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D&Dの難易度 - きまぐれTRPGニュース この件で一つ、ちょっと思ったことがあったのでメモ書き。 ルールブックという“兵器” ルールブックは一般に「ゲームを遊ぶための道具」と定義されていますが、もう少し掘り下げていくと「ゲームに勝つための武器」という側面があります。そしてゲームに勝つための手段には、「自分をひたすら強くする」、「相手より強くなる」、「相手の弱点を突く」の、三つのアプローチがあります。 ゲーム初心者であればまず「自分を強くする」アプローチでルールブックを読めばよいのですが、強さを求めるとき、多くの人は「相手よりも強くなる」アプローチや「相手の弱点を突く」アプローチも知りたくなります。 特に TRPG の多くが「1プレイヤーにつき 1キャラクター」という制限を持っている以上、可能な限り強くしたいと考えることが間違っているとは言えないかと思います。それが感情移入による
先日、ゲーム仲間と次の SW2.0 キャンペーンの相談をしていたときのこと。 前回やったシナリオの後日談について質問されて、 「あーこのコは後日談を考えるタイプなんだー」 とか思って。 そこで質問なんですが。 あなたはシナリオの後日談、考えますか? それとも考えないですか?「あなたはシナリオの後日談を考えますか?」 これ、ゲームマスターにせよプレイヤーにせよ、ゲームの傾向とか環境の差、それからセッションの好みなんかが出る話じゃないかと思ってて。 っていうのは、例えばコンベンションなんかで一回限りのオムニバスゲームを遊ぶのであれば、後日談って別に大した問題じゃないんですよ。通りすがりのちょっとした善人が、善行施して良い気分になれたらそれで十分で、それより先のことなんて考える必要もない。電車でお年寄りに席を譲ったり、自動券売機で SUICA/PASMO にチャージする方法が分からな
『ソード・ワールド2.0』が出てから、僕の属するプレイグループが活気付いている。まあ大体が「2.0やろうぜ」って話なんですが、その中にはこれまで『アリアンロッドRPG (ARA)』やってたグループもあって、彼らも「もう ARA はいいよ」と言うのです。 なんでかと聞いてみたら、 「スキル単位のレベルアップじゃないからカツカツしないで気楽そう」 あー、なるほど、と。 『アリアンロッドRPG』に飽きる理由を解析してみた これはまあ楽しみ方、好みの差なんでしょうが、少なくとも僕の属する複数のプレイグループで、FEAR ブランドのゲームは評判がよろしくない。好きな人もまあいるにはいるんだけど、そういう人も大体リプレイのファンなんですね。 なんで評判がよろしくないのか。 訊ねてみると、その最たる理由は「データッキーにならざるをえないから」ということ。 成長システム 〜 長所が短所に AR
昨晩ゲーム仲間のももんげ氏とちょっとだけアホ話をしていたところ、「お前のマスタリングは後出しジャンケンだ」と言われて。 後出しジャンケンと言われると、なんかズルをしているような印象があって「えー」と思ったんだけど、話を聞いてみると「プレイヤーとゲームマスターがお互いに後出しジャンケンをし続ける」という話のようで。 後出しジャンケンでやる「後出し」ってのは、基本的に「相手の手に応じた手を出す」ってことでしょう。それが「相手に勝つ手」であれば「最適解」だし、「相手に負ける手」であれば「負けロール」ってことで、それをお互いに出し続けていくっていうのは…… 「いや、そりゃあ当然だろう」という結論になったんだけど(笑) 二つのゲーム盤 「TRPG とは見えざるゲーム盤の上で行われるボードゲームの一種である」という考えがあります。ですがそのゲーム盤が、たとえば『バックギャモン』なのか、それとも
ちょい前に書いた「マスタリングによるゲームボードの差」の図が何なのか、唐突に思い出したので。 ゲームマスターの中にあるゲーム盤 TRPG を「見えないゲーム盤*1で遊ぶボードゲーム」としたときの話。 最初にゲーム盤を用意するのは(大体のゲームにおいて)ゲームマスターの仕事ですが、そうして用意されたゲーム盤でプレーしている最中に、どこまでプレイヤーによる新しいアイディア*2を許容し、ゲーム盤を拡張していくか。またプレイヤーによる拡張のアイディアをゲームマスターがどのように許容するか……というのが前回の図だったようです。 まあ、これはあくまで僕がゲームマスターを務めるときの基準であって、一般的なものかというとだいぶ怪しくはありますが。 第一区分 : キーパー、ゲームマスター、ダンジョンマスター、ディレクター 上段左の図は、オーソドックスなゲームのマスタリングの様式です。ゲームマスターは
この話、前にも書いたような気がするんですが。 前エントリ「誘導因子の背景(2) 〜 オンセ」で書いた「オンセには先読みが重要」話の延長線上でちょっと思い出したことがあったんで。 まあ【誘導因子】と直接はつながらないんですけどね。 「先読み」と「先行入力」 前エントリ「誘導因子の背景(2) 〜 オンセ」では、特に〈参加者〉同士の発言にまつわる「先読み」の話をしたわけですけど、では「先読み」が大事な理由はなにかと言うと、その最たるものは“「先行入力」によって時間を有効利用すること”なわけです。 で、まあその「先行入力」ってのは当然、キャラ同士の会話だけでは無いわけで。 特にオンセで時間のかかる処理といえば、様々な判定があります。 それも戦闘処理が一番手間がかかります。通常なら会話で済むところも、戦闘ではちゃんと判定しないとゲームのルールが崩壊してしまうため*1、これは支払わなければ
[注意!] 久しぶりにドえらい長い話です。 もし今、貴方があまり時間的余裕を持たないのなら、とりあえず余裕ができるまでこのエントリは放置しておくことをオススメします。 Aマホの話を書いていたら、これまでの読み解きでもあんまり見た覚えのなかった点について、あーちょっとコレ書いておきたいなーと思うことがあったんで。 僕はあのゲームの中核は「質疑応答」のパートにあって、まあ芝村氏が「読心術者のように〜」って書いているとおり、プレイヤーが SD の判定基準を読み取ることが重要なのはそうなんですが、それ以外にも「読み取り」に関する技術が潜んでるわけです。 で、その「読み取り」の技術に関するものの核が、タイトルになってる【誘導因子】というわけで。 まあ【誘導因子】って名前は勝手につけたものなので、たぶん心理学やなんかにもっと適切な言葉があるとは思うんですが、よく知らんのでここでは仮にそう呼ん
自分の中にあるゲーム観と、先人たちの解である「ジレンマと意志決定」が近接するかを考えてたんだけど。 まあ、すんなり納得できる話だったりして。 ゲームに競技性を求めていたのは、競技には必ず「目的」と「課題」と「ルール」があって、それに対する「取捨選択のジレンマ」と「最適と思える解を選択し実行する」と「真剣勝負」が必ず存在する。 それって極端にすると「ジレンマと意志決定」でいーじゃないのと(笑) もちょっと深いところに潜れそうなんだけど、しばらく保留。 ユーザに無自覚のまま指向性を与えるものとか。 どうしても技術論になっちゃうのは、あくまでも僕の趣味として。 んでまあ、「ジレンマと意志決定」でいーじゃないの、と思った原因について。 この定義と、僕が定本にしてる〈ゲーム編成〉の話*1とが、すごいシックリ来たのです。 〈ゲーム編成〉ってのは「自分で楽しさを演出する」「自分でゲーム
底の浅いディープな話とかではなく、普通に面白かったものを。 実際はもっと沢山あるんだけど、指がかじかんで書いてらんないんです。 姐上、暖房器具が遠いです!(泣) (にしても、真夜中にナニやってんだろ、俺) 「狐の社で」プレイレポート 甥っ子、姪っ子さんらと TRPG を実際に遊んだ方の話。 いやまあ前にも書いたとおり、僕も子供ら相手にたまに遊んではいるんですが*1、さすがに小学校低学年の子とは TRPG よりボードゲームを優先するので、これには驚きました。しかもちゃんとルール運用してたようですし。 まあ一番驚いたのは、自分が勧めた『ゆうやけこやけ』*2を本当にセレクトされたことだったりしますが(笑) いやもちろん自分の経験やら子供って生物の性質やらを考えて真面目に答えた*2ことではあるんですが、『ゆうやけこやけ』のクセの強さは不安要素でもあったので。そこを上手くこなしたと言う
唐突ですが、冬の時代以前に教えられた技術について、ちょっと書いておきます。今で言うハンドアウトに相当する技術と、それを利用してゲームを編成する技術なんですが、知り合いに話したら面白がっていたので。(そう珍しいモンじゃないと思うんですが。レトロな技術って秘伝化されてるんですかね?) 「シナリオガイド」について まずは当時「シナリオガイド」と呼んでいたハンドアウト技術について。 ここではシナリオのメタ情報を、シナリオコンセプト、シナリオランク、シナリオリスク、重要NPCの四つに分解してゲーム前に提示しています。 シナリオコンセプト GMが想定するシナリオの障害、その攻略手段。 ≪ハック≫:探索し、情報や物資を移動することで攻略 ≪スラッシュ≫:戦闘によって障害を駆逐することで攻略 ≪ソーシャル≫:社会性を改善することで攻略 シナリオランク シナリオの難易度。 ≪キュート≫:非常にシンプ
ウチに友人らが集まったので、ちょっと『りゅうたま』やってたんですが。 ついにチビ助が参戦しちまった。 あーあ。 長女は前から『ソード・ワールドRPG』と『ファー・ローズ・トゥ・ロード』くらいはやってたんですが、どっちかといえばアウトドア派のチビ助は、今まで何ら興味を示さなかったんですけどねェ。 * * * 今朝方ちょうど gginc 氏のエントリ(サイコロについてのごく短い一文)を読んでたせいもあって、ちょっと面白いことを発見しました。 チビ助、ダイスを振るのが“だんたん”楽しくなっていったみたいなんですね。 この“だんだん”って部分がミソで、最初は何がなんだか分からないから“とりあえず”言われたとおりに振ってるダケなんですよ。 ところが次第に“自分から”振ろうとするんですね。 判定いらねーよって場面でまで振ろうとする(笑) あれ、なんでなんだろと思ったんですが。
accelerator 氏にコメントを頂いてから、再度読み返してみました。 まず最初の指摘、> ところで、ここでいう追体験ゲームの意味にはずいぶん幅があるように思え、そこでひっかかってしまいます。 > > ○原作と同じキャラクターでそっくりのシナリオで遊ぶ > ○ファンタジーの常識や世界観的な常識に沿って遊ぶ > この二つは相当違うことのように思えます。後者はRPGの根本的な楽しみの一つですけど、原作と同じPCで遊ぶことが一般的とは思えません。 について考えてみたんですが…… 確かにそのとおりでした...orz ちょっとだけ修正させてもらうと、「原作と同じキャラクターでそっくりのシナリオで遊ぶ」の部分は、「原作と同じキャラクターでそっくりのイベントを遊ぶ」くらいの認識でしたが、定義のブレの大きさについては同じことですから、これは無駄な足掻きですね。 どうも自分の中にわだかまっている
註:このエントリの内容(特に“追体験ゲーム”の定義)には大きなブレがあります。 指摘された点について、再考したエントリがありますので、そちらも併せてご覧ください。 (再考エントリ:[返答] “追体験”は倒滅すべき巨悪か?[1]) 前エントリでは「アニメやラノベなどの」と限定していましたが、対象メディアを拡大すると、追体験ゲームというのは RPG の根っこに昔からあるものです。 世界最初の RPG とされる『DnD』の原風景には『指輪物語』がありました。その『DnD』で遊んだ少年らの多くが、コナン・ザ・グレートや永遠の戦士たちに、またはレゴラスやギムリやガンダルフとなって、幻想の世界に没入していたと思われます。 かつて『ロードス島戦記コンパニオン』で遊んでいた人で、原作のキャラクターを登場させたいと思った人も少なくないでしょう。 『ソード・ワールドRPG』を改造して『スレイヤーズ』
前記事(勝利条件に見る世代論)に KAN 氏から戴いたコメントを見て唸っていました。 * * * 僕が「勝利条件に見る世代論」で書いた世代分岐 ところで、TRPG 世代論って、第一、第二、第三……という直線的な数列で表すから誤解が生じるんじゃないかと思ってます。 というのは、第二世代と第三世代って、必ずしも第一世代からの延長線上に行儀よく並んでるモンではないと思うんですよ。 について、KAN 氏のコメント 1>2と1>3と別系統に分化し、今の時流に合っているのが3となり勢力が移ったのではないかと思うのですがどうでしょう? この点については、まったく同感と言いますか、投稿してしばらく経ってから「しまった第一世代とのつながり書き忘れてた」と気付いたところでした。 第三世代ゲームが生まれるまでに、まず第二世代に一度アンチテーゼを投げかけてそれを一度切り離す。残ったゲームのコアになる第一
前提[1]:この記事では「物語=シナリオ」として書かれています。 前提[2]:この記事では「TRPG=結果を出力する表現媒体」として書かれています。 例のハンドアウト論争からこっち、あちこちの話を読んでいて思ったことを。 * * * 第二世代と第三世代の差を、漠然と「シナリオハンドアウトの適正」で判断していました。 シナリオハンドアウトを使うことが前提になっていないゲームが第二世代。 シナリオハンドアウトを使うことが前提になっている、または使わなければ本来の性能が発揮できないゲームが第三世代。 まあ、大雑把に言うとそういうことです。 結論ありきのようでもあるんですが、両者はルールによって表現しようとしているものに大きな差があると思うので、とりあえずのガイドラインとして色分けしてみたわけです。 そのガイドラインに沿ってみると、両世代ゲームはそれぞれ第二世代ゲーム : 別世界の人
註:本記事の中で使用される「物語ゲーム」「箱庭ゲーム」はそれぞれ以下のような意味と定義します。いちいち書いてると文章が冗長になるので(^^; 「物語ゲーム」シナリオハンドアウトを使い、物語の成立を勝利条件とするゲーム形態「箱庭ゲーム」シナリオハンドアウトを使わず、箱庭の中の自由行動からシナリオを生成するゲーム形態 前記事は「箱庭ゲーム」または「箱庭」という言葉を、「決められた枠内(主に世界)で好き勝手にキャラクターが行動できるゲーム形態」として書いています。(当記事でも同様の意味です) で、このゲーム形態は、シナリオハンドアウトによってキャラクターの行動目的を設定しないもの、前記事の区分では第二世代ゲーム(別世界の人生を表現する)に相当するものだと考えています。 シナリオハンドアウトに対する見解を書くことに終始した結果、箱庭ゲームの展望について何も書いておらず、オチが付かなかったもん
『りゅうたま』を購入して約24時間が経過。 さっそくルールブックを読みながらプレイしてみました。 とりあえずピクニック(簡易ルール)で遊んだ結論。 「面白い。 それも相当に練られた秀作。」 それから、ごく個人的な見解を付け加えれば、 「“でいりーらいふ!”で やりたかった事を九割がたフォローされた」 となります。 どういうことなのか、ちょっと書き出してみます。 * * * 1. 旅=冒険 冒険者とか言う無頼漢――あるいは英雄――どもならいざ知らず、一般人にとっては旅それそのものが冒険たりえます。 2. 水と食料 たとえ英雄であっても、水や食料もなく戦い続けることはできません。 ましてただの旅人であれば。 多くのゲームではそれらを演出の小道具程度に扱っていましたが、『りゅうたま』ではルールの中核に至近しています。 3. ゲームマスターのキャラクター化 『りゅうたま』で
註:本記事では以下の通り定義しています。 「ベテラン=良い影響力を持つ上級者」 「老害=悪い影響力を持つ上級者」 参考ページ : 2D6で1: 初心者の敵 上の記事を読んで、勝手にベテラン三箇条を考えました。 (自分も「いかんなー」と自戒するところがあったので) あまり「かくあるべし」は好きじゃないんですが。 * * * 一つ、ベテランは吟味された一言でのみ語るべし 老害は多くを語りすぎます。 初心者は聞いてるだけでゲームが億劫になります。 一つ、ベテランはゲームを批判せず賞賛するものと知るべし 老害は批判や指摘によって、自らをベテランに偽装します。 初心者は「そんなボロクソに言うゲームなら、なんでやってんの?」と思います。 一つ、ベテランこそ“椅子の足”で奮闘するべし 老害は強力な武器(データの組み合わせ)を公然と持ち、見せびらかし自慢します。 初心者は出番を持っていか
僕は FEAR ブランドのリプレイ本で見るような「ハンドアウト」は、ほとんど使ったことがありません。原則的にキャラクター個人が関与できない周辺環境についての、事前情報についてのみ記述しています。 これは『クトゥルフの呼び声(CoC)』をやっていた頃からの手法で、漠然とした周辺環境の情報から、シナリオの方向性を軽く示唆するくらいのものです。 ハンドアウトというより「今回予告」に近いかもしれません。 * * * 何度かキャラクターに直接関与するハンドアウトも書いていますが、そのときはプレイヤーと相談の上で書きます――「どの分野で活躍したい?」「誰と絡みたい?」「キャラの過去話は使う?」とか。 もちろん、他のプレイヤーとのバランスを考えますんで、すべてを使うとは限りません。 でもシナリオの傾向――どういうシナリオが遊びたいか――に関する要望はプレイヤーにもあるはずで、それを毎度毎度「G
例によって「そんな当たり前のこと」と言われるかもな話です。 ハンドアウトの話を書いたり読んだりしていて、ふと気付いたことが一つ。 シナリオって GM が一人で作るものなの? 最終的にはそうかもしれないけど、イチから全部、自分で作らなきゃだめ? ……という疑問。 ゲームに予定調和を盛り込んで、妥協点を見出しやすくする。 そのための一つの手法としてハンドアウトがあるんだろうと思います。 それはそれでいい。 でも、ハンドアウトを使わなくても、それよりずっと前の段階から、予定調和の流れを作ることは可能だと思うんですよ。(使いどころを選ぶ手段ではありますが) 魔法の呪文は これだけでプレイヤーへの心理効果と、シナリオ作りの負荷軽減が期待できます。 もちろん GM が、ちゃんと要望を拾ってシナリオを書くことが前提です。 * * * 【一、心理効果】 これは「次のシナリオの方向性
こちらの記事を読んで、 「“死んだゲームのローカルルールを積み上げる”ってのは、 商業的には敵なのか。嗚呼」 ……と思った。 少なくとも「現行の商業モデルでは」という注釈付きでしょうが。 * * * ローカルルールを作り出す思考回路を習得すること、それ自体が悪いとは思わない。 だけど個別のゲームをカスタマイズ――ローカルルールやオリジナルデータを追加――することで、ゲームの価値を予想外に高めたとしても、それがゲーム関連商品の実売数の向上につながらない限り、商業的にはものの役に立たない。 更に、そうしたカスタマイズによってゲームの寿命を延ばしてしまうと、ゲームの新作が出ても「(古いゲーム)でまだ遊べるからいいや」ってコトになって、新作の売れ行きにブレーキをかけてしまうことになりかねない、わけだ。 アア、そこまで考えてなかった。しまったなァ。 「ゲームの幅を広げる」「プレイヤー
【前提】 このエントリではTRPGの世代区分を以下の通り定義しています。 「第1世代」=遊び方について全く示唆しないルールキット 「第2世代」=世界観によって遊び方を示唆するシステム 「第3世代」=世界観+ルールによって遊び方を教導するシステム TRPGの遊び方を云々していて、ふと気付いたというか、思ったというか。 TRPGの世代進行は、囲碁→将棋の流れなのかな? * * * 僕が言ってる「好きにやったらいいじゃないか」ってのは、遊ぶときにまず「自分でゲームの勝利条件を設定する」っていうのが前提条件になってるんじゃないかと思ったんですね。 んで第2、第3と世代が進むにつれて、キャラクターの動かし方っていうか、遊び方が研磨されていって、どんどん「黄金パターンの再現」っていう勝利条件が鮮明になって言ってるのかなと。 で、それって「敵の王将を取ったら勝ち」っていう将棋っぽいなと。
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