたびたび日本に来てる.あの頃から日本はものすごく変わった.1年ごとの変化は小さいけれど,振り返ってみて変化の積み重ねは本当に大きい.そういう変化をいくつか紹介
知的意義にとぼしい上にちょっと長くなるのでチラシの裏に書くね. 内閣府アカウントによるツイートに,とある批判がなされている.まずは,内閣府ツイートをごらんいただこう: 「飲み物を飲んだら急に眠くなって、気が付いたらセックスの最中だった!」 内閣府のホームページでは、このような薬物やアルコールなどを使用した性犯罪・性暴力の被害事例や相談窓口、相談をする際のポイントなどを紹介しています。 ⇒https://t.co/YMAEunsv4k — ぴいすぬ (@pi__sunu) 2018年3月26日 この「ぴいすぬ」さんの言う,「セックスではなくレイプだ」という部分の批判は成り立つだろうか.とても成り立ちにくいとぼくは思う.内閣府ツイートやホームページの「気が付いたらセックスの最中だった!」の「セックス」と,上記の批判「セックスではなくレイプだ」の「セックス」は意味がちがう,というのがいちばんの理
ティム・ハーフォードせんせいが『フィナンシャル・タイムズ』に書いてるコラムは面白いものが多いので、ちょいちょい読んでいる。FTの記事は有料会員でないと読めなかったりするけれど、この連載コラムはFT掲載からしばらくたつとハーフォードせんせいのウェブサイトに全文公開されるので、ちょっとだけ鮮度が落ちるのさえ気にしなければ、そっちで読むのがおすすめ。 なんとなく気が向いたので、ひとつ紹介しよう。 Tim Harford, “Why the robot boost is yet to come” (Orig. Financial Times, Nov. 17, 2017) 注意書き: 以下の文章は、ハーフォードせんせいのコラムをおおよそなぞっているだけで「翻訳」ではないのでうかつに引用したりしない方がいいですぞ。
いろいろネタだしはしてみたけど指定された字数にぜんぜん収まらないので,ほぼ全部カットしてしまったよ.下記はその一部: ミラーがいう消費主義の虚妄,消費主義の「薄汚れた秘密」とは,いろんな見せびらかし消費が送るシグナルの力が実態より大幅に誇張されているということです.実際のシグナリングの力はお値段にぜんぜん見合っていない,それにぼくらにはもともとちょっとした会話からでも相手のビッグファイブ特徴や知性をかなり正確に読み取る能力が備わっているのに,わざわざいろんな製品に見せびらかしプレミアム料金を払わなくていいんだ——著者はそう言います.なるほどそうかもしれません.ですが,シグナリングの威力がまぼろしだってことも半ば承知の上で,あたかもすごい資質のシグナリングができているかのような幻想にお金を出しているとしたら,どうでしょう? 「きみたちは消費主義をあおるマーケティングの魔術にハマって,ありもし
つづき. たぶん彼女はあんまりキミに気がないのかもしれない.キミはそれに折り合いをつける必要がある 平均的な男性は,平均的な女性をに対して少なくともいくらかは性的に魅力を覚えるものだ.ここんとこを考えよう.この次に道を歩くときやモールや学生会館に出かけるときに,まじめに自問してみてほしい――《あたりにいる女性たちのうち,安全でかんたんで合意があって不倫や浮気じゃなければいますぐセックスしてもかまわないと思える相手は何パーセントくらいだろう?》 大半の若い男子と同様なら,きっと答えは7割を大きく上回るだろう――分母に子持ちや年配の女性を含めてもそのくらいになるはずだ.好き者だったら,「むしろ子持ち大歓迎なんだけど?」ってなる. これと真逆なのが女性で,平均的な女性からみると,平均的な男性は性的に透明人間も同然か中立的か気持ち悪いか生理的に受け付けないかのどれかに該当する.女性がいますぐヤリた
北田 大澤,内田隆三(…),吉見俊哉,そこら辺が見田山脈ですよね.成熟社会派が多い.僕の師匠でもあるけれども,吉見さんとシンポジウムをご一緒した時,「これ以上経済は発展しないんです」とおっしゃるから,「それじゃダメでしょう!」と返したら,見事に編集サイドで削られましたけど(笑).発想はそうなんだなって,すごくびっくりしました. 栗原 反経済成長,脱経済成長というのは社会科学系にとってドグマなんですよね.だから浜矩子(…)とか水野和夫とか,そういう人たちのほうにばっかり行ってしまう. 北田 1920,30年代ブームというのが,1990年代にあったんですよ.なにかというと1920年代とか30年代というかモダンというものに,批評にしても思想にしても社会学も可能性を見出す時期がありました.吉見さんはその典型.つまり前近代から近代に立ち上がっていく時に,半分フーコー,半分消費社会,これがセットになっ
これ、デリダ先生が『声と現象』等で示された様相についての変なお考えが、(この人の考えに反して)何のズレもなく、そのまま繰り返されている例。 flip out circuits: 森山「パフォーマティヴ」論議の主眼と論拠はなんだろう https://t.co/hd981qBYDA ちくま学芸文庫『声と現象』113頁より「私が語をいわば実際に使うとき…最初から私は、ある種の反復構造を(の中で)実行しなければならず、その反復構造の構成元素は表象=代理的でしかありえないのである…たった「一度」しか生じないような記号は、記号ではないだろう。」 — 海老 (@evil_empire1982) 2017年8月10日 「どんな語も必ず繰り返し使用できる」ってことと,「どんな語も必ず繰り返し使用される」ってことはまったくちがう.前のポストでも言ったように,後者だと,ほんとうに世界ではじめて誰かが口にした新語
ソーカル的なところともつながりそうだけど語用論でいうパフォーマティヴと関係ないものを別分野でパフォーマティヴと呼ぶべきでないのかどうかは、よくわからない。(・ㅅ・) — asaokitan (@asaokitan) 2017年8月5日 言われてみると,ぼくもよくわからない.(・ㅅ・) J.L.オースティンが「パフォーマティヴ(行為遂行的な発話)」を論じたもともとの分野である言語哲学や,あるいは言語行為論を含む言語使用を研究している語用論の外で,「パフォーマティヴ」という用語を行為遂行的な発話とはちがう意味で使うのはいけないかどうか,ぼくなりのおおまかな基準を提案してみたい. 明らかにダメなのはこれだ: ケース A: 《「パフォーマティヴ」という用語を,オースティンや言語行為論の用語として紹介しつつ,「行為遂行的な発話」とはまったく違う意味で使っている》――これはたんに誤解なのでダメ. また
はぁい,パフォーマティブさんだよ. こんにちは.今日も引き続き,森山至貴『LGBTを読み解く』を素材に使って哲学もどき文章で練習問題をやっていきましょう. さて,前回のポストでは,「パフォーマティヴ」を解説したセクションについて,次の問題を出していました: 【問題】:このセクションで紹介されている議論の主眼と論拠を抽出してみましょう. 著者による「パフォーマティヴ」解説は,そもそも用語の意味を暗黙のうちにズラして議論を進めているという大きな欠陥を抱えているのですが,そこはもうわかったからよしとして,とにかくこのセクションで言おうとしている主眼とそれを支える論拠を整理して協調的に文章を読む練習をしてみましょう. はじめにお断りしておきます:書いている自分でもうんざりする内容となっております.「あっ,ウザいなこれ」と思った方は,途中をすっとばして最後の「かなしいまとめ」に飛んでください. 言語
「練習問題の解説:意味のすり替えは論証ではないよ」では,「パフォーマティブ」がいつのまにか「発語において約束などの行為をなすこと」から「辞書的な安定した意味に反すること」くらいの別の意味に変わってしまっていることをみた. おそらく著者じしんも,べつに悪意をもってすり替えたわけではなく,自分ではちゃんと話がつながっているつもりで書いているのだろうと思う.ダメな議論をしているから悪い人だ,なんて話にはならない. 語義を意識しやすい用語を使おう さて,ああいうふうに意味がいつのまにかズレてしまうのを避けるにはどういう対策がとれるだろう? 「パフォーマティブ」「コンスタティブ」にかぎっていえば,ひとつ有効な手がある:それは,カタカナ語を使わずに,もっと意図する語義が意識されやすい用語を使うことだ.J.L.オースティンがいう "performative" "constative" には,それぞれ次の
昨日の「哲学めいた文章を読む練習問題」のフォロー編. ここでも,みなさんのお手元に森山至貴『LGBTを読み解く』があって随時参照できることを前提にして,お話をすすめます.(ぼくはKindle版だけを参照しているので,紙バージョンでの参照ページは省略します.) さて,前回はこういう練習問題を出していました: 【問題】筆者がもちいる「パフォーマティブ」は,当初,約束のような行為を遂行するという意味で導入されていますが,その後,この短いセクションのどこかで意味が変わっているようです.「発語においてなんらかの行為を遂行する」という意味でなくなった箇所はないでしょうか.候補を見つけ出してください.また,その箇所での「パフォーマティブ」は,パラフレーズするとだいたいどんな意味でしょうか. さっそく答え合わせをしてみましょうか. 「パフォーマティブ」が発語における行為の遂行とはちがう事柄を意味している箇
昨日の「パフォーマティブ」ネタの続きでもあるYO. 森山至貴『LGBTを読み解く』(ちくま新書,2017年)が手元にある方は,第6章「5つの基本概念」から,「言語は綻びによってこそ可能になる」の小見出しではじまるセクションで,ひとつ練習問題をやってみませんか. このセクションでは,J.L.オースティンを引きつつ「パフォーマティブ」「コンスタティブ」の対をおおまかに解説したあと,デリダが「辞書的な意味というものに疑問をなげかけ」た云々の話をはさんで,その後の「男らしさ」「女らしさ」もパフォーマティブである,というセクションにつないでいます. 【問題】筆者がもちいる「パフォーマティブ」は,当初,約束のような行為を遂行するという意味で導入されていますが,その後,この短いセクションのどこかで意味が変わっているようです.「発語においてなんらかの行為を遂行する」という意味でなくなった箇所はないでしょう
ジェンダー論まわりでなんか「パフォーマティブ」って言いたいみなさまに,言語行為論をいくらか知っている人間からご提案させていただきたい. まず,最初にとても基本的なことを確認しましょう:あなたが言いたいことは,本当に,初期の言語行為論で言う「パフォーマティブ」すなわち行為遂行的な発語のことなのでしょうか? そもそも,あなたは言語行為論を必要としているのでしょうか? (関連事項として:「コンスタティブ vs. パフォーマティブ」という区別はあまり便利な区別ではありません――が,これはさしあたり脇に置いてしまいましょう.) あなたが言いたいことが次の事項 (1)-(3) に当てはまらないか確かめてみましょう―― (1) 必ずしも言葉の使用に関わらない事柄である; (2) 個別の行動・行為というよりは習慣的な営み,「プラクティス」である; (3) 演技的または誇示的な言動を念頭に置いている. 項目
3つそろえて,無敵の邪悪なひとになろう! テロリスト的蒙昧主義:わざと曖昧模糊とした書き方をして,なにを言ってるのかわかりにくくしよう! キミの批判者が「あいつはこういうことを言っている」と言ったらこう言い返してやろう――「あなたは私を理解していないよ.あたまがわるいね!」 「泥壕」戦術:キミの批判者に対しては,「この議論にはこれだけの膨大な文献の歴史と蓄積がある.しっかり読んで出直してきたまえ」と言ってあしらおう! 相手がほんとに読み始めたら,みずから泥壕にハマってくれたようなものだ.やったね! グル効果:とても上手くいったときには,キミの曖昧模糊とした言動に深遠な意味を読み取ろうとしてくれる集団がつくれるかもしれないぞ! ただし,深読みに誘導できるだけのの地位や権威や「カリスマ」が必要だけどね! もちろん,よいこはこんな手を使ってはいけませぬ. 一方で,この3つと似て非なるものとの区別
ジョン・サール先生のインタビュー本 (2001) から,お気に入りの箇所をサルベージ(かつて「はてなダイアリ」にいったん載せて全部削除してたのだ): 他方で,ミシェル・フーコーならよく知ってる.バークレーで同僚だったからね.あるとき,妻とぼくとで彼とランチで同席したことがあってね.彼に言ったんだ,"Michel, pourquoi tu écris si mal?"――「ミシェル,なんでこんな悪文を書くの?会話じゃあきみだってぼくみたいにはっきりものを言ってるじゃないか.なんでこんなに不明瞭な書き方をするの?」って.そしたら彼が,「ぼくがきみみたいにはっきり書くとね,フランスの書評家連中に子どもっぽいって思われるんだよ.infantil って言われてしまうよ.」 彼が言うには,「フランスじゃあね,少なくとも10%は意味不明じゃなきゃいけないんだ」――"Au moins dix pour c
同じくサール先生のインタビュー本からもういっこ.こちらは,「ファーストオーダー」の哲学と「哲学者が語ったことについての哲学」(いわばセカンドオーダーの哲学)についてサールせんせいが述べてるところ: たとえば,民主主義に向かって努力すべきであり,民主主義に価値を置くべきだってローティは言うでしょ.でも,「しかし私はみかけと現実の区別をしりぞける」って言うんだよね.でも,民主主義を尊重しようにも,本物の民主主義とインチキ民主主義やらニセ民主主義やらの区別をする用意ができてなきゃやりようがないじゃない.人民民主主義だとか,ヨーロッパのファシズムや共産主義みたいな全体主義的民主主義なんてのがあるわけでね.ああいうのは,たいてい民主主義を自称してるけど,ただのみせかけと言うほかないよね.ホントは民主主義なんかじゃない. ローティは,「いや,私は真と偽の区別をしりぞけるんだ」って言うよね.それでいて,
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『flip out circuits』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く