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ドラクエ3
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歴史的に言えば、私たちは常に、どうにもならない権力の非対称を発見してきた。マルクス主義者が資本家と労働者を、ポストコロニアリストが征服者と被征服者を、日本の格差社会論者が正規雇用者と非正規雇用者を発見したように。 もっと時間と場所を限定して、たとえば2019年の日本の首都圏に生きる私たちは、金持ちと貧乏人、与党支持者と野党支持者、健常者と障害者、雇用者と被雇用者、不動産所有者と居住者、親と子、というように、いくらでも深刻な非対称を挙げることができる。 このような非対称を不正であるとして、これを暴力によって転覆したり、漸進的に格差を是正したりする行動は、もちろん可能である。しかし、そのような革命はいつ実現するかわからないし、永遠に実現しないかもしれない。革命を夢想するだけでなく、革命のために行動することですら、それだけでは革命の成就のために十分ではない。実際には、革命家でさえも旧体制のもとで
Gabがマストドンのフォークに移行したことで、いろいろと騒動になっているようだが、まずは私たちは、過去から学ぶ必要がある。 みなさんはGNUsocial AXISを覚えているだろうか? 2017年4月のマストドンブームの時期に、Gargronが複数のGNU socialのインスタンスをブロックしたことが騒動になった。特に問題なのは、Gargron自身のインスタンスであるmastodon.socialのみならず、複数のインスタンスが「ブロックリスト」を共有し、それに追随したことである。ブロックされた側である、GNU socialの複数のインスタンスは、GNUsocial AXISを自称し、The GNUsocial Axis Resolutionsという檄文を発表した。アノニマスもそれに便乗して見解を表明している。 Pleromaは文化的にはGNUsocial AXISの流れを汲んでおり、G
追記 この記事よりHow the biggest decentralized social network is dealing with its Nazi problemとその日本語訳を読んだほうがいい。 Gabがマストドンのフォークに移行するという噂があり、Gargronやアプリ開発者たちは浮足立っているようだ。 Gabはオルトライトの巣窟であり、聞くに堪えないヘイトスピーチにあふれている。もしGabがActivityPubの連合に参加するのならば、マストドンの多くのインスタンスがGabをドメインブロックするのは、自然な成り行きである。 話が複雑なのは、マストドンのクライアントアプリがGabをブロックすべきかという問題である。ここには、私たちFediverseの旧住民とGabという不愉快な新住民という二項対立のほかに、GAFAというやっかいな巨人たちの存在が影を落としている。GAFAの
分散SNS Advent Calendar 2018参加記事。 設計図共有サイトの利点と懸念 過去の記事「プラグイン機構は活発な開発者のかわりにはならない」では、マストドンをはじめとする分散SNS実装の開発者たちが、イシューとプルリクエストに十分に応答しているかどうか検討した。しかし、そもそも、イシューとプルリクエストに応答することは、何のために必要なのだろうか? あるいは、ソフトウェアをプロプライエタリにして、イシューもプルリクエストも受け付けないならば、何かまずいことがあるだろうか? GitHubと、それに似たものたち (GitLab、NotABugなど) は、Gitなどのバージョン管理システムを提供するとともに、イシューとプルリクエストを受け付ける機能も提供している。GitHubのようなものを総称するのは難しいが、ここでは仮に「設計図共有サイト」としよう。 イシューを受け付けることで
インターネットでは、性嫌悪者による苦痛の訴えを、さまざまな形式で見ることができる。そのなかには、公共の場所から性的身体の図像を撤去することを求めるものもあれば、単に苦痛を表明するだけのものもある。 この種の苦痛は明らかに実在する苦痛である。言葉のうえだけで創作されたものではない。 ところで、LGBTPZNの中核となる問題意識は、法と倫理によって徹底的に自分自身を破壊された者が、なおも何らかの倫理や価値観に対して誠実であることは可能だろうか?、と表現されてきた。性嫌悪者の置かれている状況は、これにきわめて近い。差し迫った苦痛をもたらすものを見せられ続けてきた者が、それを見せようとしてきた者と、何らかの倫理や価値観を共有することは可能だろうか? あるいは、私たちがそれを要求することは妥当だろうか? 性嫌悪者が自らの主張を立証するには、苦痛を表明すればそれで十分である。インターネットで論をやって
Fediverse癌リスト を インターネット異常者スケール でやっていきます。面倒なのでスクリーンネームだけ書きます。 たきざわ彰人 セルフ車掌。特に害はない。鯖缶各位はバンしなくてもよかったのでは。 ミッキー・ハット なんと教祖を自称しており、インターネット異常者スケールでも教祖に該当するのだが、騙される人が少ないので害は小さい。鳥でいうところのカエル砂鉄みたいなものだが、カエル砂鉄のほうがだいぶ強いぞ。 マナヴ 評価不可。なぜなら、私が見たことがないので。 躾のいい狂犬にゃんだ 評価不可。だいぶまえに見たことがあるが、印象が薄かったので忘れた。 Yuuki Honda 異常者ではない。単独では無害だが、nagieptとメンションで会話して現象になっていた。nagieptは自分より弱い相手には手加減してほしいが、それができないからカオスエンジニアリングが成立しているのかもしれない。 ま
私は高木浩光のファンなので、このブログにもさまざまな影響が見て取れる。高木浩光とカエル砂鉄を比較する記事を書いたこともある。特に、GDPRについての記事で「法を題材にした論理パズルに熱中すべきではない」と書いたことは、高木浩光からの影響が顕著であるので、出典を明らかにしようと思う。 高木浩光の2008年12月31日の記事は、高木浩光の興味がセキュリティからプライバシーに移行しつつあった時期の証言であり、ファンにとっては必読の記事である。高木浩光がプライバシーの観点からグーグルストリートビューを検証したところ、読者から「この話題は興味ないから、早くいつもの話題に戻って」というコメントが寄せられたという。これに対して、高木浩光は、「技術的知識欲が満足されることが快感なだけで、本当はプライバシーなんてどうでもよかったのか?」「私たちコンピュータセキュリティの研究に携わる者は、技術的に面白いから蘊
追記 この記事よりも 正しく知れば怖くない GDPRの基本と対策のポイントをIIJが解説 を読んだほうがいい。「細かな対策法だけを論じたり、「守らないとこんな怖いことになるよ」といったようなブラックメール論法がよく見られたりしますが、監督機関が最も注視しているポイントは実は難しいことではない。(中略) 極端な話、「個人データについて何をやるかを正直に説明せよ」の一言で済ませることさえできます。 」と書いてあるぞ。 GDPR (General Data Protection Regulation) が2016年5月24日に発効、2018年5月25日に施行されることを受けて、日本のマストドンインスタンスに、EU圏内のユーザーを締め出す動きが広がっている。 GDPRについてはJETRO (日本貿易振興機構) の解説を読めばそれほど間違いはないと思う。ところで、プライバシーを保護するための規制であ
事実は啓蒙よりも暴力として作用する、それはそうなのだが、暴力が悪いとは一言も言っていない。むしろ積極的にやっていくべき。 インターネットの人類は、ともすれば、攻撃的になることを忌避する意見を吐露しがちである。けれども、それは数が多い陣営に圧倒的に有利なルールである。なぜならば、そちらに属していれば、怒ったり嘆いたりする機会がそもそも少なくて済むからだ。 インターネットでは気に入らないことがあればがんがん叩いたり愚痴ったりすべき。なにしろ、分散SNSでは「死ね」とか「殺す」とか書いても (文脈が本物の脅迫でない限りは) 凍結されないという利点がある。わざわざ「○す」とか「ケア」とか書かなくていい。 私が何が嫌いかというとマジョリベーションの一言に要約できるので、もしお前らがそれに一歩でも足を踏み入れたら、俺はお前を殺す。
LGBTPZN Advent Calendar 2016 参加記事。 私がツイッターを始めたとき、南山まさかずはすでに死んでいた。私がツイッターを始めると、タイムラインに千代田まどかの状況が流れるようになった。千代田まどかは、エビデンスをエクセルでスクショする仕事を与えられ、適応障害に苦しんでいた。その後、別の企業に就職し、ホモ、松屋、職場の美少女に慰みを見出すようになった。さらに、マイクロソフトのエバンジェリストという肩書きを得て、今に至る。 インターネットではすべてがphotoshop可能である。南山まさかずの死でさえ、事実であるかどうかは分からない。本稿では、事実としての南山まさかずではなく、彼に言及したさまざまな声が織り成す神話を、考察の対象とする。 南山まさかずについての神話は、典型的には以下のような類型を持つ。第1に、彼が仕事を休みがちになっていたこと。第2に、■■■■■■■■
面倒なので引用元にリンクしないが、「同意していない相手を性的な行為に巻き込むことは性暴力」であるという主張が、原文では太字で書かれている。 シンプルなルールで倫理を再定義したいという欲求は、現代の日本に特有であるように思われる。歴史的には、たとえば新約聖書は、饒舌なたとえ話に満ちている。 あるいは、インターネットの論客に対しては、「四本脚はよい、二本脚は悪い」程度のスローガンがお似合いだと判断したのかもしれない。残念ながら、これはまったくの逆効果である。これまでに、インターネットの論客のうちでも特に幼稚な者たちが、同様のスローガンを嬉々として反復してきた (1, 2, 3, 4) からである。 結局のところ、牧村朝子はフラットデザイン化された神を発明したように見える。しかし、これは神ではなくモンスターに過ぎない。「同意」が実際には何を意味するかを明らかにするためには、『資本論』よりも長大な
Pleromaという異常な分散SNSがあり、3.distsn.orgというインスタンスを運営している。インスタンスの運営よりも独自機能をもりもりやっていくことに興味があるので、そのようにする。 インスタンスを設立する Pleromaのインストールは公式のWikiを読めば難しくない。日本語もあるが、英語が苦痛でなければディストリビューション別のドキュメントを読むほうが早い。やっていきましょう。 余談ですが、マストドンと比較して、Pleromaのインストールの楽なところを挙げる。 メールサーバーの設定が不要。マストドンでは、メールサーバーを自分で建てるか、Mailgunあたりのメールサーバーを使う必要がある。 管理者ユーザーの作成が不要。Pleromaには管理者ユーザーが存在せず、インスタンスの設定はローカルなファイルを編集することで行う。 安価な計算機資源でまともに動く。さくらのVPS 51
Mastodon 2 Advent Calendar 2017 の12月25日の参加記事。 概要 昨今のワールドワイドウェブ、特にCGM (consumer generated media) では、知名度のあるユーザーに視聴が集中する現象が起きている。これをセレブのインターネット (internet of celebrities) と呼ぶことを提案する。ところで、マストドンを含む分散SNSの理念に脱中央集権 (decentralization) がある。これは普通、複数のインスタンスが連合を形成することで権力を分散することを指すが、私はこれに加えて「ユーザーの脱中央集権」が必要と考えている。これは前述のセレブのインターネットに対抗するものである。 ユーザーの脱中央集権に逆行するデザインの一例として、フォロワー数順のユーザーランキングが挙げられる。確かに、フォロワー数の多いユーザーのトゥート
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